フリー(自由な)というのは「不安な」「不安定な」と同義です。エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本にはよく教えられました。中でも「自由から逃走する」という、よくわからなかった心理と行動も、自由そのものの真意を探り当てると、ぼくにはよく納得できたのです。自由とは「寄る辺ないこと」で、頼るものが存在しない状況を指します。だから、それは一面では不安であり孤独をかこつことになるのでしょう。自由から、つまり不安から逃れて、すがるべきなにかに依存する、それは「教会」であったり、何らかの団体であったり、要するに自らにとっては「権威」であると感じられるものです。そこに全身全霊をもって飛び込む。それで、一筋の寄る辺を見出した、と思う。フロムは「ナチの時代」を描きました。自立し自由であることの「不安」から逃れて「全体主義」「ファシズム」の波濤に身投げする、それで自らの安心が得られたと感じたのです。まさに「自由からの逃走(Escape from Freedom)」でした。ライフジャケットは装着していなかったんですね。
この島の大学が戦後になって、必要以上に求められ、商売繁盛したように見えたのは、大学が「就職予備門」だったからです。卒業後はどこかの組織に入ることを求める人々が、大学の拡張、いや膨張を促した。大学はサラリーマンの授産場となったのです。この時、企業や組織は「教会」であり「寺門」であり、どこかしら「権威」を持つとみなされたのでしょう。そのように見做(な)すのが悪いというのではなく、小学校から大学まで、「他人から教えられる」という経験を強いられてしまうと、自立や独立はなかなか困難になるという感情人間の受け皿になったのが、その種の「権威」だったということです。

独創的とか、自立するという傾向が多くの若者から失われたと、多くの人が感じるのは、学校教育の、一面では成功であり、多面では失敗でもあったといえます。この愚劣島のあらゆる方面で、著しく活力が失われたように感じさせるものは、いわば「無頼派」「無所属」「独立派」が極端に少なくなり(遠ざけられ)、反対に「会社人間」「組織志向者」「使われる人間」が圧倒的多数を占める社会だったからでしょう。そのような社会状況は、今の時代にあっては、否応なく、もう一つ別の方向に進まざるを得なくなってきたということも出きるのではないでしょうか。廃藩置県ではなく、それを飛び越えた「ジョン万次郎(羅針盤を持たない漂流者風)」の世界が現出しかかっているのです。「目立たない存在」を目指した時代から、少しは「出る杭」「打たれる杭」になる傾向を持つ人々が生まれる(期待される)時代へと、ひそかにではありますが、動いているような気もします。まあ希望的観測かもしれませんが。
江戸時代に照らすと、企業は諸々の藩でしょう。大小様々、人間はどこかに属さないと、それは浪人(身元不明人)でしかないから、誰もまともに取り扱ってくれませんでした。身分社会の上部であって、こうですから、下の身分では話にならない時代が、今も続いているのではないでしょうか。今日までも「幕藩体制」が維持されていると、ぼくは長い間考えてきました。大学は、さしずめ「藩校」でしたね。これが解体されかかっていますが、さあ、どうなりますか。完全に壊れることはないかもしれないが、藩に属さないと人間ではないという「時代遅れ」の感覚は通用しにくくなってきたのではないですか。希望を持った観測です。
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「徒然日乗」(XVI~XX)
▼「国葬儀(偽)」済んで、すっかり秋の日が暮れて。あれは一体、何だったのか。夢幻だったかもしれない。何を葬り弔ったのか。「侘しさ」だけが充満している。義理や人情で「国を仕切る」という無法かつ無謀を強いられた「権力者」から漂うのは「孤立無援」「孤独無能」に取り付いた憐れさの残り滓なのかもしれません。自分が死ぬほど恋い焦がれた「地位」はこんな虚しいものだったのか、そんな反芻の要にすら思い至らないでしょう。▼ ぼくたちが現実に見ている「茶番」は、いつの「歴史」にも見られることではない。ひどいのはいくらもいた。今もいる。しかし、位、人臣を極めることに半生を懸け、残るは「大勲位」だけという、ショボクレた「野心」(「痩心・やしん」)」の末期を見せられる恥ずかしさと悔しさ。やりきれないほどの「頽廃」だし、人心の倦むこと限りなしという惨状になるのは瞭然。この二十年余の腐敗した権力争いは、この先も続くのか。この島の「政治悲喜劇」の上演時間はほぼ尽きたように、ぼくには感じられます。誤解されそうですが、悲観ではなく、楽観について語ったつもり。(「徒然日乗」・XX)(2022/11/05)
