「災害との戦い」を放棄していないか

 まともに国会も開かないで、物事が強引に決められていく。国防費倍増も原発再稼働・新増設も、いろいろな理屈をつけた諸々の「増税」の決定も。議論がなく、議論の場がなく、諸党こぞって、ひたすら狂態を演じる「大政翼賛」の回り舞台である。何十年も前からぼくは、この島には与党と野党があるが、野党は「共産党」のみ、と言ってきた。強弁でも何でもない。現下の惨状はそれを明示している。権力に近づき、権力に阿(おもね)る、これを「曲政阿世」とぼくは呼ぶ。「政治の筋を歪曲」し、まさに「世人・世評(投票者)に阿る」だけの政治と政治家だからである。ぼくにはまったくわからないことがたくさんあるが、権力を握る・握りたいという「魂胆」などは、その最たるもの。なにか嬉しくて「権力掌握」を求めるのだろう。ぼくに言わせれば、政府はいらないし、もちろん国会もいらない。もっと言うなら「国」などという「金食い猛獣」なんか不要の第一候補だろう。そこから始めて、政治の根っこに戻って、少しはまともな仕事をしたらどうか。(左は時事通信・2022/12/16)

 日銀が動いた、いや動かされた。肩肘張って、強がりを言ってるが、「異様な金融緩和(異次元緩和)」を続けるつもりなら、容赦はしないぞ」と世界のマーケット筋からドスを突きつけられたからです。にっちもさっちもいかない場面が、さらに厳しくなって続くのは避けられない。国家破綻の瀬戸際を、果敢に「綱渡り」する力技をもったリーダーがいるとは思えませんから、近いうちに「破局」を迎えそうな気がして、ぼくも逃げ場を失っていることを知っているから、実に暗澹とした思いに駆られている。(日銀総裁は口が裂けても「金利引き上げ」とは言えない。理由はおのれの「間違った金融政策」を認めたくないから、その一念だけで、国策を誤誘導してきた罪は実に重いね。(彼もまた、「真っ赤な嘘つき」だった。おのれ一個の名誉欲しさに「アベガー」に躙(にじ)り寄り、しがみついたのだ。「金利幅上げ」は、亡霊、貧乏神のような呪いになって、この国に取り憑いていた「アベノミックス」の絡繰(からく)りが、跡形もなく壊れたと瞬間でした。ここから、庶民にとっては「煉獄」の苦しみが始まるのだ)(政治の不作為による生活の困窮・困難も「災害」だ。豪雪・豪雨も、言うまでもなく「災害」です。「国防」とは、ありもしない「敵」をでっちあげて「おだを上げる」ことじゃないのは誰も知っている、知っていてほしいね。自然災害から「生活を守る(防衛する)」、これもまた、紛れもない「国防」だと、知っているんですか、各方(おのおのがた)よ。

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 徒然日乗LXILXV

徒然日乗・LXV  北陸地方、分けても長岡方面の積雪は半端ではない。まる一日かけても、雪の道路は止まったままである。昨年もまったく同じようなニュースを見た気がします。車中に閉じ込められ、食事もトイレもままならない、寒中の耐乏が続くのだ。また、ある地域では豪雪のために停電、暖を取るために車に乗ったまま、「ガ一酸化炭素中毒」状態の女性が死亡した。屋根からの雪下ろしで墜落死した男性もいる。まるで、年中行事のような悲劇が続く。政治も行政も手を拱(こまね)いているだけ、必要としている人に「手が届く」支えも、徒に拱手傍観の為体(ていたらく)である。国民の「安心安全」を 守ることが最大の「国防」だと、一体どの口でいうのだろうか。当たり前の「国防」が泣くというもの。 (2022/12/20)

徒然日乗・LXIV 夜中に猫が起こしに来る。耳にしていたイヤホンから、アルゼンチンが「2対0」と聞こえてきた。前半終了段階での中継放送の声でした。その時、時刻は午前一時すぎだったか。後半戦が始まっていた。仕方なしに、起きてから、軽く「おやつ」を少し出して、また布団に潜り込む。実況が聞こえている。なんとフランスが立て続けに2点を奪取して同点。また眠り込んだようです。しばらくして、「(フランスの)4人目が外した」という放送。延長の末のPK合戦だった。この段階で「アルゼンチンが勝った」と理解できた。事程左様に、サッカーには燃えないんですな。でも、後でゆっくり考えて、メッシ選手もエムボペ選手も、なんとも凄いんだなと、わかりかけた。半睡半醒状態の「WCサッカー決勝戦」の聴取だった。(2022/12/19)

徒然日乗・LXIII 日米主従関係(さらにつづける)繰り返し述べるように、戦後の一時期に、今のような非独立国、米国追従国への選択がなされた。「日米安保条約」改定が行われた1960年がそのきっかけだったが、その準備段階があったのですが、戦後も早い段階で、どこまでも米国と運命をともにするという方向性が選択されたのだ。石橋湛山内閣が短命に終わった後に、岸信介が後継者になった。かえすがえすも悔やまれるのは、総裁選挙で、岸と対抗するために「二・三位連合」をはたした石井光次郎を湛山内閣に加えなかったことだった。仮定の話だから、あまり意味はないが、アメリカ一辺倒という選択がどうなっていたか、ぼくはときとして、この運命を考えたりしている。(2022/12/18)

徒然日乗・LXII 高知県内で明治生まれが一人もいなくなったという記事を読んだ。最後の一人が昨年の十二月に死去。百十一歳だった。まさに「明治は遠くなりにけり」となった。中村草田男は明治三十四年生まれ、句作は三十一歳だったとか。彼の詠んだ時からは「遥かに、遥かに遠く」なった明治。防衛費問題の砂埃がまだ湧き上がっている。明治生まれが始めた「戦争」に駆り出された大正生まれの人々。まるで「捨て駒」だったという。圧倒的多数が戦争に斃れた。望むべくもない「未来の戦争」に駆り出されるのは、どの時代生まれだろうか。大多数の昭和生まれの国会議員が「戦争のできる国」突き進み、挙げ句に、その尻拭いをさせられるのは誰だろうか。歴史を学ばないとは、「規矩」のない泥濘(ぬかるみ)を暴走するのと同義だ。(2022/12/17)

徒然日乗」・LXI 福島原発事故からまもなく十二年目に入ります。この十年余、なにが変わり、なにが残されたのか。こと原発問題に関しては旧態依然どころか、毒を食らわば皿まで、と眦(まなじり)を決して、原発村は再稼働・新増設に猪突猛進。事故が起こることは誰もが危惧している。それがいつ起こるか、今日か明日か、はたまた十年後か。先のことはわからないのだから、今やれることをするだけという刹那主義、まるで「神頼み(ケ・セラ・セラ)」の政治が続いている。あらゆる分野には「有識者」が掃いて捨てるほどいる(らしい)。塵として集められた「有識者」は権力のお先棒や片棒を担いで、八百長会議が終われば捨てられる。新たな塵は無尽蔵に生み出される。不思議なことに「払底」することはないのだ。まるで、始末に負えない核燃料の廃棄物のごとし、ですな。(2022/12/16)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)