春は名のみの風の寒さや

 睦月も本日が最後。「速いですね」というのも可笑しいくらいに、時間は誰彼構わず刻まれている(それは、人間の仕業(錯覚)で、時間は永遠の停滞であり、瞬間の連続にすぎない)というのは約束事で、実際は、何も過ぎ去ってはいないのだ。「月日の経つのは夢のうち」と謳った浦島太郎は、自覚の有る無しにかかわらず、「時」というものを正確に実感していたのでしょう。彼の寿命は百歳だったか、三百歳だったか。あるきっかけで、海中の「竜宮城」に出かけた。「助けた亀に連れられて」と、酸素マスクもなく海中深く潜航の旅をした。学生時代、新宿の歌舞伎町に「竜宮城」というキャバレーがあった。友人と出かけたら、「鯛(たい)や鮃(ひらめ)の舞い踊り」と賑やかに宴を送って、乙姫様の大歓迎で、とても高い滞在費を取られたことを思い出しています。このようなえげつない「乙姫商売」は依然として花盛り。いささかも時間は過ぎていないんですね。

 と、寝言を言っているうちに、二月(如月・きさらぎ)を迎えました。「如月」の語源に関してはいろいろな説が、古来入り乱れています。それに関しては二月に入ってからの「駄文」に譲ります。「雪の睦月」だったし、二月も、一年でもっとも寒い月という言い習わし?もあり、いよいよ健康に気をつけてという頃合いになりました。能登半島の降雪による「断水」はまだ続いています。日常が崩される、乱されると、ぼくたちはいやでも「平凡な日常」のありがたみ、確からしさを、改めて見直すのです。「当たり前」が何よりと、安堵するのに、時が経てば、「日常はつまらない」と不満や不平を垂れる。いかんともしようもない愚かしい「霊長類」だと、ぼくは考える。「平凡」が何よりと、それを徹底していけば、否応なく「非凡」になるし、最初から「非凡」を狙って「平凡」に墜ちる、そんなことの繰り返しですね。

 もうすぐ「早春」です。そして「早春賦」が耳元で流れる時節になったことを、ぼくは鶯(うぐいす)とともに喜びたい。「春は名のみの 風の寒さや」と、もう何十回、しみじみと謳ってきたことか。ここでも、少しも時間が過ぎているという感覚は、ぼくにはない。過ぎるのは「現象」であり「玄象(げんじょう)」である。いやもっというなら「幻想」にほかならないとも感じている。「夢幻」と言うものかもしれません。謡曲の幸若の「敦盛」に「人間五十年けてむの内をくらぶれば夢まほろしのごとくなり」、「けてむ」は「下天(げてん)」で、天上界の最下部の「人間世界」を指します。信長は、しばしば好んで、これを「舞った」と伝えられ、「人間五十年」が人生の相場とされてきました。四百年経って、今では相場は「二倍」に延びましたね。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

徒然日乗(CI ~ CV)

 ◯ 2023/01/29・日=夜半すぎから降り出し、朝にはすっかり雪景色だった。しかし、やがて日が出てからは、路面の氷雪は溶け出し、車の運転には差し支えがなくなった。昨冬は一度も降らなかったが、今年はどうだろう。北海道のある地域ではマイナス三十度を超える(下回る)ところがあったし、マイナス二十度程度はいくらもあったようだ。今年は例年に比べても、とても寒い冬なのかもしれない。石川県内では断水や停電はまだ続いている。もう七十年以上も前の少年期前の能登半島の雪景色を思い出して、いろいろなことを想像していた。隣町は輪島でした。気になっていたので、京都の姪にメールで様子伺いをした。市内では相当に降ったそうだ。(徒然日乗・CV

 ◯ 2023/01/28・土=必要があってはがき印刷に取り掛かろうとしたが、プリンターが上手く働いてくれない。これまでも、パソコンに接続して使う印刷機に満足したことがない。ぼくだけかと思うと癪にも触るが、多くのユーザーがそうらしいので、腹も立たないのではなく、どうしてこんな「不良品」並の品を売るのだと怒りがこみ上げる。もちろん個人のささやかな使用に供するものだから、何十万もしない、極めて廉価(高級品から見れば)かもしれぬが、故障や機能停止が多すぎる。メーカーに問い合わせようとすると、あまりにもユーザーの問い合わせが多いからか、容易につながらないし、中には電話受付けを一切しないところもある。不親切ですね。商品に自信がないんじゃないのといいたくもなる。朝からいじりまわして、なんとか動き出した。しかし、当方のミスだったのだろうか、「印刷葉書」をインクジェット用にしなかったので、とても汚いものになった。なかなか思うように段取りが捗(はかど)らないのは当方の衰えと思われて、なんだか心配にもなってきます。(徒然日乗・CIV)

 ◯ 2023/01/27・金=列島を南岸低気圧が通過するとの報道で、さらに積雪や凍結に注意が必要と懇切丁寧な呼びかけ。それでも、いろいろと障害が起こる。にわかな準備では間に合わないのが「災害」です。水道管は地中に埋められており、そのどこかしらで「破裂」しても素人には防ぎようがない。列車の立ち往生に関しては、積雪でポイントが凍結するだろうという初歩的な判断ミス(要するに、降雪なんか、大したことではないという、運行業者の舐めた態度)が、恥ずかしい災害を発生させたし、閉じ込められた何百人の中には「大被害」を被った人もいたでしょう。何でもないことで、しかし思わない事故や危険が生まれるという「備えあれば、憂いなし」ではなく、「備えあっても(備えあるから)、憂いあり」と思い定めるべきではないですか。原発などはその「好例」になるのだが。今のままだと、必ず「第二の福島」が起こるだろう。(徒然日乗・CIII

 ◯ 2023/01/26・木=各地で積雪被害が続いていると報道されている。列車の運行停止(列車内での閉じ込め)、高速道路などでの交通渋滞など、所によっては半日以上も通行・運行不能になるケースも、これも昨年、各地でしばしば見られたことでした。あるいは風雪(吹雪)による交通事故などなど。毎年のように襲ってくる寒波に、これまた、毎年同じように天から降って湧いたように「被害」対応に大童。一体これはどういうことなんだと、我が身に照らして感じている。さいわいにして、今のところ、当地では格別の異変もなく生活が滞りなく続けられますので、一安心です。でも、一旦緩急あらば、義勇公に奉じはしませんが、困っているに人々に微力を捧げたいし、不十分ながら、「備えあっても憂いあり」を先刻承知しておりつつも、そのための占守防衛に勤しみたいですね。この寒気団が一日も早く劣島の上空から立ち退くことを願うばかりです。(徒然日乗・CII

