
睦月も本日が最後。「速いですね」というのも可笑しいくらいに、時間は誰彼構わず刻まれている(それは、人間の仕業(錯覚)で、時間は永遠の停滞であり、瞬間の連続にすぎない)というのは約束事で、実際は、何も過ぎ去ってはいないのだ。「月日の経つのは夢のうち」と謳った浦島太郎は、自覚の有る無しにかかわらず、「時」というものを正確に実感していたのでしょう。彼の寿命は百歳だったか、三百歳だったか。あるきっかけで、海中の「竜宮城」に出かけた。「助けた亀に連れられて」と、酸素マスクもなく海中深く潜航の旅をした。学生時代、新宿の歌舞伎町に「竜宮城」というキャバレーがあった。友人と出かけたら、「鯛(たい)や鮃(ひらめ)の舞い踊り」と賑やかに宴を送って、乙姫様の大歓迎で、とても高い滞在費を取られたことを思い出しています。このようなえげつない「乙姫商売」は依然として花盛り。いささかも時間は過ぎていないんですね。

と、寝言を言っているうちに、二月(如月・きさらぎ)を迎えました。「如月」の語源に関してはいろいろな説が、古来入り乱れています。それに関しては二月に入ってからの「駄文」に譲ります。「雪の睦月」だったし、二月も、一年でもっとも寒い月という言い習わし?もあり、いよいよ健康に気をつけてという頃合いになりました。能登半島の降雪による「断水」はまだ続いています。日常が崩される、乱されると、ぼくたちはいやでも「平凡な日常」のありがたみ、確からしさを、改めて見直すのです。「当たり前」が何よりと、安堵するのに、時が経てば、「日常はつまらない」と不満や不平を垂れる。いかんともしようもない愚かしい「霊長類」だと、ぼくは考える。「平凡」が何よりと、それを徹底していけば、否応なく「非凡」になるし、最初から「非凡」を狙って「平凡」に墜ちる、そんなことの繰り返しですね。

もうすぐ「早春」です。そして「早春賦」が耳元で流れる時節になったことを、ぼくは鶯(うぐいす)とともに喜びたい。「春は名のみの 風の寒さや」と、もう何十回、しみじみと謳ってきたことか。ここでも、少しも時間が過ぎているという感覚は、ぼくにはない。過ぎるのは「現象」であり「玄象(げんじょう)」である。いやもっというなら「幻想」にほかならないとも感じている。「夢幻」と言うものかもしれません。謡曲の幸若の「敦盛」に「人間五十年けてむの内をくらぶれば夢まほろしのごとくなり」、「けてむ」は「下天(げてん)」で、天上界の最下部の「人間世界」を指します。信長は、しばしば好んで、これを「舞った」と伝えられ、「人間五十年」が人生の相場とされてきました。四百年経って、今では相場は「二倍」に延びましたね。
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徒然日乗(CI ~ CV)
◯ 2023/01/29・日=夜半すぎから降り出し、朝にはすっかり雪景色だった。しかし、やがて日が出てからは、路面の氷雪は溶け出し、車の運転には差し支えがなくなった。昨冬は一度も降らなかったが、今年はどうだろう。北海道のある地域ではマイナス三十度を超える(下回る)ところがあったし、マイナス二十度程度はいくらもあったようだ。今年は例年に比べても、とても寒い冬なのかもしれない。石川県内では断水や停電はまだ続いている。もう七十年以上も前の少年期前の能登半島の雪景色を思い出して、いろいろなことを想像していた。隣町は輪島でした。気になっていたので、京都の姪にメールで様子伺いをした。市内では相当に降ったそうだ。(徒然日乗・CV)

◯ 2023/01/28・土=必要があってはがき印刷に取り掛かろうとしたが、プリンターが上手く働いてくれない。これまでも、パソコンに接続して使う印刷機に満足したことがない。ぼくだけかと思うと癪にも触るが、多くのユーザーがそうらしいので、腹も立たないのではなく、どうしてこんな「不良品」並の品を売るのだと怒りがこみ上げる。もちろん個人のささやかな使用に供するものだから、何十万もしない、極めて廉価(高級品から見れば)かもしれぬが、故障や機能停止が多すぎる。メーカーに問い合わせようとすると、あまりにもユーザーの問い合わせが多いからか、容易につながらないし、中には電話受付けを一切しないところもある。不親切ですね。商品に自信がないんじゃないのといいたくもなる。朝からいじりまわして、なんとか動き出した。しかし、当方のミスだったのだろうか、「印刷葉書」をインクジェット用にしなかったので、とても汚いものになった。なかなか思うように段取りが捗(はかど)らないのは当方の衰えと思われて、なんだか心配にもなってきます。(徒然日乗・CIV)
◯ 2023/01/27・金=列島を南岸低気圧が通過するとの報道で、さらに積雪や凍結に注意が必要と懇切丁寧な呼びかけ。それでも、いろいろと障害が起こる。にわかな準備では間に合わないのが「災害」です。水道管は地中に埋められており、そのどこかしらで「破裂」しても素人には防ぎようがない。列車の立ち往生に関しては、積雪でポイントが凍結するだろうという初歩的な判断ミス(要するに、降雪なんか、大したことではないという、運行業者の舐めた態度)が、恥ずかしい災害を発生させたし、閉じ込められた何百人の中には「大被害」を被った人もいたでしょう。何でもないことで、しかし思わない事故や危険が生まれるという「備えあれば、憂いなし」ではなく、「備えあっても(備えあるから)、憂いあり」と思い定めるべきではないですか。原発などはその「好例」になるのだが。今のままだと、必ず「第二の福島」が起こるだろう。(徒然日乗・CIII)

◯ 2023/01/26・木=各地で積雪被害が続いていると報道されている。列車の運行停止(列車内での閉じ込め)、高速道路などでの交通渋滞など、所によっては半日以上も通行・運行不能になるケースも、これも昨年、各地でしばしば見られたことでした。あるいは風雪(吹雪)による交通事故などなど。毎年のように襲ってくる寒波に、これまた、毎年同じように天から降って湧いたように「被害」対応に大童。一体これはどういうことなんだと、我が身に照らして感じている。さいわいにして、今のところ、当地では格別の異変もなく生活が滞りなく続けられますので、一安心です。でも、一旦緩急あらば、義勇公に奉じはしませんが、困っているに人々に微力を捧げたいし、不十分ながら、「備えあっても憂いあり」を先刻承知しておりつつも、そのための占守防衛に勤しみたいですね。この寒気団が一日も早く劣島の上空から立ち退くことを願うばかりです。(徒然日乗・CII)
◯ 2023/01/25・水=午前中は強い風も吹きましたが、雪も雨も降らなかった。各地では昨夜来の積雪でなにかと障害・被害が出ているようです。新幹線や高速道路、あるいは停電に断水など、たちまちのうちに「生活」が寸断される。あるいは、これで、案外自然の猛威にうまく応接していると言えるのかもしれない。ぼくのモットーの一つに「備えあっても憂いあり」がある。これで大丈夫というものはなくて、少しでも災厄を逃れればそれでよし、これだけで済んでさいわいだったと。よく「危機管理」を徹底してなどと言うが、管理できないのが「危機」ですから、そもそもそこから間違っているというべきか。もっと正確にいうなら、危機(自然災害など)は起こる、それは避けられないけれど、起こった時にどうするか、その備えを怠らないことを指すのでしょう。地震でも火災で、起こらないことを願うが、発生したら、被害を最小に留める、その工夫こそが「危機管理」ではないか。身の程を知るというのは、こんな場合にも欠かせない信条だとぼくは考えています。(徒然日乗・CI)
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