
【敵一滴】花粉のシーズンがやってきた。今や国民の4割ともいわれる花粉症。日本気象協会の予測では、岡山県の花粉飛散量は例年の1・5~2倍と多そうだ▼一番の対策は原因を絶つことだろう。国はスギやヒノキの伐採の際、花粉の少ない苗木への植え替えを進めているという。ただ、国産材の利用低迷で伐採が進まず、効果が出るには時間がかかる。岡山県では人工林約16万2千ヘクタールのうち、過去10年ほどで植え替えられたのは全体の1%に満たない▼次善の策はマスクの着用だろう。吸い込む花粉の量を3分の1から6分の1に減らしてくれるという。福井大の研究チームは昨年、コロナ禍でマスク着用が習慣化したため、小学生のスギ花粉症の発症率が大きく減ったとの調査結果を報告した▼福井県内の小学生の保護者へのアンケートで、新たに花粉症を発症した児童は1・4%と、感染拡大前の平均3・1%から半減していた。発症している児童の症状が緩和したとの回答もあったという▼花粉症は小学校入学前後から急増するとされ、この時期をどう乗り切るかは重要になる。研究チームは「ポストコロナも花粉シーズンのマスクが大切」と指摘した▼国は来月からコロナ対策を大幅緩和する。学校では基本的にマスク着用を求めないとするが、したい人の意思は尊重される教育現場でありたい。(山陽新聞デジタル・2023/02/21)

● 花粉症=どんな病気でしょうか? ●おもな症状と経過 花粉に対するアレルギー反応によって、鼻の粘膜(ねんまく)や目の結膜(けつまく)に炎症反応がおこる病気です。おもな症状として、くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどの鼻の症状(アレルギー性鼻炎)、目のかゆみ、流涙(りゅうるい)などの目の症状(アレルギー性結膜炎)が現れます。鼻の粘膜や目の結膜の感覚神経は、咽頭(いんとう)や耳の粘膜からの感覚神経と共通の経路を通って大脳に達するため、飛散(ひさん)する花粉の量が最盛期を迎える時期には、鼻や目の症状だけではなく、口の奥の軟口蓋(なんこうがい)や耳のかゆみさえおこることがあります。 / アレルゲン(抗原、原因となる物質)となる花粉が飛散していない時期には症状がおこりません。季節に関係なく、これと同じような症状がでる病気が通年性のアレルギー性鼻炎で、これはダニやハウスダスト、ペットの毛、フケなどがアレルゲンとなっています。(右上写真は「ブタクサ」)
●病気の原因や症状がおこってくるしくみ 花粉症は花粉という異物を体外に排除しようとしておこる、過剰な免疫反応(めんえきはんのう)です。アレルゲンとなる植物には多くの種類がありますが、わが国では、2月から4月にかけて飛散するスギ花粉によることがもっとも多くなっています。そのほか、ヒノキ、初夏のカモガヤ、オオアワガエリ、秋のブタクサ、ヨモギなどがあります。北海道ではスギは少なく、シラカンバが多くみられます。

●病気の特徴 花粉がどの植物のものなのか、また、いつ、どれくらいの量が飛ぶのかによって、患者さんの数は異なってきます。/ したがって、国によってこの病気で悩む患者さんの数や割合は大きく異なります。/ わが国では、現在、全人口の15.6パーセント程度もの人がこの病気に悩んでいると推定されています。/ 全国の森林の18パーセントを占める杉林が、アレルゲンとしてもっとも頻度の高いスギ花粉の飛散量を増やしていること、都市部での空気の汚染などが考えられています。(以下略)(EBM 正しい治療がわかる本)(左写真は「カモガヤ」)