 ◯ 2023/01/25・水=午前中は強い風も吹きましたが、雪も雨も降らなかった。各地では昨夜来の積雪でなにかと障害・被害が出ているようです。新幹線や高速道路、あるいは停電に断水など、たちまちのうちに「生活」が寸断される。あるいは、これで、案外自然の猛威にうまく応接していると言えるのかもしれない。ぼくのモットーの一つに「備えあっても憂いあり」がある。これで大丈夫というものはなくて、少しでも災厄を逃れればそれでよし、これだけで済んでさいわいだったと。よく「危機管理」を徹底してなどと言うが、管理できないのが「危機」ですから、そもそもそこから間違っているというべきか。もっと正確にいうなら、危機(自然災害など)は起こる、それは避けられないけれど、起こった時にどうするか、その備えを怠らないことを指すのでしょう。地震でも火災で、起こらないことを願うが、発生したら、被害を最小に留める、その工夫こそが「危機管理」ではないか。身の程を知るというのは、こんな場合にも欠かせない信条だとぼくは考えています。(徒然日乗・CI

___________________________

 弱者を「弱者」に閉じ込めるのは誰か

【余録】2016年のカンヌ映画祭で最高賞を獲得した「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、病気で失業した大工、ダニエルの苦境を描く。公的支援を得るための手続きがあまりに冷淡で、尊厳を傷つけられていく▲無収入の身に物価高は容赦ない。高額の電気代を払うため、亡き妻との思い出が詰まった家具を売る。ダニエルを絶望から救い出したのは、かつて彼が手を差し伸べたシングルマザーのケイティだった▲2人の子を育てるケイティも無職。空腹に耐えかね、フードバンクでもらった缶詰をその場で開けて手づかみで食べる。「みじめだわ」と泣く彼女にダニエルが「君は何も悪くない」と声をかける場面に胸をつかれた▲ケン・ローチ監督は、弱い者に不寛容な社会を告発してきた。綿密な取材に基づいた展開には説得力がある。フードバンクの場面も実話だそうだ。「映画を通して社会の構造的な問題を解決したい」とインタビューに答えていた▲今の日本にも多くのダニエルやケイティがいる。今年は食品だけで1万品目もの値上げが予定され、光熱費も右肩上がりだ。一方で給与は伸び悩む。正規社員が半数に満たないシングルマザーには、賃上げの恩恵も薄い▲国会では岸田文雄首相が「次元の異なる少子化対策」のために当事者の声を徹底的に聞くと語った。「まだ聞いてなかったの?」と驚いた。閣僚席には、のりの利いたワイシャツを着た人々がずらりと並ぶ。映画で「聞かない力」を発揮していたお役人も同じ格好だった。(毎日新聞・2023/01/30)

「イギリスに生まれて59年、ダニエル・ブレイクは実直に生きてきた。大工の仕事に誇りを持ち、最愛の妻を亡くして一人になってからも、規則正しく暮らしていた。ところが突然、心臓の病におそわれたダニエルは、仕事がしたくても仕事をすることができない。国の援助を受けようとするが、理不尽で複雑に入り組んだ制度が立ちはだかり援助を受けることが出来ず、経済的・精神的に追いつめられていく。そんな中、偶然出会ったシングルマザーのケイティとその子供達を助けたことから、交流が生まれ、お互いに助け合う中で、ダニエルもケイティ家族も希望を取り戻していくのだった。/ ダニエルには、コメディアンとして知られ、映画出演はこれが初めてのデイヴ・ジョーンズ。父親が建具工で労働者階級の出身だったことから、何よりもリアリティを追求するケン・ローチ監督に大抜擢された。ケイティには、デイヴと同じくオーディションで選ばれた、『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』のヘイリー・スクワイアーズ。どんな運命に飲み込まれても、人としての尊厳を失わず、そばにいる人を思いやる二人の姿は、観る者の心に深く染みわたる。/ これはもはや遠い国の見知らぬ人の話ではない。ダニエルのまっすぐな瞳を通して、ケン・ローチが教えてくれるのは、どんなに大きな危機を迎えても、忘れてはいけない大切なこと」(映画「わたしはダニエル・ブレイク」公式サイト:https://longride.jp/danielblake/

 イギリス生まれの映画監督ケン・ローチ。月並みのキャッチフレーズを使えば「社会派」でしょうか。ぼくはこの「わたしは…」を観た時に、拙い感想を何処かで書いておきました。以来、イギリスは言うまでもなく、この小島国においても事態は悪化の一途を辿っており、まるで「死にもの狂い」で生きている人々を、政治も行政も嘲笑(あざわら)っているようにしか想えない。一昨年の東京五輪、当初は「七千数百億円」で開催と人民を騙し、終わってみたら三兆円、四兆円も浪費していたと言われ、未だ(永遠に)に全額は公表されず、賄賂や不正経理で消えた金額も空前の額に上ると見られます。かかる疑獄に関わっていた大半の関係者は「大学出」だった。まるで、大学は不実で不正な人間を養成している「授産場」ではないですか。この堕落や横領は、何も劣島国に限りません。政府か行政か(それに準じる民間でも同様)、そんな名前の付いた組織や制度は、構造的に「公金」を搾取する仕組みを作り上げているのです。イギリスでも事情は同じ。だからこの映画に、ぼくたちは怒りや悲しみを湛えながら大きく共感するのではないでしょうか。(右の「赤字文」はローチ監督が映画制作への動機を語っている)

 ぼくは、何時とはしれず、「趣味は寄付することだ」と親しい仲間に言い続けてきた。少しでも寄付病に感染する人を増やしたかったから。もちろん、有り余る金があるわけではない、親子四人と猫数匹がなんとか糊口をしのげればいいという貧乏根性からでした。つまりは、「貧困」「ひもじさ」と隣り合わせの生活を続けてきた人間には、その苦しさに押しひしがれている人々の感情は、自身の感情でもあるという強烈は思いがあってのこと。野良猫(捨て猫)を見ると、「捨てられているのはぼくだ」という気分に襲われ、それを見過ごすことができなかった。慈善でも福祉でもなく、生きるための算段は、ぼくも猫もいっしょじゃないかという、同病相憐れむ心情が根っこにあったと思う。金をほしいとは考えない。必要なら身を粉にして稼ぐだけという、「貧乏哲学(poverty philosophy)」がぼくにはあった。

 こんなことをいくら言っても意味のないことで、だから言いたくもないのです。しかし、そうだからと放置しておけば、腹の虫がおさまらないから、それを宥(なだ)めたい気もする。電話一本で「数千万円」を老人から搾取したり、いきなり他人の家に押し込んで「暴行を加えて(時には生命まで奪って)、金品を略奪する」、どうせその金も「溝(どぶ)に捨てられる」運命にあると考えると、そんな金を私有していないで、「貧者の一灯」ならぬ、富者の恵み金(寸志)として寄付すれば、どれだけ気分がいいか、助かる人もかならずいるのだし。そんな埒もないことを考えたりしているのです。

 この「わたしはダニエル・ブレイク」のように、役場にでかけると、ぼくはきっと「余計な一言」を口にする。役場の吏員が憎いのでも、意地悪されたからでもない。とにかく「公務員」「全体の奉仕者」という意識に欠ける人が多すぎるからです。弱い者いじめや営業妨害は、ぼくのもっとも嫌うところで、だから、住民の感覚で公務をしてほしいという願いだけで物を言うのですが、それがなかなか通じない。公務員とは〈a whole servant〉のことです。

