情報は操作され、加工されるもの

【斜面】防衛のステマ 発信力が強く他人の行動を変えうる交流サイト(SNS)の投稿者はインフルエンサーと呼ばれる。若者に人気が高い中国系動画投稿アプリの運営会社が昨年末まで、こうした投稿者20人に計7600万円を支払っていたと報じられた◆アプリ入手を促すような投稿を依頼していた。一般の投稿に見せかけ、広告目的を隠すステルスマーケティング(ステマ)だった疑いが指摘された。担当者は後ろめたさがあったのか。インフルエンサーに打診する際には、別の会社名を名乗ったそうだ◆ステマと似た手法らしい。防衛省が検討する世論工作でデジタルある。人工知能(AI)を使ってSNSの投稿など大量の情報を収集・分析。防衛問題に関心がありそうなインフルエンサーを特定する。頻繁に利用するSNSやサイトに情報を流し、有利な情報を拡散するように仕向ける◆これなら姿を隠したまま世論を操作できると踏んだのか。ウクライナ戦争に乗じるように政府は中国や北朝鮮への抑止力を高めると軍拡に躍起だ。有事体制を整えるジグソーパズルの最後のピースは、特定国への敵対心を国民に醸成する心の動員だろう◆ロシアは偽情報をSNSで広げ反戦世論を抑え込んでいる。世論操作はお手の物の中国は台湾に情報戦を仕掛けていよう。人々の心の中に軍靴で入り込む独裁国家だ。日本の政治家に哲学者ニーチェの警句を届けたい。〈怪物と闘う者は、闘いながら自分も怪物とならぬようにするがよい〉              ■あとがき帳■ 2016年米大統領選は、ステルスマーケティングの手法が選挙に悪用された例でもあります。フェイスブックの利用者8700万人分のデータを英政治コンサルティング会社が入手。人工知能(AI)で利用者が「いいね!」を付けた投稿などから個人の特性をつかみ、それに合うフェイクニュースや評論に誘導しました。/「ローマ法王がトランプ氏支持表明」などの偽情報が拡散しトランプ陣営を利したとされます。ツイッターなどのSNSは誰もが情報の発信者になれます。国家に閉じ込められている民の声を世界に届けられる一方、国家が世論操作にも使える両刃の剣です。/ 有事になれば国家は血眼で情報や思想の統制に走ります。古今東西、戦争の歴史を振り返れば明らかです。ロシアや中国が特別なのではありません。そうした目で防衛省の世論工作研究を注視していきたいと思います。/ ニーチェの言葉は中山元訳「善悪の彼岸」から引きました。(論説主幹 丸山貢一)(信濃毎日新聞デジタル・2022/12/13)

(右写真はCNN・2020.02.23の配信より。「ノースロップ・グラマンのB2スピリットは1989年に初飛行した。21機が米空軍で就役中だ/USAF/Getty Images North America/Getty Images」)                    ● ステルス=ステルスは〈隠密〉のこと。軍用機などの機体を敵のレーダーに捕捉されにくくする技術。機体材料・形状,電子装備を改善し,レーダー波の反射や赤外線の放出量を減らし,また放出電波を傍受されにくくする。ステルスは,1989年のパナマ侵攻の際,戦略爆撃機F-117Aで使われ,また1991年1月の湾岸戦争でも使用された。ステルス技術は艦船,ミサイル,戦車にも使われている。(マイペディア)

 「防衛省が検討する世論工作でデジタルある」とあるのは「世論工作デジタルである」のか。それでも文意は要領をえませんが。これもまた、「ステマ」の一種なのかしら。それはさておいて、世は「ステマ」ばやりです。何も今に始まったことではありません。広告や宣伝は、顧客を誘導し、虜(とりこ)にするために考案されてきたのですから、SNSだから特別というものでもないでしょう。たしかに時代の流儀というものはある。それを徹底して使わなければ、むしろおかしいというばかりの時代の勢いです。「ウクライナ戦争」で「偽旗作戦」ということが繰り返し指摘されてきました。敵を欺くためなら、白旗であろうが赤旗であろうが、何でも旗にして、相手を信じ込ませる、油断させるのであって、こうなると、防衛省にとって「国民」は騙すべき「敵」となるのです。味方に向かって銃を打つ、そんな「戦争」がすでに始まっているのです。

 ぼくは携帯もスマホも持っていない人間ですから、完全な「時代遅れ」です。便利な道具は、危険な武器にもなるという一例でしょうね。未知の人間と、いとも簡単に繋がり、そこからいろいろな事件や事故が生じていることも報道で知るばかりです。「なりすまし(spoofing)」というものも横行しています。「敵対国」「仮想敵」作り、加えて、「好戦」国家に仕立て上げるのに躍起にならなければ、国防予算も自衛隊の株も上がらないとでも思っているのかしら。「自衛隊」というのですから、あくまでも「国防」の範囲で戦う存在だと長い間言われてきました。言われてきたけれども、じつは大変な攻撃力も備えた、立派な軍隊です。自衛隊は軍隊ではないという「屁理屈」が相場になっていましたが、一体、誰がそれを信じていたか。ぼくに言わせれば、自衛隊そのものが国民には「ステルス」だったのです。

