【滴一滴】昔話「花さかじいさん」の犬は最初、正直じいさんに大判、小判がある場所を教えた。意地悪じいさんに殺されたが、墓に植えた木はみるみる育ち、その木で作った臼からは、米がどんどん出てきた▼臼が燃やされ残った灰は枯れ木に花を咲かせ、正直じいさんは殿様からたくさんの褒美をもらった。犬は姿を変え、正直じいさんに多くの富をもたらした▼さて現代。犬や猫などのペットはどうやら、お年寄りに元気な暮らしをもたらしてくれているようだ。ペットを飼っている高齢者は、飼っていない人に比べて介護保険サービスの利用費が半額に抑えられている―。こんな研究結果を東京都健康長寿医療センターのチームがまとめた▼2017年に埼玉県の高齢者で、ペットを飼っている96人と飼っていない364人を対象に、直近17カ月の介護保険制度の利用状況などを比較した。ペットの世話に責任感を持ち、活発で規則正しい生活を送ることが、介護サービスの利用軽減につながるとみられる▼犬や猫などのペットをなでると、飼い主の脳内にホルモンが分泌され、心を癒やす効果もあるとされる。ペットはさまざまな“褒美”をくれている▼〈振り返り犬が気遣う散歩道〉。全国有料老人ホーム協会が公募したシルバー川柳にあった。ペットと飼い主の優しい関係が長く続きますように。(山陽新聞digital・2023/02/26)
本日は2月26日です。どなたもが、言わずとしれた「2・26」と言い切れるのか、いささか怪しい。この国がおのれの寸法を測り違えて、国外に押出していく大きなはずみになった事件が起こった日です。昭和十一年の今日、陸軍の将校たちによって引き起こされたクーデタ。すでに大陸では「満州事変」が展開中でした。「1931年(昭和6)9月18日の柳条湖(りゅうじょうこ)事件に始まった日本軍の満州(中国東北地域)侵略戦争」(ニッポニカ)これをさらに大掛かりな侵略戦争に太らせ、国内的には軍部の発言力を一層大きくするための「権力奪取・掌握」の試みでした。今日、権力の側の(若手将校)科「老人将校か、いずれもが居丈高に雄叫びを上げる事態に立っている。「台湾有事」は「日本有事」と、如何にも朝にでも先端を開くための軍備増強を、なけなしん税金からむしり取っているのです。(この事件を主題に駄文を綴ろうというのではありません。これは別の機会にします。)
この「二・二六」という日は、別に珍しくもなんともないのですが、ぼくの親友の「誕生日」ですので、毎年、この日は忘れられなくなっているのです。W氏は政治学徒で、半世紀近くの交流があります。近年は全く連絡をしておらず、間接的にご機嫌を伺うだけになりましたがそれすらも途絶え勝ちになっています。現役勤め人のときには、それこそ毎晩のように「飲み歩いた」ものでした。「馬鹿の交わり」の時代だった。元気でありますように。

● 二・二六事件【ににろくじけん】=1936年2月26日未明,皇道派青年将校22名が下士官・兵1400名余を率いて起こしたクーデタ事件。皇道派青年将校は北一輝に接近,昭和維新の実現をはかり,武力による国家改造を計画,真崎甚三郎教育総監罷免,相沢事件など統制派の台頭に反発し皇道派の拠点であった第1師団の満州派遣を機に蜂起(ほうき)を決意。斎藤実内大臣,高橋是清蔵相,渡辺錠太郎教育総監を射殺し,鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ,陸軍省,参謀本部,国会,首相官邸などを占拠,陸軍首脳に国家改造の断行を要請した。陸軍首脳は戒厳令をしいたが,海軍,財界がクーデタに反対であるのをみて弾圧に転換,反乱軍の規定も〈決起〉〈占拠〉〈騒擾〉〈叛乱〉と四転。29日反乱軍を鎮圧。首謀者や理論的指導者の北一輝らを死刑,皇道派関係者を大量に処分,統制派が実権を掌握。岡田啓介内閣は倒れ,軍の政治的発言権が強化された。(マイペディア)(左写真は東京新聞:2021年2月26日)
「花さかじいさん」が話題になったのを見て、さて、どのように展開するのかと瞬間的に推理し、やはり、そういうことだったかと合点がいったという話です。これなら、ぼくも「コラム】ぐらいは書けそうだと言いたいのではない。「さて現代。犬や猫などのペットはどうやら、お年寄りに元気な暮らしをもたらしてくれているようだ。ペットを飼っている高齢者は、飼っていない人に比べて介護保険サービスの利用費が半額に抑えられている」という件(くだり)。このことはすでに幾つもの「コラム」が扱っていましたから、あえて言うこともありません。しかし、腑に落ちないのは、「ペットを飼うと、介護保険サービス料が(飼っていない人の)半分」という部分です。如何にも経済的だから、是非とも保険料節約のために「ペットを飼いなさい」と勧めていませんか。そうですかね。医療費や介護保険利用料が節約できるから、「犬・猫をペットに」という、その魂胆(狙い)は、どこから出てくるのか。犬や猫をなんと考えているのでしょうか。

