テロの手中に嵌っていながら、なにを攻撃するんですか

 <卓上四季>安全のひび割れ 2002年、検査技師の告発で原子炉圧力容器内のひび割れなど、東京電力のトラブル隠しが露見したときのことだ。「人知の及ばぬことが起こりうる」と当惑したのは当の東電の研究者だった。ひび割れの事実は内部ですら共有されていなかったのである(「原発と震災」岩波書店)▼ひび割れを招く劣化との闘いは半世紀以上にわたる。頻発した1970年代には電力事業者が運転断念も覚悟したほど。当時、原子炉稼働年数の寿命が40年という共通認識があったのもそのためだ▼暗雲を取り払ったはずの改良型ステンレス鋼でのトラブルだけに関係者の衝撃は大きかった。ひび割れは探知が難しく、発生を根絶できなかった。にもかかわらず、政府は設計基準とは別に維持基準なるものを制定。ひび割れを容認して運転を継続する道を選んだ▼原則40年最長60年と定められた原発の運転期間について、運転停止期間を運転期間から除く計画案を経産省が示した。実現すれば60年超の運転が可能となる▼計画案は原発の建て替えにも言及した。福島第1原発事故後の国会論戦を踏まえた政策を大きく転換するものだ。政府は脱炭素や安定供給の利点を強調するが、原子力ありきとならぬよう議論の行方を注視する必要がある▼最優先されるべきは安全意識だろう。そこにひび割れは生じていないか。問われているのは規範の経年劣化の有無である。(北海道新聞・2022/11/30)

 霜月(旧暦では十一月下旬から翌年一月初旬ころまで)は本日で終わりです。微かに冬の訪れを感じさせる気候の兆候も見えてきました。しかし百年前や五十年前のような、四季の移ろいを実感できるかというと、なかなかそうではなさそうです。いわゆる「地球温暖化」の兆しは至るところに出てきました。いまでも「温暖化」に疑問を投げかける人もいますが、この劣島に限定しても、異常気象は否定しようもないのです。それに伴う災害も、年中行事のように、各地で奇襲を繰り返しています。

 数日前から、腰痛がはっきりと現れ、加えてどうやら身体の節々が痛みだしています。ぼくの見立てでは、風邪の初期症状かと思い、つい先程まで二時間ばかり蒲団で横になっていた。天気の具合もすっきりしないのか、多くの猫たちもうたた寝で、ふらりふらり朦朧としています。長年の皮膚感覚でいうと、一日の最高気温が三十度を超えるときは夏、二十度くらいだと春または秋、十度を下回りそうな日が続くと、もはや冬、そんなとらえ方に慣れていました。しかしこの十年以上は、ぼくの勝手な標準的「温度測定」は当てにならず、春夏秋冬の秩序も雰囲気もじつに出鱈目になっているように感じます。

 冬場になると、電気代の高さが大いに気になります。氷点下前後が続くと、夜間はエアコンをつけ放しにする。猫の寒さ対策です。これが半端な金額ではありません。しかし、風邪をこじらせて医者(犬猫病院)かかれば、電気代の比ではないほど、その高額に身が震え、ことさらに懐が寒くなる。それはともかく、この電気料金が年末か、年明けからさらに高騰(値上げ)するといいます。平均的な電力使用家庭では三千円ほどとされます。電気料金の決定はまったくひどいもので、これだけコストがかかったから、これだけの費用を求めるというのではなく、何でもかんでも料金の中に放り込んで、その結果得られたのが使用料金です。要するに「言い値」で決められたものを、我々は払わされている。値段設定が逆転しています。

 この電気料金に関しては、ぼくは、来年の早い段階で「太陽光」発電に切り替えようと考えている。もちろん、一気呵成にというのではなく、まずは夜間照明や夜間使用のための電力確保のために、小さなところから始めたい。こんにちは、旧来型とは比較にならない効率のいいパネルも作られていますので、原発電力とは縁切りをしたいというのが積年の願いです。(右のマップは:ニッポンコム)

 現在稼働中の原発は十基。最大五十四基のなかの十基です。もちろん化石燃料を燃やしている発電所が稼働しているという指摘はそのとおり。環境汚染因だというのでしょう。それ以上に、ぼくが関心(心配)を持っているのは、ウクライナ国内の原発を「手玉」に取ったロシアの戦略・戦術です。ロシアは原発を攻撃目標にしてウクライナを脅迫している。この狭い劣島の至るところの海岸線に「原発」が林立し、「どうぞ、どこからでも攻撃してください」と言わぬばかりの無防備を脇において、軍事費倍増だという。GDPの2%、つまりは十一兆円を軍備のために予算化する方針を、本年5月、首相が訪日した米国大統領に、増強計画を「報告し認められた」という、驚くべき「独立国」にあるまじき振る舞いをしました。(左下、日米会談:2022/05/23・https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000255591.html)

 いつでもいうことです。日本は独自に、軍事や電力(原発)問題を立案し、実施する政治はできないままで、戦後を一貫してきました。特に「統一教会」問題が今日に及んでいるのも、米国を抜きにしては考えられないことです。「勝共連合」という錦の御旗をかざしたのは、むしろ米国であり、それにしっぽを振ったのが日・韓だったし、そこから「統一教会(勝共連合)」が生まれてきたのです。今日、原発の存在が最大の脅威であるという認識は、政府や経済界にあるのでしょうか。軍事専門家にもないのではないか。その証拠に、台湾有事だの中国や北朝鮮に発する驚異は大きな声で宣伝しても、不思議・奇妙なことに「どこからも原発は攻撃されない」と確信(盲信)しているフシがあります。ドローンでミサイル攻撃をやって見せているのがロシア。その「現実」に目を塞いで、「中国からの驚異」「日本の有事」を振りかざしているのです。

 米国の権力者は、自らのみを犠牲にして「日本のために」戦うことはしない。国益を害してまで、タックのために戦わない落ちうこと、それは明白端的ですね。これまでのアメリカの戦争史を概観すれば一目瞭然です。軍事費倍増は「アメリカのため」であり、彼の国の属国のなしうる優先的な貢献であって、「集団的自衛権」をでっち上げたのもアメリカの使嗾でした。こんなことをあれこれ考えると、一体、この社会は、この国は何をしようとしているのか、どこに目標を定めているのか、皆目見当がついていないと、ぼくには思われます。とにかく、理があろうがなかろうが、アメリカの尻馬に乗っかっていれば、すくなくとも、自らの政治権力は維持できるという、驚くべき狭量な偏見に支配されて、政治が行われ、政治家は棲息しているのです。

 繰り返し述べているように、権力の座につくものやその周りに蝟集する輩は、大なり小なり「大学」を出ています。小学校から大学までの学校教育の結果は、目を覆うべくもない惨状を呈しているのは、ぼくのような半端な教師稼業従事者であったものでも、泣きたくなるのです。「教育は人格の完成」などと高邁すぎる理念を掲げている学校教育のもたらした結果(成果)が、見るも無惨な「死屍累々」の山を築いているとするなら、この社会の未来も展望も見通すことは不可能です。「敵基地攻撃能力」を高めるより、もっと大事なのは「自分の頭の蝿」を追っ払うことです。他人をとやかく言う前に、自らの胸に深く問いただすべきは、「嘘はつかない」「他に向かって誠実を欠かさない」「困っている人が入れば、なんとしても役に立つように振る舞う」、そんな素朴単純にして、決して色あせない人間の心持ちを取り戻してほしいと、自分自身への「戒め」もこめて、言いたいのです。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。