【新生面】生きるために「創る」「手仕事がどんどん無くなって、これからどんな時代になっていくのでしょうか」。最晩年まで料理や裁縫を楽しんだ作家の故石牟礼道子さんは、手仕事が失われていくことを憂いていた▼かつて手仕事は暮らしの基本にあり、人間の営みそのものだった。今やほとんどが機械化され、家事はもちろん、絵や文章、アートの制作まで人工知能(AI)がやってくれる時代になった▼在熊作家の坂口恭平さん(44)は時代に逆らうように、あらゆるものを自分で作る。本を書く、絵を描く、曲を作るといったことに加え、毎日の料理に使う野菜、食器、革靴、セーター、バッグ、家具、ギターまで手作りする▼創作することは、自身の躁鬱[そううつ]病の治療として始めた。世間の反応や評価に流されず、自分が好きなことをやり続ける。躁と鬱の乱高下で死にたくなり、やりたいことや考えがくるくる変わってしまう自分が、社会で生きのびるために見つけた術だという▼2020年5月から日課として描くパステル画は1千枚に上る。作品制作というよりも、日常の中で「いいな」と思ったり、身体が楽になったり、うれしくなったりする瞬間の風景を自分を通して外に出したいだけだと語る▼熊本市現代美術館で開催中の「坂口恭平日記」展は、パステル画700枚と坂口さんの手から生まれた「もの」たちが並ぶ。季節のように変わっていく自分を堂々と喜べる人間になりたい-。生きるために描き続けられた絵は人を包み込む光にあふれ、優しい風が吹いている。(熊日新聞・2023/02/18)

ここに出てくる「手仕事」という語感、ぼくのもっとも好きな感覚(感触)です。手触りと言ってもいいでしょう。もちろん「手仕事」という語がどんな意味を持ってきたかを知るだけでも、人間の生活の歴史を知る、それも根本から知る切っ掛けになるといえます。この「手仕事」がどんどん失われてゆく、あるいは見向きもされなくなっていくという趨勢が、人間の置かれる環境・世界の一方向への傾斜をしますし、それはまたけっして豊かな環境ではないことを明示も暗示もしているでしょう。石牟礼さんの「これからどんな時代になっていくのでしょうか」と嘆きとともに語られた、その時代や社会への懸念は間違いなく、人間性を著しく蝕むものであることは間違いのないところです。「手」を粗末にした結果の当然の報いかもしれません。「手に負えない」機械化、あるいはAI 化は、それだけ人間の活動の幅や範囲を狭め、軽薄なものにしてゆく、それが便利だという「錯覚」の驚異です。ボタンを押すだけが人間の役割ですかと、詮方のない問いをぼくは出してしまう。道具の二面性を忘れると、ぼくたちは「道具の奴隷」に堕ちざるをえないのです。道具の奴隷とは、人間は「もの」になるということですな。
実に酔狂で頓狂な話ですが、「手」という字を含む表現はどれほどあるでしょうか。面倒なのでいちいち数えはしませんが、ぼくのような無学なものでさえも、百や二百は何時でも思い出すことができるのです。それぐらいに「手」は体の一部というよりは、体全体を示し、その体を持つ人間を含む、何とも豊かな表現世界を作ってきたのです。この「手のなす仕事」が失われ、捨てられるというのは、間違いなく、人間そのものを使い捨てる過酷な社会の到来を意味するでしょう。情けないし、悲しいことでもあります。「手仕事」とは「手芸」とも「手業(技)」とも「手工」などとも言われてきたもので、日常生活の細部を作り出す「あらゆる仕事」を指していました。
大正時代の終わり頃から柳宗悦さんが作ったとされる「民芸」という言葉にしても、「手仕事」という基盤がなければ生み出されなかったものでしょう。もちろんこの「民芸」は少なくとも「民芸品」というように、工芸作物を指しました。民芸とは日常生活、民衆の生活に必要な工芸品という意味ですね。柳さんの「発見」された「民芸」の曙時代に、幾つかの逸話が残されています。彼が京都時代に、しばしば骨董市なるものに出かけると、そこには「手作りの食器」が並んでいた。店番の主婦たちは「ゲテモノ(下手物」だよ」と言っては笑っていたという。そのゲテ(下手)とは「上手(うわて)」に対置させる言葉であり「品物」でした。
柳さんの書かれているものを読み、ぼくは懐旧の情に絆(ほだ)されたことがしばしばでした。彼も出かけていた「東寺の骨董市」「北野天神の古物市」、あるいはぼくの家の近所だった太秦(うずまさ)の「夜店」などの光景がありありと浮かんできたからでした。我が家には、たくさんの「古物」や「骨董」がありましたが、その大半は「下手物」だった。おふくろはなかなかの女性で、古道具市や道具屋から「水屋(台所用品入れ)」やタンスなどをリヤカーに乗せて買ってきたこともあります。昭和三十年代初め頃です。文字通り「民芸」によって生活していたのだといえます。しかし、「民芸」はある種の学術語であり、よそ行きの表現でしたから、むしろぼくは、どうしても「手仕事」という表現を使いたい。ぼくの親友の一人が「教育という手仕事」といい出したことがあります。言い得て妙だと、ぼくはすっかり気に入った。入試のための準備教育は、残念ながら「手仕事」ではないし、むしろ、「手仕事」を軽侮するような人間づくりに見合っているようにも思われたのです。

