
【小社会】ビキニデー 卒業式の季節、3月を迎えた。県内でもきょうは公立高校の式が行われるという。若者を社会に送り出す高校や大学となると、先生や来賓の送る言葉も力が入ることだろう。/ 1963年、米国なので季節は夏になるが、アメリカン大学の卒業式に出席したケネディ大統領の祝辞はいまも語り草になっている。時は冷戦のさなか。前年にキューバ危機も起きるなど旧ソ連との対立が深まっていた。/ 大統領は「ソ連に対する私たちの態度を再検討しよう」と呼びかけた。米を憎い敵だとするソ連の姿勢に落胆しつつ、自分たちは「ソ連と同じ過ちを犯してはならない」と訴えた。/ 協調も対話もできない相手だとレッテルを貼ってしまうと、軍拡に歯止めが利かなくなる。「相違があっても、世界が平穏であり続けるように力を注ぐことはできる」とした。/ 残念ながら主張はいまもそのまま通用する。やはりソ連・ロシアは歩み寄れない国なのか、それとも米欧がケネディの提案を無視してきたのか。いずれにせよウクライナ侵攻を巡り、ロシア、米欧間には不穏さが増している。/ きょうは「ビキニデー」でもある。54年3月1日、太平洋のビキニ環礁で行われた米水爆実験で第五福竜丸の乗組員が被ばくした。これこそ冷戦の軍拡がもたらした悲劇である。広島・長崎に続き核の犠牲になった日本。どこよりも軍拡に敏感でなければならない国だが、現実はどうだろうか。(高知新聞Plus・2023/03/01)

【水と空】第五福竜丸と被爆地 「戦後、長崎から上京した人」という設定だろう。映画の中で女性がぼやく。〈やあね。原子マグロと放射能雨。東京湾にでも上がり込んできたらどうなるの。せっかく長崎の原爆から命拾いしたのに…〉▲69年前の特撮映画「ゴジラ」のひとこまだが、公開は原爆投下から9年後。〈せっかく命拾いしたのに〉とは、架空のせりふであっても生々しい響きがあったろう▲公開は、静岡県焼津市から出港した第五福竜丸の被ばくから、たった8カ月の頃でもある。太平洋・マーシャル諸島での米国の水爆実験で、そのマグロ漁船は「死の灰」を浴びた▲この船に限らず、近海にいた多くの船で魚が放射能汚染された。水揚げされても競りはなく、魚の価格は暴落する。放射能を帯びた「原子マグロ」の名も、当時は誰もが知る、生々しい一語だったに違いない▲水爆実験で目覚めたゴジラが東京で破壊の限りを尽くす。「核」の恐怖を映す映画に着想を与えた第五福竜丸事件は、きょう3月1日に起きた▲誰も語らず、皆が忘れたら、あの無残な出来事が「なかったこと」になる。だから語る。体験を子どもたちに語り続け、おととし亡くなった元乗組員、大石又七さんにそう聞いたことがある。「胸に刻み続ける」。被爆地と第五福竜丸は同じ言葉でつながっている。(徹)(長崎新聞・2023/03/01)

