春なれや名もなき山の薄霞(芭蕉)

 早咲き河津桜、天草市の海に映える 「2月下旬には見頃に」  熊本県天草市深海町で河津桜[かわづざくら]が咲き始めた。青い海にピンク色の花々が映え、花びらの周りではメジロが蜜を求めて飛び交っている。/ ソメイヨシノより花色が濃く、早咲きの桜。海沿いの県道など数カ所に約50本が植えられている。深海地区振興会が2015年からホームページや会員制交流サイト(SNS)で花便りを発信し、桜映えの地域として人気を集めている。/ 好天に恵まれた14日、日当たりの良い木は既に四分咲きだったが、大半は一~三分咲き。振興会職員の濵元真矢さん(44)は「1月末の寒波の影響か、例年より2週間ほど遅れ気味。ただ、咲き始めたら早いので今月下旬には見頃になりそう」と話した。(坂本明彦)(熊本日日新聞・2023/02/17)(ヘッダー写真「海をバックに咲き始めた天草市深海町の河津桜」(熊日新聞・同上) 

 何度も、河津桜の発祥地へ出かけたことがあります。季節を問わず、です。伊豆へはこれまでに何度も足を伸ばしたもので、二十年ほど前にはそこ(天城)に土地を買い、勉強部屋を作ろうとしたこともありました。(まだ、その土地は所有しています)また、ぼくの先輩に当たる医者が伊豆高原に別荘を構えていたので、そこにも誘われて遊んだことがあります。伊豆に行くと、きっと少しはあちこちに出かけ、いろいろな景観を楽しんだのでした。何年も行っていないが、今でも「河津桜」は健在だろうか。

● 河津桜 = 桜の一種。学名「Prunus lannesiana Wils. cv. Kawazu-zakura」。オオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されている。日本で一般的な桜となっているソメイヨシノより花色が濃い早咲きの桜で、ピンク色の花を1月下旬~3月上旬にかけて約1カ月間つけ続ける。1955年頃に静岡県賀茂郡河津町で発見され66年に初めて開花、74年にカワヅザクラ(河津桜)と命名された。75年には河津町の木に指定され、毎年「伊豆河津桜まつり」が行われている。神奈川県・三浦海岸でも2003年より河津桜による「三浦海岸桜祭り」が開催されており、ほか山口県上関町長島にある城山歴史公園など河津桜の名所が広がっている。(知恵蔵mini)

 桜便りが熊本から発信されました。これからおよそ二ヶ月、この列島に桜前線が北上する、見事な景観が各地で見られます。ぼくは殊の外に桜が好きで、小さい頃から、折を見ては桜を追っかけていたように思います。いつも言うように、人混みが大嫌いで、まず人のいない頃合いを見計らって、桜を堪能しに出かけたり、偶然の出会いを楽しんできました。もちろん、花見時とは限りません。何時だったか、岐阜山中の根尾谷の「薄墨桜」を、秋の暮だったかに見に出かけたこともあります。ぼく以外には誰もいなく、山中深く実に奇妙な感じがしたことを、はっきりと記憶している。

 拙宅の殺風景な庭にも、十本ばかりの桜の木々が育っています。ほとんどは苗木からのものです。中には、竹やぶの中にかぼそく立っていた「山桜」を移植したものもあります。桜はおしなべて巨木になるので、とても庭に植えられるものではないと言われています。少しばかりの土地があるので、なんとか生活に支障をきたさないで、桜も育ちやすい状態を保っているつもり。

 目を転じれば、内外に楽しくないできごと、あるいは無慈悲な事件や事故が絶えないのは常のこと。それを嘆くだけでは仕方もないと思いはしますが、少しでも事態が好転するように祈りたくなります。何よりも「当たり前」が授けられることを念じたいものです。人並みの生活は、ぼくには至福の最たる贈り物でもあります。それは、別の表現を使えば、身の丈にあった、分相応の生き方ということでしょう。ぼくのような恥多い人生を食ってきた人間に、何の取り柄もないけれど、いささかでも、自分には「当たり前」と考えられ、感じられる生活を送る、それができれば、願ってもない喜びなんですな。 

 本日は、二十四節気では「雨水(うすい)」です。立春(2月4日)からおよそ十五日目に当たる。(あてにはなりませんが)雪から雨に変わる時期だとされ、また、季節風、いわゆる「春一番(キャンディーズ)」が吹くとされてもいる。この駄文を綴っている今、外ではかなりの風が吹いています。でもこれは「春一番」と、気象庁は言わないかもしれません。あまりにも「ズバリ」だし、近々、もう一度寒波が来ることが予想されているから、気象庁は(失言を)警戒しているからです。先日は H3 ロケットの打ち上げが上手くいかず、予定していた通りに打ち上がらなかったから、それは「打ち上げに失敗」、とはいわず、打ち上がらなかったのだから「中止」だとは JAXA の言い分。美しくないね。わけがわからん。打ち上げようとして、予定通りに上らなかったから、失敗ではなく「中止」だと。まるで関係者の意志がはたらいて打ち上げなかったように聞こえる。言葉が虚仮にされているし、その言葉を使う人間の神経が麻痺している証拠でしょう。あらゆるところで、言葉は死んでいく。「言語無用」(用をなさない)の社会ですね。この強風を「春一番」と言わないとは思わないが、それに無関係に季節は巡るんですな。

