【水や空】反撃能力 試合が始まって間もなく早々と失点、その後も相手チームがボールを支配する時間が延々と続き、前半は0-1のまま終了。このまま終わらないで…。私たちの祈りに呼応するように指揮官は選手交代のカードを切り、アタッカーの枚数を増やす。さあ、始まるぞ▲またサッカーか、まだサッカーか、とあきれないでほしい。確認しておきたいのは「反撃」がこんな時のための言葉であることだ。相手の攻撃や攻勢が存在しないところに「反撃」という言葉の出番はない▲政府の外交・安全保障政策の指針となる「安保関連3文書」の改定で〈他国領域のミサイル基地などを破壊する能力〉が「反撃能力」と称して盛り込まれることが固まりつつある▲「敵基地攻撃能力」の保有は「専守防衛」の枠内で説明しきれないと考えたのだろう。だから、ある時から呼称が変わった。しかし、いくら呼び方だけを変えても、事の危険な本質は変わりようがない▲この能力は「相手のミサイルが発射される際」に発動されることになっている。まだミサイルは飛んでいない。その段階で相手の攻撃施設に打撃を与える行為と「先制攻撃」がどう違うのか、聞いても聞いても、いや聞けば聞くほど分からない▲少しも望まぬ“新しい景色”が見え始めている-と思えてならない。(智)(長崎新聞・2022/12/14)
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「翔び交う誘導弾元禄も遠くなりにけり」(名無しの権兵衛)

新旧暦の誤差を無視すれば、昨日は「赤穂浪士討ち入り記念日」とか。三百二十年前のこと。もちろん、当時を知っている生存者はいないし、鳴り物入りで囃された歌舞伎十八番も聞こえてこない。加えて、この「討ち入り」に言及したコラムも、ぼくの見たところでは、皆無。それは当然でもあるし、世の中が物情騒然としている中、そんな大昔の「敵討ち」に関わっておられるかということかも知れぬ。それもそのはず、近未来の「討ち入り記念日」となる危険性のある「反撃能力」だの「敵基地攻撃能力」を著しく向上させ、強化するための「防衛予算倍増」永田町劇(舞台)が、真に「茶番」というほかないお粗末の末の末に決着(終幕)しそうだからです。誰がこの島をいつ、どういう理由で攻撃するのか、仏様でも知らない幻想・幻夢を、ことさら針小棒大に拡大し、さも起こりそうな喫緊の事態に備えるためと、虚言を履く当人たちも覚束ないにもかかわらず、何でも「金」に関わることだから、おこぼれ狙いなのか、とにかく「大音声」の大見得を切り、まさしく「飛び六方」を踏む体であり、実に騒々しくも内容空虚な大騒ぎに終止する、呆れ果てた舞台展開ではあります。
この「近未来の討ち入り」劇の主人公は総理だろうか。いや、彼はほんの操りだから、その役には立たない。では誰か。言わずと知れた「米国蔵之介」だろう。浅野長矩(領地「赤穂」は塩の産地)が吉良義央(領地「三河吉良」も塩の産地)に乱暴を働いた廉で、所領没収、長矩は切腹を命じられた。主君の無念を晴らそうと、忠臣四十七士が雌伏幾百日、覚悟を決めて「一人の老人」を打ち取るのである。「一対四十七」とは間尺に合わない対決だったが、世間は赤穂側に拍手喝采、いまなお語り継がれる「忠臣烈士」の仇討ち記念日だった。この事件で幕府はどんな演技・立ち回りを果たしたのだろうか。いかにも「現代版 討ち入り」を想定したくなる場面が眼前に演じられています。(右上は1961年3月に公開された東映映画『赤穂浪士』。この場面の俳優陣の殆どは知っていました。蔵之介に扮するのは片岡千恵蔵さん、脇坂淡路は中村錦之助さん、堀部安兵衛は東千代之介さん、浅野長矩は大川橋蔵さん、女優陣もそうそうたるメンバー。何度も映画化されたもので、原作は大佛次郎さん。その殆どをぼくは無料パスで観ましたね)

この「討ち入り」噺を落語にしたのが「中村仲蔵」(左絵)で、志ん生や圓生(右下写真)で何度聴いたたことか。とにかく、面白いし泣かせます。あるいは、ぼくがもっとも好きな「噺」かも知れません。笑いと涙で、「忠臣・定九郎」を語るのですから堪りませんでした。この一話を知るだけで、「赤穂浪士」「忠臣蔵」が庶人にどのように受け入れられていたかがわかろうというもの。「殿の恨み」「主筋の無念」を晴らすために、それぞれがたったひとりの老人を倒すのに、総掛かりで全力を上げる、そのいい悪いをいうのではありません。「無念の斃死」ではないものの、考えようによれば、為す術もなく死にゆくのです。現代版「赤穂浪士」の殿は、あるいは「故元総理」に擬しては障りがあるでしょうか。浪士はどこにいるのか、皆目わからない。だから「義士」ではなく「議員」なんでしょう。
「江戸の敵を長崎で」などという古諺を持ち出しては顰蹙を買うのが落ちでしょう。「GDP2%」を、今となれば、元総理の遺言になった感のある「夢物語」を、ここを先度と晴らしたいのかどうか、ぼくにはよくわからない。とにかく何が何でも2%と言うのは、驚くべき「丼(どんぶり)勘定」です。国家が破産に瀕していて、なお守るべき「国柄」とはなんでしょう。「国破れて防衛予算残り」というみっともないことになりそうです。仮想敵がいるというのも「空想」です。中国と一戦を交えるのだと、どんな脳細胞が思いつくのか。ぼくは空想や幻想に辟易して生きてきましたから、この「芝居」には関心が沸かない。