 学校の教師も同じですね。困っている、苦しんでいる子どもに「救いの手」を差しのべるために存在しているという「教育公務員(私立学校教員でも同様)」が皆無とは言わないが、驚くほど少ない。昨日の駄文でも書きましたが、イジメから逃れるために?、切羽詰まって「自死」した子ども宅に、七ヶ月遅れで「弔問」に赴き、「我が子はどうしていじめられたのか」と泣いて問いただす母親に「お答えは差し控えさせていただく」とほざいた教育公務員。ぼくは少々のことでは驚かない人間であると思っていますが、ここまで国会議員の堕落が蔓延・瀰漫・感染していることを知り、底なしの悲しさと、怒っても無駄だけど、だからこそ「腹の底から怒る」必要性を感じたのです。怒るだけ無駄と、いいたくなる人は多い。でも、だ。無駄が必要なときもあると、考えるぼくのような人間(愚人)もいる。

 ダニエル・ブレイクは劣島のいたるところにいるし、ケイティ(母親)も日々生活に押しつぶされながら、健気にいのちの尊厳を捨てない。そのような「人生の機微」を写(映)し撮ろうとしたこのささやかな雰囲気を持つ映画は、どんなに大掛かりな見せかけで作られる映画よりもぼくたちの心を捉えるのは、ここに、「現実がある」「誰にも優しくなれない現実がある」からでしょう。役所の吏員を演じた役者たちの演技は完璧でした。常日頃から見なれているんですね。助ける気持ちはありながら、助けようとすればするほど、自分自身が矛盾に陥ってしまうという「(政治や行政の)仕組み」のなかで藻掻いているのは彼や彼女たち、役人かもしれません。汚職に奔るのも役人だし、それを断じて認めないのも役人です。二人は別人であると同時に、同一人物の二つの表情かもしれないと、ぼくは痛感している。

 それにしても、この島の政治の酷(ひど)さと言えば、卒倒するばかりで、昔日の姿を想像しても、いまや見る影すらない。ここまで堕ちたというのですが、どうしてそうなったか、毎日の積み重ねでこうなったとしか言いようがないのです。「誰ひとり取り残さない」という甘いささやき、その本心は「一人だって救ってやる気はない」ということの言い換えに過ぎません。国民のためという口上は、政治家の枕詞で、ほとんど意味がないことの証しです。「青丹よし」といってなんか重い意味も、深い意味もあるのではない。掛詞、枕詞という他に、受け止めようがないのですから、歌人には「困った時の枕詞」というらしいのとかわらない。多分「前口上(嘘っぱちが始まるという合図)」でしかないのでしょう。嘘つきは政治家の始まりであり、終わりですね。貧困問題は「政治家」の不作為に尽きる。

 (「わたしはダニエル・ブレイク」予告編)(https://www.google.com/search?

___________________________

 「集団」「組織」だけが人生ではない

 ある番組を観て、何時まで経っても「いじめ」に対して、教育者や教育行政家は「子どもの辛さ」を理解しようとしない体質を持っていると、嫌になるほど感じてきたものを、さらに改めて確認させられました。人間が作る、人為的な集団ではかならず、きっと「いじめ」は起こるという。ぼくも、それを否定する根拠は持たない。いじめは自然現象だから、どうにも手の打ちようがないのだということではないでしょう。京都と大阪の二つ「いじめ問題」を番組では扱っていた。京都の場合、クラスで男の子が、数人の女子から「集団イジメ」を受けていた。教師はその事実を知っていたが、なんとかしようとはしなかった。一人の同じクラスの女子が担任に伝えて、なんとかしてほしいといったが、教師は「世間ではどこにもいじめはある。だからそれを認め、て耐える(我慢する)事が大事だ」と言うばかりで、何もしなかった。それを聞いて、その女子児童は「学校に対する不信」を募らせ、ついには登校拒否(不登校)になり、それが何年も続いているということでした。

 大阪のケースはやはり「いじめ」にあっていた男児が不登校になり、親ともどもに「転校」を求めたが、学校は許可しなかった、というより、それを聞かなかった。「とにかく、学校に来るように」の一点張りだった。(子どもが学校に来なくなると、教師たちは、「自分が否定された」と感じるのでしょう)まもなく、その男児は「自死」した。その後に及んでも学校や教育委員会は積極的に善後策を取らなかったばかりか、クラスの子ども達に「自死」の事実さえも知らせなかった。ぼくも教師稼業の真似事をしていた時、何度も同じような問題に遭遇したり、相談を受けたりした。そのとき、ぼくはまず、「学校には、どうしても行かなければならないということはない」ということは最初の段階で話した。もちろん、それが解決策であるという確信なんかなかった。でも、なにかの理由で「学校に行けない」「行きたくない」というのだから、その理由が学校やクラスにあるとするなら、問題はそちらにあると考えたからです。江戸以前は、ほとんど学校なんかなかったし、行かなかった子が大半だったという歴史事実を考えるといいでしょう。

 この「いじめ事件」の報道と同じ時期に、ぼくは youtube で高名な解剖学者の講演会の模様を見た。そこの講演会にはいろいろな大学からの学生が参加していた。おそらく五十人以上はいたかもしれない。はじめ、参加者の表情を見て、「中学生?」と思ったほど、如何にも幼い顔が並んでいた。Y氏は予め、参加者にアンケートをしていて「今、あなたは幸せですか。その理由はなんですか」というような質問に答えてもらっていた。アンケートの結果について講師は話した。参加者のすべてが「自分は幸福である」と答えていたことに驚いたという。「幸福の理由」の大半(あるいは、すべて)は、友人に恵まれている、家族と上手くいっている。困った時に相談する大人がいる」といったようなことでした。もちろん、不登校に悩んでいる「大学生」はこんな講演会には出てこないでしょうし、たった一人で講演会に参加するというのではなく、動員がかかっているような雰囲気があったから、この場には「自分は不幸です」という人は参加していなかったのでしょう。

 それはともかく、Y氏は「幸福と感じる根拠がすべて人間関係なんだ」と驚いたと言っていました。この「人間関係」を別の表現で言うと、「社会」です。あるいは「社会集団」です。幸・不幸の理由(根拠)が「人間関係」であるというのはどういうことでしょう。ぼくたちは、幾つもの集団に属しています。家庭・幼稚園・小中高校・大学・企業・サークル等々、そのすべては、社会集団として人為的に作られている組織です。もちろん、ボランティアの集団もありますし、趣味の集団(サークル)もある。でもそれらも、非公式ではあっても「人間関係」に支配されているのではないでしょうか。幸福や不幸の原因・理由の殆どが人間関係に依存しているとはどういうことか。この関係が上手く行っていたとしても、何かのきっかけで、一瞬に崩れる危険性があります。学校(クラス)を例に取れば、誰にも思い当たる節(ふし)があるはずです。

