
国賊党に売国倶楽部 ― 少し前に自民党のある議員が、故元総理の「国葬」に参加するかどうかを問われた際に、参加しない理由として、この国を壊したような元総理は、丸で「国賊」じゃないかと記者に喋った談話が記事になり、「功績顕著な元総理に対する発言として、断じて許せない」と、党本部から処分(一年間役職停止)された。穏当を欠く言葉を使ったのがまずかったのだろうが、言わんとすることは真っ当だ。この処分に反対する議員がいなかった政権党に、なにか期待するものはない。統一教会(反社会勢力)との離れられない関係を切り結んでいたのが「元総理」だったという事実を、詳らかにする気が毛頭ない現総理も「国賊」級に祀られると思う。ここ数日の「防衛費増額」問題論議にも、真摯に国防(専守防衛)に徹するための、いささかの政治感覚も感じられないのは、この政党による政治が続けば続くほど、この国は毀損され尽くすということの証明であろう。政党そのものが「国賊」みたいなものだと言いたい気もする。ぼくたちは、まさに土俵際に追い詰められたのです。ここで「背水の陣」という語を使いたいが、場違いだろうか。国会議員も官僚も、両々相まって、「国葬(国ヲ葬ル)」後に入用になる「墓穴」を掘っているのであろう。
以下の二つの(コラム」に、ぼくは賛同します。歴史に学ぶとか、歴史を学ぶということがどんなことなのかを、もう一度ぼくたちたちは熟考すべきときではないでしょうか。もちろん、国会議員を十把一絡げに、悪しざまに罵るのが、ぼくの目的ではない。それにしても、出てくる議員のことごとくが、どうして国会議員になったのかと、改めて訊きたくなるのですから、どうしようもないほど、この社会の現実は「焼きが回っている」というほかありません。くり返し綴ってきたように、ぼくは政治向きの人間ではなく、それからはできる限り距離を取っていたい方でした。そのための一法として山間の地に入ったのですが、思いは通わず、来る日も来る日も、人間であることがいささかも誇らしいものではないという現実を思い知らされている。単なる批判や非難ではなく、教育にわずかばかりとは言え携わってきた人間の、やり場のない怒りや覆いようのない恥辱が、そっくりそのままわが心根に響く。つらいですね。
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【明窓】昔のことと葬り去れない 十年一昔という。世の中は移り変わりが激しく、10年もたつと、もう昔のことになってしまうという意味の四字熟語である。それでは10年前のきょう、一体何があったのか▼第46回衆院選が投開票され、自民、公明両党が圧勝し、3年3カ月ぶりに民主党から政権を奪還。その10日後、自民の安倍晋三総裁は5年ぶりに首相に返り咲き、憲政史上最長の7年8カ月にわたる長期政権の礎を築いた▼それから丸10年を前にした今年7月、安倍氏は参院選の街頭演説中、凶弾に倒れて亡くなった。振り返れば、政権奪還を果たした安倍氏の笑顔は懐かしい記憶だが、この人たちには、そうは思えないかもしれない。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への高額献金などに苦しむ信者や元信者の家族たちである▼安倍氏銃撃事件をきっかけに、旧統一教会を巡る問題が明るみに出て5カ月。異例の土曜日審議を経て、悪質な寄付勧誘規制を柱とした被害者救済法が10日の参院本会議で可決、成立した。それでも被害者からは「これで終わらないで」「一人でも多く救ってほしい」といった要望が上がる。被害者救済は緒に就いたばかりだ▼一方で、岸田文雄首相は、選挙を通じて教団と自民党をつなぐ要と目された安倍氏の役割を解明する気はないようだ。「一昔」で済まない苦しみを味わってきた被害者の思いを考えると、昔のことと葬り去ることはできない。(健)(山陰中央新報・2022/12/16)

【天風録】いつか来た道 物価高が加速する年の瀬は例年になく寒さが身に染みる。なのに政治は国民の困窮など忘れたかのよう。防衛費増額を巡り与党内のごたごたが連日、伝えられている▲岸田文雄首相が突然打ち出した43兆円。この巨費の調達で増税だ、いや国債発行だとやり合う。だが増額がそもそも必要か。そこから議論を始めるのが筋では。根拠を欠く数字を独り歩きさせず、立ち止まって考えたい。国の将来も危うくなる、と▲先の大戦の暗い教訓が脳裏をよぎる。膨大な軍事費を戦争国債で賄い、日本は泥沼の道を突き進んだ。世界最大の戦艦大和が呉で建造され、就役したのは81年前のきょうである▲戦争の主軸は航空機による空中戦に移りつつあった。軍部が巨艦大砲主義にこだわって対応は後手に回る。大和がわずか3年半後に鹿児島県沖に沈んだのは皮肉な話だ。敗戦で国家財政は破綻。国債は紙くずになった▲バブル景気の世、大和への巨費投入を青函トンネル、伊勢湾干拓と並べて「昭和の三バカ査定」と言い放った官僚もいた。今回のどたばた劇はどうだろう。議論は生煮えではないのか。国民生活をどん底に突き落とした過ちを、令和の世で繰り返してはなるまい。(中國新聞デジタル・2022/12/16)
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▼ 福島原発事故からまもなく十二年目に入ります。この十年余、なにが変わり、なにが残されたのか。こと原発問題に関しては旧態依然どころか、毒を食らわば皿まで、と眦(まなじり)を決して、原発村は再稼働・新増設に猪突猛進。事故が起こることは誰もが危惧している。それがいつ起こるか、今日か明日か、はたまた十年後か。先のことはわからないのだから、今やれることをするだけという刹那主義、まるで「神頼み(ケ・セラ・セラ)」の政治が続いている。あらゆる分野には「有識者」が掃いて捨てるほどいる(らしい)。塵として集められた「有識者」は権力のお先棒や片棒を担いで、八百長会議が終われば捨てられる。新たな塵は無尽蔵に生み出される。不思議なことに「払底」することはないのだ。まるで、始末に負えない核燃料の廃棄物のごとし、ですな。(「徒然日乗」・LXI)(2022/12/16)
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徒然日乗(LVI ~ LX)