本日のコラムの「主人公」は坂口さんという、うつ病に足元を掬われかけている人の根底に根を張り出そうとしている「手仕事」ではないかとぼくは考えたくなりました。「手塩」にかけるという加减の微妙さも、受け取れる人には感じられる「温(ぬく)もり」であり、「厳しさ」でもある、それもまた人との付き合いの一つのあり方だともいえます。「手段」というときの「手」は、ある狙いを果たす方法であり、手立てであり、やり方を指します。いい表現だと思いませんか。この「手」は私の手であり、あなたの手です。この手を「省く」ことがどういうことを結果するか、言わないくてもいいでしょう。いい加減な仕事を指して「手抜き」といいます。この時代、手抜きが充満・蔓延している気がしてなりません。その第一に「教育」における手抜きです。「手仕事」から手を取れば、残るのは「仕事」だけ。それはロボットでも器械でも代替可能です。
「季節のように変わっていく自分を堂々と喜べる人間になりたい」と言うのは坂口さんでしょうか、コラム氏でしょうか。いずれにしても、季節の移り変わりを肌で感じ取れる生き方は、きっと「手触り」を大切に生きている人間のことでしょう。水温、気温、体温、風の寒さ、空気の暖かさなどは、どんなときにも肌感覚で身に感じるもの。温度計も風力計も叶わない、微妙な気風・気配はまた、「手」を出し、手で触れて感じ取るものでもあります。
● げて‐もの【下手物】〘名〙=① 人工をあまり加えない安価で素朴な品物。大衆的あるいは郷土的な品。また、粗雑な安物。げて。⇔上手物(じょうてもの)。※工芸美論の先駆者に就いて(1927)〈柳宗悦〉六「あの『大名物(おおめいぶつ)』と呼称せられるものを『下手物(ゲテモノ)』と蔑まれる器の中に発見した」(精選版日本国語大辞典)

「民芸」という語にはいろいろな思いが込められているのでしょう。「一般民衆の生活の中から生まれた、素朴で郷土色の強い実用的な工芸。民衆的工芸。大正末期、日常生活器具類に美的な価値を見出そうと、いわゆる民芸運動を興した柳宗悦の造語」(デジタル大辞泉)これに似た言葉に「手芸」という表現があります。今では「編み物」などに限定されましたが、元来はもっと広く用いられていた。「一般には家庭内で布や糸,針などを用い手作業によって加工,加飾を行い,室内装飾品や衣服などの装飾品を製作することをいう。手わざ,手仕事,手工,手技(伎),技芸,マニュアル・アートmanual art,ハンディクラフトhandicraft,ハンディワークhandiworkなどの呼称がある」(世界大百科事典第2版)という具合です。

