夏の「線状降水帯」に続いて、冬は「線状降雪帯」が続発している、そんな記事が出ていました。公式には「日本海寒帯気団収束帯(JPCZ)」というそうです。当然、豪雨と豪雪のメカニズムはいささか異なります。でもどちらも「地球温暖化」の影響を直接受けている点では同じような理屈も成り立つのでしょう。昨年も、北陸地方では大変な豪雪が続き、日常生活が寸断されたという記憶が蘇ります。まさに、間をおかずの「豪雪」の再来です。(https://www.youtube.com/watch?v=h-f7qGdjXfI&ab_channel=ANNnewsCH)
福島、新潟で記録的大雪 国道で車立ち往生も 日本列島は19日、強い冬型の気圧配置と寒気の影響が続き、福島、新潟両県などで記録的な大雪が降った。新潟県では除雪作業中の2人がけが。柏崎市の国道8号では一部で車の立ち往生や渋滞が発生し、約22キロが通行止めになった。20日に雪のピークは過ぎるとみられるが、気象庁は引き続き積雪や路面の凍結による交通障害に警戒するよう呼びかけている。(以下略)(共同通信・2022/12/19 23:03)左写真:大雪の影響で車が立ち往生した新潟県柏崎市の国道8号=19日午後(にいがたLIVEカメラHPより)

雪は冬の「風物詩」などと呑気が過ぎる受け止め方が、雪害に襲われている人にとってはどんなに情けない懐いをさせているか、一度でも、雪国に住んだ経験があれば、呑気が罪になると気づくはずです。ぼくにも、わずか数年ですが、石川と京都で暮らしていましたから、降雪・雪害の厳しさは忘れられない。しかし、近年の「JPCZ」がもたらす豪雪は、そこに住む人々には、もはや「死活問題」だというべきなのでしょう。二日(48時間)で百センチ以上も雪が降るというのは、異様というか異常というか。どんなに豪雪のメカニズムを説明されても、なるほど、そういうことだったかと納得して終わらないどころか、屋根の雪下ろし、道路の除雪作業と、想像を絶する重労働を厭っている場合ではないのです。昨年だった、島根県で、港に停泊していた漁船が、雪の重みで沈没したというニュースも覚えています。屋根の雪の重さで家が壊れる、雪下ろし作業中に、屋根から落下して死亡という悲報も絶えません。多くは、高齢者だというから、悲しさはひとしおです。かかる事故がかくも毎年続くと、雪の降らない場所に移住したくなると痛切に感じられるかも知れません。豪雨や豪雪のニュースをエアコンの効いた居間などで見ているのが、なんだか許されないような気になるのですから、ぼくなどでも、自然災害の猛威が骨身に答えているというのでしょう。
たしかに豪雨や豪雪は、これまでは「自然災害」とされていましたし、今日でもその部分がまったく消えたわけではないでしょう。しかし、近年の豪雨や豪雪は、言うまでもなく「地球温暖化」が原因であります。この因果関係についてとやかく言う人がいますが、間違いなしに「温暖化と災害」の結びつきが証明されてきた以上は、必要以上に温室効果ガスを使い続けてきた「工業化」時代の弊害を、この段階ではっきりと認めて、さらなる温暖化防止のための戦術を実施すべきだと思うのです。個人だって、できることはある。便利は快適だという、根のない「便利さ」追求の生活も、大きな曲がり角に来ているのです。

JPCZ(日本海寒帯気団収束帯) JPCZとは…Japan sea=「日本海」Polar air mass=「寒帯気団」Convergence=「収束」Zone=「帯」の頭文字をとったものです。/ 冬型の気圧配置が強まると、シベリア大陸から冷たい風が日本海に流れ込みます。この冷たい風は、朝鮮半島北部に位置する長白山脈(最高峰:白頭山2744メートル)によって、いったん二分されますが、その風下である日本海で再び合流し、収束帯(雪雲が発達しやすいライン)が形成され、雪雲が発達しやすくなります。/ この収束帯のことを「日本海寒帯気団収束帯(JPCZ)」と言います。こうしたJPCZの影響を受けるのは、主に東北南部や北陸、山陰などです。JPCZによって雪雲が発達しやすくなり、その雪雲が次々と流れ込むため、大雪となることが多々あります。 夏は「線状降水帯」冬は「JPCZ」に要注意! 近年、豪雨が続き急速に知名度を得た「線状降水帯」のように、毎年のように大雪が続けば「JPCZ」も市民権を得る日が近いかもしれません。/ 「JPCZ」と聞いたら大雪に備えるようにしましょう。(tenki.jp)(https://tenki.jp/suppl/tenkijp_labo/2022/01/13/30864.html)
「天災(災害)は忘れた頃にやってくる」という趣旨のことを盛んに言っていたのが物理学者の寺田寅彦でした。以下に、彼の「天災と国防」という評論のごく一部を引用しておきます。よく読まれたもので、今でも、その内容からくる問題意識には十分に我々に与えるところが大きいように思われます。書かれたのは昭和九年。すでに大陸で戦争が始まろうとしていましたし、その前後の年でも「自然災害」が頻繁に起こっていた時代です。「国防」には必要以上のエネルギーを使うが、「防災」には、いまだに「後始末」に追われる「始末」という政治状況は、寅彦氏の描いた九十年前とどれだけの違いがあり、どこがどれだけ進んだのか、大いなる疑問を持つのです。

