「鎮魂」を掻き消す、暴力と闘った十二年

【日報抄】3月11日 東日本大震災が発生した3月11日の午後2時46分、東北では震災時と同じサイレンを鳴らす自治体がある。あの日の記憶を忘れず、命を落とした人の冥福を祈る趣旨だ。一方で、当時に引き戻されるような気持ちになり、いたたまれないと耳をふさぐ遺族もいる▼先日の本紙おとなプラスが、そんな人々の思いを伝えていた。ある女性は小学生だった息子を亡くした。津波を知らせるサイレンは怖かっただろうと推し量る。その場面に自分が入り込む感覚になるのが苦しく、当日は寺にこもって念仏を唱えるという▼女性にとってサイレンは「死へのカウントダウン」のように聞こえる。別の女性も音を聞かないよう努めており「周囲との温度差を感じるのも嫌」と打ち明ける。音が響き渡る前は身構えてしまうという人や、トイレに駆け込んでやり過ごした人もいたようだ▼空襲犠牲者の鎮魂の思いが込められた長岡花火にも複雑な思いを抱く人がいた。火の海の中を逃げ回る中で娘を亡くした女性は、花火の意義に理解を示しつつも「空襲を思い出すから苦手」と話していた▼花火の音と光は焼夷(しょうい)弾のそれにそっくりだという。作家で旧制長岡中学出身の半藤一利さんも東京大空襲で九死に一生を得たことから「どうしても空襲を思い出してしまう」と花火嫌いを公言してはばからなかった▼鎮魂のサイレンや花火に込められた思いは真摯(しんし)なものだ。ただ、そんな音などを苦痛に思う人がいることも忘れずにいたい。大震災から12年である。(新潟日報デジタルプラス・2023/3/11)

 【天風録】ホープツーリズム 時が止まっているかのようだった。事故を起こした東京電力福島第1原発がある福島県双葉町を貸自転車で回った。新しい駅舎や役場があるJR双葉駅前を抜けると崩れかけた民家や商店が残る。干したままの洗濯物が窓越しに見える。すぐ戻れると思ったのか▲事故で町民全てが地元を追われ、昨夏やっと一部区域で避難指示が解除された。戻ったのはまだ60人ほど。ほとんどが高齢者で、できたばかりの公営住宅はひっそりとしていた。避難先で生活を立て直した現役世代の帰還はどれだけ進むのだろうか▲「ホープツーリズム」という言葉を現地で何度か耳にした。福島県全体で7年前に始まり、参加者が増えている。「ダークツーリズム」と呼ばれる被災地の旅に前向きな響きをもたらす▲各地の伝承館や災害遺構を巡り、古里の再生に携わる人々との対話を通じて希望を感じてもらう趣向だ。沿岸部は地震、津波、原発事故の複合災害に見舞われた。復興の道は険しく全国からの後押しはなお欠かせない▲東日本大震災から12年。干支(えと)が一回りし、人々の記憶は薄れる。現地に足を運んでこそ見えてくる課題がある。その一歩が被災者の希望につながればいい。(中国新聞デジタル・2023/03/11)

 原子炉爆発の映像を目の当たりにして、人々は何を感じたでしょうか。このことはもう、何度も書いたことです。地震発生の直後、影響の及ぶ範囲のあまりの巨大さに驚愕を覚えつつ、ぼくは自宅二階の書棚を抑えつつ、瞬間的に福島発電所の原子炉のことを考えていました。あんなにおびただしい数の配管や配線が張り巡らされているのだから、どこかが破損しないはずはないという思いからでした。案の定、という以上にすごい爆発が続き、数日経って、はじめて事態の深刻さ、事件の重大さ、身に及ぶ危機の恐怖に、ようやく多くの人々が気づき出したのです。 

 当時はまだ勤め人の身分でしたから、在学生の安全の確認や、入学予定者の安否の確認で数日間は電話にかかりきりでした。被害に襲われた地域出身の学生たちの確認のための、さまざまな支援も合わせて進めていた。もう十二年が過ぎたというのは事実ですが、ある場面では、また、ある人々にとっては「時計は止まったまま」だともいえます。爆発直後の福島に一歩足を踏み入れただけでしたが、この先の「復興」が思いやられるという思いが、強くぼくの心中に刻印された。

