人生の核心(真髄)は、’do it myself ‘ ですね

Coming off of a two-year, Vancouver-to-Patagonia bicycle trek, the last thing Martijn Doolaard wanted to do was travel. In late 2019, he’d just finished his second long-distance bike trip, a solo journey down the west coast of the Americas that he spent camping, documenting, and writing about for his second book, Two Years on a Bike. This was new terrain for Doolaard, though he’d made similar voyages before. Prior to releasing this second offering, he’d spent 2016 and 2017 cycling from Amsterdam to Singapore, which he summed up in his first book, aptly entitled One Year on a Bike.

Retiring the bike in early 2020, Doolaard felt it was time for something new, something a bit more permanent. During his travels, he’d picked up a new obsession: homesteading, a trend that became more and more popular throughout the pandemic as people around the world reconnected with the outdoors while also feeling a sense of uncertainty toward the future.(Omitted below)(https://sharpmagazine.com/2022/10/11/martijn-doolaard-interview-homesteading/)(下の写真も「SHARP」誌から)

 この著者(1989年12月生まれ)について、ぼくは知らないままに時が過ぎていました。(右の「バイクで一年」をいつだったか読んだことがありました)若い頃からのナチュラリスト(反文明派)と言っていいのしょう。ぼく自身も「野生児」の素質は多分に持っていましたので、マーティンさんの時間の使い方に大いに刺戟されていた。昨年でしたか、何気なしにネットを見ていたら、見覚えのある顔が出ていました。それもイタリ西部のアルプスの一角から。(詳細は省きます)彼は標高六百メートルだったかの山岳地帯に石の家(廃墟)を購入し、それを、骨組みは残したままでリニューアルしようというのです。偶然見た、その景色・景観のみごとさと、その自然景観をすくい取るカメラワークの素晴らしさ(何とも言えない洗練された「センス」の穏やかで鋭い切れ味に惹かれます)に肝をつぶしました。彼はカメラを操り、デザインを物にし、料理もなかなかと、多方面の仕事師(プロ)だったのです。本当に才能が豊かな人を実感する。(彼には数冊の著書があります)番組で流される音楽が、なんともいえない奥ゆかしさを出しています。その趣味の良さも感じさせられています。

 今の時代を席捲(せっけん)している感のあるユーチューブ(youtube)番組の中でも、ぼくは好んで家造り、その多くはログハウスです、みずからその仕事を手作りでする(DIY)、そんな番組をたくさん見てきました。恐らく二、三十を数え上げることは簡単にできそうです。それはそれで、ぼくは堪能しているのですが、この百年以上も前に作られた石造の廃墟にいどみ、それをみずから黙々と仕上げていく根気と段取りのよさに、ぼくは感心してしまいました。ここに紹介しようとする一本の番組は、廃墟から始まります。(実は、ぼくが憧れていたのは、こんな手仕事の日常でした)アルプスの所在地はピエモンテ州(左図)。首都はトリノです。番組ではしばしばワインが出てきます。イタリアはどこでもいいワインがあります。(ぼくの友人はピエモンテ産が大好きで、店もその名の、イタリヤ料理屋に何度か誘われたことがありました。遠い昔の話です)

 無駄話です。いまから二十年ほど前に伊豆半島の天城高原に、やはり標高六百メートルの地に約七百坪の土地を手に入れ、手作りは無理としても、それなりの素朴な山暮らしを送る予定でした。東側は相模湾が一望できるところです。そこで拙い原稿を書きながら、忙しくない時間を送ろうかなどと考えていたのでした。しかし、実際には、世間の付き合いが多忙を極めたため、さらにはいくらかの病気に襲われたりして、遂に初期の願いは放棄するにいたり、土地は、手つかずで放置していました。(希望者がおられたら、お安く譲りたいと考えているのですが)

 マーティンんさんの「映像(画像)」を見るにつけ、「人間の生活」 ー 「どういう場所で、どういう生活をするか」ということをしみじみと考えたりしています。彼は多彩な人ですが、また人望もあるのでしょう、ネットでつながった若者が世界各地から訪問して、仕事を手伝うという場面もありますし、旧知の友人たちも、時には手を貸すように山中にでかけてきます。彼の人柄には、他者を寄せ付けつ(寄り付きたくな)るほどの懐の深さがあるのかもしれません。この先、この「家造り」がどういう展開になるのかぼくにはわかりませんが、おそらく石造りの「納屋」は見事に再生され、また新たな生命を紡いでいくことになるのでしょうね。雨も嵐もあるのが人生です。晴天ばかり、悪天候続きなどは考えられないものです。この山上の生活の質をも描きだそうとしている番組を観ていると、素朴極まりない石造りの家で人生を送った、多くの人々の「不便」で、「野蛮」でもあった生活の「面影」に思いを致し、文明波浪に洗われている現代人の「無機質な生活」の行く末を考える機会にはなりますね。

 Martijn Doolaardhttps://www.youtube.com/c/MartijnDoolaard/featured

 もう数年前から、ぼくは「今は、youtubeの時代」だと言ってきました。ぼく自身はそれをする興味はないし、時間も持っていない。多種多様な番組が氾濫している中で、わきめて限られた範囲でしか、それらの番組を見ないのです。そういう制限された中でも、この手の「作品(物作り)」に引き付けられ、大いに無駄な時間を堪能している。現在地に引っ越してから、気になっていたことの一つが、土地の形状でした。自宅の敷地の裏側が法地(急斜面)でしたが、造成時に十分に手間ひまをかけなかった(金も)せいで、大雨などには危険な事態が予想されていました(高低差は五メートル程度)。平地には約30トンの山土を搬入しました。法面には竹や杉や檜が植栽されていたのですが、景観的にもあまり好みませんでしたので、少しずつ時間をかけて、ぼく自身の手(ノコギリ)で樹木や孟宗竹を伐採してきました。明るくはなった分、造成をし直す必要を感じだしていた。それなら、ここに「石垣」を作ろうと、知り合いの石屋さんに相談した。あまり大きな石ではなく。手頃の石を積んで、少しでも斜面が崩れない算段をと考えていた。そうこうしているうちに、時間も経過し、ぼくは八十の手前まで来ました。武田信玄でしたか、「人は石垣」といっていたのを思い出している。でも、やはりというか、老人と石垣などとは洒落にもなりません。

 前々から「石垣作り」のノウハウもそれなりに学んできました(もちろん自己流です)ので、来年の春ころから、どこまでできるか皆目わかりませんが、少しずつ積み上げようと愚考しています。マーティンさんは四十歳前です。彼に刺激されての、「八十の手習い」のようでもありますな。植木の剪定はお手の物で、相当数の樹木も数日がかりで仕上げてきました。無理はしないで、自らのできる範囲で、なにやかやと仕事をするのは、いろいろな面において悪いことではないでしょう。そういうことが始められるようになったら(それくらいに元気が持続していたなら)、この駄文集も一新して、動画もふんだんに取り入れ、世間に向かって「悪態をつく」度数・精度を深めてみたいですね。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。