● 赤穂浪士【あこうろうし】=元禄15年(1702年)12月14日夜,江戸本所に高家肝煎(こうけきもいり)吉良義央(きらよしなか)の首級をあげ主君の仇を討った大石良雄以下46人をいう。討入りの際に脱落した寺坂吉右衛門を加え一般に四十七士という。前年3月,赤穂藩主浅野長矩(ながのり)は,勅使下向の際の接待役となったが,幕府の儀礼担当職にあった義央を江戸城中で刃傷(にんじょう)に及んだため所領を没収され,即日切腹を命じられた。義央は御役御免のみであった。浅野側の正当性をまったく認めようとしない幕府の処置を不服とする大石良雄を首領とする家臣らは,亡君の仇敵義央を討とうとする急進派と,長矩の弟大学をたてて浅野家を再興し,名誉を回復しようとした大石らとに分れた。しかし,浅野家再興の望みがたたれた後,大石らは急進派に合流し,吉良邸に討ち入った。この事件については,室鳩巣,荻生徂徠,佐藤直方ら当時の学者の間で是非論があったが,幕府は翌1703年2月全員に切腹を命じた。(マイペディア)
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● 四十七士討ち入りの日(忠臣蔵の日)(12月14日 記念日) 1702年(元禄15年)のこの日(旧暦)、赤穂浪士(あこうろうし)47人が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。/ この日を偲んで東京都港区高輪の泉岳寺や兵庫県明石市の大石神社・花岳寺などで義士供養の「義士祭」(ぎしさい)が行われる。義士祭の日付は12月14日前後に行われることが多い。/ また、吉良邸の一部は現在、本所松坂町公園となっており、毎年「元禄市」(げんろくいち)でにぎわう。元禄市の日付は12月第2週の土日の二日間となっている。(雑学ネタ帳・https://zatsuneta.com/archives/112141.html)

まるで討ち入り前夜のような大騒ぎ。敵もなければ、武器・装備の詳細(内容)も決まっていない。とにかく「討ち入り」するのだから、「四十三兆円」が必要だ、なんとか工面するのが会計係の役目だろうと、たいそう勇ましい。繰り返すのも癪に障りますが、仮に、これが我が国土防衛のための軍事費なら、ぼくに言わせれば、「✖✖に刃物」です。どこに向かって、誰を「討ち取る」のか。書くのも癪の種。この国の「自衛隊(という軍隊)」は、明言しておきます、アメリカ軍の二軍か三軍です。メジャーと島のプロ野球の関係に似ていると言ったらどうか。米国の指揮・命令系統に編入され(ることになっ)ているのです。国内に多くの米軍基地があるのは、アメリカが日本を守るためなんかではない。「核の傘」とかなんとか言って揶揄された気もしますが、アメリカはこの島国のために「核」は断じて使わない。
また、台湾有事と煽っているのは誰だろうか。アメリカだろうか、日本だろうか。米中は戦わないのは明らかです。しかし備えは必要だから、その分は日本が負担するのが当たり前だという戦略です。この島国は「独立国」ですか、と今更に問わなければならない。劣島の至るところに「治外法権」の地があるのはなぜか。「我が物顔」という表現があります。米国は堂々と、空も陸も海も「我が物顔」で闊翔・闊歩・闊泳しているとはいえませんが、まるで自分の庭のように自由に利用している。また、自衛隊は米軍の下請けでもあるのです。艦艇や戦闘機などの補修修理、あるいは石油備蓄も米軍用にと定められている。あらゆる便宜供与を強いられて(好き好んで、ではない)提供しているのが実態です。大騒動の防衛費倍増も、使用目的の大半は「米国製」の武器や備品を調達するためです。すでに、これまで契約した分の、後年度負担は膨大な額に上る。「討ち入り」というが、内実は(討ち入り」するつもりもない「主君」のための「貢(みつぎ)」だということです。だから、この島の側から有り体に言えば、その実相は「討ち死に」ですね。
● 治外法権【ちがいほうけん】= 国際法上,外国人が現に滞在する国家の権力作用(特に裁判権)に服さない資格。特定の外国人(元首,外交使節,外交官およびそれらの家族が代表的)について認められ,一般に裁判権,課税権,警察権に服さず,住居・信書の不可侵が保障される。外交使節の随員も限定された範囲で治外法権を有する。また当該国家の承認の下にその領内に入った軍隊・軍艦も原則としてその国家の裁判権・行政権には服さない。条約によって治外法権の認められる場合として租界,領事裁判,領事特権などがある。(マイペディア)

コラム氏は書いている。「相手の攻撃や攻勢が存在しないところに『反撃』という言葉の出番はない」と。もっともですね。「専守防衛」と「攻撃能力」が、どこをどう誤魔化せば(計算すれば)同じになるのか。体制翼賛政治の行きつくところはどこでしょうか。この国は、近い将来に「X国」と一戦を交え、援軍皆無で、再び「無条件降伏」の憂き目を見るのか。「憂き目」というけれど、その惨状や塗炭の苦しみは、濁りのない彗眼の士には、今から明らかに見えているのです。もう一度「戦後」を始めるのでしょうか。善隣友好というのは画餅ではなく、政治外交の鉄則です。その鉄則を忘れるから、敵をやっつけろ、そのための防衛費増額だ、爆撃機もトマホークもいくらでも買えなどと、終わりの見えない狂気の沙汰が続く。「和を以て尊しとなす」というのは、どこのどなたが教えられた戒め(政治哲学)だったのか。余計なことですが、この舞台の幕は誰が引くのか。
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