
(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-03-01/RQRM6TDWLU6801?srnd=cojp-v2)
故郷復興への願いと原発再稼働の狭間で揺れる-東日本大震災から12年
「史上最悪レベルの原子力発電所事故が日本を大きく揺るがし、市民の怒りの矛先が原子力に向けられてから間もなく12年になるが、世界的なエネルギー危機が日本に原発再稼働を促している」(以下略)小田翔子(2023年3月1日 12:48 JST)(ヘッダー写真はBBC NEWS JAPAN・2021年4月13日)
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明日が「フクシマ」十二年目の3.11にあたります。読み応えのある記事が少ない中、ブルームバーグのものに目が止まりました。この問題に関しては多くの人がいろいろな観点から語り継いできました。ここに来て、燃料費高騰の折から、原発再稼働、新増設への展望が開けたかのような、度厚かましい動きが見てとれます。いろいろな観点が必要であるにも関わらず、ひたすら「燃料確保」の経済合理性からという一点に集中しているのは、ぼくには認められない。エネルギーは国内での産出は無理、だからといって輸入に頼るにしても現下の状況は不確定要素が強いのだから、それに頼り切るわけにはいかないという。また環境問題からいっても最良の燃料源は「原発だ」ということにしている。本当にそうかどうか、考える余地がない問題設定で、民意(選択の余地)を束縛しているのだ。かりに、今ある「原発」のかなりの部分を再稼働させるにしても、何年かかるのか。あるいは、新規増設に要する時間は予定すら立たない話だということを、多くの人は忘れている。まして「既存原発六十年超運転」論は論外です。入院中の年月(日数)を実際の年齡の計算外とするという、アホかという理屈だね。

この十二年、幾多の発電源を確保し、きわめて僅かな原発起源の燃料で、この島社会はやってこれた。それでもなお、原発を、というのは、何よりも「経済的豊かさ」が人間の最高の価値なのだということしたいからだろうか。悪どい「儲け主義」ですね。この島社会(国)は「先進国」である必要はどこにあるのか。「先進国」である理由はどこにもないと、ぼくは考えています。どこよりも「他者」を尊重する社会、それが何よりも尊ばれなければならないと考えるものです。現実の社会は、ぼくのような鈍感な老人にさえ、堕落・退廃していると思わせるほどの荒み方をしています。「原子力明るい未来のエネルギー」という小学生の「標語」を書かせたのは「学校教育」でした。その「アカルイミライ」とは、だれにとって、どんなものだったか、誰もそれを深く考えてみようとしなかったのではないでしょう。
30年前に標語「原子力 明るい未来の エネルギー」を考案した少年はいま 「明るい未来 じゃなかった」福島の原子力発電所
標語を考えた当時は小学6年生だった/ 標語を考えたのは大沼勇治さん(42)。双葉町が1988年3月、子どもたちを含む町民から集めた標語の一つを看板にしたのだ。当時は小学6年生だった。/ 震災前にSNSの先駆けだったミクシィを通じて、現在の妻(42)と知り合い、2010年3月に結婚した。結婚後1年で原発事故が起きた。妊娠7ヶ月で、長男(6)がお腹にいた。そのこともあり、2日後には、妻の実家のある会津地方に避難した。現在、茨城県古河市に住んでいる。(以下略)(https://bunshun.jp/articles/-/6535)(文春オンライン)

(左写真は大沼さん一家)(日本経済新聞・2021年3月11日 18:28)たくさんの人々の運命を否応なく、強制的に変えさせた「原発事故」。復興が叫ばれるのは、それだけ、復興からは程遠い現状であるということの証明でもあるでしょう。事故発生当時、二度と原発事故はゴメンだと、一部の亡者を除いて、ほとんどの人が直感(直観)したはずです。たとえ不便でも、生きていることが大切だし、それが大切だと思える生活を送りたい、と。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という。あるいは「喉元すぎれば熱さを忘れる」ともいう。どちらも、人間は愚かであるということ、その愚かさは度し難いということを言っているようにも、ぼくには読める。一瞬の直感(直観)が、人の生き方を決めることはいくらもあります。その直感を忘れるのもまた、人間の愚かさでもある。人間の歴史は、十中八九は「愚かさの歴史」であるとも言えそうです。(下の写真は「標語が優秀賞となり表彰される小学6年生(当時)の大沼さん(右から2人目)」(日本経済新聞・同上)

一つの状況を強いられていながら、そこから抜け出すには、多くの選択肢がない。時には「キムは愚図であり、愚か者だ」と言われることもある。どうしても同じ「愚か者」であるほかないなら、ぼくは「膾を吹く」愚かさを選びます。ことによれば、石橋を叩いても渡らないという俚諺を実践したいとも思う。もちろん、それは問題の性質によるのはいうまでもない。原発(原子力)使用の悲惨さ・無惨さを、死を以て、文字通り、身命を賭して示した人々がどれほどいたか。ぼくたちは、現状を唯唯諾諾と追認するだけなら、その人々の「死」を蔑(ないがし)ろにすることになるのだ、死者の躯(むくろ)を足蹴にして生きてる、それでいいのかと問われている。その要の姿勢が取れるかどうか、その問いかけを肝に銘じたい。そのための「3.11」だ。

(上写真:新しい双葉町役場庁舎(右奥)の近くで傾いた住宅)(東京新聞・2022年8月31日 06時00分)明るい未来を原子力という破壊的・破滅的エネルギーに託してから三十五年後の双葉町の「復興」状況です。現在、同地区に居住する住民は約60人。事故発生当時の7100人の1%にも及ばない。これが「復興」の実態です。住民不在の公共事業だけが盛り上がっている。「政治」の不実、不謹慎のなせる所業だというほかありません。本当に「復興する」「復興した」とは、一体どういう事をいうのでしょうか。「復興」と言えばいいのではないでしょう。「復興」とは「荒廃」「廃墟」の別名であったと、ある場合には言わなければならないのではないですか。それをあえて可能・現実にしてしまうのが「政治」という暴力です。
● 羹に…=「楚辞」九章から》羹(熱い吸い物)を飲んでやけどをしたのにこりて、冷たいなますも吹いてさますという意。前の失敗にこりて必要以上の用心をすることのたとえ。(デジタル大辞泉)
● 喉元…=熱いものも、飲みこんでしまえばその熱さを忘れてしまう。転じて、苦しい経験も、過ぎ去ってしまえばその苦しさを忘れてしまう。また、苦しいときに助けてもらっても、楽になってしまえばその恩義を忘れてしまう。(デジタル大辞泉)
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