 情報操作といい、世論誘導という。マスコミもこぞって、「防衛省の世論工作」の危険性に警鐘を鳴らしているつもりでしょう。しかし、これを言い換えれば、マスコミはまぎれもない「マッチポンプ」です。マッチで「火付け」しておいて、当人が「火消し」に走るという、ここに長谷川平蔵が存命だったら、なんとしたでしょう。といって、いかに「鬼平」であろうと、防衛省や他省庁の「マッチポンプ」にはお手上げだろうと、ぼくは推定する。池波さんがいたらなんというか。ぼくは確信しているのは、この島社会は、第二の「北朝鮮」になるだろうということです。人民の生活は苦しく、子どもを産めないどころか、結婚したくもできないほどに夢のない社会になっているし、長生きすれば、まだ生きているのかと嫌な目で睨まれ、税金食い虫と詰(なじ)られる。それでいて、ミサイルだ爆撃機だ、潜水艦だステルスだと、まるで大声を上げて「市中に火を放っているような狂態」を演じている政治家や軍関係者、いかにも額に青筋立てて興奮しているのです。とにかく、武器の中身は何でもいい、先ず金額だと防衛力倍増のために軍事費倍額をむしり取るという、火付けよりも悪質です。

 殆どのマスコミは、大本営発表を垂れ流し、国民は「軍事力増強」に反対しない。やむを得ないと言っていながら、日常生活を直撃している物価高を嘆くのです。一体この小さな島は、さしあたって、どこと戦争状態に入るのでしょうか。まさか北朝鮮と一戦を交えるなどと、誰が考えますか。第一、北朝鮮は、表向きではあれ、日本には見向きもしない。では、中国ですか。「台湾有事は日本有事」だと白昼寝言を垂れていた元総理がいました。中国と台湾は同族・同胞ですよ、他国の介在はありえないというのが、中台の意向です。アメリカは中国と事を構える気はいささかもない。戦えば、互角か、あるいは負けるか。戦争をしないけれど、その「体制」を整えるためにステマもするし、軍備をととのえる、それで「儲かる」連中がいることこそが、ステマの本当の主人公なんですよ。政治家はその主人公のおこぼれに与るだけの存在です。日本だって同じです。防衛費倍増というが、それは国防のためではなく、アメリカの指揮命令があるからです。アメリカのためなんです。ある種の「戦争ごっこ」をしている限り、身の安全は保てるし、金は回ってくるという話です。つまりは「世界中はマッチポンプで満杯」だということですね。

 この島の「国力」(この言葉は嫌いです)を測る、いろいろな指標は日に日に世界の奈落に落ちています。上位である必要はありませんが、一日を暮らし、明日も暮らせるというわずかばかりの「安心感」を得たいにもかかわらず、生活は困窮し、軍備は世界第三位になろうという、この魂消た「先軍国家」を、誰もが嘲笑しているのではないでしょうか。人民は泥を舐めても、ミサイルを飛ばし核を保持しようと狂奔している、第二の北朝鮮という所以です。そのために【ステマ」作戦を防衛省は展開しようというのでしょう。

● 先軍政治=朝鮮人民軍の最高司令官、国防委員長でもある金正日(キム・ジョンイル総書記の指導理念。「軍隊は人民であり、国家であり、党である」とする軍・軍事を最優先させる統治方式。労働党の機関紙・労働新聞によると「革命と建設のすべての問題を軍事先行の原則で解決し、軍隊を革命の柱にする政治方式」だという。(知恵蔵)

 「将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ」という。今日、この島の要路に立つ人々にとって、「将」はだれで、どこにいるんですかと、訊きたい。どこにいるかわからない「将」は後回ししに、先ず「馬」です。「馬」は誰だとおもいきや、ひょっとして「国民」だったのか。そいつらを騙し、誘導し、何よりも攻撃能力は不可欠だと言わしめたいのでしょうが、無駄というより、二番煎じです。わざわざ、防衛省が直々に出る幕はありません。そのための「マスコミ」ではないですか。当局が期待する以上に「忖度」しまくっているではないか。総理大臣や幹事長などの「記者会見」を見たり聞いたりしていると、腹が立つというか、怒りを通り越して、わが社会の学校教育は「見事な成績」をあげたと嘆息するばかりです。あたかも「枢機の方」に伺いを立てる趣がありましたね。わざわざ身を隠してまでの苦心はいらない、白昼堂々と「嘘八百」を垂れ流したとして、確実にそれを一字一句変えないで「報道」してくれる、おかかえの「広報」がいるではないですか。

 「日本の政治家に哲学者ニーチェの警句を届けたい。〈怪物と闘う者は、闘いながら自分も怪物とならぬようにするがよい〉」とコラム氏は書かれる。なるほどと頷いた上で、さらに「報道機関の方々」にも、と書き忘れてはいけないでしょう。そのような時代や時期があったかどうか、ぼくにはわかりませんが、「新聞(マスコミ)は第四の権力」と言われていた。実際に「第四権力」だったのではなく、そうであることが願わしいということじゃなかったでしょうか。既成の「三つの権力(六法・司法・行政)」をいつでも監視する存在(watching dog)でなければならないということで「第四の」とされたのだ。いまは違う。これまでも違っていた。自分たちは間違いなしに、三権力に並ぶ「第四権力」だと大きな錯誤を持ちつぢけてきたし、今も、本体(国家および自社)が壊れそうになっているにも関わらず「第四権力」と自称(詐称)しているのです。

● だいよん‐けんりょく【第四権力】=ジャーナリズムのこと。国家三権である立法・司法・行政に次ぐ影響力をもつことから。(デジタル大辞泉)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)