困った時の神頼み、まずお賽銭を

 【南風録】お寺の前を通る時は門前の掲示板に目が行く。巧みな警句や、ほっとさせる励ましに出合うと書き留め、見返すことも多い。▼ありがたさ、ユニークさなどが光る標語を募るのが仏教伝道協会(東京)主催の「輝け! お寺の掲示板大賞」だ。5年目の今年、4000点余りの中から大賞を射止めたのは、京都市の寺の「武器を捨て 数珠を持とう」だった。戦争のニュースに明け暮れた世相を映しだしている。▼12部門の賞があり、その一つに、鹿児島県内からも初めて入った。南さつま市加世田唐仁原の浄土真宗本願寺派・顯證寺(けんしょうじ)が掲げた「疲れたら休めばいいのよ」。眉間のしわを緩ませてくれるような優しさがにじむ。▼「お釈迦(しゃか)様でさえ苦行中に一息入れ、経典でも休養の大切さを説いている。癒やされる人は多かったと思う」。協会関係者のコメントが、寺のメッセージを補強している。▼宗教団体の活動の在り方が問われた年だった。信心を強要したり、信心が身近な家族を苦しませたりすることは決してあってはならない。ただ、か弱い衆生の身にとって「神様、仏様」の存在が支えになる日もあるのは確かだ。▼大掃除や仕事の締めが控える年末に向け、これから忙しさが加速する。正月準備の買い物も物価高で何かと頭が痛いが、心身万全に乗り切りたい。疲れたら休めばいいのよ。そう許されていると思えば、ちょっと楽になる。(南日本新聞・2022/12/19)

 毎年のように、ぼくはこのコンテストの結果に呆れたり感心したりしてきました。まだ小学生の頃から、教会やお寺の前の掲示板を覗くのが趣味となり、ここの牧師さんやお坊さんはどんな人だろうかと「宗教人」を勝手に想像していました。長じて、教会やお寺の関係者と付き合いができてから、世間にいくらでもいる「よくばり」だったり、「見栄っ張り」が多い世界だなあと、感心したり呆れたり。高校生になって、家の近くの尼寺の一室を借りて、本を読んだり、宿題をしたりしたことがしばしばありました。なかなか由緒ある尼寺だったと伺いました。そこにも掲示板があった。そこの庵主さんは当たり前に優しい人でしたし、その後も毎日のように我が家の前を通る際には「挨拶」を欠かさなかった、しかし、その人から仏教講話を聞いた覚えがありませんでした。小さな寺で、今も同じ場所にあるようです。たしか「寶徳寺」という名称だったが、間違えているかもわかりません。

 何度か触れていますが、ぼくが参列したお葬式や法事など、その殆どは仏教(浄土真宗や日蓮宗など)式で、お坊さんの読経(念仏)や講話も何度聴いたかわかりません。しかし、その殆どは、総理大臣の国会答弁と同じで、誰かが書いた文章を「棒読み」しているだけで、ありがたみを感じたことがないのです。「音読み専一」で、一体何を話しているつもりでしょうか、そんな疑問を坊さんにぶつけたことがありましたと言いたいところですけれど、ぼくのモットーは、なに業にかぎらず「営業妨害」をしないことでしたから、いまだに尋ねたことはない。訊いても無駄だという確信もあります。物心付く前に、報恩講(御講)というものに何度も接しました。坊さんが一段も二段も高い「講壇」のうえから、衆生(門徒)を見下ろして、難しい話をしている、その風景を今なお覚えています。(余計なことですが、講壇とか講師、あるいは講義や講演など、さらには講堂といったものまで、すべてが仏教寺院のしきたりや慣習から生まれたものであり、それは後に大学に受け継がれました。キリスト教でも同じでしょう)

 講義というものも、大学では不可欠の要素ですが、前歴はお寺からでした。多人数を前にして「語る」景色は、今日でも、いろいろな場面で見られますが、その前歴をみると、仏教や教会のものだっようです。それがいいか悪いかというのではなく、無知な人間に「いい話」を聞かせてやるから、静かに聞きなさいという、いやな雰囲気が充満していそうなことが、ぼくには近寄りがたいものと感じられたのです。お経を読んでいる坊さんに、「今なんと言った?」といつでも訊きたくなって仕方がありませんでした。「統一教会」を持ち出しては興ざめですが、今日の既成仏教や教会は、そのような物騒な団体とどれほど異なっているのですか、そんな疑問や不信をいつでも持ってきました。

 お寺の掲示板の警句や標語のようなものは、古くからありました。ぼくも小さい頃、門前で立ち止まって文字を追ったことがありましたから。でも、それが今日風に人口に膾炙(かいしゃ)していった元凶というと叱られそうですね、発端となったといいかえます、それは「相田みつを」さんではなかったかと、昔から見ていました。彼については、どこかで触れています。相田さんは真摯な仏教徒(在家仏教徒)でした。どこかで読んだのですが、小学生が相田さんの書を担任の教師に見せたことがあった。「こんな下手な字を書いて」とかいって、こっぴどく叱られたことがあったそうです。教師は、相田さんを知らなかったのだ。子どもが感心して持参したのに、悪しざまに相田さんを罵(ののし)った。なんとも心無い仕業ではなかったでしょうか。

