【天風録】オレオレ詐欺の詩 20年前、親心を手玉に取る新手の詐欺が東京に現れる。「おれだけど、交通事故を起こした」。息子や孫を装って電話をかけ、修理代と偽って入金させる。「オレオレ詐欺」は新語としても知れ渡り、本紙読者文芸欄の入選作にまで現れた▲「それくらい」という詩だ。<子供が年々減ってきても/年寄りが年々増えてきても/オレオレ詐欺で年寄りが犠牲になっても/…>と続き、それくらいのことで騒ぐなと軽んじる風潮を問う。いつか、付けは回ると▲お見立ての通り、架空請求詐欺や振り込め詐欺と手を替え品を替え、はびこり続ける。今では特殊詐欺と、まとめて呼ばれる。関東や西日本で相次ぐ広域強盗もどうやら、その成れの果てらしい▲指示役がいて、遠隔操作で実行役を動かす構図も、組織から抜け出さぬように個人情報で縛る悪知恵も、特殊詐欺の一味とそっくりという。何の罪もない人を手に掛ける。ならぬ一線を踏み越えさせたものは何だろう▲例の詩は他にも、気になる世相を並べ立てている。家畜の伝染病、心を病む教員、自衛隊の海外派遣、子をいじめる親…。「大したことない」の成り行き任せで、後戻りできる一線を見失ってはいないか。(中國新聞・2023/01/28)

コラムにあるように、「オレオレ詐欺」は二十年前辺りから始まり、さまざまな様相を見せながら、基本は相手の弱みや親心という心理につけ入り、多額の金品を詐取するというものでした。おそらく、この手の詐欺事件は人間集団発生以来、つねに繰り返されてきたところです。「自分だけは、この手の詐欺には絶対に引っかからない」という人ほど陥りやすい罠が用意されているのでしょう。多少なりとも「詐欺被害」を受けていない人はいないのではないでしょうか。かくいうぼくも、何度か被害にあった。だから、なにもいえないというのか、いや、だから一言あって然るべしと考えるのか。それはともかく、近年は、相当に手が込んでいるし、大掛かりになってきました。
現下、盛んに報じられている事案(各地の強盗事件など)は、今日のネット社会の網の目を巧妙に利用した手口で、まだ全貌が見通せないほどの、広範かつ凶暴な犯罪行為を見せつけています。せいぜい、このような凶悪事件に巻き込まれないように、何かと準備する他ないのですが、それにしても、容疑者として逮捕された面々は、殆どが二十代の男性です。「正業につかないで、なにをしている」と言いたくなります。でも、彼らにとっては強盗や詐欺事件の「実行役」こそが、生業(なりわい)なのでしょう。「一口、百万円」と聞けば、身を乗り出す、そんな拝金至上の世の中、何処まで落ちる(堕ちる・墜ちる)か、まるで限界がなさそうです。