 昨日まで「上手く行っていた」のが、なにかの拍子で「仲間はずれ」に会う。「いじめ」を受ける。ぼくたちが幸福であると思い、不幸であると悩む、あるいは思い余って「自殺」することさえある、その境界というか、基盤は実に「脆(もろ)い」というほかありません。人間存在の根拠が、他者のたった一言によって左右されるというのは、どうしたことですかね。いじめを受けた子ども、その子どものいじめを、なんとかしたいと思い悩む同級生(クラスメート)、そのどちらに対しても担任教師や学校当局、あるいは教育行政側は、何をしなければならないか、(釈迦に説法)でしょうから、ぼくは言わない。言っても無駄という気もします。

 テレビ番組のなかで、亡くなってから七ヶ月後に教育行政担当者が児童宅を訪れた。大阪泉南市だった。最初はしおらしく「遅くなったが、お悔やみを」とかなんとか言っていたが、「息子はなぜ亡くなったのか」「どうして、転校を認めてくれなかったのか」「クラスの子達に自殺したことを、なぜ知らせなかったのか」と、そのこの母親から、幾つもの質問を投げかけられた。ぼくはここまで堕ちているのだ、と驚愕したのは、その問いただされたことごとくに「お答えは差し控えさせていただく」というものだった。お悔やみを述べるため(弔問)に、「霊前」にぬかずいていたのに、根っこでは、自殺した子どもいのちに一分の「哀悼の意」もなければ「尊敬心」の欠片(かけら)さえなかった、とぼくは直感した。役目上、仕方なしに「割の合わない立場」だという不平さえあったかもしれない。そして、教育委員会は「第三者(有識者)委員会」を立ち上げて、真相の究明に当たるということだった。なんで、自らが責任を持ってことに当たらないのかな。「学校なんか、消えてしまえ」と叫びたいね。

 ぼくも教師の端くれをしていた自覚はあったし、メシの種だったから、仇や疎かに仕事を考えていたことはないと、今でも言える。ぼくにとって、学校は「教室」の一つではあっても、すべてではなかった。何事であれ、学ぶことができる場、それが学校だった。人間関係が「人生のすべて」などと、どうして幼い子どもたちは考えさせられてしまうのだろう。学校に行けない子は「だめな子」だと、なぜ教師はいいたがるんだろう、この疑いというか不信は、ぼく自身も小学校から持ち続けているものです。「教師に近づきすぎるな」「学校とは距離を取れ」、その反対に「教師に不信感を持つ方がいい」「学校の餌食になるな」と、飽きることなく言い続けてきた。理由は単純です。学校だけが「社会」ではないからです。もっというなら、社会という人為的な制度や組織に自分を預けると、潰されることだってあるぞ、そんな気を持つ方がいい考えるから。自分の「幸福、不幸」の決定権を「人間関係」が握っている、そんなことなんかありえないんだ。そう思い込まされているだけ。「人間関係」や「社会」というものは、自分を殺さなければ、いつかきっと復讐される危険性をつねに孕(はら)んでいるのですよ。

 人間関係、あるいは社会だけが、一個人の行き場なんかではありません。もっと大事な、自分自身もその一部である「自然」というものを、忘れてほしくないですね。こんな事を言う時、ぼくは何時だって、何人もの人々(ほとんどは先輩です)を想起している。まず、映画監督の羽仁進さん。羽仁さんは幼児の頃から強度の「吃音」だった。言いたいことはスムースに出てこない。だから人との交わりが苦手で、いつもで「昆虫」と遊んでいたという。この事実は、ぼくにはとても大きな示唆を与えてくれました。羽仁さんは「昆虫と自分」という(共同体」を作っていたし、そこで命を育んでいたのです。後に、彼は映画製作に取り組み、素晴らしい昆虫の世界をぼくたちに教えてくれました。さらに、画家の熊谷守一さん。この人については何処かで触れています。画家として、さらに人間として実に「純粋」だったと思う。だから、ありや蝶々や猫や、その他の昆虫たちが気を許したんだろうね。

 人間関係だけで「幸福・不幸」を決めるようでは、人生の大切な宝物の半分以下しか見ていないことになります。「自然」というものを、人間が身ぐるみ預けてもいいものとして、ぼくたちはもう一度再発見しないか。犬でもいい、猫でもいい。メダカでも、花々でも、何でもかまわい。人間社会の網の目に入らない「自然」から「幸福感」を得られると本当に嬉しいね。(いつも通り、お粗末の一編でした)

 学校がなくなっても人間は生きていけます。でも、自然がなくなれば、その一分である人間も当然、消えてしまう。「昆虫との社会」を作ろうと、件の解剖学者は言っていたように思われましたよ。

_______________________

 闇バイト「日当百万」+俺だけどさあ…

【天風録】オレオレ詐欺の詩 20年前、親心を手玉に取る新手の詐欺が東京に現れる。「おれだけど、交通事故を起こした」。息子や孫を装って電話をかけ、修理代と偽って入金させる。「オレオレ詐欺」は新語としても知れ渡り、本紙読者文芸欄の入選作にまで現れた▲「それくらい」という詩だ。<子供が年々減ってきても/年寄りが年々増えてきても/オレオレ詐欺で年寄りが犠牲になっても/…>と続き、それくらいのことで騒ぐなと軽んじる風潮を問う。いつか、付けは回ると▲お見立ての通り、架空請求詐欺や振り込め詐欺と手を替え品を替え、はびこり続ける。今では特殊詐欺と、まとめて呼ばれる。関東や西日本で相次ぐ広域強盗もどうやら、その成れの果てらしい▲指示役がいて、遠隔操作で実行役を動かす構図も、組織から抜け出さぬように個人情報で縛る悪知恵も、特殊詐欺の一味とそっくりという。何の罪もない人を手に掛ける。ならぬ一線を踏み越えさせたものは何だろう▲例の詩は他にも、気になる世相を並べ立てている。家畜の伝染病、心を病む教員、自衛隊の海外派遣、子をいじめる親…。「大したことない」の成り行き任せで、後戻りできる一線を見失ってはいないか。(中國新聞・2023/01/28)

 コラムにあるように、「オレオレ詐欺」は二十年前辺りから始まり、さまざまな様相を見せながら、基本は相手の弱みや親心という心理につけ入り、多額の金品を詐取するというものでした。おそらく、この手の詐欺事件は人間集団発生以来、つねに繰り返されてきたところです。「自分だけは、この手の詐欺には絶対に引っかからない」という人ほど陥りやすい罠が用意されているのでしょう。多少なりとも「詐欺被害」を受けていない人はいないのではないでしょうか。かくいうぼくも、何度か被害にあった。だから、なにもいえないというのか、いや、だから一言あって然るべしと考えるのか。それはともかく、近年は、相当に手が込んでいるし、大掛かりになってきました。

 現下、盛んに報じられている事案(各地の強盗事件など)は、今日のネット社会の網の目を巧妙に利用した手口で、まだ全貌が見通せないほどの、広範かつ凶暴な犯罪行為を見せつけています。せいぜい、このような凶悪事件に巻き込まれないように、何かと準備する他ないのですが、それにしても、容疑者として逮捕された面々は、殆どが二十代の男性です。「正業につかないで、なにをしている」と言いたくなります。でも、彼らにとっては強盗や詐欺事件の「実行役」こそが、生業(なりわい)なのでしょう。「一口、百万円」と聞けば、身を乗り出す、そんな拝金至上の世の中、何処まで落ちる(堕ちる・墜ちる)か、まるで限界がなさそうです。