「国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は現に政府当局の間で熱心に研究されているであろうが、ほとんど同じように一国の運命に影響する可能性の豊富な大天災に対する国防策は政府のどこでだれが研究しいかなる施設を準備しているかはなはだ心もとないありさまである。思うに日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。陸海軍の防備がいかに充分であっても肝心な戦争の最中に安政程度の大地震や今回の台風あるいはそれ以上のものが軍事に関する首脳の設備に大損害を与えたらいったいどういうことになるであろうか。そういうことはそうめったにないと言って安心していてもよいものであろうか。
わが国の地震学者や気象学者は従来かかる国難を予想してしばしば当局と国民とに警告を与えたはずであるが、当局は目前の政務に追われ、国民はその日の生活にせわしくて、そうした忠言に耳をかす暇がなかったように見える。誠に遺憾なことである」「人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である」(寺田寅彦「天災と国防」昭和九年十一月、経済往来。「寺田寅彦全集 第九巻 所収」岩波書店1961)

もう一つ、これもすでにどこかで触れています。「山びこ学校」開巻冒頭の詩です。「やまびこ学校は」、山形県の山元村の中学校における「教師と生徒たち」の三年間の学習記録でした。この山元村もまた、豪雪地帯だった。今は、同じ県内の肘折温泉がこの劣島の最豪雪地として有名になりました。ありがたくない第一位ですね。雪は、人それぞれの思いや苦しさ・辛さの象徴でもあるようですが、はたして、現実に襲いかかっている豪雪は、それを経験している人にいかなる「記憶」を残すのでしょうか。雪よ、度を超えるな!と言ってみるが、いささかも通じないね。ぼくには念力がないからね。

● 山びこ学校=やまびこがっこう中学生の生活記録集。無着成恭(むちゃくせいきょう)編。1951年(昭和26)青銅社刊(1956年『新版・定本山びこ学校』百合出版刊)。山形県山元村(現上山(かみのやま)市)山元中学校の学級文集『きかんしゃ』の作品を中心に編まれた実践記録文集で、学級全員43名の散文、詩、日記、版画などが収められている。日教組文集コンクールで文部大臣賞を受賞した江口江一の作文『母の死とその後』などが代表的。貧しい山村の実生活のなかで、子供たちが感じる疑問を率直に取り上げ、学級で話し合い、ときにはデータを調べて書いたもので、担任の無着成恭は「あとがき」で「私は社会科で求めているようなほんものの生活態度を発見させる一つの手がかりを綴方(つづりかた)に求めた」「貧乏を運命とあきらめる道徳にガンと反抗して、貧乏を乗り超えて行く道徳へと移りつつある勢いに圧倒され」たと述べている。綴方を書くことによって自分たちの貧しい生活や現実社会に対する鋭い洞察力と論理的な思考力を養い、豊かな村づくりを目ざして率直に自分の考えを述べ合う子供たちを育て上げたところに、綴方教育を超えた人間教育があったと評価され大きな反響をよんだ。生徒の一人佐藤藤三郎(とうざぶろう)(1935― )は農業問題評論家、地域のリーダーとして活躍。(ニッポニカ)
何十年も前に流行ったアダモの「雪が降る(Tombe La Neige)」も、この豪雪災害不可避の時代に聴くと、まるで「冗談」か「悠長悲恋物語」のように聞こえてきます。(https://www.youtube.com/watch?v=jzSGQxFESSA&ab_channel)
_______________________________