「民主主義と選挙」雑感

 「骨折り損の草臥(くたび)れ儲け」とは、どうせ苦労しても疲れるばかりで、少しも成果がないことの例えとして、あまりいい方便としては使われてこなかった。「いくらやっても無駄」というのでしょう。これと似ているのではありませんが、ぼくは「百聞は一見に如(し)かず」という俚諺が好きです。「見ると聞くとで大違い」とも。もちろん、そのままで受け取るのではなく、一面では正反対のものとして、です。多くは「百を聞くより、一回見る方が確か」とでもいうらしい。でも、なんの学習もなければ、実物を見たところで、なにもわかるものではない、「百聞という経験」があればこそ、一見の価値は確かなものになると、ぼくは言いたいのですよ。

 「骨折り損」の方はどうでしょう。せっかく苦労したのに、草臥(くたび)れただけだというらしい。骨を折って損をした、それはご苦労様でしたね。しかし、無駄ではなかった、「草臥れが儲かったのだから」と、ぼくは受け取る。こちらも「経験すること」の大切さ、確かさです。ぼくたちがなにかを学ぶのは「経験する」ということです。「民主主義とはかくかくしかじか」と学校で習ったといいます。でもそれは習った(教わった)けれど、実際には学んでいませんね。民主主義を経験していないのではありませんか。どんなに真面目に投票に行っても社会は変わらないと、棄権する理屈を述べる人がいます。投票率が三割に満たない選挙は、はたして制度として成立しているのか、たしかにぼくは大きな疑いを持っています。自分の思うように時代や社会が変わらない、それは当たり前でしょう。だから「投票に行っても無駄」ということにはならないと、ぼくは考えています。

 「ローマは一日にして成らず」というのは、どういうことを言うのでしょうか。「ローマ(を例にしていうなら)建設」という大事業は一日で出来上がるものではないという、それなら「民主主義というローマ」は、権利を有するすべての人の参加(意識)がなければ、到底望めないのではないでしょうか。日米の選挙模様を眺め、彼我の差や「選挙制度が罹患している病状」を考えるにつけ、いくつかの浮かび出てきた雑感の端くれを綴りました。

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 徒然に日乗(XXI~XXV)

民主主義と選挙 ~ アメリカの中間選挙の開票状況をネットで見ていました。朝の五時ころからお昼ころまで。上・下院の選挙は、「小選挙区制」で、当選者は一選挙区一人。これはスッキリしていていいですね。この島の選挙の仕組みは、小選挙区選出議員に加えて比例代表だのなんだのとよくわからない(既存政党の利害調整の賜でしょう)。選挙区の投票者が「落選」と決定した候補者が、別のカテゴリー(比例区)で選ばれるという、じつに珍奇な制度です。落選したのに、当選するという、珍無類の現象が現出している。もちろん、どんな制度にも長短はあります。それにしても、小選挙区比例代表並立制などと御託を並べて、選ばれる議員は「滓(かす)」ばかり(と言えば、「選良」は立腹し復讐するかもしれないが)、選ばれるものが「滓」だから、その「滓」の中から釣り上げられる「大臣」といったら、滓に輪をかけた「愚図」ばかりという、とんでもない惨状を、連日連夜のように見せつけられています。▼ もちろん、アメリカだって、かなりいい加減というか、負けそうになると(結果はまだ出ていないのに)、この選挙は奪われたと、あちこちで声を上げる出鱈目さ。ある女性知事候補が「あなたは自分が負け(そうにな)ると、選挙は盗まれた」という。「勝ったら、どういうのですか」と質問されて、答えに窮していた。曰くつきの元大統領だって、未だに「盗まれた選挙」といいつつ、選挙運動を展開している始末です。いずれにしても、民主主義の制度的担保が「選挙だけ」という根拠は脆弱ですね。「ナチ」は選挙を通して生まれていったという、近年の歴史を忘れたくないね。(もちろん、権利行使する選挙民は「賢い人間」(偏差値とは無関係の「賢さ」)であることが条件ですよ)「徒然日乗」・XXV)(2022/11/10)