 あるいは、このような寒暖の繰り返しを指して、「三寒四温」というのでしょうか。古人は、長い冬の開けるのを待ち遠しく望んでいたでしょうし、その心持を暦の上に刻んできたのかもしれない。今では異常気象が方々で想定外の異変をもたらし、日常生活に多くの差し障りをもたらしていますから、暦通りの季節の運行が困難であることもまた、紛れもない事実でしょう。そもそも暦通りということが可笑しいのであって、現実は、盛んに吹いている「春一番」ですからね。現実の移り変わりを運んできては、人間の都合とは無関係に季節は凸凹を繰り返しながら、それでも意思があるかのように巡っている。もう半月もすれば「啓蟄(けいちつ)」です。冬眠から目覚めた虫たちや動物たちが這い出てくる。

● 雨水(うすい)= 二十四節気の一つ。陰暦正月のなかで、立春後15日、新暦では2月18、19日にあたる。雨水とは「気雪散じて水と為(な)る也(なり)」(『群書類従』第19輯(しゅう)「暦林問答集・上」)といわれるように、雪が雨に変わり、氷が融(と)けて水になるという意味である。春の季語。(ニッポニカ)

 この「雨水」(2月19日から3月4日あたりまで)を三等分して、①初候=「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」(2月19日〜2月23日頃)、②次候「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」(2月24日〜2月28日頃)、③末候「草木萠動(そうもくめばえいずる)」(2月29日〜3月4日頃)と、なんとも肌理(きめ)も細かい春の過ごし方であり、楽しみ方でもあります。このような感覚が、すべての人に共有されていたとは想えません。しかし、少なくとも、行き過ぎる季節に密着・接近していなければ、かかる細心・繊細な季節感が湧かなかったことは確かでしょう。「季節感」がなくなったと言われますが、それを感じる人間がいなくなったということです。更に言うと、人間がいなくても「季節」は巡る。でも、巡る季節に「命名」する人間がいなかれば、それを「四季」とか「季節」とか「雨水」とは言わないのです。とすれば、いまも、きっと「人間不在」なんだろうか。

 この時期になると、どうしても歌いたくなるのが「朧月夜」です。おそらく小学校唱歌の中でももっとも愛唱されてきたものではないでしょうか。いまや世界規模に広がる「日本の歌」といってもいいくらいに、多くの人々に愛好されている。(不思議なことに、この唱歌をどこで覚えたのか、その記憶はぼくにはまったくありません)人口に膾炙したという表現は不適切ですが、そのように言いたくもなるほどの歌われ方、好まれ方です。「作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一。発表年は1914年。2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定された」(デジタル大辞泉プラス)

*NHK東京放送児童合唱団「朧月夜」:https://www.youtube.com/watch?v=djNC73V-X0c&ab_channel=yoshihoshi111

 雨水を詠んだ俳句を幾つか。意外にいいものは少ないようですね。加えて、「朧月夜」も。(いづれも順不同に)

*雨水より啓蟄までのあたたかさ (後藤夜半)  *鵯の尾のずぶぬれてとぶ雨水かな (原石鼎)   *春の日や水さえあれば暮残り  *長閑さや浅間のけぶり昼の月  *春風や牛に引かれて善光寺(この三句は、いずれも一茶)  *手をはなつ中に落ちけりおぼろ月(去来)  *一草も眠らず朧月夜なり(島田葉月)  *大原や蝶の出て舞ふ朧月(内藤丈草)

 南北に長い広がりを見せているこの島国、春の訪れも南から北へと徐々に北上していきます。やがて桜の花が開き、そして田植えも始まります。まるで二ヶ月の季節と人間の労働のコラボレーションを味わう思いがしてきます。その共同歩調も、少しずつ崩れてきているのは如何ともしがたく、ついには政治も経済も含めて、あらゆる人間行動が破綻をきたすのではないかとさえ危惧されます。悪しき農薬の多用でなければさいわいですが。「春になった。鳥は鳴かない」と書き出す「沈黙の春」を書いたのはレイチェル・カーソン。今を去ること六十年も前のことでした。沈黙の度はさらに深くなったと言われることがないのかどうか。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)