 「オレオレ詐欺」では時間もかかるし、現金が手に入るのに面倒な手続き(芝居)が必要とでも考えたか、「オレオレ詐欺」の同一犯(主犯格)は手っ取り早く金になる、「乱暴」「凶悪」強盗(「タタキ」というそうです)に鞍替えしたとも言われている。中心人物(準主役)は国外にいて、スマホ一本で「実行犯の手配」や「実行への指示」を行っていたらしい。この「指示役」の上に「元締め(黒幕)」がいるとも言われているから、既存のグループも含めた「反社的な集団」が噛んでいるのかもしれない。それにしても、いとも簡単に「棒切れ」や「弊履」のごとくに、人命が一瞬にして「芟除(さんじょ)」される狂態が島社会の各地で展開されているのです。

 一方で、今は「古典」となってしまった感のある「オレオレ詐欺」も、実は手もこんできたし、演技もなかなか洗練されて、今なお健在ぶりを示しています。つい最近の一件を以下に。

 「名前貸して」に応じて約4000万円被害 埼玉 春日部  春日部市の80代の女性が電話の男の話を信じて現金およそ4000万円をだまし取られ、警察は特殊詐欺事件として捜査するとともに、電話で金を要求されても応じないよう呼びかけています。/ によりますと、去年8月、春日部市に住む82歳の女性の自宅に団体職員を名乗る男から電話があり「全国に物資を送る活動をしていて、あなたの名前を貸して欲しい」と言われました。/ 女性が応じると、その後、別の男が電話をかけてきて「あなたが名義を貸した職員が勾留されたため、あなたも共犯者になる可能性がある。裁判費用を払ってほしい」と要求してきました。/ 話を信じてしまった女性は去年11月までの3回にわたって団体職員を装った男などに現金あわせておよそ4000万円を手渡し、だまし取られたということです。/ その後、相手と連絡がとれなくなったため先月、警察に相談して被害が明らかになったということです。/ 警察は特殊詐欺事件として捜査を進めるとともに、電話で金を要求されたら詐欺を疑い応じないよう呼びかけています。(NHK・2023年01月18日)

 同じ埼玉県内では、同種の事件が発生していました。女性は「『オレオレと言われず…』 4千万円のオレオレ詐欺被害」と報道。何とも素直というか、鴨がネギを背負ってやってきたというような、実行犯には「格好の標的」となっていたようです。「詐欺犯」が悪いのは言うまでもありませんが、「鴨ネギ」にも、一半の「科」があるというと「泣き面に蜂」どころか、被害者にどやしつけられること請け合いです。かく言うぼくも、「被害者」経験があるのですから、偉そうには言えません。被害額は、この女性の「二十分の一」程度でした。今を去ること四十年も前になりますか。いくらか利息がついている頃ですね。

 「さいたま市浦和区の無職の女性(76)が4351万円のオレオレ詐欺の被害に遭った。女性はオレオレ詐欺のことは知っていたというが、「実際に電話で『オレ、オレ』とは言われなかったから違うと思った」などと話しているという。埼玉県警浦和署が14日、発表した。/ 署によると、4月16日午後2時ごろから女性宅に複数回、長男や長男の会社関係者をかたる男らから『かばんが置き引き被害にあった』『お金を支払わなければならないから用意してほしい』などと電話があった。女性はこの日から26日まで計7回、自宅付近やJR両国駅(東京都墨田区)付近の路上で、長男の代理人を名乗る男女に現金計4351万円を手渡した。/ 電話連絡が途絶えたことを不審に思った女性が30日、県内に住む会社員の長男(52)の自宅を実際に訪ね、詐欺だと分かった。女性は『ATMを使った還付金詐欺も知っていたが、路上に呼び出されるパターンは聞いたことがなく、詐欺だと思わなかった』とも話しているという。(黒田早織)「2021年5月15日 11時06分」

 「石川屋浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」は、名代の泥棒だった石川五右衛門の辞世の歌とされています。史上最高峰の「泥棒」だった。最後は秀吉の、愛玩おく能わざる「千鳥の香炉」を盗みに寝間に入り、忍術が切れたのでお縄を頂戴し、釜茹での刑に処せられたとされます。金持ちから盗みを働き、それを「貧民」に分け与えたという義民義賊の歴史は洋の東西に認められます。島社会ででは「ねずみ小僧次郎吉」などもその一人でした。実際には、「義賊」というのは疑問だとされている。大名専門の盗みを働いたので、庶民は「義憤」を晴らしてくれた、「溜飲が下がった」という想いも手伝ってか、いつとはなく、そのような「義民」「義賊」の伝説が生まれたのでしょう。翻って、今日只今の状況は、言ってみれば、老人を騙し、時には惨殺してまで金品を奪う。人間の善意や尊厳を踏みにじる低劣そのものの犯行であり、額に汗することを厭う、遊び人の風体(ふうてい)がもっともふさわしい。、といっていられない状況下にあります。

● 石川五右衛門(いしかわごえもん)= 生没年不詳。安土(あづち)桃山時代の大盗賊。その伝記は明確でないが、一説に遠州(静岡県)浜松の生まれで、初め真田(さなだ)八郎といい、1594年(文禄3)37歳のとき捕らえられ、京都・三条河原で一子とともに釜茹(かまゆで)の刑に処せられたという。盗賊ながら、この空前絶後の極刑に、太閤(たいこう)豊臣(とよとみ)秀吉の命をねらったという巷説(こうせつ)が付加されて有名となり、浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)脚本に数多く脚色され、一大系統になった。劇化の最初といわれるのは貞享(じょうきょう)(1684~1688)ごろ松本治太夫(じだゆう)の語った『石川五右衛門』で、浄瑠璃では近松門左衛門作『傾城吉岡染(けいせいよしおかぞめ)』(1712)、並木宗輔(そうすけ)作『釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)』(1737)、並木正三作『石川五右衛門一代噺(ばなし)』(1767)、若竹笛躬(ふえみ)ら作『木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまのかっせん)』(1789)、歌舞伎では並木五瓶(ごへい)作『金門五山桐(きんもんごさんのきり)』(1778)をはじめ、『艶競(はでくらべ)石川染』『けいせい稚児淵(ちごがふち)』などがおもな作品である。有名なのは「山門の五右衛門」で知られる『五山桐』で、これを女に書き替えたものに『けいせい浜真砂(はまのまさご)』がある。また『双級巴』と『狭間合戦』をつき混ぜ『増補(ぞうほ)双級巴』の外題で上演されることがある。明治以後も小説や戯曲に多く扱われている。(ニッポニカ)

