
〈Like or Dislike〉 ~ まるでこの時代は「オセロゲーム(Othello game)の」盤上の世界のようです。「いいね!」と押して、なにが、どのように「いいね!」というのでしょうか?はたして、それ(二択、選択)だけでいいのか。「いいね」という単語で掻き消された真意(本心・本音)を無視して(自分に隠して)、どうして「いいね!」なのか。「いいね!」と言わしめた「深層」になにがあったのか、それを求めようとしなくていいのですか。▼「いいね!」の乱発で、言葉が惨殺されている。人間の精神(心情)が切り刻まれている。「二進法」というネット社会(世界)を蹂躙する《Pandemie》は、一人の人間、一つの社会、一つの世界の「可能性(蓋然性・未来展望)」を驚くほど狭め、限りなく貶めている。あらゆる方面で強いられる、「いいね!」が人間の思考力を無化し、この世界を「無言(しじま)」という暴力の奔流に巻き込む騒擾を惹起しているようです。

上海や北京では「習近平は退陣せよ」という人民の「声」がとどろき、権力の横暴に《抵抗》する姿勢を見せている。二年前でしたか、香港で「雨傘デモ」に象徴される、抗議活動が、北京政府の強引な弾圧で押しつぶされたかに見え、その後は強権的な政治運営が続いてきましたが、けっしてその「抵抗」「抗議」の活動は死滅してしまったのではないということでしょう。もちろん、今回の北京や上海の「抗議」行動も、一過性のもので、いずれは踏み潰されると見られるかも知れませんが、いったん火がついたものは、よほど強烈な消火活動(弾圧)が継続されなければ、必ず再発火します。強権であればあるほど、抵抗力も鍛えられるということであり、たった一時期の権力者の「我が世の春」は百年も続きません。こんなことはどこの歴史でも見られることですが、権力の座についたものは「思考停止状態」になり、権力維持そのものが政治だと錯覚するのです。

ぼくは動乱や政治的混乱を求めるものではありません。でも、目に余る権力行使や権力の横暴が続くなら、それに対して「暴力も辞さない」という考えはいつでも胸にしまい込んでいるし、その姿勢や態度にカビ(黴)が生えないように、常時点検している。もしアメリカ社会で、度重なる黒人暴動が生じなかったら、黒人の解放(いまでもまだまだ解放されきってはいません)は一歩も進まなかっただろう、そのようなことをフランスの思想家だったフーコーは明言していた。暴力は禁物ですが、政治権力を守る側が圧倒的な暴力を剥き出しにしたら、それに抗するには暴力しかないではないか、抑圧される側の「専守防衛力」「正当防衛」です。
《good !》、 《bad !》これだけで割り切れないのが人間の営みです。それを無理に割り切ろうとすると、大切なものを捨てることになる。「あれかこれか」という狭い範囲でしか自らの選択が許されないことが、この社会をどれほど狭隘で歪(いびつ)なものにしてきたか。これまでもこの駄文収録で繰り返し綴ってきたように、ほとんどの試験は選択問題です。「次の中から正しいものを選べ」と。選択肢の中に「正解」があるというのは神話であり、作り話です。その「正解らしい」答えを判断(決定)するのは教師、こんな愚かしい教育を十数年も経験してきて、精神や感情を毀損されなかった人はさいわいです。多くの教師は「いいね(good)!」ボタンを押すことを快楽としているのではないですか。逆に言うと、「よくないね(bad)!」を刻印する人間を発見する作業が「学校教育」の機能になってきたのです。教師によってたくさんの「いいね!」を押印された児童や生徒、学生はどういう道をたどるのでしょうか。現下の社会で評価されているのは、おしなべて「いいね!」を教師によって印字されたものばかりだというと語弊があるでしょうか。

右か左か、前か後ろか、戦争か平和か、健康か病気か、善か悪か、…このような「二択」にあらゆる可能性を取捨して、無理矢理に閉じ込めるというのはなんと窮屈なことか。28センチの足に20センチの靴を履かせるようなもの。必ず弊害(症状)が出てくる。「いいね!」は、正しくそれですね。人間の精神(思考力)や感情(情操)が歪むのは避けられない蛮行に等しい。たかが「いいね!」ボタンじゃないかと言うなかれ、これは今に始まったことではなく、学校教育の延長なんですよ。人生はすべからく「二択・選択」で決定されているのです、大筋では。(その「いいね!」ボタンに金銭が掛かっているというのはどんなことなんですか。「いいね!」を貰う・得るために、人はどんなことを考える、するのでしょうか)
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新型コロナウイルスの徹底的な封じ込めを図る中国政府の「ゼロコロナ」政策に反発する抗議活動が中国全土で広がっている。デモは首都・北京の中心部にも飛び火し、27日深夜から28日未明にかけて200人以上の市民が表現の自由の象徴となっている白い紙を持ち「自由をくれ」とスローガンを叫んだ。/ 抗議活動があったのは北京市中心部の各国大使館が建ち並ぶ区域。参加者は当初、花束やろうそくを持ち寄って新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きた大規模火災の犠牲者を追悼した。その後、川沿いの散策路でスローガンを叫びながら大通りへと移動。白い紙を持って「私たちには今、自由がない」「PCR検査はいらない、自由が欲しい」などと叫んだ。(略)全土で抗議活動が広がるきっかけになったのは、ウルムチ市で今月24日に10人が死亡した火災。厳格なコロナ対策が影響して被害が拡大したとみられている。インターネット上に投稿されたデモの動画では、習近平国家主席の退陣を求める市民の様子も流れている。(毎日新聞 2022/11/28 02:08)(https://mainichi.jp/articles/20221128/k00/00m/030/004000c)
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