思考する演奏家であるこの類い希なアーティスト(Bernstein)

 【日報抄】「『もっこ』だったからね」。亡き父について母はよく、愛情を込めて揶揄(やゆ)する。「もっこ」は佐渡弁で「へそ曲がり」や「変わり者」。家では無口で自己主張をしなかったが、長年連れ添った母には頑固な一面を見せたのだろう▼ことし生誕90年、没後40年を迎えたピアニストのグレン・グールドも正真正銘の「もっこ」だった。天才ぶりや端正な顔立ちとともに奇行が注目を集めた。夏でもコートを着込む。背を丸めたり足を組んだり、セオリーに反する姿勢でうなり声を上げて演奏した。独自の作品解釈を曲げず、周囲と衝突した▼名指揮者バーンスタインと共演した演奏会では、最後までテンポについて意見が合わなかった。納得いかないバーンスタインは聴衆に「これはグールドのテンポです」と前置きして演奏したという▼普通なら脂が乗る30代でコンサート活動から退き、専らレコーディングに取り組んだ。現在のようなデジタルの編集技術はない時代。録音テープを切り貼りし、最高の音を追求した▼彼の演奏は今も根強い人気がある。録音メディアを芸術と呼べる領域にまで高めた先見性も近年、改めて評価されている▼自分を曲げない人は、しばしば厄介者と見られる。だが、彼らの発想やこだわりは新しい価値を生み出してきた。アップル創業者のスティーブ・ジョブズも長岡藩家老の河井継之助も偏屈と言われた。近年はあえて「変人」を採用すると掲げる企業もある。今後「もっこ」は褒め言葉になるかもしれない。(新潟日報・2022/11/11)

協奏曲にあっては誰がボスなのか?(会場爆笑) 独奏者なのか、それとも指揮者なのか?(大爆笑)」(このライブ録音を、かなり前にネットで見たことがありました。バーンステインにとってはかなり深刻な場面であったと思われましたが、ユーモアの感覚を失わず、しかもグールドに対する彼自身の評価(敬意)も添えて、「テンポの不一致」を説明しました。これは「グールド氏のテンポだ」と。異例の「告白」でしたが、それはまた、指揮者の「良心」というものだったとも言えそうです。ぼくには好感が持てた。(バーンステインの内心穏やかならざる「心境(雰囲気)」も感じましたが)(https://www.youtube.com/watch?v=iHz2i6bhUXw

 「ボス云々」は、バーンステインのスピーチの触りです。グールドという音楽家、言うまでもなく、ぼくがもっとも好んだ人で、彼の右にも左にも、誰も出る人はいないというくらいに、彼を受け入れていたし、とにかく、このピアニストにははまり込んだ人生でした。ぼくは彼をすでに半世紀以上も聴き続けています。もちろん、バーステインも好きでした。彼は多彩な人でピアノも作曲もやり、指揮も本職として大いに評価されてきた人でした。「ウエストサイド物語」の音楽を作曲した。また小澤征爾さんをいの一番に評価した人としても忘れられない音楽家でした。彼は、若い才能を伸ばすことに大きな労力を注いだことでも知られています。

● バーンスタイン(Bernstein,Leonard)([生]1918.8.25. マサチューセッツ,ローレンス[没]1990.10.14. ニューヨーク=アメリカの指揮者,作曲家。ハーバード大学で作曲を学び,卒業後カーティス音楽院で F.ライナー,S.クーセビツキーに指揮を学んだ。 1943年ニューヨーク。フィルハーモニー交響楽団の指揮者 A.ロジンスキーに認められ,副指揮者となる。 45~47年ニューヨーク・シティー・センター管弦楽団の指揮者,58年ニューヨーク・フィルの常任指揮者。翌年同楽団監督となり,ニューヨーク・フィルハーモニックと改称するなど数多くの新しい試みを行なった。一方,作曲家としても『エレミア交響曲』で 42年ニューヨーク批評家賞を受賞。ポピュラー音楽にも手を染め,ミュージカル『オン・ザ・タウン』 (1944) ,『ウエスト・サイド物語』 (57) ,その他バレエ・映画音楽など幅広く活躍した。(ブリタニカ国際大百科事典)

 この「ブラームスのピアノ協奏曲一番」は曰くつきで、ぼくもこのライブ盤を持っています。(1962年4月6日、カーネギーホールでのライブ)もちろん録音はモノラルです。そのような器械的なレベルの低さが消えてしまうような、ぼくにとっては新鮮な演奏でした。この二人には多くの演奏(共演した)が残されています。おそらくバーンステインはグールドの天稟(てんぴん)を誰よりも認めていたのでしょう。ぼくがバーンステインを愛聴するのは、この度量の広さ・深さでした。この島の音楽家、ことにに指揮者で、彼の導きを受けた人はたくさんいます。

 グールドについては、何度もこの駄文集録で触れていますので、ここでは余計なことは言いません。もはや、没後四十年も過ぎたかという感慨はあります。訃報を聞いたときの衝撃のような驚きは今でもはっきりと記憶しています。ぼくは四十前でした。それ以前から、彼の演奏論を書いてみようと四苦八苦していたのですが、遂に書くことはありませんでした。ひたすら聴き続けるということに徹したのです。彼の記録で、公刊されたもののほとんど(レコードや書籍その他)を手に入れ、こんな天才が同時代に行きているという感覚をいつでも豊かに持っていたいと念じてきた。(このブラームスの「P.C.協奏曲一番」のエピソードについて触れている方がおられましたので、紹介しておきます。「クラシックのCD聴き比べ」)(https://www.youtube.com/watch?v=iHz2i6bhUXwl

 本日はここまでにします。グールドのレコード録音の方法などについても述べるべきことがありますが、それも別の機会に。「日報抄」の記者の導きにより、思わないところ、思わぬ時期にグールドに再会したような気がしましたし、こんな経験は今回が初めてでした。同好の士がどこにでもいるという驚きと共感を、同時に得たという貴重な機会を喜んでいます。

 モーツアルトは「神童」とか「天才」と称されてきました。ぼくはその実際は知りません。しかし、グールドは、紛れもなく「ジェニー(genius)」の名に値する音楽家だったと、同時代に生きて、彼の演奏を聴く機会に恵まれた人間として、身をもって信じてきました。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。