▼ こともなく時は過ぎていきます。「月日の経つのも夢のうち」と歌ったのは浦島太郎。まことに「あっという間の煙草の煙」ですね。その煙草を止めてからかなりになります。昨日だったか、ニュージーランドで「禁煙法」なるものが可決されたと報じられていた。「同国で毎日喫煙する成人の割合は、昨年の9.4%からわずか8%へと減少しており、喫煙率はすでに歴史的な低水準に達している」(BBC・22/12/14、左写真も)からこそ、法制定も可能だったのだろう。2009年1月1日生まれの人が煙草を買えなくするというもので、年々、喫煙者が減ることになる。元喫煙者としては、画期的な法律だと思う。▼ かつての米国では禁酒法(1920~33)が存在した。実質的な効果はなかったとも評されるが、酒類の販売や製造などを禁止したのである。▼ ニコチンやアルコールは依存傾向を誘引し、薬物依存に似た悲劇を生んでいます。それ故に、この島においても、禁煙や禁酒に懸命に向かっている人は常に多数を数えています。果たして、この法制定の現実が語るものは何か、大いに関心を持っている。(「徒然日乗」・LX)(2022/12/15)
▼ 防衛力強化(増強)問題が喧(かまびす)しい。腰を据えた議論や審議はそっちのけで、ともかく倍増ありき、そのための財源をどうするか、ほとんど防衛力問題は財源問題に特化した、実に愚かしい推移を見せています。税金で賄うか、国債(借金)で要求を満たすかという、なんとも滑稽極まる「防衛力財源問題」で沸騰している始末です。いったい、何のための防衛力強化なのか、在日米軍との関係はどうなのか、自衛隊の何を「強化する」のかという実際上の課題に関しても議論の様子が見えてこない。とにかくGDPの2%だ、それをどう手当するのかというお粗末極まる議論(ですらない)に終止しているのはなぜなんだろう。こんな状態で、国防という最重要課題を弄ばれていていいのだろうか。(「徒然日乗」・LIX)(2022/12/14)
▼ 宮台真司さんが先月末に勤務先の大学内で襲撃されて重症を負った。一週間経過した段階から、宮台氏は発言を再開されている。この間、奇妙なことだとぼくが思っていたのは、管見の限りではあれ、言論人を暴力で倒すという蛮行に対して大いなる非を訴える、言論界からの声が驚くほど少ない、殆どないという状況でした。これはどういうことか、それをずっと考えている。もちろん、犯行に及んだものが誰であるかがまだわからないから、迂闊なことは言えないということもあるが、それにしても、少なくとも社会的発言を積極的に重ねていた社会学者の襲撃に遭遇して、言うべき立場にいるもの(言論人)が黙して語らずという異様な社会の状況に対して、この先、暗闇がますます漆黒の闇になり、その暗黒に乗じて野蛮な言動がさらに破裂するのではないかという大いなる疑心を抱くのだ。(「徒然日乗」・LVIII)(2022/12/13)

▼ どうしても書きたいからではなく、それこそ仕方なしに書くのです。国会が閉会しました。まるで何か・誰かの「後始末」でもするかのような、現実(困難)の課題解決に資するところが少しもない議論が続いていく中で、これはぼくの持論ですが、まさに「体制翼賛政治」の実相が一層はっきりしたと思う。▼ 「旧統一教会被害者救済新法」成立の報道がなされますが、はたして何(誰)をどのように「救済」する法律だったのか、法制定の核心部分が疎(おろそ)かにされてしまいました。ともかく、法を作ることに意義があり、作ってしまえば、国会・行政の役目は終わったと、翼賛派は肩の荷を降ろしたつもりだろう。▼ この状況下では「解散命令」まで歩を進めることは先ずありえない。それは初めからわかっていたこと。ここにおいてもなお、真摯に誠実に「カルト集団」に対峙する姿勢が絶えて見られないことは、未だに深く癒着している「実態」を変えたくないという、双方の利害の一致点なのだと思う。浮かばれない話だ。(「徒然日乗」・LVII)(2022/12/12)
▼ 石蕗(つわぶき)の花が咲いている。とても寒さに強い植物で、この時期にも凛として背を伸ばしているのを観ると、なんだか励まされているように感じてしまう。引っ越し前の家にあったものを何株か移植した。日当たりのよくない場所に植えても、きっと咲いてくれる。もともとは、おふくろが四十年ほど前に京都から持ってきて、佐倉の家の庭に植えたものだ。この石蕗には、半世紀に渡る、ぼくの思い出がいっしょに咲いたり枯れたりしている。(「徒然日乗」・LVI)(2022/12/11)
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