 昨日も書きました。「喉元すぎれば熱さを忘れる」ということだったと思う。あんなことは二度と起こらないし、起こったところで、「あの程度」という高の括りかたが、官・民に蔓延しているのではないですか。もちろん官が誘導するからこそ、民が靡(なび)くだけなのですが。ぼくの実感では、「喉元」さえ過ぎていなかったという、度し難い態度が、官界・産業界にありありと見えます。おそらく核戦争が起ころうとも、「核シェルター」がすでに用意されているのではないか。そこに入れば、しばらく(ほとぼりが冷めるまで)は大丈夫という、天をも畏れぬ態度が伺えるからです。原発はもうゴメンだといったところで、死なばもろともという道行なのです。でも「小悪も大悪」も足掻きに足掻く、とことん足掻くのですね。この島の「為政者」は数万年という稀有の時間を視野のうちに入れているかのごとき、振る舞いを見せています。どんなに長く生きたところで、数十年のものではないかと、どうして思い及ばないのか。人生のある時期に「一瞬の煌き」があれば、大満足という輩が跋扈しているというほかありません。(以下の表は東京新聞・2021年3月11日)「福島事故から10年 世界の原発は微増」(https://www.tokyo-np.co.jp/article/90743

 既存の原子力発電所が戦争の道具になっている、ロシアの戦争を見るまでもないでしょう。ミサイルとまったく同じ攻撃武器として、ロシアはその原発の威力・暴力性を最高度に弄んでいるのです。核ミサイルは攻撃用としては強力な武器になる。しかし、原子炉に固定されている「原子核」は攻撃の的にはなっても、それをもって反転攻勢に出る訳にはいかない。この小さな島国に運転休止中も含めて「五十四基」の原子炉があるということは、何を示していますか。馬鹿な総理に聞くだけ野暮かもしれない。ドローンが一基、どこからか飛んでくるだけで、この島社会は息を呑むしかないのです。核の亡者たちは、脅迫に晒されることを願っている、そういうことでしょう。死ねばもろとも、というなかれ。

 以下、あくまでも余談ですよ。 牧村三枝子さんが歌った曲に「道連れ」がありました。好きな人といっしょなら、「道連れ」もなくはないと思うけれど。無能な政治家や欲ボケの産業人と「道連れ」は金輪際、御免被っておく、こんなことをもう、ぼくは半世紀以上もいい続けています。能がないこともまた、おびただしいナ。「原発は安全だ」と言い張るなら、都内の永田町や霞が関に作って呉れとも言ってきました。東電本社も近いし。冷却水には、東京湾の海水があるじゃないか、と。「永田町に原発を」、そのための徒党さえも作ろうとしました。(言うまでもなく馬鹿臭いので、それは止めましたが)              (*牧村三枝子「道連れ」:https://www.youtube.com/watch?v=5AkzZb_7rIU&ab_channel

 とまれ、本日は「福島原子炉爆発」から十二年目です。十年一日というのはどういうことでしょうか。十年変わらないのは、原発政策なんですか。あるいは、「原発安全神話」の垂れ流しですか。無辜の民の多くの死を強いておきながら、あるいは、住民や関係者の生活や人生を破壊するような事故を起こしておきながら、原発は「安全である」と嘯(うそぶ)く、「無神経」とは、どんな「神経」なのか。ぼくの体内にもあるものなのでしょうか。

 そして、この十二年の歳月は直接間接の被害を受けてなお生き延びた無数の人民の「亡き人ひと」に対する時々の「鎮魂」の想いを政治暴力によって無にしてきた歳月でもあったのです。だからこそ、人命を軽んじ壟断する暴力には断じて魂を明け渡すわけにはいかないと、自らに誓い続ける十二年であり、新たな誓いの旅の一歩を記す「一日」でもあるのです。

 *参考 ロシア、ザポリージャ原発を「核の盾」に 地元市長インタビュー(写真は「ウクライナ・ザポリージャ原発に入っていくロシアの軍用車両」(2022年5月1日撮影)。(c)Andrey BORODULIN / AFP  【3月11日 AFP】ウクライナ・ザポリージャ(Zaporizhzhia)原子力発電所はもはや電力を生み出しておらず、ロシアの軍事基地に成り下がってしまった──。地元エネルホダル(Energodar)のドミトロ・オルロフ(Dmytro Orlov)市長(37)はAFPのインタビューで、こう嘆いた。/ ウクライナ南東部の同原発をロシア軍が占領したのは昨年3月4日。軍事侵攻開始後、まだわずかしかたっていなかった。/ 国際原子力機関(IAEA)は、原発周辺が攻撃されている点を懸念。安全区域の設定を呼び掛けている。/ オルロフ市長は、「(ロシアは)1年に及ぶ占領期間中に欧州最大の原発を軍事基地に変えてしまった」と語った。/ ザポリージャ原発はこれまでに何度もトップニュースになり、1986年にウクライナで起きたチョルノービリ(チェルノブイリ、Chernobyl)原発事故と同じような大惨事が再現されるのではないかとの懸念が広がった。/ そうした大惨事に至るのを回避するためウクライ側は「反撃してこない」という「事実」にロシア軍は付け込んでいると、モルロフ氏は話す。(AFP BB News ・2023/03/11: https://www.afpbb.com/articles/-/3454137?pid=25442355&page=1)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)