「芥川賞」を懇願した太宰治

【正平調】第1回芥川賞に落選した太宰治が、選考委員の作家、佐藤春夫に手紙を書いた。〈拝啓 一言のいつわりも少しの誇張も申しあげません。佐藤さん一人がたのみでございます。芥川賞をもらえば、私は人の情に泣くでしょう〉◆涙ぐましい懇願文の代表として引用されるが太宰の本心はどうだったか。一読者としては、自己演出で文学ファンを喜ばせる、一流の道化だと信じたい。まさかこんな手紙で受賞できるなんて、太宰は思うまい◆とはいえ、新人作家にとって芥川賞ほどのご褒美はないだろう。おととい、第168回芥川賞を受けた2人のうち1人は兵庫出身の井戸川射子(いこ)さん。「不思議な感じ。しみじみうれしい」と素直に喜びを語った◆35歳。高校の国語教師だ。詩を教えるのが難しくて、自分で試しに作ったのが始まりらしい。芥川賞作家が教える授業とはどんなものか。生徒に交じって受けてみたい◆慌てて受賞作を読んだ。文体も構成も野心的だ。身近な出来事を丁寧に描きながら、ラストの1ページで感情の高波が押し寄せる◆太宰は結局、芥川賞を取ることができなかった。その挫折が、あの恍惚(こうこつ)と不安の文学を生んだのかもしれない。初ノミネートで受賞した井戸川さんの才能と幸運をあの世で妬(ねた)んでいるだろうか。」(神戸新・2023/01/21)

 学部生の頃から、学校教師になるつもりがあったし、卒業したら京都に帰り、山間部の中学校あたりに引っ込む気になっていた。しかし、あまりにも懶惰(らんだ)な生活に馴染みすぎて、遊ぶことに気を取られた。割合に本(小説など)を読んでいたので、なんとななく「小説家」にでもなろうなどという、自分を忘れた雰囲気に浸っていた。友人と小さな雑誌を出し、そこに幾つかの「落書き」を出したら、何人かが「面白い」と余計なことを言った。帰郷することをすっかり忘れて、大学院に入り(無試験)、ものを書こうという「ヤクザ気」が募ったように想った。幾つかの雑誌に出ていた「懸賞」に応募してみようなどという邪念が疼いた。考えてみるまでもなく、ぼくは幼稚だったのだ。幾つか挑戦したこともあった。

 何がきっかけだったか、ある時期から、コンクールとかコンテストというものが持っている不純な正体が鼻につき出し、すっかり応募しようという気が失せていったのは、ぼくにはさいわいだった。その頃、寝ても覚めてもぼくの脳内に鳴り続けていた音楽家がいた。一人はピアニストのグレン・グールドだった。もう一人は指揮者でありオルガニストだったカール・リヒター。とくにグールドには入れあげたというか、本当に聞き惚れたのでした。彼のレコードはもちろん、彼の書いたものも可能な限り集めては楽しんだ。それらの中で、彼は「コンクールは殺人行為だ」という意味のことを、実に断定的に語っていた。始めはよく理解できなかったが、やがて彼の真意がわかった気になっていった。「音楽の心は、コンクールなどとはまったく異なり、他者と競って、勝とうという敵愾心とは同じものではない」ということだったろう。(下に掲げた辞書の「解説」はどうでしょう。当たらずといえども遠からず、ですね。それでも「音楽」や「文学」のコンクールに音楽性や文学性を見出せると思われますか。見つける方法は別のところにありませんか、それが言いたいだけ)

● コンクール〘名〙 (concours) 特定のテーマで参加者を募り、作品のできばえや技能・演技などの優劣を競う催し。競技会。競演会。通常、審査員が採点して、入賞・優勝者を決める。コンテスト。(精選版日本国語大辞典) 

● コンテスト(contest)技能、作品の出来ばえ、容姿などの優劣を競うこと。また、その催し。コンクール。「写真コンテスト」「クイズコンテスト」(デジタル大辞泉)

 以来、ぼくの中に、他者と競争することの是非がはっきりと理解できるようになったと思う。今でも続いていますが、「ショパンコンクール」、このコンクールの一位と二位のピアニストをたくさん聞いたことがありました。コンクールでは順位が先後だったが、その後のキャリアでは圧倒的に「二位」だった方がピアニストとして、ぼくには優れていたといいたくなったことがいくらもあった。この逆もある。いくらでも名前が出せますが、それ止めておく。音楽でも文学でも、審判(選考者)は人間です。人間は間違えることもあれば、徒党を組むこともあります。人間(たち)の判断は絶対ではないし、過ちを犯すことを前提に、その判断を見る必要があるのではないか、そんなことをずっと感じてきた。

 芥川賞が百年近く続いてきた事自体、ぼくには実に奇妙な現象だと映る。先ず、出版界の営業政策の目玉なのかもしれない。だから、受賞した作品は十年後くらいになって、読む気が起これば読むという習慣がついてしまった。生意気を言うなら、「この程度のものなら、俺だって」という気になるものが実に多かったと。受賞(授賞)は純粋に文学的観点からではないでしょう。この感想は、あくまでもぼく個人の感想です。よく読んだ作家に司馬遼太郎さんがいました。ほとんどのものを読んだ気がする。その司馬さんが直木賞授賞記のようなものを書いていた。それを読んで、ぼくは仰天したことを記憶しています。彼は大阪の公営アパートのようなところに住んでいた当時、授賞を知らせる電話が入った。それを受けた途端に、「私はトイレに入って、号泣した」とあった。もちろんひたすら嬉しいと言うのではなかったろうが、司馬さんでも、そうなんですかという、一種の落胆と言うか「肩すかし」を食らったように感じたのでした。(これは芥川賞ではなかったが、かみさんの名前を使って、志賀直哉が「何とか賞」に応募したが、当選しなかったという逸話が残っている。北島三郎が「NHKのど自慢」に出て、「鐘一つ」(2つだったか)だったという)

