ロボットは動く、人間は働く

 【日報抄】「機械にニンベン(人偏)をつけて、仕事するんだよ」。作家の小関智弘さんは高校卒業後、東京の下町で旋盤工になった。最初に掛けられた先輩の言葉が忘れられない▼ニンベンとは人にしかできない工夫や心配りの意味か。そうやって機械を扱えという教えだろう。自身の経験を基に町工場の職人の心意気に迫るルポを書いてきた。著書「現場で生まれた100のことば」は巻頭に2人の言葉が並ぶ▼「職人というのは、人の役に立つ仕事をする人間です。その人間の仕事が楽しくないはずがない」。三条市の刃物鍛冶の一言だ。もう一方は「仕事が楽しいなんて、きれいごとだ。真剣にやっていれば、仕事は苦しいものです」。東京の歯科技工士の弁だ▼2人の言葉は表裏だが、どちらも共感を呼ぶ。こうした思いを張り合いや励みにして仕事に打ち込む誇りが伝わる。いま人工知能(AI)の開発が加速している。条件を指示すれば、画像や動画、小説まで作ってしまう「生成AI」も注目の的だ▼10年から20年の間に、仕事の半分がロボットやAIに置き換わる-。日英の研究者が、こう推計したのは7年ほど前。それが現実になるような勢いだ。卒業シーズン、多くの若者が巣立つ。就活も始まった▼小関さんはロボットは「動く」が、ニンベンをつけて「働く」のは人間と言う。AIやロボットが進歩しても、汗や涙を流し、楽しみ、苦しむ心は持てない。そう信じたい。若者たちには、太いニンベンの進路を踏み出してほしい。(新潟日報デジタルプラス・2023/03/05)

 小さい頃から、職人の仕事を見ることが大好きでした。よく、その仕事場に入り込んでいきました。怒られた記憶はあまりない。能登半島の小さな村に、鍛冶屋さんがあった。それを終日見ていて、実に興味が湧いた。唱歌の「村の鍛冶屋」そっくりの世界があった。(「村の鍛冶屋」:https://www.youtube.com/watch?v=kphnvoE62Ms&ab_channel)この年齡になっても、時々思い出すのは、いつも魚釣りをしている街を流れているかわ(熊木川?)の側の広い鍛冶工場でした。(この川で、「赤い魚」を釣って大興奮して家に帰って、近所の人にも見せたことがある。金魚だったかどうか、未だにわからない)この鍛冶屋さんは同級生(「本田」さんという女の子でした)のお爺さんがやっていたもので、河原近くの工場で、つねに、一人で黙々と仕事をしてた。鞴(ふいご)を見るのも初めてだったし、赤々と燃えている炎の中に鉄の延べ板を入れ、それがうち叩かれている間に、次第に平たく大きくなり、ついには刃物の形ができあがっていく。何ともスリリングな時間でした。また、戦後しばらくの田舎社会では、建築も村人が総出で手伝っていたし、棟上げ式なども間近に見られるので、大いに興奮したものでした。今風に言えば、いつでも、どこにでも「現場」があり、その中に入っていけるような近さがあったことも、ぼくが職人仕事を好むようになった理由かもしれません。今から思うと、どうして職人の世界に入らなかったのか、考えるだけでも残念だという気になります。大工、機械工、農業など、いくらでも機会はあったし、親戚にもいろんな職業人がいたのですから。

 ぼくは尾関さんからも多くのことを学びました。「機械にニンベン(人偏)をつけて、仕事するんだよ」というアドバイスは貴重だったでしょうね。工夫することが人間の仕事なのだといってもいいでしょう。機械は便利だし、人間に似せて作られる AI ロボットはなお巧妙に仕事をこなしてゆく。その機械やロボットによって生み出されるものに十分満足することができれば、それはそれで悪いことではないでしょうが、ぼくたちはどんなものにも「ニンベン」を求めるという傾向があります。人間の仕業に、ある種の安心感を抱くのかもしれません。人間は機械にはなれないし、ある場合には機械以上の仕事をしてきたということです。