「猫に鰹節」は厳禁ですね ~ だから、猫に小判ならぬ、猫に首輪、です。生後三ヶ月の八つ子で、白が五に赤虎が二、黒が一。「白」は、全員がほとんど同じで、区別が付きません。赤虎も同じ顔容(かおかたち)。動物医院に連れて行く時に往生します。どれがどれやらと、医者からも「分かるようにしてほしい」と要求が出ました。アマゾンで九個の首輪セットを購入。なんとかして、全部につけたい。先に生まれていた子は、少し大きくなってからつけようとしたら、もう大変でした。五個分ほどつけたのですが、一日かそこらですべて外され、すっかりなくしてしまった。いまでも、薬を飲ませたりする際に、区別が付かないで、「君の名前は?」と聞く始末。答えてはくれませんが。朝ごはん時の出席確認も大変。なにしろ我が家は出入り自由ですから。▼ 本当はなにもしないほうがいいに決まっている。でも、当方の間違いを防ぐために、名札(なふだ)代わりにと、我慢してもらうばかりです。少し先に生まれた子にも「名刺(名札)をどうぞ」と試みるのですが、つけるやいなや、もぎ取ってしまう。(たった今もそう、わずか数秒で「瞬殺」でした)もうこうなると、相当に「野生化」したと言えそうです。▼ これは猫集団ばかりではなさそうで、人間社会にも、お仕着せやしつけ(躾)をするのに効果なく、かなり手遅れ状態のものが蔓延(はびこ)っているようです(表現はよくありませんが、「傍若無人」「我が物顔」という意味では、野生化・野獣化してしまったかもしれませんので、不適切な物言いはお許しを乞う)。(追記:犬や猫にパンツやシャツを着せるという趣味はぼくにはないし、猫や犬にもないでしょう。自然がいいと。人間でも同じではないかと、当の本人からの判断や行動を引き出したいですね。自分でパンツをと、猫が欲するなら、致し方ないが)(「徒然日乗」・XXIV)(2022/11/09)

▼ ぼくには「戦争の記憶」はない。生まれは敗戦一年前の九月でしたから、記憶力抜群の神童だったら戦時の惨状の幾分かは覚えているでしょう。さいわいにして、ぼくは凡児でありました。しかしこの年齡になって、いたく戦争の「怖さ」を痛感している。端的に言うなら、「日常が戦争」であり、「戦争が日常」になるという「不感症」への恐怖です。恐怖といって誤解されるなら、戦争に「馴れる」という感覚の怖さ、鈍麻、無感覚に陥ることです。▼ 今現在、猛烈な戦闘(殺戮)が続けられています。日に何度か、その状況をニュースで知る。しかし、「侵略」開始当初の「怒り」「異議申し立て」「反対」が、なくなったわけでもないにもかかわらず、日常に埋没していないかどうか、ぼくはいつでもそのことを自問しています。侵略戦争は断じて認められず、その一点で地球上の大方の合意が得られるかと思いきや、ロシアに武器援助をする国がいくつもある。ウクライナに対して大手を振って「武器援助」をNATO諸国はしている。それどころか、米国がウクライナを動かして「代理戦争」をしているとも言われている。アメリカの中間選挙の結果は「戦争の現状」に少なくない影響を与えるとも。▼ 何の罪科もない、無辜の民が殺されるという、それだけで戦争は断じて認められないと決断・行動するほど、人間は賢明ではないということか。▼ 要するに、ごく一部の破落戸(ならずもの・ごろつき)が「覇権」を競っているだけの「無謀そのままの野蛮」に、この時代は支配されているというほかなさそうです。それに拮抗しうる方途をぼくたちは持ち得るのか、それが問われています。戦いによる勝ち負けを待つのではなく、戦いをやめる方途をこそ。(つづく)(「徒然日乗」・XXIII)(2022/11/08)

日常のなげきに狎(なれ)れつ冬に入る (蛇笏)~ 本日は「立冬」だそう。人の振る舞いに無関係に季節は巡る。七十二候(初候)では「山茶始開(つばきはじめてひらく)」とも。「山茶(さんちゃ)」は「椿」の漢名、「山茶花(さざんか)」を指すこともある。わが荒れ庭の五、六本ばかりの「山茶花」も咲き出している。七十二候でいう「山茶(つばき)」は自家用栽培の茶木。▼ 外界の現象に時間を奪われ、興味を強いられるままに「冬」は来た。慌ただしいばかりの明け暮れで、この先も続く予感も頻りです。ますます酷くなること請け合いと、情けない始末です。現下の事態は「停滞」とか「泥沼」などという悠長な段ではなく、まるで「地獄を見る」ところまで来ているような、「ホモ・サピエンス」のなす罪業に悍(おぞ)ましさを覚える「冬の入り」です。貧寒というのはこのざまをいうのか。(「徒然日乗」・XXII)(2022/11/07)