▼ 心晴れない日が続きます。あくまでも自分の心持ちが不安定というか、落ち着かないからでしょうが、いくら年齢を重ねても「ゆったりと」「落ち着いて」という生活の流儀が得られないのは、なぜか。もちろん、ぼく自身、年相応に経験の蓄積ができていないからと断定はできます。若い頃から短気だったので、できる限りそれを克服することに「注意」を集中してきた。にもかかわらず、老齢になって、逆に短気がますます嵩じている始末で、ほとほと嫌になります。▼ 「情念からの解放を求めて」などという、一人前の「生きる流儀」について本も書きましたが、身につかないんですね、これが。今ごろになって、「いい社会」などと偉そうなことを口にしているのも、要するに、人間の誤ちの九分九厘は「不注意」から生じるという、単純な真理に、今一度、踵(きびす)を返したいと念じればこそ、です。「不注意」は冷静さを失った時に闇雲に生まれるのです。(「徒然日乗」・XIX)(2022/11/04)

▼ 男性か女性かを問わず、誰かと誰かの共同生活に子どもが加わる。これを「家族」というのでしょう(事実婚とか法律婚という名付け方はどうでしょうか)。夫婦(男と女とは限らないし、子どもも「実子」である必要はない)には、それぞれの「地位」にふさわしいとされる「役割」があり、「父・母」と「長男・長女」などという関係にも求められる「行動」があります。どんな集団にも、濃淡の差はありますが、地位群があり、その地位に応じた「役割(務め)」が求められます。父親らしい行動とか、教師にふさわしくない行為など、それぞれの地位と役割の承認によって「社会」は成立しています。地位にふさわしくない、役割を果たしていないなどとみなされる場合、その人々は社会(集団)的非難や批判を受けますね。▼ これまでの社会観とは無関係ではありませんが、ぼくはもっと個人同士のつながり・親密さにおいて、社会(集団)をとらえたい。親子関係であれ、教師と生徒の関係であれ、地位と役割の根底に「他者(相手)への心遣い・敬う心」が求められます。自らの不注意によって過ちを犯す、それは自己や他者への配慮が欠けるとき(不注意によって)に起きますね。自他への「配慮」「思い遣り」、それをぼくは「注意」と呼びたい。それぞれが「注意深く」考え行動する時、犯さなくていい過誤や失敗から救われるのではないでしょうか。他人がするのは「助言」「命令」「忠告」などと言われるもの、「注意」は自分が自分に対してするものです。「いい社会」とは、そんな「注意深い個人」によって作られる集団なのだと、じつに単純であって、とても難しい集団のあり方をいつでも考えてきました。民主主義の理念もここに、ここから生まれますね。(https://www.bbc.com/news/world-asia-63468752)(つづく)(「徒然日乗」・XVIII)(2022/11/03)
▼ いい社会とは? こんな質問をいつでも、誰彼なしにしていました。反応はいろいろ。けれども、ぼくが求めていた「答え」らしいものは、まずなかった。大半の人は「社会」の定義を難しく考えていたと思う。社会というのは「集団」です。家庭、学校、地域社会や企業(会社)、あるいは市民社会、さらには「国家社会」など、さまざまな段階(形態)がありますので、どれにも妥当するような「いい社会」観が見えなかったからでしょう。ぼくはじつに単純に 「家族(家庭)」を頭に置きます。いい家庭とは?これならもっと具体的に、身に覚えもあるので、いい条件が見いだせるでしょう。家庭という社会集団は、夫婦(親)と子(兄弟・姉妹)を中心に作られています。これが基本型というか、理念型。親ひとり・子ひとりもあれば、犬や猫といっしょに作る家庭もある(夫婦だけのこともあります)。そのような集団において、もっとも望ましいあり方とはなんでしょうか。▼ 父(夫)や母(妻)が役割を果たす、子どもも、その地位(長男とか長女)などにふさわしい行動を取ると言えば、わかった気になりますね。でも、ぼくはそんなところに「いい社会」の条件を求めない。たった一言で、「いい社会とは?」 ― それぞれが「自分に対して、注意深い人間になること」、そんな方向(期待)を持った社会(集団)です。「注意」というと、ほとんどの人は「他人に注意する」と考えますが、それは間違いというか、とらえ損なっていますね。「注意は自分に払うもの」です。(Be careful)(Pay attention to myself)他人に対して、どんなに注意しても、それを聞く(受け入れる)かどうか、それは他人次第です。最後は「当人」ですね。〈You can lead a horse to water,but you can’t make it drink.〉(つづく)(「徒然日乗」・XVII)(2022/11/02)
▼ 数日前に、どこの予備校だったか、「大学全入時代に突入」という見出しをつけた記事を出していました。ぼくの感覚では、相当前から、実際上は「大学全入」が始まっていた。文科省の決める「定員」と大学が判断する「入学者数」には、かならず乖離があり、ひそかに(超過した)定員数を確保している大学が後を絶ちませんでした。ぼくは勤め人時代から「希望者は全入に」と主張してきた。今もその考えに変わりはありません。▼「大学」の存在理由、あるいは「大学教育」の必要性は、時代とともに変化してきた。にもかかわらず、大学関係者は、その変化に鈍感だった時期が相当続きました。すでに大学は「真冬の時代」に突入しているんじゃないですか。(「徒然日乗」・XVI)(2022/11/01)
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