「オレオレ詐欺」では時間もかかるし、現金が手に入るのに面倒な手続き(芝居)が必要とでも考えたか、「オレオレ詐欺」の同一犯(主犯格)は手っ取り早く金になる、「乱暴」「凶悪」強盗(「タタキ」というそうです)に鞍替えしたとも言われている。中心人物(準主役)は国外にいて、スマホ一本で「実行犯の手配」や「実行への指示」を行っていたらしい。この「指示役」の上に「元締め(黒幕)」がいるとも言われているから、既存のグループも含めた「反社的な集団」が噛んでいるのかもしれない。それにしても、いとも簡単に「棒切れ」や「弊履」のごとくに、人命が一瞬にして「芟除(さんじょ)」される狂態が島社会の各地で展開されているのです。
一方で、今は「古典」となってしまった感のある「オレオレ詐欺」も、実は手もこんできたし、演技もなかなか洗練されて、今なお健在ぶりを示しています。つい最近の一件を以下に。
「名前貸して」に応じて約4000万円被害 埼玉 春日部 春日部市の80代の女性が電話の男の話を信じて現金およそ4000万円をだまし取られ、警察は特殊詐欺事件として捜査するとともに、電話で金を要求されても応じないよう呼びかけています。/ によりますと、去年8月、春日部市に住む82歳の女性の自宅に団体職員を名乗る男から電話があり「全国に物資を送る活動をしていて、あなたの名前を貸して欲しい」と言われました。/ 女性が応じると、その後、別の男が電話をかけてきて「あなたが名義を貸した職員が勾留されたため、あなたも共犯者になる可能性がある。裁判費用を払ってほしい」と要求してきました。/ 話を信じてしまった女性は去年11月までの3回にわたって団体職員を装った男などに現金あわせておよそ4000万円を手渡し、だまし取られたということです。/ その後、相手と連絡がとれなくなったため先月、警察に相談して被害が明らかになったということです。/ 警察は特殊詐欺事件として捜査を進めるとともに、電話で金を要求されたら詐欺を疑い応じないよう呼びかけています。(NHK・2023年01月18日)
同じ埼玉県内では、同種の事件が発生していました。女性は「『オレオレと言われず…』 4千万円のオレオレ詐欺被害」と報道。何とも素直というか、鴨がネギを背負ってやってきたというような、実行犯には「格好の標的」となっていたようです。「詐欺犯」が悪いのは言うまでもありませんが、「鴨ネギ」にも、一半の「科」があるというと「泣き面に蜂」どころか、被害者にどやしつけられること請け合いです。かく言うぼくも、「被害者」経験があるのですから、偉そうには言えません。被害額は、この女性の「二十分の一」程度でした。今を去ること四十年も前になりますか。いくらか利息がついている頃ですね。
「さいたま市浦和区の無職の女性(76)が4351万円のオレオレ詐欺の被害に遭った。女性はオレオレ詐欺のことは知っていたというが、「実際に電話で『オレ、オレ』とは言われなかったから違うと思った」などと話しているという。埼玉県警浦和署が14日、発表した。/ 署によると、4月16日午後2時ごろから女性宅に複数回、長男や長男の会社関係者をかたる男らから『かばんが置き引き被害にあった』『お金を支払わなければならないから用意してほしい』などと電話があった。女性はこの日から26日まで計7回、自宅付近やJR両国駅(東京都墨田区)付近の路上で、長男の代理人を名乗る男女に現金計4351万円を手渡した。/ 電話連絡が途絶えたことを不審に思った女性が30日、県内に住む会社員の長男(52)の自宅を実際に訪ね、詐欺だと分かった。女性は『ATMを使った還付金詐欺も知っていたが、路上に呼び出されるパターンは聞いたことがなく、詐欺だと思わなかった』とも話しているという。(黒田早織)「2021年5月15日 11時06分」

「石川屋浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」は、名代の泥棒だった石川五右衛門の辞世の歌とされています。史上最高峰の「泥棒」だった。最後は秀吉の、愛玩おく能わざる「千鳥の香炉」を盗みに寝間に入り、忍術が切れたのでお縄を頂戴し、釜茹での刑に処せられたとされます。金持ちから盗みを働き、それを「貧民」に分け与えたという義民義賊の歴史は洋の東西に認められます。島社会ででは「ねずみ小僧次郎吉」などもその一人でした。実際には、「義賊」というのは疑問だとされている。大名専門の盗みを働いたので、庶民は「義憤」を晴らしてくれた、「溜飲が下がった」という想いも手伝ってか、いつとはなく、そのような「義民」「義賊」の伝説が生まれたのでしょう。翻って、今日只今の状況は、言ってみれば、老人を騙し、時には惨殺してまで金品を奪う。人間の善意や尊厳を踏みにじる低劣そのものの犯行であり、額に汗することを厭う、遊び人の風体(ふうてい)がもっともふさわしい。、といっていられない状況下にあります。


