虚礼は廃止。でも、賀状は虚礼と限らない

【地軸】平穏無事の便り 諦めない。幸多き年に。明日に向かって一歩ずつ…。年賀状にそんな言葉が目立ったのは、東日本大震災発生の翌2012年。新春をことほぐのをためらい、それに代えて被災地に思いを致し、決意や願いを伝えた人が多かった。▼新年の風習にも惨禍はおよぶ。1937年に勃発した日中戦争は自粛ムードを呼び、年賀状の取扱量が激減した。追い打ちをかけるように、戦時下の虚礼廃止名目で40年には年賀郵便の特別取り扱いが実質的に停止となった。▼東京にある切手の博物館で副館長を務めた内藤陽介さんによれば、それでも相当数がやりとりを続けた。「年賀状の戦後史」(角川書店)に記している。といっても、単なるあいさつではなく、疎開で離れた人同士が安否確認する切実な事情があった。▼穏やかな好天の元日だった。配達された年賀状には工夫を凝らしたデザインのあいさつが並び、華やいだ気分になった。ただ、ウクライナでは年が改まっても光明は見えない。元日にも子ども病院などが攻撃を受けた。思えば、それまでも地上から戦火や抑圧が絶えて明けた年はあっただろうか。▼身近でも、喪中の欠礼状が昨年は数通届いた。「年賀状じまい」のお知らせには、思うところに想像を巡らせた。いつもながらにはがきを送り受け取る。ありふれたことが当たり前ではないとかみしめる。▼届いた一枚一枚はともかく平穏無事の便り。ことし一年もそうありますよう。(愛媛新聞ONLINE・2023/01/04)

 4日(水)は「仕事初め」とか。従来は「御用始め」といった。暮に「御用納め」をして、つかの間の休暇。年末年始の慣例に従って、何事かをなした暁に、仕事が始まる。でも「会社勤務」も様変わり。コロナ感染のもたらしたものの中での、新機軸だったかも知れません。一箇所にたくさんの人間を集めて、仕事の業績競争や、点数競争をやらせるには好都合のスタイルだったでしょう。でも、今時の「パンデミック」がなければ、旧来に復したママの風景が続いているのです。学校だって、何が何でも「登校しなさい」というのはどうでしょうか。「不登校」もいいものではないですか。そのことで、かえって自分を再発見する子供も生まれるでしょう。もちろん、そうするためには「親の仕事ぶり」も変化を余儀なくされます。収納地、何度かは出社と登校。これからは、こんな型式が当たり前になるようであってほしい。

 年賀状を書かなくなってかなりになります。年末に書くということが、ぼくには煩わしいことでしたし、「あけましておめでとう」と暮のうちに書くのもしっくりこなかった。なかには、賀状に「来年もよろしく」と挨拶する人もいる始末でした。また、差出人のせいではなく、暮のうちに賀状が届くこともあった。それもこれも、今から見れば、取るに足りないこととして、年末・年初の行事のようでもありました。本日のコラムの中に「「虚礼廃止」という表現が出てきます。恐らく、賀状を「虚礼」の典型として見る人もいるでしょう。だから、それが事実「虚礼」なら、ぼくは賛成ですが、どうもそうではなさそうだから、状況は入り組んでくるのでしょう。年々、賀状の枚数が減少しているという。それは、たしかに「虚礼」だと感じている人が出さなくなったからだとも言えますし、葉書だけが「賀状」ではないという時代の風潮も影響しているでしょう。SNSなどの利用が増加しているのがその証拠です。

 印刷された活字ではあまりにも温かみがないという人もいますが、この何円感、小生が受け取る賀状のほとんど全ては「印刷」済みに自筆が加わっているというのが実情です。実のところ、年賀状に関して、ぼくには話す資格もないのです。年末に出すこともなく、年始に出す個もなく、そういう横着を決め込んで何十年です。「物臭・懶(ものぐさ)」のせいです。そんなぼくにも奇特な方が少なからずおられます。感謝する次第ですね。今では、枚数も減りましたが、それでも百枚ほどいただきます。まったく返事を書かないのではなく、ぼくの「正月」は旧暦に合わせてきました。本来、正月は「初春」「新春」を指して使われていましたから、「立春」がふさわしいと、ぼくは勝手に考えて、賀状の変身はその日前後に書くことにしています。本年は2月4日です。丸人月遅れの【ご挨拶」は失礼そのものではあります。しかし、この季節感は、ぼくには馴染むのですね。(今年は、返信の枚数もさることながら、葉書のヒョリ両面はすべて「自筆」で書こうと考えています。かなりの方々とは、一別以来、三十年四十年です。それぞれの「風貌」や「声音」を思いながら、ゆっくりとしたためよう、後どれくらいこんな事がわからないからこそ、そんな思いでいます。