● 鼠小僧(ねずみこぞう)(1795―1832)= 江戸後期の有名な怪盗で、名は次郎吉。鼠小僧の異名は、鼠のように身軽にどこにでも出没したからといわれる。江戸・中村座の木戸番定七の子として生まれ、建具屋に奉公に入り、のちに鳶人足(とびにんそく)となるが、博打(ばくち)を覚え、資金に窮して夜盗を働くようになった。1822年(文政5)ごろから約10年間に100回、およそ1万2000両の金を、奥向きの警戒が手薄である大名屋敷を専門に盗んだ。芝居や講談では義賊として描かれているが、実際に貧民に施した形跡はない。32年(天保3)4月、浜町の松平宮内少輔の屋敷へ入ったところを逮捕され、同年8月、江戸中引廻(ひきまわ)しのうえ獄門になった。両国(墨田区)の回向院に墓がある。(ニッポニカ)

 歌舞伎「楼門五三桐」  絶景かな絶景かな 絶景かな 春の眺めは価千金とは 小せえ 小せえ
この五右衛門が眼から見れば 価万両 万々両 日もはや西に傾きて 雲と棚引く桜花 あかね輝くこの風情
ハテ 麗らかな眺めだなァ

 天下の盗人、いい気なものだという気もします。いまやこの「山門」は南禅寺の最大の売り物になっているのですから、わけがわからなくなります。古来、大本営や大本山には「曰く因縁」がつきもので、この南禅寺もしかりです。貴賓遍く帰依したとされる臨済禅の総本山で、京都五山の別格首位と祭り立てられています。その大本山の山門を我が物顔に「絶景かな、絶景かな」と大音声を挙げた五右衛門の末裔だか、後裔だかが、ところかまわず金目に眩(くら)まされて、あらっぽい強盗団となって愛九時を重ねているのです。時代は変わり、人智は進んだというものに、人間の本性(ほんしょう)はいささかもゆるぎもなく、悪事に奔走している世相に、五右衛門はなんと答えるか。「小せえ 小せえ」というに違いありません。あるいは大本山の祖、明庵栄西はなんというか。

● なんぜん‐じ【南禅寺】= 京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の大本山。正しくは太平興国南禅禅寺。山号は瑞竜山。正応4年(1291)無関普門を開山とし亀山法皇の離宮を寺としたのに始まる。足利義満のとき、五山の別格上位に列せられた。藤堂高虎造営の三門、国宝の方丈などのほか、小堀遠州の作と伝える枯山水庭園がある。江戸初期に以心崇伝が住した金地院をはじめ塔頭も多い。(デジタル大辞泉)

________________________

 「メメント・モリ(死を忘れるな)」

 <卓上四季>悪魔のささやき 初めから殺人者として生まれてくる人間などいない。そんな当たり前のことを教えてくれたのが、先日93歳で亡くなった加賀乙彦さんだった▼作家として死刑制度や社会問題に関する多くの著作を残した。「ある若き死刑囚の生涯」(ちくまプリマー新書)もその一つ。貧困や嫉妬などから犯行に及んだ死刑囚が、歌人となり罪と死に向き合っていく様は人のもろさと更生する強さの両面をつぶさに明かしていた▼福岡市博多区の路上で女性が刺殺された事件を機にストーカー規制法の限界を指摘する声が高まっている。容疑者が接近を禁じられていたにもかかわらず、事件が起きたからである▼加害者に衛星利用測位システム(GPS)を装着させる案も浮上するが、法令に反していない段階での装着を正当化する根拠に乏しい。万一GPSを外された場合は効果も期待できない。警察による巡回警護もおのずと人的な限界がある▼「悪魔がささやいたとしか言いようがない」。1954年に精神科医として一歩を踏み出して以来、多くの犯罪者と向き合った加賀さんが何度も耳にした言葉である▼恐ろしいのは、こうした自分ではないような意思が人をとんでもない犯罪へと走らせること。ストーカー対策ではカウンセリングも有効だろう。相談に乗ったり、注意したり、時には叱ったり。犯罪を防ぐのは悪魔につけ込ませない隣人の言葉である。(北海道新聞・2023/01/27)(写真は日経新聞・2023/01/17)

 この社会では「衝動殺人」という言葉がよく使われた。予(あらかじ)め殺害を計画した上でのことではなく、そのつもり(意図)がなかったのに、「ついカッとなって、やってしまった」というのでしょう。しばしば、「殺意」や、その具体的な「計画性」が問われるのが裁判。「未必の故意」という語も多用されている。「殺すつもりはなかった」のに、起こってしまったということ。武器を持参して相手に接近するのは、「殺意」があるからだとも言えるし、脅すために持っていただけとも弁明(釈明)できる。実際のところはどうだったか、誰にもわからないことだと思う。「確信犯」と自他共に認めているなら、裁判はそれほど困難ではない、そこでは「量刑」のみが争われるのだから。作家の加賀乙彦さんが亡くなったというニューを聞いて、ぼくは、とっさに二つのことを感じた。

 一つは、何度か加賀さんに会ったこと。本当はすれ違っただけだったが、たしかに挨拶をし、一言、二言の言葉を交わしたこともあった。当時、千九七十年台前後、学部生のぼくは文京区本郷に住んでおり、加賀さんも同地に居られた。夕食後のほぼ決まった時間に、東大前の古書店や地下鉄駅前のレコード店に顔をだすことが日課だった時代。加賀さんはもちろん、すでに小説を書いて居られた。ぼくは未読だったが、上智大学だかの教授としても、精神科医としても、あるいは小説家としても高名だった。(すでに半世紀以上も前になる)たったそれだけのことだったが、なにかあると、この小さな「邂逅」を思い出す。静かな佇まいを感じさせる「大人」が前に立っていると感じ入った。 

 もう一つは「冤罪」「死刑」「裁判」といった、実に深刻でもある問題群を小説の主題として真摯に書かれていたのだが、その「テーマ」とも言えるものが「メメント・モリ(memento mori)」だったということ。これはキリスト教の教えでもあったもので、加賀さんは「カトリック」の信仰者だったと記憶している。この言葉(格言・格律)は、人間の行動規範とも言えるし、基準ともなるものです。古代ギリシャ、ローマの早い段階から、人間社会では問題語として扱われていたことが知られている。多様な意味を含んでいたし、使われてもいた。

 ぼくは、学生時代にカント哲学を学んだが、そのなかでも、彼は「メメント・モリ」を自らの生活規範としていたことを知った。生きているとは、何時でも死が伴っているということ、あるいは「何時死ぬことがあっても、それを後悔しない生き方をせよ」、そんな意味のことを彼は書いていた。たしか、ドストエフスキーもこの語を使っていたと思う。「メメント・モリ」は、邦訳では「死を想え」「死を忘れるな」と訳されています。セ氏でワンセット、人つづきの過程として捉えておけということだったように理解していた。ある面では、ぼくたちは日常的に、この表現に身近に接しているとも言えます。自分ではなく、誰であれ、他者の死は毎日のように耳目に届く、そのたびに、濃淡の違いはあれ、「メメント・モリ」と復唱しているのです。この表現をタイトルにした書作は幾つか公刊されています。「メメント・モリ」について、ある辞書による解説を以下に。

