
地球の至る所で、寒波や豪雪が襲来しています。(夏季には山火事や渇水、熱波などが頻発している)もちろん、その多くは、自然現象として説明されますが、その被害が人間の生活におよぶと、それは単なる「自然災害」とはいえなくなるのはなぜでしょうか。この劣島では、昨年も北陸、東北、北海道地区などで豪雪がありました。その被害の広がりと深さにおいて、この数日間、ぼくは昨年の「映像」を見ているような錯覚を覚えたのです。寺田寅彦が言ったとされる「災害(天災)は忘れた頃にやってくる」は、百年前ならいざしらず、今日では「忘れる間もなく」やってきて、人間社会に大きな被害が生じるのです。今冬は始まったばかりで、各地で停電が発生している。今の生活で「電気」のない生活は考えられません。まさに「電化生活」が直撃されるのが今の「災害」ではないでしょうか。つまりは「文明生活」が直撃されて、手足がもぎ取られる状態が日常となっている、これを、ぼくは「耐寒」とか「耐乏」などとは言わない。ここにこそ、人間生活の根っこがあるということを忘れたくないのですね。縄文や弥生時代の人々に学ぶのだということですよ。

「災害に強い国造り」というものがあるのかどうか。水害に対処するために豪華過ぎる防水・防波建造物を乱立させる。巨額の税金を投入し(その内の何割かは、「水防」などとは無関係のピンハネによって、私腹を肥やすために、いつの間にか消えていく)、これこそ、つまりは巨額の税金の何割かを横取りすること、それが政治なのだというように、「国土強靭化」そのものを、自然の営みはあざ笑いながら、庶民の生活を急襲する、その一方で、政治家もまた時差医者を「あざ笑いながら」横取り、ピンハネ、略奪を繰り返す。いい商売があったものです。「公共事業」というなの「税金略奪行為」が世辞なんだ。
豪雪地帯に対しては「融水装置」の設置が関の山で、これまでにどれくらい続いてきたか、実に素朴な「屋根の雪下ろし」の苦行。恐らく数百年の停滞(そのまま状態・お手上げ状態)が続いている。道路の雪を溶かす装置が早い段階で装備されていながら、屋根の雪が人力でしか降ろ(さ)せないという、自動運転の車が行き交う時代、無人ドローンがミサイルを積んで飛ぶ時代、何という滑稽かと、ぼくは当該地区の人々の苦労をみやり、想いを寄せながら、政治の無策・無能を密かに笑っている。すべてがそうだというつもりはないが、この国の国政に携わる人間たちの「覇権主義」「名誉欲」「利益第一」などという、腐った姿勢や態度が、どれほど人心を澱ませてきたことか、他者を尊重しない態度が、いらぬ敵対関係を生むに至っているか。「公共」「公徳」「公民」「公務」などという、みんなで作る(共同する)からこそ「社会」であるという、その社会性が著しく毀損されたのは、かえすがえすも悔しいことです。ここでまた、学校教育の貧困かつ粗暴な「成績主義」を呪うのです。多くの政治家・完了・経済人たちは、こぞって(誇るべき高学歴」の所有者だという事実に、赤面こそすれ、そんな卒業生を生んだ「学校の恥」だと、どうして考えられないのだろうか。

社会は、もと「社交」とも言われていた。いわゆる交際・交流・交換・交渉など、簡単にいえば、人々の「付き合い」でなりたつ、一つの仕組み(町内会)です。その「仕組み」を支える「交際」や「交流」、付き合いがどこかで歪められ、軋轢を生じない人間関係が結べなくなる傾向がかなり増大しているのは、どうしてか。この年齢になって、今更のように「競争」「優劣」ではない「教育の再生」に深く思いを及ぼしています。
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徒然日乗(LXVI ~ LXX)
徒然日乗・LXX Shrinkという単語をよく聞く。「収縮」はその邦訳。ここで使うのが適切かどうか迷うが、本年の出生数はおよそ77万人と予測され、半世紀前の1973年生まれと比較すると、約三分の一。この人口が社会・福祉政策の基本だと見做すと、身の毛も弥立(よだ)つと、大仰臭くとも、ぼくは震えるのだ。「国家の屋台骨」を支えるべき「人口」が極端に縮んでいるのに、かなりの政治家はほとんど関心を示していない。莫大な借金の上に、防衛費という名の「戦争ごっこ代」の奪い合いの乱痴気騒ぎ(orgy)に反して。だから、身の毛が弥立つのだ。急減傾向はさらに続く情勢にあって、さて、諸人が身命を賭して「守るべき祖国」が存在し得るのかどうか。遠からず「国家消滅」に至る。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)「それほどの祖国は、オイラにはないね」と、ぼくは反応します。(2022/12/25)