これを別の角度から見ると、人間の手がどれほど大事な役目を「生活」のなかで果たしていたかということです。「手は口ほどに物を言う」と言ったらどうでしょう。この「手」を使うことによって生活実感を確実に濃厚にしていたとも言えるでしょう。反対に「手」を使うことがなくなれば、それだけ、生きている「実感」が感じられなくなるのは当たり前です。まるで空中を浮遊するような「生活」を、正しい意味で「生活」と言ってもいいかどうかとすら、ぼくは迷う。二人いた娘たちに「なにか作ること」をするといいねと、小さい頃から言い続けてきた、そのせいで、今ではすっかり「手仕事」から離れてしまいましたが。でも、家事労働が、誰にとっても生活における手技であり、手芸であることに変わりがないのですから、可能な限りで、手を使う、手を入れる、手出しするのがいいでしょうね。こんなことを言うのは余計なこと。でも、日常生活のなかに便利さを最優先することがいかに、人間性から活力や水分を奪い取っていることか、ぼくたちははっきりと気づいてもいいのではないでしょうか。
便利は不便、これは、まるで判じ物のような、ぼくの言い草です。便利を追求してゆくと、最後はどうなるのでしょうか。便利さの追求の結果、人間性の喪失に必ず行き着くのではないか。それは「手づくり」「手仕事」という人間の感覚が生み出す経験を奪ってしまうからです。一例です。その昔、江戸ー京・大坂間は徒歩でした。少なくとも、どんなに健脚をもってしても十日以上は擁しました。それが明治以降に鉄道の導入で、一日もかからない旅程でした。ぼくが大学に入るために上京した昭和三十年代末には、急行列車で十時間ほどかかった。やがて新幹線ができて、三時間とか四時間になった。距離が変わらないのに、到達時間が驚異的に少なくなるというのは、ある意味では便利でしょうが、その反対に大事なものは失われました。つまりは「経験」です。一定の時間を使うとは、別の表現を使えば、経験を重ねるということです。徒歩からリニアになったとして、一体何が得られて、何が失われたのか。一考に値しませんか。笑い話ですが、ぼくのおふくろは初めての新幹線乗車で、「こんなの嫌や、窓が開かんし、弁当が買えん」と、新幹線(便利さ)を拒否した人でした。

なにがいいたいんですかと言われそうですね。特になにもありません。いつもの通りで「便利は不便」「不便は便利」ということの真意をじっくりと考えてみたいね、それだけですな。 遥かに離れた安全な場所にいて、一つのボタンを押すだけで「殺戮」が行われる。これは「便利」ですか。「科学・技術の勝利」ですか。バベルの塔のごとくに、都心では高層マンションが林立しています。快適な生活でしょう。でも電気が止まれば、「便利」は「不便」に瞬時に暗転します。それもまた「愛嬌」と言って笑っていられない時代ではないでしょうか。便利さの追求に突き動かされた時代は、あるいは機械化の時代でもあります。機械化が進めば、人間は手足をもがれた状態に置かれます。それがさらに進むと、なにもしない、なにもできない、そのことに対する不信や不満や不安に苛まれるのではないでしょうか。この島に限って言うなら、「こんな狭い日本、そんなに急いでどこに行く」となるでしょう。どこにも行かない、便利さを楽しんでいるだけだと言うなら、人間を廃業したも同然ということになります。
「小人閑居して、不善をなす」とは、往古に限らず、人間の心の置き方にかかわる真理ではないかな。


(*参考までに柳さんの「手仕事の日本」から少しばかりの引用を)
「元来我国を「手の国」と呼んでもよいくらいだと思います。国民の手の器用さは誰も気附くところであります。手という文字をどんなに沢山用いているかを見てもよく分ります。「上手」とか「下手」とかいう言葉は、直ちに手の技を語ります。「手堅い」とか「手並がよい」とか、「手柄を立てる」とか、「手本にする」とか皆手に因んだ言い方であります。「手腕」があるといえば力量のある意味であります。それ故「腕利」とか「腕揃」などという言葉も現れてきます。それに日本語では、「読み手」、「書き手」、「聞き手」、「騎り手」などの如く、ほとんど凡ての動詞に「手」の字を添えて、人の働きを示しますから、手に因む文字は大変な数に上ります。/ そもそも手が機械と異る点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起させる所以だと思います。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を与える原因であると思われます。それ故手仕事は一面に心の仕事だと申してもよいでありましょう。手より更に神秘な機械があるでありましょうか。一国にとってなぜ手に依る仕事が大切な意味を持ち来すかの理由を、誰もよく省みねばなりません。/ それでは自然が人間に授けてくれたこの両手が、今日本でどんな働きをなしつつあるのでしょうか。それを見届けたく思います」(柳宗悦「手仕事の日本」「柳宗悦全集・第十一巻」筑摩書房、1981年刊)
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