● みひつのこい【未必の故意】= 法律用語。犯罪の実現とくに結果の発生を意図した場合およびそれが確実だと思っていた場合は故意であり,それを全く考えていなかった場合は過失になることに問題はない。しかし,この中間的な場合,すなわち,もしかすると結果が発生するかもしれないとは思っていたが,それを意図したわけではないという場合に,これを故意・過失いずれとみるかは問題である。このような事例は,すべての犯罪について起こりうるが,実際に問題になるのは,通常の殺人(かっとなって刺した場合など),自動車事故(暴走して事故を起こした場合など)などが多く,公害事件などでも問題になる(被害が出るかもしれないと思いながら操業・販売を続けた場合など)。(世界大百科事典第2版)

● 【死】より=…孔子や仏陀やキリストなどの活躍した古代世界においては,死をいわば天体の運行にも似た不可避の運命とする観念が優勢であったが,これにたいして中世世界は死の意識の反省を通して〈死の思想〉とでもいうべきものの発展をみた時代であった。例えばJ.ホイジンガの《中世の秋》によれば,ヨーロッパの中世を特色づける死の思想は,13世紀以降に盛んになった托鉢修道会の説教における主要なテーマ――〈死を想え(メメント・モリmemento mori)〉の訓戒と,14~15世紀に流行した〈死の舞踏〉を主題とする木版画によって象徴されるという。当時のキリスト教会が日常の説教で繰り返し宣伝していた死の思想は,肉体の腐敗という表象と呼応していた。…

【髑髏】より=…一方,西欧ではどくろを死の象徴としたのは遅く,15世紀になってからである。当時,〈死を想え(メメント・モリ)〉の思想と〈死の舞踏(ダンス・マカブル)〉の絵とが人々をとらえ,パリのイノサン墓地では,回廊の納骨棚にさらされた多数のどくろやその他の骨が人々に死が来るのは必定であること,したがっていたずらに生の歓びをむさぼることの空しいことを説いていた(ホイジンガ《中世の秋》)。デューラー,ホルバイン兄弟らが好んでどくろや骸骨を描いたのは15世紀末以降のことである。…(世界第百科事典における「説明・言及」)

 

 人間は間違いを犯す存在です。大小を問わず、人は必ず、生きている間に過ちを繰り返すものです。間違わない、過ちを犯さない、それは人間ではありません、それほどに人間の「弱さ」は完璧です。問題はどんな間違いを犯すかではなく、犯した間違いをいかに改めるかということにあるのではないでしょうか。「過ちては改むるに憚ること勿れ」(「論語・学而」)と哲人は言う。他文明では「It is never too late to mend.」と言っています。人間の弱さが避けられないことの証明にもなるでしょう。ぼくは、この駄文集録で度々「罪を憎んで、人を憎まず」ということを指摘してきました。これもまた、孔子の言だとされています。それ程に、「過ち(誤ち)」「間違い」から解放されないのが人間の条件(制約・限界)なのでしょう。犬や猫には「誤ち」はない、失敗はあっても、それを間違い(過ち)であるという自覚と、さらに犬猫社会に「共通の認識(コンシャンス・良心)」があるようには見えないのですから、ないも同然。樹木がなにかの理由(原因)で倒れるのも「間違い」「誤ち」ではないでしょう。人間社会のみが「罪の意識(良心)」を認めるのです。(好み方は、人間の側からする偏見かもしれない)

 なぜ、人間には「間違い」「誤ち(過ち)」が伴うのか、それが意識というものだと言えば簡単です。しかしこの「過ち」の自覚(意識)はもとから内在しているのではないことはいうまでもありません。裁判の核心部には「問責」というものがあります。犯罪の責任が問えるかどうか、それがまず確かめられることから裁判は始まります。罪の自覚や意識がなければ、その責任を問うことはできない。よくニュースになる「飼い犬が郵便配達さんを噛んだ」と、その際、犬に刑を課すことはできない。あるいは食餌を抜かされることはあっても、自分から反省して飯を食べないということはない。辛うじて、犬の飼い主が責任を問われるのです。

 このことを、一人の人間に移し(置き)替えるとどうなるか。罪を犯す(犬)のは(情動・衝動・情念)です。その持ち(飼い)主はだれですか。倫理の筋からすれば、罪を犯した当人ですね。でも、当人を裁けない場合は、誰を裁くのか。心神耗弱状態で、適切な判断は不可能だったら、罪は問えないこととなっているのが、現行裁判制度の根底にある思想です。誤解を恐れずに言います。人間は弱い存在だという、その意味は「情動」「衝動」「情念」という本能に根ざす感情は、あるいは当の本人ですら制御できないことがある。制御不能だったから、事件(犯罪)になるのです。犬(情念)と飼い主(当人)という構図が成り立たないことが起こり得る。普段は冷静だったが、なにかのきっかけで、「カッとなって」ということは誰にも起こりうることです。「あんなことをする人だとは信じられない」のは、自分の情動を管理(自制)していて、鎖でつなぐことができていた「人間」を見ていたからです。しかし、「衝動にかられて」(自制心が失われて)、つまりは「主人」から自由になって暴力に走った。だから、「信じられない」となるのです。

 「罪を憎んで、人を憎まず」としばしばぼくが言いたくなるのは、罪(情動と言い換えても構わない、これを加賀さんは「悪魔のささやき」と言われた)は確かに裁かれる必要はある、しかし、その「持ち主」とは言い難い、(当人ですら、どうすることもできなかったのですから)人間が裁かれるのは理にかなっていることか、問題はここにあるのではないでしょうか。幼児が銃を乱射して人を殺害したとして、誰が裁かれるのか。ぼくに言わせれば、第一には「銃」です。でも、銃に責任能力がないのは明らかですから、幼児に問責の矢は向かうでしょう。しかし、幼児も「銃並み」で「責任能力」はないとするなら、裁かれるのは誰かという問題が残ります。「保護者」ですか。

IIIIIIIIIII

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 米で4歳男児が銃振り回す 父親を逮捕、TVで生中継【ニューヨーク共同】米中西部インディアナ州インディアナポリス近郊のアパート廊下で、男児(4)が実弾入りの拳銃を振り回し、警察は17日までに保護責任者遺棄の疑いで父親(45)を逮捕した。米メディアが伝えた。警察に密着していたテレビ番組の生中継で男児の映像が放送され、衝撃が広がっている。  14日夕、銃を持った男児がいるとアパート住民から通報があった。引き金に指をかけて発砲するふりをする様子が防犯カメラに写っていた。駆け付けた警察官が男児の住居から銃を押収し、父親を逮捕。弾倉に15発入っていたが薬室に装填されておらず、すぐに発砲できる状態ではなかった。(KYODO・2023/01/18)

IIIIIIIIIIIII

 「恐ろしいのは、こうした自分ではないような意思が人をとんでもない犯罪へと走らせること」というコラム氏の指摘は、もっと深く考えなければならない問題を含んでいるように思われます。自分ではないようなものが犯した「犯罪」の責任を問われるのは「自分」なのだとするのが近代裁判精神の姿(思想)でしょう。報復主義と言ってもいい。それで、しかし、一体何が解決したのか・されたのか。なんともいえない後味の悪さだけが残ります。(ここから、幾つかの問題を検討しなければならないのでしょう。しかし、天候が悪くなってきたのと、猫たちが寒がっているので、その世話・養生もしなければなりません。かみさんは外出中。ひとまず、ここで駄文を閉じます。稿を改めて、いずれ続きを)