ジャーナリズムの夜明け~とっくに夜が明けているともいえるし、まだ夜は続いている、闇は深いということもできます。昨年のいつ頃でしたか、ネットの番組で元朝日新聞記者のS.H. 氏を知った。同社の政治部長だったという方です。御年五十歳。四十九歳で退社されたそうです。S さんの話や書かれたものを読んで、教えられています。SAMEJIMA TIMESを主催されているので、時々、そこに立ち寄っては、書かれたものに目を通しています。▼ ぼくは、早い段階から「独立派」、つまり、どこにも帰属しない無所属の職業人を大変に尊敬してきました。ぼくのように堕落した人間、小心者は会社に入って、目立たず慎ましく、年月が過ぎ去るのを待つばかり、そんなタツノオトシゴのような生き方をしていると、無性に「無所属」に憧れてしまう。朝日新聞を退社した人を何人も知っています。定年(諦念)を待たず退職する理由は、それぞれでしょうが、そこに居続けられないという点では共通しています。▼ 朝日に限らず、他社(マスコミ)を中途で辞められた方の多くは、ジャーナリストとして旗を掲げておられる。そのような人々は、ある種の回り道をした方ですが、これからはますます「無所属派」が増えていくことでしょうし、歓迎したくなります。老化現象の著しい人間であるぼくは、そんな無所属派の書かれた記事や原稿から、さまざまな刺激を受けている。インディペンデント、言うは易く行うは難し。ぼくの後輩の何人かも、最初から無所属で精進されている。呑気に衰えてなんかいられない気にさせられますね。(「徒然日乗」・XXI)(2022/11/06)

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 思考する演奏家であるこの類い希なアーティスト(Bernstein)

 【日報抄】「『もっこ』だったからね」。亡き父について母はよく、愛情を込めて揶揄(やゆ)する。「もっこ」は佐渡弁で「へそ曲がり」や「変わり者」。家では無口で自己主張をしなかったが、長年連れ添った母には頑固な一面を見せたのだろう▼ことし生誕90年、没後40年を迎えたピアニストのグレン・グールドも正真正銘の「もっこ」だった。天才ぶりや端正な顔立ちとともに奇行が注目を集めた。夏でもコートを着込む。背を丸めたり足を組んだり、セオリーに反する姿勢でうなり声を上げて演奏した。独自の作品解釈を曲げず、周囲と衝突した▼名指揮者バーンスタインと共演した演奏会では、最後までテンポについて意見が合わなかった。納得いかないバーンスタインは聴衆に「これはグールドのテンポです」と前置きして演奏したという▼普通なら脂が乗る30代でコンサート活動から退き、専らレコーディングに取り組んだ。現在のようなデジタルの編集技術はない時代。録音テープを切り貼りし、最高の音を追求した▼彼の演奏は今も根強い人気がある。録音メディアを芸術と呼べる領域にまで高めた先見性も近年、改めて評価されている▼自分を曲げない人は、しばしば厄介者と見られる。だが、彼らの発想やこだわりは新しい価値を生み出してきた。アップル創業者のスティーブ・ジョブズも長岡藩家老の河井継之助も偏屈と言われた。近年はあえて「変人」を採用すると掲げる企業もある。今後「もっこ」は褒め言葉になるかもしれない。(新潟日報・2022/11/11)

協奏曲にあっては誰がボスなのか?(会場爆笑) 独奏者なのか、それとも指揮者なのか?(大爆笑)」(このライブ録音を、かなり前にネットで見たことがありました。バーンステインにとってはかなり深刻な場面であったと思われましたが、ユーモアの感覚を失わず、しかもグールドに対する彼自身の評価(敬意)も添えて、「テンポの不一致」を説明しました。これは「グールド氏のテンポだ」と。異例の「告白」でしたが、それはまた、指揮者の「良心」というものだったとも言えそうです。ぼくには好感が持てた。(バーンステインの内心穏やかならざる「心境(雰囲気)」も感じましたが)(https://www.youtube.com/watch?v=iHz2i6bhUXw

