どこと戦争したいんですか

  この国は、どこを相手に「戦争」するために、途方もない軍事費の倍増を図っているのか。それ以前に、どことであれ、現実に「戦う理由」は見当たらないではないか。「国防」というよりは、例の「集団的自衛権」の発動(強制)という「柵(しがらみ)」で「米軍」の一部分(手足か)となって、「応分の負担」を果たすための「軍事費倍増」であるというべきだ。▼ 今となれば、この「集団的自衛権」も、この国政府の発想・発案というよりは、宗主国による指示・命令であったということがはっきりする。五年間で四十三兆円という、箍(たが)が外れた軍事費捏造も、結局は、その多くは米国から無理矢理に「時代遅れ」の武器などを買わされることになるのだ。▼ ともかく、国家運営という観点で、現政府・与党にはいささかの政治感覚・方向性も認められないのはどうしてか。まさに「亡国」の道を潰走しているとしか思われない。

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 この三年間に及ぶ「コロナ対策」で積み上げられた税額は百兆円にも及ぶといいます。そのうちの何割が「中抜き」「ピンハネ」「ネコババ」されたのでしょうか。ねこくんには申し訳ないが、「魚屋の留守番を猫にやらせるようなものだ」と。今時の猫は「国会議員や官僚と比べられると、卒倒するかもしれない、俺たちは、そんなにクズか?」ってね。この税金の横領・強奪がやめられないから、多くは政治家になるんじゃないですか、とまさしく「下衆の勘繰り」をしてみるのです。もちろん、精錬潔白を絵に書いたような政治家も、血眼になって探せばいるかもしれないが、目につくというか、大いに目障りなのが、公人を偽装する「私人」の駐屯地(屯所)、それこそが政党であり、政治の世界だといいたくもなります。「国防」は、国家存立の要です。だから、それに必要な備えはするべきだというのは当然です。拙宅にも「鍵」は付けてあります。しかし、どんなに要塞化しても、狙われては手の打ちようがありません。「備えあれば憂いなし」ではなく「備えあれば憂いあり」です。スイスやコスタリカを、真面目に学んだらいい。軍備は外交に優るものでは決してありません。腰に二丁拳銃ならぬ、ミサイルをちらつかせての「外交」は「脅し」で、これはいま、ロシアが見事に示している。道化ですな。

ところが、その「国防」に名を借りた「軍事費」(内実は、米国製戦争武器の言い値買い費用)の闇雲な倍増は、現下の国情に照らして真に不釣り合いに「無駄」であると、ぼくは言いたいですね。「溝に大金を捨てるようなもの」というと、ネコババたちは「溝」ということになり、まさに塵であり、クズですね。(左の表は東京新聞・2022年6月3日 06時00分)

 こういうことをするために「予算」が必要だ、そのための増税や国債発行は、やむを得ないどころか当然であるという、しかし、今時の防衛費増額は、何を買うから、何を導入するから、これだけの金額が入用だという議論はほとんどなされていません。国会でも、まったくこの問題は扱われていない、にもかかわらず、倍増額が独り歩きして、気がついたら、決まっていたというのです。統一教会に肝を抜かれ、国防も敵基地攻撃もあったものではありません。熱心に軍事費倍増をいう政治家は、「国防族」ではなく、「売国奴」です。

 いかなる人間でも躊躇したくなるような乱暴狼藉を働いているのが、ほとんどの国会議員です。このような醜悪な景色は、前大戦時にもしばしば見られました。(戦時国債は、戦後は紙切れになった)今時は、時の敵対国と相並んで(その膝下に入って)、一体どこと戦争を始めようとするのでしょうか。往時の戦争とはまったく事情を異にし、一国対一国の限定された戦いでは済まされない、世界規模の大戦になるのは必定です。国防のための備えは必要です。備えがあるから、戦うのだというのは、いささかお門違いです。軍備や軍事の前に、徹底した「外交」が求められるのは誰もいうとおりですが、果たして、この島の現状で、それがどこまで果たされているのか、大いに不信の念を膨らませるばかりです。(右は離島防衛訓練を行う米海兵隊員=23日午前、静岡県の東富士演習場:「陸上自衛隊は23日、離島防衛専門部隊「水陸機動団」が米海兵隊と静岡県の東富士演習場で実施中の訓練で、離島の作戦で射撃を展開する場面を報道関係者に公開した。/ 陸自隊員の伝える情報に基づき米軍が射撃をする「火力誘導」の場面も含まれ、実際の射撃はしないものの海兵隊のF35Bステルス戦闘機2機が飛来。陸自によると、これまでも火力誘導の訓練は日米間で実施されているが、日本国内で陸自と米海兵隊の訓練にF35の参加は初めて。出典は産経新聞・2022/03/23)(下の写真は「日米共同訓練」:海上自衛隊公式サイトより:https://www.mod.go.jp/msdf/operation/training/h2_2018/)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)