_____________________________________

 これからもずっと、これが私の人生です

 

 猫にまつわる話題を。新・旧聞の二件、あるいは三件かも。一件目はイギリスの街の一家の「猫シェルター」生活の一端の報道を。猫が百匹以上というと「101匹ワンちゃん」どころの話ではなくなります。どこかで触れておきましたが、ぼくは野良猫の「保護」活動をたった一人で始められた舞踊家の長嶺ヤス子さんに学んだつもりでした。最近の状況がわからなくて心配している。彼女は早い段階から、都内で野良猫の保護を始めた。近所の不満や非難もあり、房総半島にて本格的的な活動をされていた時期もありました。そこも諸般の理由から立ち退き、福島に腰を据えて再開されたところまではよく知っていたのですが、やがて、連絡も取れなくなり、やきもきしているところ。一方で、本業(舞台など)の方は、精力的な活動を展開されています。(左下「雪女」一日舞台の案内」

 イギリスの方(かた)は「一家総出」の活動で、とにかく半端ではないちからの入れ方です。洋の東西を問わず、この問題には、簡単な解決策はなさそうで、ある意味では「篤志家」の出番を待つ他ないような頼りなさがあります。問題解決のために求められる幾つかの選択があります。その一つが始まりました。遅まきながら、フランスではペットショップでの犬猫等の販売を禁止(2024年から)するという話で、それに刺激されて、この島社会でも、ペット販売から足を洗った業者が少なからず出てきました。別の問題として、「猫カフェ」なる商売も、ぼくには気になりますね。商売道具(商品)扱いしていること事態、動物虐待ですから。

 猫100匹以上と生活 英国の家族、全財産手放し自宅をシェルターに  イギリス・ノース・ヨークシャー州ファイリーという海沿いの町で、ある一家が100匹以上の猫たちと暮らしている。/ 始まりは、新型コロナウイルスの最初のロックダウンのあと、行き場のない猫を引き取ったことだったという。/ 以来、迷い猫を助けるなどし、去年1年間で猫の数が急増。自宅をシェルターに改造した。さらに、慈善団体「ファイリー・キャット・レスキュー(Filey Cat Rescue)」を設立し登録した。/ 猫を救うというミッションにはものすごく費用がかかる。それを賄うため、ティナ・ルイスさんと家族は、事業を売却し、車を処分。ティナさんの結婚指輪まで手放したという。/ 「これからもずっと、これが私の人生です」。ティナさんはそう話した。(BBC NEWS JAPAN・2022年11月16日)(https://www.bbc.com/japanese/video-63620760

 犬と猫がペットショップから消える日 半数以上の家庭がペットと暮らすフランス。この動物好きが多い国はいま、大きく揺れています。/ 再来年から、ペットショップで犬や猫の販売が禁止されることが決まったのです。

・ペットショップなどで犬や猫の販売を禁止する
・動物のショーケースでの展示を禁止する
・インターネットで一般の人が犬や猫の販売を行うことを禁止する(以下略)(NHK・2022年1月21日 18時07分:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220121/k10013442041000.html

 二件目です。こちらもイギリス在住の方です。長く行方不明になっていた猫が、ある日、予告もなしに帰ってきたというハッピーな出来事でした。昨日報道されたものです。拙宅の猫も、一昨年だったか、夜間、家を出たきり帰ってこなくなった子がいた。あちこち探したが、そこら辺りにいる気配がなかった。なんと、十日後に帰ってきた。探し回ったが心当たりもなく、途方に暮れたし、諦めかけていた、その時に、帰ってきた。その少し前に、この子を生んだ母猫と、やはりその子どもの黒猫が、ほぼ同時期にいなくなり、今もって帰っては来ない。事故の形跡もなさそうだし、実に不思議な事件でした。どこかで生存しているとして、親猫は未だ「避妊手術」をしていなかった。なにせ、五つ子を生んで、二週間ほど経った頃(授乳中)の出来事でしたから。ひょっこり顔を出すのではないかと、淡い期待を持っている。こんな経験をしていた矢先の、イギリス版「猫、帰る」でしたから、その動画に、見入ってしまいました。

 失踪した飼い猫と74日ぶりの再会、監視カメラがとらえ 失踪してしまった猫が74日ぶりに家に帰り、飼い主と対面した瞬間が、自宅に設置されていた監視カメラに映っていた。/ 英ヨーク在住のアマンダ・アップルゲートさんが飼っている猫のロディーは、昨年10月13日に家からいなくなってしまった。/ しかし12月26日、ロディーが自宅の庭に戻っているところをアップルゲートさんが発見。74日ぶりの再会となった。/ アップルゲートさんは、監視カメラがその瞬間をとらえていたことについて、「今見返しても涙が出てくる」と語った。(BBC NEWS JAPAN・2023年1月24日)(https://www.bbc.com/japanese/video-64382757

IIIIIIIIIIIIIII

 家出をして帰ってこないからと、簡単に諦めてはいけないという実話です。昨年の五月、神戸で実際にあった出来事です。最近は怠っている「散歩」、そろそろ開始しようと考えています。上述した「行方不明の親子猫」、最近も、散歩途中であちこち、探し回っていました。保護猫のたまり場が近所にあり、そこにも時々「キャットフード」を持参しながら見てはいたのです。行方分からずから、二年もたっての再会、さぞかしと、まるで我がことのように嬉しくなりました。こんな猫たちを見るにつけ、虐待され、「処分」される猫のことを思うと、寒気が止まらないですね。犬や猫(だけではない)が不憫に扱われている環境で、人間が穏やかに暮らせるはずもないのです。「いのち」のつながりを、さらに突き詰めていきたい、ぼくごときに、できることはしれてはいるのですが。

「家出猫」と2年ぶり再会、きっかけはインスタ 法要済ませ諦めていた飼い主は号泣  「◆2年ぶりにうちの子が」-。12日付本紙朝刊「イイミミ」(一部地域は11日付夕刊)に、こんな見出しの記事が載った。家出した飼い猫が2年ぶりに見つかったとの内容だった。喜びの声を寄せたのは兵庫県丹波市の主婦、足立鈴子さん(74)。「まさか」の再会を果たした愛猫チャコは約1年半、保護猫として育てられ、命をつないでいた。(真鍋 愛)/ 大の猫好きで、迷い猫を保護しては自宅で飼っていた鈴子さん。チャコは約9年前、三木市に住む長女の孝子さん(47)が知人から譲り受け、鈴子さん宅にやって来た雌猫だ。/ チャコは鈴子さんや夫の保夫さん(78)が他の猫をかまうと、「ネコパンチ」をお見舞いするほどの焼きもち焼き。散歩が大好きで、朝5時には、眠っている保夫さんの肩をたたいて「窓を開けろ」とせがんだ。気が済むと家に戻り、ご飯を食べて眠るのが日課だった。(以下略)(神戸新聞NEXT・2022/5/18 )(https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202205/0015309195.shtml)

_________________________