● 石川五右衛門(いしかわごえもん)= 生没年不詳。安土(あづち)桃山時代の大盗賊。その伝記は明確でないが、一説に遠州(静岡県)浜松の生まれで、初め真田(さなだ)八郎といい、1594年(文禄3)37歳のとき捕らえられ、京都・三条河原で一子とともに釜茹(かまゆで)の刑に処せられたという。盗賊ながら、この空前絶後の極刑に、太閤(たいこう)豊臣(とよとみ)秀吉の命をねらったという巷説(こうせつ)が付加されて有名となり、浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)脚本に数多く脚色され、一大系統になった。劇化の最初といわれるのは貞享(じょうきょう)(1684~1688)ごろ松本治太夫(じだゆう)の語った『石川五右衛門』で、浄瑠璃では近松門左衛門作『傾城吉岡染(けいせいよしおかぞめ)』(1712)、並木宗輔(そうすけ)作『釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)』(1737)、並木正三作『石川五右衛門一代噺(ばなし)』(1767)、若竹笛躬(ふえみ)ら作『木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまのかっせん)』(1789)、歌舞伎では並木五瓶(ごへい)作『金門五山桐(きんもんごさんのきり)』(1778)をはじめ、『艶競(はでくらべ)石川染』『けいせい稚児淵(ちごがふち)』などがおもな作品である。有名なのは「山門の五右衛門」で知られる『五山桐』で、これを女に書き替えたものに『けいせい浜真砂(はまのまさご)』がある。また『双級巴』と『狭間合戦』をつき混ぜ『増補(ぞうほ)双級巴』の外題で上演されることがある。明治以後も小説や戯曲に多く扱われている。(ニッポニカ)

● 鼠小僧(ねずみこぞう)(1795―1832)= 江戸後期の有名な怪盗で、名は次郎吉。鼠小僧の異名は、鼠のように身軽にどこにでも出没したからといわれる。江戸・中村座の木戸番定七の子として生まれ、建具屋に奉公に入り、のちに鳶人足(とびにんそく)となるが、博打(ばくち)を覚え、資金に窮して夜盗を働くようになった。1822年(文政5)ごろから約10年間に100回、およそ1万2000両の金を、奥向きの警戒が手薄である大名屋敷を専門に盗んだ。芝居や講談では義賊として描かれているが、実際に貧民に施した形跡はない。32年(天保3)4月、浜町の松平宮内少輔の屋敷へ入ったところを逮捕され、同年8月、江戸中引廻(ひきまわ)しのうえ獄門になった。両国(墨田区)の回向院に墓がある。(ニッポニカ)
歌舞伎「楼門五三桐」 絶景かな絶景かな 絶景かな 春の眺めは価千金とは 小せえ 小せえ この五右衛門が眼から見れば 価万両 万々両 日もはや西に傾きて 雲と棚引く桜花 あかね輝くこの風情 ハテ 麗らかな眺めだなァ

天下の盗人、いい気なものだという気もします。いまやこの「山門」は南禅寺の最大の売り物になっているのですから、わけがわからなくなります。古来、大本営や大本山には「曰く因縁」がつきもので、この南禅寺もしかりです。貴賓遍く帰依したとされる臨済禅の総本山で、京都五山の別格首位と祭り立てられています。その大本山の山門を我が物顔に「絶景かな、絶景かな」と大音声を挙げた五右衛門の末裔だか、後裔だかが、ところかまわず金目に眩(くら)まされて、あらっぽい強盗団となって愛九時を重ねているのです。時代は変わり、人智は進んだというものに、人間の本性(ほんしょう)はいささかもゆるぎもなく、悪事に奔走している世相に、五右衛門はなんと答えるか。「小せえ 小せえ」というに違いありません。あるいは大本山の祖、明庵栄西はなんというか。
● なんぜん‐じ【南禅寺】= 京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の大本山。正しくは太平興国南禅禅寺。山号は瑞竜山。正応4年(1291)無関普門を開山とし亀山法皇の離宮を寺としたのに始まる。足利義満のとき、五山の別格上位に列せられた。藤堂高虎造営の三門、国宝の方丈などのほか、小堀遠州の作と伝える枯山水庭園がある。江戸初期に以心崇伝が住した金地院をはじめ塔頭も多い。(デジタル大辞泉)
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