恥ずかしい国の一員であるのを忘れないで

 

生意気を言うようですが。五月に広島でG7サミットが開かれるという。どんな「会議」か。「懐疑は踊る」と言いたいところ。世界の「七大国」というつもりなら看板に偽りあり。先進国と言うなら、その列に並べない国が参加するのをどうする。しかも、それが「議長国」だと言うにおいて、空いた口が塞がらぬ。この小島国が「先進国」だと思っているのは、その国においてすら極小部分でしかない。どう贔屓目に見ても、「元先進国」か、と言われた国だ。▼ 生活水準は低下の一途をたどり、四半世紀以上も実質賃金が上らない国。ニューヨークの時給が三千円を越えようかという時代に、千円の最低水準をようやく越えられるかどうかという、働く人を大事にしない国。夫婦別姓を頑なに認めようとしない国。LGBTに関わる「同性婚」は気持ち悪いと言う政治家や官僚が逆上(のぼ)せ上がって、平気で人権侵害する国。死刑制度を廃止すれば凶悪犯罪が増えるから困るという、凶悪犯罪の絶えない国。▼ 世界で「唯一の被爆国」を安売りして、アメリカの「核の傘」にしがみつき、あろうことか、原爆と隣合わせの「原発」再稼働や新増設を広言して恥じない国。ウクライナ(侵略)戦争に反対を唱えつつ、露国からエネルギーを買っている卑劣な国。「専守防衛」を標榜しつつ、世界三位の「軍事(費)大国」になることをアメリカに約束した属国根性丸出しの国、…。▼「こんな国、嫌だ」、とぼくは言いたいが、ぼくにとっても家族や隣人。友人にとっても住みよい「社会」の、その一員になるための義務や努力だけは放棄しない、弱々しい後期高齢者だ。「高齢者は集団自決せよ」という痴愚輩を持て囃すテレビ等のマスコミ界、差別発言を知りながら黙認するどころか、歓迎する新聞テレビの堕落。墜ちるところまで堕ちて行きつつある国。▼「一粒の麦、若し死なずば…」という喩えのように、そこから始まるしかない国の現況に生きていて、ぼくの気分は、年波をも顧みず、身の丈に応じた、ささやかながらの「背水の陣」を敷く構えだ。(蛇足 「大国」とか、「先進国」という「大風呂敷」語、「時代錯誤」語は使わないでほしいね。この国は、今や「恥ずかしい国」「終わった国」になっているという自覚が、多くの人々に働かないことを見るにつけ、尚更、ぼくは恥ずかしさが募るのだ。なんとか、身の丈に合った「国柄」を見出したい)

「G7サミット(主要国首脳会議)とは、仏、米、英、独、日、伊、加(議長国順)の7か国並びに欧州理事会議長及び欧州委員会委員長が参加して、毎年開催される国際会議です。/ G7サミットでは、自由、民主主義、人権などの基本的価値を共有するG7首脳が一つのテーブルを囲みながら、世界経済、地域情勢、様々な地球規模課題について、率直な意見交換を行います。 / G7サミットの日本での開催は、2023年が7回目となります。「首相官邸・HP」(https://www.kantei.go.jp/g7hiroshima_summit2023/index.html)

 この会議で「ウクライナ侵略」戦争をどのような視点で議論するのでしょうか。ウクライナ応援一点張りでいいのかどうか。現に残虐な「殺戮」が一年にわたって続いているのに、「戦争停止」「平和交渉」という道筋がどこからも見えてこない。当事国を除くと、他国は「漁夫の利」を狙うばかりの卑怯千万な態度を取っているとしか、ぼくには見えてこない。この島国は、この島国「にしか」でなく、この島国「にでも」できる戦争中止・和平への方向を模索することができるし、そうすることが求められているのではないですか。国際社会の一員として、隣国同士が友好を保って付き合うという「町内会」のあり方を思い起こせばいい。「唯一の被爆国」を戦後の「錦の御旗」にしてきた以上、そうする責任があると思う。いつまでも「米国の尻馬」に載っている場合ですかね。(いずれ明らかになると思うが、米国はウクライナ侵略戦争で「想像を絶する武力介入」を実行したという情報があります。独ソの間に楔(くさび)を打ち込むために。米国はそういう国です)

 何度でも言っておきたい。現総理に限らないが、彼らは何をしたいがために総理大臣になったのか。「経世済民」などという高尚な目的があってのことではないのは確かだ。きわめて恥ずかしいことだが、自分を偉く見せるため、それだけのために生きている存在だとぼくは確信し、見限っている。しゃかいに数ある問題群にまず関心がない。自分の頭でものを考える習性をついぞ育ててこなかった、それが彼らの特質だと言いたい。こんな言葉は使いたくないが、自分の評判を高めるためには、内政・外交問わず何でもする。(このことについても、いずれ駄弁ってみるつもり)どこの社会・時代にもいる「売国の徒」ではなかったか。自分一個の利益を図るということで足りなければ、「家の子郎党」の出世や富(蓄財)のためであり、ひいては、それがおのれの価値を高めると妄信しているからである。国会を軽視しているどころか無視してまで独善的に行政政治を歪めているが、それを許している政治状況があるからです。野党の大半は「半・自民」と言うべきだと、ぼくは、以前から指摘しています。その多くは、あわよくば「大臣」に、悪くても「副大臣に」なりたいという邪念、失礼、野心を持ちつつ、選挙の関係で「野党」を名乗っているだけ。でもその心根は「政権与党の一員」になりきっている。有権者としてはまことに口惜しい限りです。加えて、マスコミもまた「与党」の一角を専有していると断言して、なお羞じるところがない。そんな恥ずかしい国に成り下がっているのです。他国を謗ることすらできない、恥ずかしい国になってしまいました。その「恥辱」「虎の威を借る狐(か狸)」国という世評を、胸中に銘記してこその「再生」「再起」だと、ぼく個人としても、やはり「恥ずかしい国の一員」であることを隠さないで、誠意を貫こうとしているのですよ。(左上は三椏・みつまた。その殆どは加工され、国債証券や紙幣に化ける・化けさせられる)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)