「心の傷」が癒やされることはあるのか

【水や空】寄り添うことば その人は幼少の頃、自分のルーツが韓国にあると知り「僕は何者なのか」と考え続けた。人の心に関心を持ち、精神科医の道に進む。神戸大の付属病院に勤めていたとき、被災者になった▲同時に、被災者に寄り添う人にもなる。阪神大震災に遭い、打ちひしがれる人々の話をひたすら聞き続けた。ある日、避難所で女性に打ち明けられる。「助けてって、声が聞こえるんです」▲地震のとき、火の手から逃れる女性は叫び声を聞いた。「助けて、誰か助けて」。なにぶん必死で、声を背後に残して逃げた。それが今も耳の奥で鳴るのだ、と▲体とは限らない。人は災害や思いがけない出来事で、心にも傷を負う。2000年に39歳で病死した安克昌(あんかつまさ)医師の著書に基づく映画「心の傷を癒(いや)すということ」は、震災の頃はよく知られていなかった「心のケア」が物語の幹となる▲阪神大震災から28年たち、多くの人が慰霊碑に花をささげた。忘れられない。忘れてはならない。そう思う心に寄り添う人は、寄り添う言葉はあったろうか▲被災し、昨年亡くなった詩人の安水稔和(やすみずとしかず)さんは「これは」と題してつづった。〈これはいつかあったこと/これはいつかあること/だからよく記憶すること/…このさき/わたしたちが生きのびるために〉。寄り添う言葉を胸に刻む。(徹)(長崎新聞・2023/01/19)

 本日の駄文も「震災」に関わるものになりました。当時、ぼくは房総半島の一隅におり、けっして身近でこの大災禍を見聞したのではなかった。それだから、余計に、その災厄に翻弄された人々への思いが嵩じてくるのかもしれません。これは何処かで触れましたが、「震災後」に関して、先ず第一にぼくは中井久夫という精神科医のことを思い出す。彼が神戸にいたということは、いろいろな意味で大きな恵みだったと評しても過言ではないようにさえ思う。本日のコラムに出てくる安克昌氏も、その仲間の精神科医として忘れられない存在であります。大阪生まれの「在日三世」が、後年神戸大学で中井さんと出会い、いうに言われぬ「精神科医魂(psychiatrist mind)」を共有したことは多くの人が知っています。2000年11月に安さんが早逝した際の葬儀委員長を勤めたのが中井さんでした。「弔辞」の中で、中井さん、今は死者となった安さんに呼びかけ、問いかける。

 「きみは今死にたくなかったはずだ。切に死にたくなかったろうと思う。きみの仕事は花開きつつあったではないか。すでにきみはきみらしい業績を挙げていたけれど、それはさかんな春を予告する序曲だった。あたかも精神医学は二〇年の硬直を脱して新しい進歩と総合とを再開しようとしているではないか。きみは、それを、さらにその先をみとおしていたではないか。それをきみは私たちに示さずに逝く」(中井久夫(時のしずく」みすず書房、2005年刊) 〈左上は朝日新聞・2007年1月16日〉

 阪神淡路大震災が発生した直後から、安さんは精力の限りを尽くして働いた。もちろん、中井さんも同じことでした。その時の活動の結晶が「心の傷を癒やすということ」(作品社、1995年刊)となった。「弔辞」の中で、中井さんは「多くの患者はきみに支えられ、きみを命として生きていた。真実、多くの患者はきみに会って初めて本当の医者に会ったという。誰にもまして、きみの死を嘆き悲しむのは彼ら彼女らにちがいない」と、中井さんは、自身の嘆き悲しみを重ねるのです。(「弔辞」であることを考慮してもなお、哀切拭いきれない心情がここに出ているではないか。かけがえのない同志を失った悲しみが中井さんを襲う)

 昨日も、このコラム欄に引用されていた安水稔和さんの〈これはいつかあったこと / これはいつかあること / だからよく記憶すること /…このさき / わたしたちが生きのびるために〉という詩の叫びは、まちがいなく安さんの医師としての変わることのない姿勢でもあったはずです。災害は必ずぼくたちは襲う。準備があろうがなかろうが、必ず襲来します。その時のためにも「記憶する」ことはぼくたちに課された「努め」のようなものではないかと、愚かしくも考えているのです。