 つまらない戯言を言っているという自覚が働いているので。もう止めておきますが、これら(コンクール)は、すべて当事者が「応募」するのです。コンクールやコンテストに参加する意思があるということ。作品の後から賞がついてくるのではないのです。これは悪趣味になるのかどうかわかりませんし、まるで「弔辞集」を読むような気になるので、あまり気分のいいものではありませんでしたが、芥川賞や直木賞の選考委員の「選考評(選考に関する評価)」をしばしば読んだことがあります。こんな風に、皆さん立派なことを言ってますなとか、この作家がこんなことを口にできるんですかなどと、それこそ勝手な感想が湧いて面白かった。もちろん、こういう風に読むのかと、ときにはとても感心したのも事実でした。仮に十人の選考者がいたとして、多数決がもっとも多い決め方でしょうが、一人で候補者を支持し続けて、その通りになったということもあったでしょう。「司馬遼太郎、号泣す」は、おそらくそのようなケースに近かったかもしれない。歴史小説の泰斗だった海音寺潮五郎さんが強烈に支持したから、その恩に報いたいという感激がしばさんを号泣させたようでもあった。

 いずれにしても「人間が判断する」ものですから、八百長もあれば、誤審(誤判)も大いに有り得る。それでいいのです。ただ、ぼくが異としたいのは、百年一日のごとく、どうしてマスコミは、この「文学賞」ばかりを騒ぐのか、芸能ネタだからだめなわけでもないでしょうが、ちょっと騒ぎすぎ、それが文学の真価にそぐわないのではと思うばかりです。

● 芥川賞 =芥川龍之介(りゅうのすけ)の名を記念した純文学の新人賞。正式名は芥川龍之介賞。芥川の友人であった菊池寛の発案で1935年(昭和10)直木賞とともに始まり、今日に至る。選考委員の選考により、年2回受賞。記念品および副賞100万円(当初は500円)が授与される。運営には当初は文芸春秋社、1938年以降は日本文学振興会があたる。(ニッポニカ)

 一転、本物のコンクール(コンテスト)です。

 「冬の都路を走る」というイベントが幾つかあります。最近見たのが「都道府県対抗女子駅伝」でした。(ここであえて「女子」と唱うのはどうしてですか。「女性」ならどうなんでしょう)まったく偶然見たのですが、とんでもないランナーに目を奪われました。しかもまだ中学生だったから、なおさらに驚いた。スポーツでも「記録」を争うものは、判定は時計であったり、(長さや高さの)測りであったりしますから、じつにあっさり、さっぱりしています。依怙贔屓(えこひいき)も八百長もない。だからいいと思うのかもしれません。ウゾも誤魔化しもないところで「勝負」が争われる。すべてが「機器」で計測できるなら、それは客観性・公平性を維持できます。でも、文学や音楽など、あるいは絵画や映画などは、なかなかそうは行かない。だからその評価は、個々人の判断に限ると、ぼくは一貫してきたように思います。人がいいからとか、他人が美しいと言うから、それが自分の評価(自分もそう思う)になるというのは、如何にも情けない。そんな評価がどれほど根拠の薄いものであるか、ささやかで拙劣な人生でしたが、ぼくは身をもって経験してきた。「人間の判断」というものを、いっそのこと「好き嫌い」と言い換えたらどうでしょうか。そんなことを言いたくなりますね。(https://www.youtube.com/watch?v=j2FmQokGFZg&ab_channel=Tiger%27sDen

 選ぶということは、結局は、個々人の判断(独断)によるが、その独断にも色々とあって一筋縄ではいかないようです。たとえば、「議会議員選挙」一つとっても実に千差万別の多様性があります。どうしてこんな人間が「代議士」になるん?という疑問や不信はつきもの。器械で測れない「作品」「人間」なのですから、選び間違い、選び損ないなどという判断ミスが顔をだすことは避けられません。文学賞や音楽賞は、要するに主宰者が「受賞させたい候補者」に決まるのが習い(規定・既定)だと言ってしまえば、身もふたもない。でも、どう言い繕おうとそんなところです。それでかまわないと、ぼくは言いたい。

 ぼくは教師稼業のような生業を四十数年も続けてきました。その殆どは、大きな教室の授業(講演会じやん、と言いたくなった)、それに学生に書いてもらったレポートを読むことに費やされたと言っても過言ではない。成績を判定しなければならないから読むのであって、なによりも楽しみに読むということは金輪際なかった。評価の基準もない、といえば「愛想もない」ことになります。仮にあるとしたら、それを読むのは「ぼく一人」、それが基準と言えば基準でした。それ以外にはなにもない。だから、学期末や学年末には一週間も十日もかけて、一日十時間以上は「ひたすら読む」のでした。膨大な量ではあったが、一気に読むという心がけだけで、乗り切ってきました。その行事を、ぼくは「春の採点(祭典)」と称して、自己鍛錬の機会にしていたのです。もちろん、評価基準は、あけすけに「好き嫌い」でと言うと語弊がありますが、テーマに即しているかどうか、それが唯一の埒(走行コース・枠)でしたから、それを外れたものは論外。そういう基準のようなものを持てば、実に簡単でした。時間がかかったが、先ず外れなかった(読み違いはなかった)と思う。

 それにしても、この中学生アスリートは走るというより、駆ける、駆けるというよりは跳ぶ、跳ぶというよりは翔ぶ、そう翔ぶが如くに颯爽と疾走していたのに、ぼくは感動しましたね。(この才能を、そのままに伸ばせる環境が続きますように。彼女はほとんど自分でメニューを作り、それを実践しているという)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)