朝一番に、猫たちを動物病院へ連行。(二匹・二匹・一匹の)計五匹、午前中に、三度往復しました。まずは避妊手術前の検査(エイズと白血病)とワクチン接種。それが四つ。さらにオス猫で初めてのワクチン接種。これで「女子会」は「避妊手術」を待つ身になった。「男組」(四つ)はワクチン接種後の去勢手術待ちとなります。時間も金も取られるばかりと文句や不平を言っても始まらない。「乗りかかった船」というのか、「毒を食らわば皿まで」というのか。この場合、猫が毒だといいたいのではありません。一体、何が「毒」になるんですか、ぼくにもよくわからない。猫などの場合にだけ使う表現ではなさそうで、ぼくは結婚して、本年3月で半世紀です。この時、「毒をくらわば…」というなら、たちまちに「離婚」とはいかないでしょうが、ひと悶着ありそうです。「乗りかかった…」では「船」が悪いのではなく、うっかり乗ったお前がよくないと言えそうではあります。

「保護猫」という表現が何時から使われだしたのか、ぼくはよく知りません。「猫カフェ」があり「保護猫カフェ」があります。徐々に数も増えているようですから、行政による「殺処分」数はそれなりに減少しているのでしょう。(左図は環境省「犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況(動物愛護管理行政事務提要より作成)」(https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/statistics/dog-cat.html)対象期間:令和2年4月1日~令和3年3月31日(2020年4月1日~2021年3月31日)
各都道府県でも、独自の対策や政策を立てているところもあり、実際に可能な限りで「殺処分」を減らす方向を探っているところもあります。中でも茨城県では「殺処分ゼロ」を表明して、ある方面から「見せかけ」「マヤカシ」との批判を受けるようなケースも出ています。(以下、東京新聞の記事です)

「県が、二〇一九年度に県内で殺処分された犬猫は「ゼロ」だったと発表した。担当課は「地道な啓発活動の効果が出た」と胸を張るが、「攻撃性がある」などの理由で「譲渡不適」と判断して殺処分した数は除外されている。「収容中死亡」も含めれば、実際の殺処分数は犬が百四十四匹、猫は四百二十四匹。動物愛護団体は「殺処分の実態が隠れてしまう」と県の姿勢を批判する。(鈴木学) 3区分で 県が二十六日に公表した資料のタイトルは「本県における犬及び猫の殺処分ゼロの達成について」。「譲渡適性があると判断した犬猫の殺処分数がゼロとなり、県総合計画の目標を達成した」と宣言した。/ 環境省は全国の自治体に対し、犬猫の殺処分について(1)攻撃性があったり、治療が難しい病気があったりするなどで譲渡不適(2)譲渡適性はあるが、適切な譲渡先が見つからないなど(3)病死や老衰を含む「収容中死亡」−の三区分に分類して報告するよう求めている。/ 県は昨年六月、環境省の基準に沿う形で譲渡適性を判断する独自のガイドラインを作成し、「譲渡適性あり」の犬猫の殺処分ゼロを掲げた。これが一九年度に達成できたというわけだ。(https://www.tokyo-np.co.jp/article/31632)
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「自分たちの年齢も考えないで」と、子どもたちに叱られながら、この年寄り夫婦は「猫に夢中」といいたいのですが、そうではない。「来るもの拒まず、去る者追わず」と言う気になっていたら、結果的に今の過密状態になった次第。本日も獣医さんに「どれくらいいるのですか?」と尋ねられた。その病院には十五匹が世話になっている。他に二軒の動物病院がある。総数は言わないことにしている。とにかく教えてくれという人には、「十以上、二十以下」とだけはいっておく。これ以上は増えないという保証も決まりもない。ただ家に来るものは手術やワクチン、検査等は定期的にしている。如何にも大変だし、人にもそう言われる。「猫がお好きですか」と尋ねられると返答に窮する。それを遥かにこえている、いやいや、それどころではないというのが実情だからです。だから病院へ行くと、大層驚くのです。
ほとんどが血統書付きの「高価そうな」犬や猫ばかりに見えるから。でも、犬や猫にも、人間と同様に「家柄」や「血統」を誇るというのは間違いで、みんな一緒じゃんという他ないんだ。どこかで触れましたが、今や世界的な傾向としては「ペットショップ」禁止がトレンド、犬猫などの売買は法令で禁じられるところが出てきており、歓迎すべき時代だと思っている。おそらく「核廃絶」よりも早く「犬猫売買禁止」「殺処分禁止令」が生まれるでしょう。(禁令が出たって、闇の世界は消えない。人身売買が、公然・非公然と行われているのが人間界の実態です)
「仏、ペット店で犬猫販売禁止へ。日本でショーウィンドウに犬や猫が並ばなくなったらどうする?」 まねき猫ホスピタル院長 獣医師 2021/11/24(水) :https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiimasumi/20211124-00269131)

人間の心身は自然の産物です。自然から生まれ、人間の手(社会の中で)で悪くなることはあるでしょう。まるでルッソオの哲学のようですが、身体の自然性は疑えない。人間が作るもの(非自然)は、今は四方八方から自然の産物である「人間」を作り変えようとします。学校や会社など、正しく人間の手になる反自然物です。その中で、人間という存在は「安心」も「健康」も保てないのは当然で、その「正常さ」を壊すのが社会という集団組織です。野生のトラやライオン、あるいはパンダやゴリラを捉えて「檻(おり)に入れる(動物園化)」と、必ず身体あたりに変調を兆すでしょう。これは人間の病気でいうと「鬱状態」ではないでしょうか。犬や猫でも、自然から離れれば必要以上にストレスが溜まります。「飼い犬に手を噛まれる」「飼い猫に引っ掻かれる」のは、当然。人間も一部は自然、猫や犬も自然です。その自然の同志で「一つの集団」(というよりは、寄り添い合うと言った方がいい)で共棲すると、人間集団内でしか生きてこなかった「苦しさ」「辛さ」から開放されるんじゃないですか。生活のすべてが「人間関係」に支配されるのではなく、そこから離れるための「スポット」が、時には欠かせないのです。鳥や花でもかまわない、自然の生み出すものであるなら。それで、人間は救われるんですよ。

夫婦が気まずい思いをしているところに猫が来る。とたんに、かみさんは「ユーキちゃん、いらっしゃい」と猫に身を寄せる。かみさんに、一瞬の変わり身を成り立たせるのは小さな猫です。その時のかみさんの音調は、まさしく「猫なで声」だな。猫も承知したもので、「にゃー」とかなんとか言って、盛んに甘える。つまりは「猫をかぶる」と、かみさんは大好物を惜しげもなく与えるのです。猫は、ちゃんと計算している。最近、かみさんは、ぼく以上に、記憶力が怪しくなっている。猫には「猫なで声」、それがあるうちは少しは「大丈夫か」と、猫の(が)医者代わり、猫(のおかげで)で医者いらずを目の当たりにするのです。夫婦といえども、人間同士、そこに変種の猫という自然が介在することで、危機は和らぐことは請け合いです。
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