 「心の傷」が癒えることはあるのでしょうか。癒える、癒やすとはどのような状況をさしていうのでしょうか。恐らく答えはない。答えられる人もいないかもしれません。しかし目の前に「心の傷」を訴える人がいる限り、医師は、あるいは親しい人は、その「心の傷」を訴える人の側に立つ、立ち続けることしかできないのです。安さんを始め、もちろん中井さんもそうだったとぼくには思われますが、訴える人の側に立ち続けた人でした。癒やすとは、側に誰かがきっといるという実感・感覚を失わない状態をいうのではないでしょうか。「忘れられていない」「記憶されている」というのと同じことです。その意味では、安さんは言うまでもなく死ぬまで臨床医だったし、中井さんもまた、障害を通しての精神科臨床医だった。臨床とは、どんな場所であれ、「患者」とともにいることを自らに課す人です。助けを求める人の側(それは病院のベットの側とは限らない)に、あえて立ち続けることのできる人です。

 「患者」の病気を治すのは医者でもなければ薬でもない。「患者」自身の内なる「治癒力」という根本の生きる力によるものです。人間に内在する「自分を死なせない力」「生かせ続けようとするはたらき」、それを「病む人」が発揮できるためには、誰かが、なにかが「側にいる・ある」ことが欠かせないのでしょう。安医師が成し遂げようとした行為はそれだったと思う。それをして「精神科医」と人はいうのです。悩む人を見捨てない、その人に関心をいだき続ける、それだけの持続した「愛情」を持つ人を、ぼくは「医師」と言いたい。このような「持続するこころざし」が、一人の「患者」に向けられるとき、そこに信頼というか、見捨てられていない、忘れられていない「自分」を回復する〈取り戻す〉のでしょう。その時に、たとえそれが一瞬のものであっても「癒える」「癒えた」と受け取ることができるように思われるのです。〈左写真は神戸新聞より〉

 死に逝く息子と時間を共にした安さんの母堂は、病院に駆けつけた中井さんに向かって「(息子の死は)素敵でしたよ」といったそうです。「あんな素敵な死は見たことがありません」と。いのちあるものは生きている限り、その「死」は不可避です。生きることは死を俟(ま)って、初めて完結するのだとぼくは考えてきました。死があって初めて「生」は充足する〈いかなる死を迎えたとしても〉。医師として、あるいは人として、自らの死あることを忘れないためにも、〈これはいつかあったこと / これはいつかあること / だからよく記憶すること /…このさき / わたしたちが生きのびるために 〉という「記憶の確かさ」「確かな記憶」は誰にも求められているように、ぼくには思われるのです。〈安医師が亡くなられたのは、三番目の子どもが生まれた、二日後のことでした〉

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*追記 買い物に出かけて帰宅したら、神戸新聞の記事がアップされていました。それを以下に部分的に引用しておきます。

 「今も耳元で『助けて』」自分責める女性 PTSD、大震災以降広く認知 心のケアの必要性訴えた中井久夫さん「女性は涙ながらに訴えた。「今も耳元で『助けて、助けて』という声がするんです」/ 阪神・淡路大震災の発生からしばらくたった頃だった。避難所にいた女性は巡回ボランティアをしていた精神科医の紹介で、神戸大学医学部付属病院(神戸市中央区楠町)にやって来た。/ この話は、当時、避難所訪問に力を入れていた神戸大の精神科医、安克昌(あんかつまさ)さん(故人)が、著書「心の傷を癒(いや)すということ」(角川書店)に書きとめている。/ 彼女は激震の直後、迫る炎の中を逃げ回った。周囲で「助けて!」と叫ぶ声が聞こえたが、どうすることもできなかった。/ その光景が、その声が、心を離れない。余震におびえて眠れず、食事ものどを通らない。「私も死んでしまえば良かった」。自分を責め、涙を流した。

 「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」。彼女はのちにそう診断される。この言葉は震災以降、安さんの上司である中井久夫さんらが心のケアの必要性を強く社会に訴えたことで広まっていった。/ 中井さんはつづっている。

 「精神障害が誰にでも起こりうるという、当たり前の事実は、一般公衆にも、精神科医にも、この震災によってはじめてはらわたにしみて認識された」(以下略)(神戸新聞・2023/01/19;14:00)(https://news.goo.ne.jp/article/kobe/life/kobe-20230119013.html)(右写真は1997年3月、神戸大の「最終講義記念パーティー」であいさつをする中井久夫さん)(中井久夫教授退官記念誌より)(神戸新聞)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)