 一人の職人は、「職人というのは、人の役に立つ仕事をする人間です。その人間の仕事が楽しくないはずがない」という。別の職人は、「仕事が楽しいなんて、きれいごとだ。真剣にやっていれば、仕事は苦しいものです」と話している。まったく正反対のことを言っているのでしょうか。おそらく、二人の職人は同じことを、「自分流の経験」談として語っているのではないでしょうか。これまでにも、ぼくな有名・無名問わず、多くの職人に出会ってきました。自動車修理工の先輩からもいろいろなことを教えられました。仕事は難しい、楽ではない、だから、辛いという人もいるし、その辛いことがやがては楽しいことに重なるのだと経験した人もいる。手取り足取り、誰かに命じられて、あるいは支えられて何事かを成し遂げるのは嬉しいことです。でも自分で工夫に工夫を重ね、苦労してやり遂げることはもっと楽しい。教えられることに慣れると、自立できなくなりますね。

 ぼくは、「教育」というものを、一人の人間が自立できるための訓練だと考えてきました。幼児が自分の足で立つ。転んでは起き上がり、ついには自分の足で立って歩ける。二足歩行、これは誰にも自然に、簡単にできるものだと思いがちですが、その段階の幼児のそばに立って見ていると、実に苦心しながら、体全体のバランスを取りながら、自分の足で歩くことを獲得するのがわかる。人間は「歩くことを学習する」のです。自転車に乗れるのも「学習」です。経験によって獲得したものが「学習の核」となるのではないですか。ピアノを弾くのも、逆立ちするのも、すべてが「学習」です。しばしば、「学習は山登りのようだ」と言ってきました。平地を歩くのではなく、山に登るのは高ければ高いほど辛い・厳しい試練になる。だからといって、誰かに背負われたり、車で登っても少しも楽しくないでしょう。(自分の足で歩くという)本物の経験がなければ、与えられた楽しさは一瞬のうちに消えていきます。「仕事が楽しくないはずがない」というのも、「仕事は苦しいものです」というのも、自らの経験の確かさを二様に表現したものだと、ぼくは言いたいですね。苦しいから、楽しいというのであり、そこには「苦と楽」が背中合わせにある、経験の確かさを示していると思うのです。

 「小関さんはロボットは『動く』が、ニンベンをつけて『働く』のは人間と言う」

 動くと働く、似て非なる言葉であり、(言葉が持つ)内容ですね。もちろん、言葉に拘る必要は毛頭ありませんが、「あの人は動いている」というのと、「彼が働いている」というのでは、そこから受け取る印象は相当に異なってきます。どうしてですか。あるいは、move と work を並べて、その内容の違いが明らかになるでしょうか。誤解されそうですが、あえて言っておきます。ロボットは、限りなく人間に近づこうとする(ように、人間が操作するのです)、しかし、人間がロボットになる必要もないし、ロボットにはできない「工夫」を持っている限り、その「工夫」を発揮して行くことが求められるのではないですか。(左上写真:https://howtoniigata.jp/spot/tsubamesanjo/5955/)

 多くの職人の親方・名人たちは「俺は教えないよ」とか、「技は盗むんだ」という。自分で得る、体得すること、それが経験の本筋ではないでしょうか。技術は教えられないし、教えられるなら、それは技術ではないでしょう。どんな技術にも「極意」があり、それはその人だけの「心得」だともいえます。親方が、その「極意(心得)」で親方になっているように、自分も自分流の「極意(心得)」を得られるように修行する、それが職人が働くということではありませんか。教えられたとおりのことしかしないのは「動く」だけであって、そこに「ニンベン」がつく、「働く」が存在しないということのようです。

 「教育」の役割は、一人ひとりの子どもたちが、自分は「動く」「動かされる」だけの存在ではなく、工夫をこらして「働く」人間であることを自らに証しするための練習・訓練期間だと思う。自分の足で立ち、自分の頭で考えるための訓練です。それ故に、安易に、「答え(らしいもの)」を与えることは厳禁ですね。ぼくの心情としては、教師が「教える」「教えすぎる」というのは、まさしく「犯罪行為」だと言いたい。子どもたちから「創意」「工夫」の可能性(余地)を奪ってしまうことになるのだから。まして、暗記によるテストの成績で順番を決めるというのは、絶望的な非教育的行為であり、反教育的ですらある。創意や工夫を凝らすことができない人間だけをのさばらせることになる学校教育の敗北ではないですか。今日の、この島社会の工業や技術の遅れ、停滞は、「物を覚えるだけの教育」の横行、暗記にしか捌け口を見いだせない貧相な教育間観がもたらした結果でもあると言えないでしょうか。「ものづくり」はロボットに任せればいいという、根っこから間違った「ニンベン」による「創意」「工夫」を活かす教育の放棄の当然の報いだったように、ぼくには思われます。いろいろな意味で手遅れだというのも、ここに原因が存在しています。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)