以下の、Haff Post の記事は2014年3月1日付けのものです。今から九年前。ビキニ環礁で行われた水爆実験(全六回)の爆発の瞬間を映像化したとされる。3月1日は「ビキニデー」というそうです。忌まわしい記憶に結び付けられた「弥生朔日」です。正確には、六十九年前の「今日」行われたアメリカの核(水爆)実験で、静岡県焼津の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴び、多くの乗組員も被爆したのです。今日ただいま、東欧では「ロシアの戦争」が何時果てるともしれないままに、無辜の民を「殺戮」し続けています。あろうことか、ロシアの「馬鹿大将」は「核の使用」にするら言及し、核兵器の「威力」を弄んでいる始末です。さらに、この五月、現総理は広島の地でG7を開催することに「総理の威信」をかけているという能天気ぶり。このG7の幾つかの国は核実験を今なお継続している。さらに、広島の被爆者認定作業も未だに終わらないままで、一体この国の指導者は何処に向かって、何をしたいというのでしょうか。
広島・長崎への原爆投下から、本年で七十八年目を迎えます。福竜丸被爆事件からも六十九年、福島原発爆発事故からは十二年が経過しました。この島社会では、ついに「被爆」から開放・解放されることなく、その重くて辛い「被爆の歴史」を重ねているのです。核保有国の指導者を広島に招き、一体、この総理は何をするつもりか、「非核宣言」を出すとかなんとか言っていますが、冗談にすらならない、たちの悪い「政治寸劇」です。アメリカによって莫大な金額になる軍事装備(武器)を「買わされ」、しかも、それを「国防」のためと偽っています。集団的自衛権というわけのわからない「戦争体制」に「強制参戦」させられた結果、米軍の露払いの役割を、小国の権力者は喜んで演じているのです。どれだけ「被爆」経験を持ったところで、米国の尻馬に乗ることを止めない政治家は、こぞって「国外追放」する他に手はないのではないですか。
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◯ビキニ環礁の水爆実験【動画】 第五福竜丸事件から60年 今から60年前に行われたビキニ環礁での水爆実験。アメリカの第七統合任務部隊の報告ビデオには、当時の実験の様子が収められている。(The Huffington Post)(2014年03月01日 18時29分 JST)/ ビキニ環礁で水爆実験が行われてから、3月1日で60年を迎える。/ 1954年3月1日、アメリカは太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で、水爆実験「ブラボー実験」を行った。アメリカは1946年から1958年にかけて、ビキニ環礁で23回の核実験を行ったが、最も規模が大きかったのがブラボー実験で、広島に投下された原爆の10001倍の威力を持っていたと言われている。/ 当時、ビキニ環礁東海域を航行していた静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」は乗組員23人が被ばくし、無線長の久保山愛吉さんは半年後に亡くなった。広い範囲に放射性物質を含んだ「死の灰」が降り注ぎ、周辺に住む島民も数多く被ばく。今も健康被害を訴える人たちが少なくない。/ ブラボー実験はどのようなものだったのか。アメリカの第七統合任務部隊(Joint Task Force Seven)による報告ビデオには、1954年から行われたブラボー実験を含む、6回の水爆実験「キャッスル作戦」の様子が収められている。(以下略)(https://www.huffingtonpost.jp/2014/03/01/operation-castle-bravo_n_4878675.html)
◯「第五福竜丸 ビキニで被ばく 放送年:1954年 静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が3月1日、ビキニ環礁付近で核実験による死の灰を浴び、乗組員23人が原子病(放射線障害)になった。ビキニ付近では、米国人28人と現地の住民236人も放射線障害の被害を受けた。第五福竜丸は3月14日焼津港に帰り、重傷の2人は東大病院で治療を受けたが、無線長久保山愛吉さんは9月23日亡くなった」(NHKアーカイブス:https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030006_00000)

(左の地図は東京新聞・2021年2月1日 00時00分 (3月1日 10時14分更新))「1954(昭和29)年3月1日、太平洋のビキニ環礁沖で操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」が米水爆実験に巻き込まれた「ビキニ事件」。船は大量の放射能を含む「死の灰」を浴びて23人の乗組員全員が被ばく。さらに幅広い海域で汚染された魚が見つかるなど、その被害は庶民の食卓にまで及んだ。世論が激しく反発する中、日米両政府は被ばくの恐怖をひた隠し、事態の沈静化を急ぐ。広島、長崎の原爆からわずか九年、再び核の犠牲になった日本。それでもなお原子力開発へ突き進んだのはなぜか。その背景を探った。…」(東京新聞・同上記事より)
きさらぎをぬけて弥生へものの影
漸くにして、寒さの厳しかった如月を突き抜けたと思ったら、いきなり「弥生の空」に核爆発の雲が生じたような恐怖(ものの影)を与えられています。政治は貧にして、民、露頭に彷徨(さまよ)う、そんな弥生の出だしではあります。パスカルの「パンセ」の中に、「人間は衝立で覆われている縁の手前の道を何気なく通っているが、その衝立の先は深甚なる崖だというのに、まったく気がつかないのだ」と書いている。また「壊れる古屋は悲惨ではない」とも。なぜなら、「古屋」は、自分が悲惨だということを知らないからだ。ともいう。まさか、人間は「古屋」じゃないでしょうな。
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