「国または公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずる」(国家賠償法1条1項)

「森友」事件で公文書の書き換え(改竄)を命じられた財務省職員が「自殺」した事件で、改竄を命じたとされる上司(当時の財務省理財局長)の責任を問う、原告(元職員の妻)の訴えに「公務員の個人責任を認めず」という判断が下された。じつに疎ましい法律(国賠法)であり、判決である。公務員個人には職務上の問責は不問で、その責は「国家・地方」が負うという。同事件での国の責任を問う裁判では、去年十二月、原告の訴えをすべて認める「認諾」(賠償責任)という手続きで、裁判そのものにすら入らなかった。(右画像は:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/213967)
「散歩中の飼い犬が通行人に噛みつき、大怪我を追わせた」なら、犬の責任は追及しないで、飼い主の「管理責任」が問われる。それ相応の理由はあるだろう。さすれば、公務員は鎖で繋がれた「飼い犬」に等しい。仮に、野生の犬や猪が人間に危害を加えれば「殺処分」が相場ではないか。「畜生」のくせに「人間」を傷つけたのだから、という廉で、その責任を追求されたわけ。
国家・地方を問わず「公務員」は、飼い犬以下、野生の犬や猪以下の存在なのか。裁判官は、自ら「猪以下の存在」を証明したようなもの。下級審で「死刑判決」を出した裁判が、その後「冤罪」であること明らかにされた裁判事例いくつもある。誤った判決を下した裁判官は、けっして「裁かれない=責任を問われず」のは、公務員だから。「誤審」の責任を追求されたら、おちおち判決など下せない、それがために、いい加減な裁判が横行することになるのだろうか。同様に、公務員の行状や職務が堕落・頽廃するのも、野生の犬や猪以下の存在として、責任を問われない(無答責)位置に縛られているからだ。公務員も人間だ、だからこそ、「人間倫理」の問題として、この状況を放置しておいていいのか。
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佐川元理財局長に「説明や謝罪の法的義務ない」と大阪地裁 森友文書改竄訴訟 学校法人「森友学園」をめぐる財務省の決裁文書改竄(かいざん)問題で自殺した近畿財務局の元職員、赤木俊夫さん=当時(54)=の妻、雅子さん(51)が、佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官に1650万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、大阪地裁であり、中尾彰裁判長は請求を棄却した。国家賠償法や最高裁判例に基づき、公務員が職務で損害を与えた場合は、個人ではなく国が賠償責任を負うと判断した。/当初の被告は国と佐川氏だったが、国は昨年6月、赤木さんが改竄の経緯をつづった文書(通称・赤木ファイル)を開示。その半年後、約1億円の賠償請求を受け入れる「認諾」の手続きをとって訴訟を終わらせた。残る争点は、当時理財局長だった佐川氏個人の賠償責任を認めるかどうかだった。
雅子さん側は、文書改竄は「民主主義の根幹を破壊する悪質な行為」と指摘。佐川氏に責任を負わせることで再発防止を図るべきだと主張した。これに対し、中尾裁判長は、損害賠償制度の目的は被害者が被った不利益の補填(ほてん)で「制裁や同様の行為の抑止を目的としていない」と判断した。/雅子さん側は、佐川氏には改竄を指示した経緯の説明や謝罪をする義務があるとも訴えたが、「道義上はともかく、法的義務はない」と退けた。/ 判決によると、赤木さんは平成29年2月以降、この問題に対処していたが、同年7月に鬱病を発症。30年3月に自殺した。/ 国は認諾の際、赤木さんが強く反発した財務省からの改竄指示などへの対応が自殺につながったことを認めたが、この日の判決は改竄指示と自殺との因果関係に言及しなかった。雅子さん側は閉廷後、判決を不服として控訴する意向を示した。(産経新聞・2022/11/25)
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