 この相田さんの「書」が呑み屋などのトイレに飾ってあるのも、心無い仕業、その二ですね。このような「悪臭」いや、「悪習」のはしりは武者小路実篤の絵と文でした。もちろん、よくないのは作家自身ではなく、それを飾った人だったでしょうし、もっと悪いのは、そうするように仕向けた「商売人」ではなかったか。でも、とても「トイレ」や「呑み屋」には似合ったのです。ぼくが年中通っていた呑み屋の夫婦は、仲が良かったのか、喧嘩が好きだったのか、店でも言い争いがよく見られたが、そのトイレには「仲良きことは美しき哉」という、安っぽい実篤先生の複製が飾られていた。若い頃に、ぼくは実篤さんをよく読みましたが、しっくりこなかった。なぜだか考えたが、彼には「葛藤」がなかったということに気が付きました。だから、いいこと、よさそうなことばかり、平気で書け・描けたのだと思うようになった。武者さんが始めた「新しい村」も、その線上にあったと思う。ある種の「ヒューマニズム」だったのでしょう。でも、その実態はどうだったか、これは「ヤマギシ会」などにも通じることで、その志やよし、でもなにか無理があるような、不自然さがあったのではなかったか。(「統一教会」などとは決して遠くはなれていないのではという感じもありました)

● 相田みつを あいだ-みつを(1924-1991)=昭和後期-平成時代の書家,詩人。大正13年5月20日生まれ。生地の栃木県足利市で高福寺の武井哲応に師事し,在家のまま仏教をまなぶ。自作の詩を独自の筆法でかき,各地で展覧会をひらく。昭和59年刊行の「にんげんだもの」はベストセラーとなった。平成3年12月17日死去。67歳。本名は光男。著作に「おかげさん」など。(デジタル版日本人名大辞典➕Plus)

 「神」や「仏」は遍在しているという。ロシアにもウクライナにもいるらしい。ほんとかいな。この問題についてもどこかで綴っています。ロシアとウクライナの「神」は、兄弟なのか、敵同士なのか。尋ねても、牧師や教会はまともに答えない。答えようとはしない。戦時中のこの島の仏教界やキリスト教界もまた、「鬼畜米英」「五族協和」「王道楽土」を唱導し、「勝ってくるぞと勇ましく」と戦場に赴く兵隊たちを煽りに煽った。これもまた「仏」や「神」の「御業」だったというのです。そして敗戦後、「私たちは反省し、二度と誤ちを繰り返さない」と誓って、再び、もと来た道を歩いてはいないか。お寺や教会の掲示板を見る姿勢は、ぼくの中では訝しさが募ってくることを止められません。「説教」などと言うこと自体、そのやり方も中身もよくないと思うし、神仏は寺や教会にのみ「いる」という独占の態度が間違っているのでしょう。これをいえば、それこそ身もふたもない話です。通りがかりの人や門徒、信徒に向けて発しているという、その矢印の方向を反対にしたらどうですかと、ぼくは言いたいね。この「仏」「神」の言葉は「私に向けられている」と。

 「武器を捨て 数珠を持とう」、これはどういうことを指しているのでしょうか。ウクライナやロシアの兵士たちに呼びかけているのでしょうか。それで、その呼びかけは届くのでしょうか。ぼくは、まったく違った読み方をしました。誰であれ、この世に生きている者すべてに、「武器を捨て 数珠を持とう」というのではないですか。武器は、それぞれの時と場合では異なります。また「数珠」もそうでしょう。他者に向かうときに、ぼくたちは「武器」を持とうとしているのかもしれない。だから武器ではなく「笑顔」という「数珠」を持とうではないか、と。それでどうなるものでもないかもしれない。でも敵対しなくて済む可能性は生まれるのです。

 ぼくはキリスト教徒ではありませんから、「何と言う深い神の愛」を感じたという経験はありません。でも、神ならぬ人間の優しや愛おしさに心打たれることはしばしばです。そのような時、神を想うよりも、人間の心の広さ・深さに感じ入るし、人間であるうことの不思議さを実感する。もちろんその反対もある。ぼくは神も仏も信じてはいない、不信心・不心得者です。だからこそ、人間の精神(心)に宿る尊さ(尊厳)を見逃したくないのです。これは何々宗というものではないでしょう。でも、それとはまったく無関係であるとも言えません。(どっちだっていいことです)(大学生の頃、ある本を読んでいて「教会の外に救いなし」という一語に出会って、驚愕したことを忘れません。この「独断」が毒弾になっているのではないですか)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)