行かふ年も又旅人也

  美しい年齢 旅とは何か。国語辞書『大言海』は〈家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト〉と定義している。作家の沢木耕太郎さんは『旅する力』に「もっとも的を射たもののように思われる」と書いている。途上にあることで「人生は旅に似ている」「旅は人生のようだ」という認識が生まれてくる、と◆沢木さんは同著でフランスの作家ポール・ニザンの有名な一節に触れている。「僕は二十歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと誰にも言わせまい」。この一文に若者は魅了され、熱病のように広まったという◆なぜ、美しい年齢ではないのか。「一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのは辛(つら)いことだ」と続く◆きょう9日は「成人の日」。民法改正で成人年齢は18歳に引き下げられたが、18歳であれ、20歳であれ、あふれる希望の一方で、確たる自信を持てず、将来に不安を覚えて揺れ動く。社会の状況は変わっても、その不安定さは昔も今も同じだろう。遠く過ぎてしまうと、それこそが美しく思えるのだが…◆希望と不安を抱え、大人の旅が新たに始まる。どんな旅になるかは分からない。「途上にあること」を存分に楽しんで。(知)(佐賀新聞・2023/01/09)

 別の箇所でも触れていますが、本日は「成人の日」です。各紙のほとんどのコラムはこのテーマに「思い・願い」を託しているようにぼくには思われました。何しろ、貴重な年代の青年たちが「成人(おとな)」のとば口に入れられるのですから。十八歳も成人とされたのは昨年、成人式参加資格があるとするなら、「性別不問 十八歳以上二十歳以下」となるのでしょうか。自分の「成人式」はほとんど興味がなかった。住んでいた町内(文京区本郷)にあったレストラン(「白十字」)に呼び出され、お茶を飲んで帰ってきたと思う。普段着のまま、誰一人知り合いはいなかった。町内会の役員に誘われて参加したのでした。コラム氏が書かれるような「美しい年齢」だとはとても思えなかった。ニザンの生涯を知ってから、なおさらに、ひたすら重ねる一年の一つに過ぎなかった。(ニザンはサルトルと同級生だったし、ある時期には、アラン(エミールシャルティエ)のクラスにいたこともある。第二次大戦中のいダンケルクの戦いで戦士した。三十五歳だったか)

● ポール ニザン(Paul Nizan)(1905 – 1940)= フランスの小説家評論家,哲学者。トゥール生まれ。人民戦線時代の共産党員で、党員文学者として1930年代の反ファシズム文化運動の中心的存在として活動するが、’39年独ソ不可侵条約に反対し脱党、翌’40年第二次大戦で戦士。戦後共産党から裏切り者として非難中傷を浴びるが親友サルトルらの名誉回復の努力で60年代に若い世代の多くの読者を得、大きな影響を与える。日本でも60年代後半の全共闘世代に読まれ、著作に「アデン・アラビア」(’31年)、「番犬たち」(’32年)、「陰謀」(’38年)、「アントアーヌ・ブロワイエ」(’33年)等がある。(20世紀西洋人名事典)

 当時(この前後)、都内の大学にはサルトルやマルセルなどのフランス実存主義哲学者が相次いできた。少しは読んでは見たが、惹かれなかった。むしろニーチェをむさぼり読んだという記憶が残っている。その残滓は今でも、ぼくの言動の至るところに認められます。その後はもう、怠け者の生活に終止してきた。だから「二十歳の誓い」もなければ、「大人になって」という気負いも落胆も何もなかった。「あふれる希望の一方で、確たる自信を持てず、将来に不安を覚えて揺れ動く。社会の状況は変わっても、その不安定さは昔も今も同じだろう。遠く過ぎてしまうと、それこそが美しく思えるのだが…」とコラム氏は格好いい調子で書かれているが、二十歳だから「不安に襲われる」のでもなければ、「あふれる希望」などどこを叩いても出る気遣いはなかった。いわば、五里霧中で歩いていたのです。灯りもなければ、道案内もいなかった。一日一日を、下を向いて生きていた、それが、ぼくの二十歳の頃。