かなり前から、ぼくには今季の「花粉症」の症状が出ています。右の表に従えば、++か+++の間か。三十歳すぎまでは平気でしたが、それ以降はなんだか花粉症のようだと気がつき、やがて本格的な花粉症になった。とてもつらいと言うほどではないが、それなりに息苦しいし、目も鼻もスッキリしない状態が続きます。医者には行かない。薬にも頼らない。時期が来れば収まるだろうという呑気さです。拙宅はもと植林地で、杉と檜が満杯ですから、花粉症にはうってつけの「名産地」というわけ。見事に花粉が飛び散っています。でも「灯台下暗し」ということわざは、「スギ花粉」「ヒノキ花粉」にこそ妥当するのではないかと思うくらい、直下には落ちてこないから、まだ少しは助かっているという気もします。花粉量は何ともすごいもので、それを見ると卒倒しそうになります。
幼児、いや生来の「花粉に対する免疫」があった。田舎暮らし(能登半島)の利点であったものが、更に京都の田舎地方(嵯峨)での生活でも免疫力は落ちていなかった。かなり有効でだった。高校を卒業して東京住まい(文京区本郷)で十年、まだ免疫は生きていたのでした。ところが千葉の田舎暮らしを始めた段階で(八千代市や千葉市に住む)、それまでの、花粉ソユに対する「抗体」が期限切れになりつつあったのでしょうか。そして東京の新宿にあった職場に通い出した頃から、たくさんの人間たちと交わりだした(三密というのか)。その頃から鼻や目に違和感を覚え、やがて正当な「花粉症」になったというのが、ぼくの見立て。四重歳過ぎでした。(右はウェザーニュース「あなたはどれほどツラい!? 花粉症の重症度セルフチェック」より:https://weathernews.jp/s/topics/202302/180075/)

先月亡くなられた槙佐知子さんに「自然に医力あり」と題された著書があります。駄文集録のどこかで紹介してありますが、そこに「スギ花粉症」に関する発生因や治癒のヒントが述べられていました。この花粉症が劣島で流行り出したのは昭和三十年代からだと言われています。それ以前には、あまり問題にはならかなった。もちろん、山や林には杉や檜が所狭しと植えられていたのに、です。その理由(原因)はなにか?まるで推理小説のような展開になり、俄には受け入れられないかもしれませんが、どうも確からしいと、ぼくは思っていましたし、槙さんの指摘に思わず、「なるほど」と膝を叩いたのでした。じつは、槙佐知子さんという方はとんでもない仕事を独力でされた方で、ぼくは学生時代から知っていました。長い間、少しは丁寧に彼女の仕事をたどりたいと思っているのですが、とてもここで語ることはできません。その代用として、ある出版社の「紹介記事」を引用させていただきます。

