
【正平調」400ページを超えるその本の第1章は「あの日 歩道橋に向かった人達」から始まる。お父さんの仕事が予定より早く終わったから。家族で夏休みの登山から戻った後に…◆有馬正春さんの小学生の子どもたちは、全財産を財布に入れて花火大会に出発した。姉は千円札や500円玉。弟は100円玉や10円玉。夜店で何を買おうかな。たこ焼きか。金魚すくいもいいな。弾むような足取りがまぶたに浮かぶ◆韓国・ソウルの繁華街で150人以上が死亡した雑踏事故は、コロナ禍のマスク着用義務が解除された3年ぶりのハロウィーンだった。犠牲者の多くが20~30代という。友人や恋人と、年に1度の祝祭に胸を躍らせていただろうに◆人波にふさがれた道で逃げ場がなかった。2001年に起きた明石歩道橋事故と共通点が多い。警備計画は? 予見はできなかったのか? 疑問は尽きない◆冒頭で触れた本は「明石歩道橋事故 再発防止を願って」(神戸新聞総合出版センター)。向き合うのがつらく2度あきらめかけたが、事故から21年目の今夏、遺族らがまとめた◆「目的は同じような事故の再発防止」と出版会見で語っていた。教訓を受け継ぎ、備えていれば、確実に防げた事故だった。若者たちの笑顔と命はもう戻らない。(神戸新聞・2022/11/02)

ソウルの繁華街で「多くの若者が雑踏の中で圧死した」という報道を知って、咄嗟に明石市の「歩道橋事故(実際は事件です)」を想起しました。紛れもなく、それは警備の手抜かりであり、いわば「人災」だった。死ななくてもいい命が失われ、何年経っても被災者の遺族や関係者の悲しみは癒えません。当時の状況から、その後の二十年に及ぶ事件の軌跡を、当地の神戸新聞が追いかけていました。その一部を以下に引用しておきます。読んでいく中で、どうしようもない怒りがこみ上げてくるのです。韓国の事件もまったく同じような当局の無責任な対応が「人災」を引き起こし、あたら若者の多くの命が奪われたのでした。いつどういうことで死ぬかもわからないのが「人生」であるとはいえます。たしかに、その状況は様々であっても、しばしば言われるような「死ぬ理由がない」「大事な命が奪われた」という点では、殺人事件に遭遇したようなものでしょう。
(左写真は神戸新聞・2021/7/20 )(事故の約1時間半前、現場近くの住民が撮影した明石市の朝霧歩道橋。歩道橋から大蔵海岸まで、花火の見物客で混雑している=2001年7月21日(住民提供)(この歩道橋 ー 長さ104メートル、幅6メートルの歩道橋の上に6千人以上が殺到)(すでに先日どこか書いたことですが、歩道橋の「定員」「積載量」はどの程度であったか、警察は承知していた。にも関わらず、いろいろな隠蔽工作をして、崩落事件の責任から逃れることに汲々としていたのです。誰が見ても、大事故が生じる危険性は明らかです。ソウルの事件も同じでした。責任を持って「市民の安全」を保証するという自らの職務とその責任を忘れていたというか、人命を甚だしく軽視していたと言う他ありません。.