 「諸君、成人(の日)、おめでとう」と、いまでも誰彼なしに言うのかどうか。何がめでたいものか、今でもぼくはそう思う。そもそも、「新年あけまして」が、どうしてめでたいのかというところから、ぼくは気に食わない人間ですから、これこそ、「虚礼」だという気もしてくる。八つ当たりの気味が濃厚ですね。そもそも「式」というものが嫌いでした。いわゆる「儀式」ですね。しきたり、有職故実(ゆうそくこじつ)というものがあります。「公家や武家の儀礼・官職・制度・服飾・法令・軍陣などの先例・典故をいう」(精選版日本国語大辞典)とあるように、しきたり、前例を重んじる慣例主義の最たるもので、「成人式」などは、そのはるかな残り滓のようなものであっても、やはり「式典」なんですね。滞りなく、それが「式典」の命ですのに、時には「成人式」が大荒れに荒れるのは、一種の「下剋上」であり、「晴れ着魔の襲来」でもあるのでしょう。あちこちで、主宰者が「出ていけ!」だの、「黙って話を聞け」と、とんだ成人の日もあるにはあるのです。その日一日は、別の意味での「無礼講」も可なりという「儀式」なのかも知れません。(読んでおいて(出て行け)はないでしょ。つまらぬ講話を「黙って聞け」とは拷問だぞ)

 過ぎてしまえば、五十年も百年も束の間です。二十歳の頃をことさらに言挙げする必要は微塵もないのでしょう。いつの時代も、手探りで、さまよいながら歩くばかりでした。挫折したかと訊かれれば、なにかに挫折するほど、人生に「期待」はしないことにしていたし、それで何不自由もなかった。ただ、どこかで思い切って、歩き方を変えなければならないという、一種の「強迫観念」はいつもぼくの中に居座っていたように思う。自分一個、何をしてでも生きていけるという「捨て鉢」「開き直り」の態度がぼくを支配するようになっていたのです。誰だってそうでしょうが、若い頃はとくに、「媚を売る」ことは死んでも嫌だったし、自分を売り込むのはなおさらできなかった。実のところ、売り込むだけの「実・物」がなかったからでした。この癖のような姿勢は、ついに変わることなく、ぼくを突き動かしてきたのでした。生意気だけが行き過ぎていく、そんな風情だったな。

 「希望と不安を抱え、大人の旅が新たに始まる。どんな旅になるかは分からない。『途上にあること』を存分に楽しんで」と励ましの声をかけてくださるのはコラム氏です。優しいね。そんなに優しくしていいんですかと、心配になります。「人生も、また旅である」とは芭蕉に帰るまでもありません。何時だって、誰だって、人生の行方しれない境涯は、あてのない旅の如きものと喝破し、直感していたでしょう。よし、人生が旅なら、「旅の恥は掻き捨て」とばかりに、ゴミを撒き散らし、乱暴狼藉を働く無法な輩が後を絶たないのは、そのためかも知れません。生きているうちが物種と、好き放題に掻き乱し、ことが終わると、まあ「宴の後」よろしく、乱れに乱れた残骸・狼藉が残るばかり。人生も、そうであっていいはずはありません。旅の途次に出た「ゴミ」は持ち帰りましょうというではありませんか。ささやかでつつましい「生き方」は、環境にも人間界にも優しいことは言うまでもなく、できれば、「そんな人に私はなりたい」と、「卒寿」を前に願うこと頻りですね。

 二十歳にまで行き着いた人は、さらに旅を続けて、一年一年と歳(年)を重ねます。「行き交う年もまた旅人なり」ですね。「旅に病む」こともあるかも知れません。しかし、どこかに「頼り」「身寄り」がいないとも限りません。「袖すり合うも他生の縁」というではないですか。「成人式」もその一つだとも思えてきます。芭蕉は江戸を離れるに当たり、次のように書く。

 「弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明けにて光をさまれるものから、富士の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し。/ むつまじき限りは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。/ 千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。 行く春や 鳥なき魚の 目は涙 / これを矢立ての初めとして、行く道なほ進まず。/ 人々は途中に立ち並びて、後ろ影の見ゆるまではと、見送るなるべし」

 人生行路ともいいますね。どんな人でも、どこかしら「火宅之境」にいる心地がする時があるでしょう。まるで「火宅(燃え盛る家)」に住んでいる心地がする、でも、どこかで誰かが手を差し伸べていることを信じられるような人生(旅)が送れるといいですね。そんなことがあるものかと言わないこと。「渡る世間は鬼ばかり」というのはテレビ用の芝居なんですね。捨てる神あれば、拾う神あり、これもまた世間の「実相」です。

● 火宅=仏語。煩悩 (ぼんのう) や苦しみに満ちたこの世を、火炎に包まれた家にたとえた語。法華経の譬喩品 (ひゆぼん) に説く。現世。娑婆 (しゃば) 。(デジタル大辞泉)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)