● 槙佐知子「作家・古典医学研究科。1933年静岡県生まれ。73年、安政版医心方に出会い、医心方部首字書を作成して解読。独学で千年来の初訳に取組み、77年「医心方食養篇」、78年『医心方養生篇』の現代訳共著(出版科学研究所)。79年より平凡社の「心」に「医心方と今昔物語」18回連載。79年より学燈社「國文学」に「医心方にみる王朝の宮廷医学」9回連載。同〈後宮特集号〉の医学と美容を担当。79年に八〇八年勅撰『大同類聚方』百巻に出会い、医心方と並行して訳す。85年『全訳精解大同類聚方』(平凡社刊)。86年第第34回菊池寛賞、87年エイボン功績賞受賞。93年より『医心方全訳精解』を筑摩書房より刊行開始。2013年30巻33冊完結。関科学技術振興財団の第10回パピルス賞受賞。 著書・『医心方にみる美容』(ポーラ文化研究所)『今昔物語と医術と呪術』(築地書館)、『日本昔話と古代医術』(東京書籍)、『くすり歳時記』『食べものは医薬』『自然に医力あり』(共に筑摩書房)、『病から古代を解く』(新泉社)、『春のわかれ』『シャエの女王』(偕成社)。このほか、妙心寺「花園」誌に仏教童話を花岡大学氏のあと21年間連載。 職歴 ・筑波技術短期大学視覚部医学概論講師 ・日本伝統医療科学大学院大学非常勤講師 ・福島県立医科大学大学院非常勤講師」(人文書院:http://www.jimbunshoin.co.jp/author/a32970.html)
「花粉に対するアレルギー反応によって、鼻の粘膜(ねんまく)や目の結膜(けつまく)に炎症反応がおこる病気です」と言われるように、「花粉症」は、要するに「アレルギー反応」によって引き起こされる症状(病気かな)です。ではそのアレルギーとはどういう仕組によって生じるのか。面倒なことは避けますが、少なくともアレルギーの何たるかは抑えておきたいですね。一時期、さかんに接種を慫慂された「(新型コロナウィルス)ワクチン」によって、ほとんどの人には問題は起こらなかたのに、ごく少数ですが、さまざまな「副反応(副作用)」が発生しました。重い副反応が継続したり、中には接種直後に死亡するという事例もありました。このワクチンも、身体にとっては一種の異物で、それが侵入してくると免疫反応が激しく生じる結果、様々な不都合が身体内に起こるのです。体は、不思議の国のスーパーメカですね。異物侵入に対して、一瞬に識別・反応し、激しく「攻撃(抵抗)」するのです。ただし、体力が落ちていたり他の病気に罹患していると、抵抗力はあえなく尽きて、外敵の勝利に終わるのです。それが「病気」です。まるでロシアという「ウィルス(外敵)」がウクライナという弱々しい体内に侵入したようなもの。弱かったウクライナ身体は、様々な会合や炎上を受けて体力を保持し、この外敵を打ち倒そうとしている、それが一年も続いているんですね。

スギ花粉の場合はどうでしょう。ぼくの素人判断ですが、推論を述べておきます。この島の土地の約七割が山林です。その山には、当然のように植林されたもの、自然生育によるもの取り混ぜて、多種多様な植物が繁茂しています。その中でも「花粉症因子」の東西の横綱は「杉山」「檜林」です。遥かの昔からこの植物は自生していたでしょうし、あるいは建材用として植林もされていた。ところが、この島にスギ花粉症が流行しだしたのは昭和三十年ころと言われます。その当時までの日用雑貨などには多くの杉や檜が材料として用いられていた。住宅材に杉や檜が、あるいは桶類、器物にも木工品が多様されていました。昭和三十年の半ばを境にそれらの木材はプラスチックに取って代わられたと言えそうです。(その嚆矢は「積水化学」でした。ぼくお先輩が京都の「セキスイ」に就職したのを、てとても珍しく思っていました。製品が「ハイカラ(プラスチック)」だったから。それまで、当たり前に家の中にふんだんにあった杉や檜を材料にした生活用具(木工品)は、多くの人が幼児の段階から「免疫抗体」を維持するために大きな働きをしていたと思われます。(左図は共同通信・2022/02/15)
生活形態の変化と一口に言われますが、これまでも「手仕事」による工芸品や家財、住宅建材が、それ以前のものから大量生産に資する「資材」に取り替えられてきた。その結果、徐々に木材のもつ「アレルゲン」に対する抗体が皆無か、微量になり、さらには免疫抗体が失われたと思われます。やがて、すっかり生活環境が変化をしてしまい、無機質の環境が生み出された、その結果が、自然界の摂理である「花粉」に無抵抗な体質が養われていたのではないか、勝手な推断ですが、おおよそは槙さんの指摘をなぞったつもりです。プラスチック万能の時代を謳歌しているつもりで、一方では植物への免疫抗体が失われ、他方では、新建材の導入で気密性が必要以上に確保された結果、「住宅(環境に発する)アレルギー」を蔓延させて来たのではないでしょうか。ぼくたちは無数のウィルスや細菌に取り囲まれて生活しています。必要以上に衛生を保とうとすることで、細菌やウィルスとの、ある種の共存状態が破綻し、新たな感染症やアレルギー症状を誘発して来た・いるにちがいありません。