「発生から20年の月日が流れた兵庫県の明石歩道橋事故。現場に居合わせた負傷者や遺族、市役所、警察などの関係者…。さまざまな人たちに取材を進める中で、事故がそれぞれの人生に落とした影が浮き彫りになった。1本の記事としては書けなかった証言、埋もれかけていた事実、さらに事故がなぜ起きたのか。取材記録として報告する。(歩道橋事故取材班)/ 事故で亡くなったのは、0~9歳の子ども9人と高齢の女性2人。「この20年で去来する思いを聞かせてほしい」と犠牲者全員の遺族に取材を申し込んだが、うち3人の遺族には取材に応じてもらえなかった。「取材はもう受けたくない」「(裁判も)すべて終わったので」というのが理由だった。代理人を務めた弁護士は「いつまでも遺族ではいられない人もいる。新しい生活がある人もいるのだから」と話した。/ 長男・佐藤隆之助君=当時(7)=を失った父親(58)は「(隆之助君の)姉の成長で時間の経過を感じる一方で、隆之助の時間は止まったまま」と語った。当時小学生だった姉は結婚して家を出た。/ 妻は毎日、夕食を3人分並べて夫婦2人で食べる。隆之助君の部屋は当時のままで、毎日のように出入りするという。「生前と何も変わらない。ただ隆之助が部屋にいないだけ」/ 長男=当時(3)=を亡くした男性(60)も電話で「息子が生きていればどんな大人になっていたのかと想像するたび、大きく気持ちが揺れ動く」と今も続く苦しさをにじませた。/ 「変わっていくもの、ずっと変わらないものをただ受け止めるしかない」。整理が付かない悲しみや怒りを抱え続ける遺族の言葉に胸が痛んだ。(2021/7/24 05:30神戸新聞NEXT)(明石歩道橋事故20年取材の記録(上)ビデオの有無、残る疑念)

場違いだとの譏(そし)りを受けるかもしれません。ぼくは、黒人差別に抗議して生じた「BLACK LIVES MATTER」という広範なデモンストレーションの持っている意味を考えて見る必要性を感じたのです。直接的な「黒人差別」への異議申し立てであり、命の重さ、尊さに変わりはないという、誰の胸にも宿っている「人権尊重」の精神が、至るところでないがしろにされているがゆえに、その危機状況に対する、一人ひとりの訴えが、このような広がりと強さを持った抗議行動につながったと、ぼくは考えています。「黒人の命は大事だ」と声高に、多くの人々が拳を上げて訴えなければならないほど、黒人の命が軽視されてきたという歴史があった。もちろん「黒人対白人」の対立が完全になくなっていない社会状況に、多くの人たちは、「自分の命は大事だ」と叫ぶ、同じ強さと響きを持って、黒人を始めとする人間たちの「人権尊重」を訴えたのでした。何が言いたいか。「誰の命も大事だ」という精神や思想を、どんな場合にも忘れたくないということです。ソウルの事件(人災)も、結果的には「大したことにはならない」という警備体制の手抜かりが、大惨事を招いたのです。なぜ「大したことにはならぬ」と警備当局は見誤ったか。誤解されそうですが、ハローウィンのお祭りを、「浮かれた若者たちの大騒ぎ」くらいにしかみていなかった、その歪んだ姿勢が大惨事をもたらしたのではなかったか。(ソウル梨泰院の雑踏事故で150人超死亡(2022年10月30日):https://www.youtube.com/watch?v=U7XtJ_kEVSI)

その場に「総理の子ども」がいるとわかっっていたなら(仮定の話です)、決して今回の「過失」は起きてはいなかったでしょう。過剰警備といわれかねない警備体制が取られていたのではなかったか。兵庫県明石の事件もそうでした。一旦事故・事件が発生し、責任が問われそうになると、あらゆる策を弄して「責任逃れ」に走るのです。こんな警察当局の姿勢では、被害を受けた人たちには「立つ瀬がない」と言わなければならないでしょう。ソウルでも、事前に多くの危機サインが当局に寄せられていたといいます。なぜ、万が一の状況に備えなかったのか。こんなところにも、「人間の命は大事だ」、でも「ハローウィンで騒ぎたがる若者の命」や「花火見物に浮かれるような見物客の命」は「あまり大事ではなかった」のかと、不見識を承知で、怒りをぶつけたくなるのです。同時期に起きたインドの吊り橋事故も、まったく同じ状況下で発生したといいます。人名軽視、人権無視の風潮は、世界的規模で大感染しているのです。このパンデミックには、残念ながら、有効なワクチンはないんです。
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