いくつか不満を述べたいところ、以下の二つに限定しておく。
①犬や猫を飼育するのは「そうしたいからである」と指摘すべきだ。保険料等の節約のためになるというのなら、まことに「お門違い」ですよ。飼い主の医療費などは減らせるかもしれぬが、「ペットの医療費」はどうなりますか。場合によっては人間よりも高額になることはいくらもあります。さらに、種類や個別性にもよりますが、ペットの食事代はどうなります。けっして「ただ」ではない。缶詰めなんか、これも人間のものより高額になることはいくらでもある。
(本日も、朝一番に「♂」猫を医者に連れていきました。去勢手術の前のワクチンと幾つかの検査のためです。一匹当たり、本日の診療代金は2万2千円でした。これが八匹分にかかります。その上で「手術代」です。財布はいつも空っぽになるほど。加えて、毎日の「食事代」。人間よりも高額になるかもしれない。馬鹿になりません。このところの値上げの悪ノリか、缶詰などは、なんと三割も高騰しました。銭金の問題ではないのではない。銭金の問題でもあり、加えて、生命を粗末に扱わないという人間に等しいき付き合いを動物は求めるのです。それらを考えれば、「ペット」だからなどという気分はどこかに吹っ飛んでしまいませんか)

②「ペットの世話に責任感を持ち、活発で規則正しい生活を送ることが、介護サービスの利用軽減につながるとみられる▼犬や猫などのペットをなでると、飼い主の脳内にホルモンが分泌され、心を癒やす効果もあるとされる。ペットはさまざまな“褒美”をくれている」この部分に対しても、お節ご尤も、と言ってみますが、それはペットとは無関係でしょ。犬や猫の有無にかかわらず、「活発で規則正しい生活を送ること」は、介護の世話になる期間や負担を少なくしてくれるはずです。ぼくは、動物病院から帰宅し、十時から約一時間、少々風が冷たくもありましたが、約8000歩ほど歩きました。天候の具合などで歩かない時もありますから、これが規則正しいとは言いませんけれども、自分の足で立つ・歩くという基本能力を失わないための、ぼくの姿勢です。これまでには一円たりとも「介護保険」の手助けを得ていません(この先は皆目わかりません)。保険料はごっそりと収奪されていますが。
別段、脳内のホルモン分泌によって癒やされるのは、ペットの頭ばかりではない。音楽だって、昆虫だって、限りありませんね。なんだか八つ当たりしているようですな。少しばかり虫の居所が悪いんですよ。生きていると、何かと好都合とばかりはいかないもので、時には腹立ち紛れに、大声を上げてみたくなります。このところ、連日のように動物病院に行きます。もちろん、必要があってのことですが、いろいろな病気を抱えた犬や猫がいます。ぼくの通っている病院では、小鳥などの小動物も診療科目に入っているようで、いつも混んでいます。大雑把な印象では、ここでは犬派が多いようですね。なかには、高齢のご夫婦が、これも高齢の犬を連れて見えます。これを見ると、生命の付き合いは、何とも大変だと強く実感するのです。頭を撫でれば癒やされるなんていうどころの話ではないですよ。これまでの半世紀近くの間に、ぼくら夫婦は、おそらく五十匹を超える猫(犬や小鳥も、時にはいました)との生活を送ってきたと思います。何かの魂胆があってのことではないし、ましてや「癒される」ため、「看護保険利用料半減」のためなんかではありませんでした。誰かがやることを、ぼくたちがやっているだけのことです。

「〈振り返り犬が気遣う散歩道〉。(中略)」「ペットと飼い主の優しい関係が長く続きますように」たしかに、ぼくもそのように思います。でも、犬や猫とつき合うのは、そんなことばかりではないことも事実です。犬も猫も、人間同様に老齢を重ねるのです。「ペットと飼い主の優しい関係」」という表現に、なんだか人間の優勢・優位意識が潜んでいませんか。(虫の居所は、ここまできても、治りませんでした。悪いところに潜んでいるようでしたね)
*参考文献「【最新研究】ペットを飼うと介護費が半減?”お世話”が介護予防に」(介護新聞:https://e-nursingcare.com/guide/news/news-20104/)
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