● アレルギー(Allergy)(遺伝的要因による疾患) アレルギーとは本来、体の外から入ってきた細菌やウイルスを防いだり、体のなかにできたがん細胞を排除するのに不可欠な免疫反応が、花粉、ダニ、ほこり、食べ物などに対して過剰に起こることをいいます。過剰な免疫反応の原因となる花粉などを、アレルゲンと呼びます。/ アトピー性皮膚炎、気管支喘息、花粉症を含むアレルギー性鼻炎などが代表的なアレルギー疾患です。理由ははっきりしませんが、日本を含む先進国で患者が急増しています。アレルギーの原因 / アレルギーも生活習慣病などと同じ多因子遺伝性疾患で、複数の遺伝子が関与するアレルギーになりやすい体質をもつ人が、アレルゲンに暴露することにより発症する疾患と考えられています。遺伝子が短期間に変化することは考えられませんので、先進国でアレルギーが急増している主要な理由が環境要因であることは間違いないでしょう。/ たとえば、日本でスギの植林が盛んに行われたために、最近になってスギ花粉というアレルゲンが環境中に増え、スギ花粉症患者増加につながっています。また、気密性が高まった屋内でダニが増えやすい環境になっています。さらに、乳幼児期に細菌などが少ない清潔な環境にいると将来、アレルギー疾患にかかりやすくなる(衛生仮説と呼びます)ことも報告されています。そのほか、私たちの身のまわりに存在する化学物質の急増が関係しているとの指摘もあります。(以下略)(六訂版家庭医学大全科)(左表は「出典:食物アレルギー診療ガイドライン202」)
物事をあまりにも単純化するのも考えものですが、誰にとっても初めの経験が心地よかったか、悪かったかで、そのものに対する心象(心証)、反応はつくられます。たまご・ソバ・エビ・カニなとの食物でも多くの人は美味というのに対して、ごく少数の人は拒否反応(アレルギー)を起こします。不思議ですね。ぼくの友人で「ソバアレルギー」の人がいました。「麦アレルギー」の人もいた。普段は我が物顔で振る舞っている男が、ある食材を見た途端に、元気が萎えて、真っ青になり、食事の途中で家に帰るといい出したことがあります。傍若無人を萎(しな)びさせたのは「エビ」でした。まるで「お芝居」を見るようでした。つまりは「不倶戴天の敵」だったんですね。というより、体が受け付けなかった。これらに関しては、幾つも面白い逸話がありますが、止めておきます。


これは今でもやられているようで、実話です。漆職人の家庭に生まれた跡継ぎ候補は、早い段階から漆(うるし)にかぶれる経験(免疫力の育成)をさせて、免疫抗体を作るということです。ぼくは、小さい頃に何度も「カブレ」ました。もちろん、漆職人になるつもりはなかったから、未だに「抗体」はできていません。今なお、各種のアレルギーは生まれつつありますね。ぼくは「学校アレルギー」がひどかった。それは学校という建物ではなく、学校の住人である教師に対する好き嫌いの「嫌い」が多分に作用していたと思う。学校・教育アレルギーには、ついに免疫ができないままで人生の終りを迎えそうです。
何に限らず免疫力を高めることが何よりでありますが、その前に「アレルゲン(花粉・漆・コロナウイルスなど)」そのものに身をさらさない。どうしてもというときには、体内に取り込まない(マスク着用の)ことです。それでもだめなら、荒療治で「火中の栗を拾う」か、「虎穴に入って虎子を得る」というように、攻撃に転じたらどうでしょう。討ち死にするかもしれません。免疫抗体がゼロというのは困る。いつも言うことですが、ストレスの過多はいけませんけれども、ストレスがゼロでは生きていけない。一言で評すれば「清濁併せ呑む」だけの幅というか、余裕(ゆとり)が欲しいですね。
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