 それが「虚礼」だとはとても思われません。メールやチャットの「即返信」も今風ですが、ぼくのような「オールドファッション」も、どっこい、未だ生息中といったところか。すべからく「年賀状は虚礼」だから廃止すべきと、誰がいうのでしょう。出すも出さないも、ご当人が決めることです。まるで個人的な事柄に対して外野からとやかくいうことは、ぼくは断じて受け入れられない人間です。一年に一度の「賀状のやり取り」、それは、コラム氏が指摘された通りの「平穏無事の便り」に違いありません。それはそれで十分に意味のあることでしょうね。ぼくのように底抜けの「筆不精」にはなかなか困難ではありますが、「平穏無事の便り」を、年に数回出すだけの心持ちがほしいといつも願ってきました。筆不精は筋金入りでも、それを上回る「時たまの便り」は、お互いが無事であってもなくても、ありがたいものだと思います。

 たった一枚のハガキである賀状に、人それぞれの思いの火照りが偲ばれてきます。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」と言うのは、人の世の有為転変をいう。いずれ、この交換年記も、静心なく沙汰止みになることになるのですね。

・賀状読み終へ友情に包まれし (嶋田摩耶子)
・賜はりし一顧うれしき賀状かな (篠塚しげ子) 
・遠き日の埋火のいろ賀状くる( きくちつねこ) 
・君が賀状墨むらさきににほふなり(山口青邨)
・布衣の身に余る賀状を賜りぬ(安住敦)

 昨年も書きましたが、初詣の人混み。ぼくは罰当たり、一度だって「初詣」に出かけたことがありません。出不精だから、それが一番の理由。加えて、人混みが大嫌い。これが二番目の理由。三番目、これは勝手な判断で、当たっていないかもしれないが、こんなにたくさんの人間が一時に賽銭を投げ入れ、それぞれが固有の「神頼み」をするのでしょ、いかにかみさんといえども、それを聞き分ける(見分ける・受け止める)なんてできないでしょうに。神社や仏閣はよく行くほうです、それも「お参り」ではなく、建築物として見に行くのです。お参りではなく、建物見物ですね。なかなかの大工さんの腕の見せ所が満載です、どこだって。(右上写真は神奈川新聞・2023/01/02)鎌倉鶴岡八幡宮です。一体どれくらいの人がもう出ているのでしょうか。ある神社が「お賽銭は百円以上にしてくださ」と張り紙をしていたそうです。賽銭を勘定するのに金融機関に依頼するそうで、この手数料がばかにならないからだというわけです。

 (右の写真は東京新聞。2022/12/29・「お賽銭は百円以上で」のお願い札。「左の金融機関の「料金表」も東京新聞より・同上)ご利益があるから皆さんお出かけするんでしょうね。正月三が日だけでも、相当の「実入り」、いや「上がり」、もちお「お賽銭」があります。宗教活動だそうですから、金額は無税。どちら様も、ご精が出ますね。かなり前です、娘が「千葉の大きな神社の「巫女」のバイトをしたことがありました。由緒ある(神社や寺は、きっと由緒正しいものに決まっているのは、ぼくには不思議です。そのことについては別稿で)千葉船橋の神社でした。

 霊験があらた‐か(灼たか)だとはとても思えませんでした。恐らく正月の書き入れ時ですから、何処も同じ「俄(にわか)巫女」を駆り出すのでしょうね。お寺も同じ。神社に思い利子、お寺に参詣し、そしてまた七福神詣でで、おみくじを引く。この島の人々は実に信心深いということでしょうか。信仰とか信心とは、ひたすらの気持ちで、疑問の余地がないのが定義です。しかし、神仏に参り通し、拝み倒すというのも(なんでもあり」といえますから、決して信心深いのではないのかもしれない。渋谷の交差点や竹下通りに人が集まるのと、心持ちは同じですね。いわゆる「付和雷同」であり「群集心理」を経験するのだということです。

 この島人は「信仰心が篤い」のではなく、「信心深い」のでもないでしょう。だれもが行っているから、「私も、ぼくも」という「烏合の衆」になりやすいというべきだと思う。もちろん、これはこの社会の人だけの特徴ではないこと、いまさらいうまでもありません。その集合のさまを「a disorderly crowd or a mob」といったらどうでしょう。これは、ある種の特質でもあるでしょう。お祭りは元来が農業と結びついていましたが、それが切れても、「お祭り」だけは、いろいろと工夫をこらして行われている。五穀豊穣を願ったり、豊作を祝ったりするための「神信心」が、すっかり色あせても、山車(だし)が出たり、神輿が担がれる、それで十分楽しいのですね。だから初詣や七五三参りを、とやかく言う気分はぼくにはありません。その仲間に、ぼくはならないだけです。

(どうでもいいことですが。右の「料金表」によると、いろいろな段階がありますね。一円玉で五百円だとすると、手数料は550円から。寺や神社は「足が出る」というのでしょう。お賽銭を数えるのも仕事ですから手数料がかかるのは道理。でもなんか「腑に落ちない」ですね)

 兎角(とかく)この世は棲みにくい。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)