徒然日乗・LXIX 一人の国民でありながら、政治や政治家の動向を仄聞していると、救いがたい心境に襲われます。総理大臣が、いわば側近官僚に「拉致」され、まるで身ぐるみ拘束(梗塞)されて、当節は「官僚傀儡政権」とでも称するほかない自滅状態に陥っています。言わずと知れた「経産省内閣」であり、「経産省政治」の傍若無人ぶりを見せつけられている。その経産官僚支配の背後には米国がいるという「日米安保体制」の歪んだ完了型がここに見て取れる。原発問題、防衛費増額問題、その他諸々、「現下政治課題」のことごとくが、ほぼ数人の「官僚」に掌握されてしまっている。この「歪(いびつ)体制」は二十年以上も続いていることになる。ごく一握りの官僚は「無能内閣」を操り、省益を優先して誇ってきたが、国内だけでは扱いきれない課題が陸続と生じて、やがて、その殆どの「大計画」は失敗に帰した。おのれ一個の「名誉挽回」「失地回復」の手段に国政を「乗っ取った(take over)」し、「牛耳っている(dominate)」のだ。行く先には「瓦解」が待っている。(2022/12/24)
徒然日乗・LXVIII 大雪のために停電した家中から、駐車中の車で「暖を取ろう」と、一人の女性がガス中毒死したニュースがあった。少し気をつければ、命を落とさなかったのにと、他人事ながら悔しい。同じように、除雪中に側溝に落ちた、屋根の雪下ろしをしていて、落下し、雪の中から遺体が発見された、毎年のように、似たような事件や事故による死亡が絶えない。ぼくは若い頃、群馬や長野、宮城などに車でスキーに出かけたので、雪の怖さを経験している。無理はしないことは雪道に限らない。アクセルを踏みすぎない、ブレーキは踏まないなど、雪道の運転をイロハから学んだのも、実際の経験による。危険な目にあったこともある。だから、先ず無理はしないこと、細心の注意を払ってもなお、「念の為」を欠かさなかった。車は便利だし、生活には不可欠だからこそ、「便利」に足元を救われたくないのだ。「自分の命は自分が守る」、この島の「鉄則」なんだ。(2022/12/23)

徒然日乗・LXVII 本日は「冬至」だそうです。一年でもっとも昼が短く、夜が長い日。千葉地方の「日の出」が六時四十四分、「日の入り」が十六時三十一分。これを境に、日の出時刻が少しずつ早くなる。本格的な寒さが到来したという気もします。北陸地方の豪雪は大変なもので、雪を降らせないようにはできないにしても、もう少し雪による日常生活の「中断」をなんとかしたいと思う。当地は数年に一度、ほんの申し訳程度に「積雪」(というほどでもない)があるだけでも、停電はするし、断水もある、道路は通行不可になる。一日二日で雪が消えるからいいようなものの、これが三日も五日も続くとどうなるか、ぼくはいつもそれを考える。怖いわけではないが、日常が「中断」されることが我慢できないのである。(2022/12/22)
徒然日乗・LXVI 日銀の国債(国・政府の借金)保有率が五割を超えています。五百兆を超える国債を中央銀行が保有して、ようやくこの国の政治が成り立つという前代未聞の「闇金政策」が続いてきました。「バカも休み休み言え」の見本のような「異次元緩和」の金利水準が、ようやく溺死状態から救い出されるのかどうか。命脈は保っていけるのかどうか。仮に、自呼吸ができるとしても、あらゆる装置や医者を準備して置かなければ、一刻の猶予もならない事態に入っているのです。硬直(瀕死)状態にある病状が、さらに悪化するのか、この危機を乗り越えられるのか、誰にも予断は許されていない。悲しいことに、まともな医者がいないのだ。(2022/12/21)
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