 「ボス云々」は、バーンステインのスピーチの触りです。グールドという音楽家、言うまでもなく、ぼくがもっとも好んだ人で、彼の右にも左にも、誰も出る人はいないというくらいに、彼を受け入れていたし、とにかく、このピアニストにははまり込んだ人生でした。ぼくは彼をすでに半世紀以上も聴き続けています。もちろん、バーステインも好きでした。彼は多彩な人でピアノも作曲もやり、指揮も本職として大いに評価されてきた人でした。「ウエストサイド物語」の音楽を作曲した。また小澤征爾さんをいの一番に評価した人としても忘れられない音楽家でした。彼は、若い才能を伸ばすことに大きな労力を注いだことでも知られています。

● バーンスタイン(Bernstein,Leonard)([生]1918.8.25. マサチューセッツ,ローレンス[没]1990.10.14. ニューヨーク=アメリカの指揮者,作曲家。ハーバード大学で作曲を学び,卒業後カーティス音楽院で F.ライナー,S.クーセビツキーに指揮を学んだ。 1943年ニューヨーク。フィルハーモニー交響楽団の指揮者 A.ロジンスキーに認められ,副指揮者となる。 45~47年ニューヨーク・シティー・センター管弦楽団の指揮者,58年ニューヨーク・フィルの常任指揮者。翌年同楽団監督となり,ニューヨーク・フィルハーモニックと改称するなど数多くの新しい試みを行なった。一方,作曲家としても『エレミア交響曲』で 42年ニューヨーク批評家賞を受賞。ポピュラー音楽にも手を染め,ミュージカル『オン・ザ・タウン』 (1944) ,『ウエスト・サイド物語』 (57) ,その他バレエ・映画音楽など幅広く活躍した。(ブリタニカ国際大百科事典)

 この「ブラームスのピアノ協奏曲一番」は曰くつきで、ぼくもこのライブ盤を持っています。(1962年4月6日、カーネギーホールでのライブ)もちろん録音はモノラルです。そのような器械的なレベルの低さが消えてしまうような、ぼくにとっては新鮮な演奏でした。この二人には多くの演奏(共演した)が残されています。おそらくバーンステインはグールドの天稟(てんぴん)を誰よりも認めていたのでしょう。ぼくがバーンステインを愛聴するのは、この度量の広さ・深さでした。この島の音楽家、ことにに指揮者で、彼の導きを受けた人はたくさんいます。

 グールドについては、何度もこの駄文集録で触れていますので、ここでは余計なことは言いません。もはや、没後四十年も過ぎたかという感慨はあります。訃報を聞いたときの衝撃のような驚きは今でもはっきりと記憶しています。ぼくは四十前でした。それ以前から、彼の演奏論を書いてみようと四苦八苦していたのですが、遂に書くことはありませんでした。ひたすら聴き続けるということに徹したのです。彼の記録で、公刊されたもののほとんど(レコードや書籍その他)を手に入れ、こんな天才が同時代に行きているという感覚をいつでも豊かに持っていたいと念じてきた。(このブラームスの「P.C.協奏曲一番」のエピソードについて触れている方がおられましたので、紹介しておきます。「クラシックのCD聴き比べ」)(https://www.youtube.com/watch?v=iHz2i6bhUXwl

 本日はここまでにします。グールドのレコード録音の方法などについても述べるべきことがありますが、それも別の機会に。「日報抄」の記者の導きにより、思わないところ、思わぬ時期にグールドに再会したような気がしましたし、こんな経験は今回が初めてでした。同好の士がどこにでもいるという驚きと共感を、同時に得たという貴重な機会を喜んでいます。

 モーツアルトは「神童」とか「天才」と称されてきました。ぼくはその実際は知りません。しかし、グールドは、紛れもなく「ジェニー(genius)」の名に値する音楽家だったと、同時代に生きて、彼の演奏を聴く機会に恵まれた人間として、身をもって信じてきました。

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