雀の泪みたいな「金」をバラまく、それが政治か

 できるなら「畳の上で死にたい」と、かなり前までは多くの人が(嘘か真か)語っていました。その心は、みんなに看取られて、心置きなく、最後を迎えたいということだったでしょうか。ところが、時代が変わり、やたらに忙しくなってくると、おちおちと道路を歩くこともできない。いつ何時、車が向かってくるかもしれないからです。コンビニに立ち寄れば、これまた車が飛び込んでくる。ジェットコースターに乗れば、逆さ吊りに止まってしまう。悪くすると、高所から墜落します。事程左様に、この時代は、なんとも忙(せわ)しないし、危険極まりない、その上に世知辛くなりました。政治の貧困という生易しいものですらなく、政治そのものが無くなってしまい、残っているのは「取り上げた税金」をむしり取るハイエナのような盗人ばかりだと言ったらどうでしょう。政治家が「反社」集団と昵懇になり、やがては牛耳られてしまうのですが、そういう「うから・やから」によって政治や政策が歪められてきたことに対する反省もなければ、国民に向かっての謝罪すらないというお粗末の限りです。たちが悪いったら、史上、稀に見る悪どさですよ。

 「破れ長屋で今年も暮れた」と歌われたのは将棋の坂田三吉さんでした。さて、この島の住人はどのように歌われているのでしょうか。「国民なんて甘いさ」、どう見ても、掛け値なしの無為無策であってもきっと支持してくれる、物価が上がったとなれば、金を配ればいいのよ、尻尾を振って喜んでくれるんだから(というのか)。「政治家」を一回やったら辞めらんないさ、と嘯(うそぶ)く始末の「法螺吹き連」です。徹底して国民は踏みつけられ、舐められきっています。あるいは軽蔑されているのかもしれない。かなり前から、ぼくはこの国の権力政党は、骨の髄まで「宗教団体」にしゃぶられていると言ってきました。しゃぶるのは「統一教会」ばかりではありません。「創価学会」も同類だし、既存の宗教団体のかなり多くは、政治権力の露払いであり、太刀持ちを司っているようなものです。「オレは横綱」と逆上(のぼ)せていても、露払いや太刀持ちがいなければ、格式もなにもないもんです。要するに、慢心が過ぎると、かならず、文字通り「裸の王様」になるのですが、それに気づくことはまずない。そんな輩に抑えられている人民は可愛そうだが、その「人民」は、どのようにして救われるのでしょうか、一人の人民として、はなはだ憤りを感じつつ、政治家に侮られないように、そればかりを願う。。

 

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 「徒然に日乗」(XI~XV)

◆ ソウルの痛ましい事故の余韻は鎮まりません。どうしてかかる惨劇は起こったのか。ある人は「群衆事故」といい、ある人は「群集心理」という。あの狭い道路に集まった人々は「群衆」だったのでしょうか。そこにいた若者たちは「群衆の一人」になるために出かけたのでしょうか。部外者は、それを「群衆」とひとかたまりで呼ぶでしょうが、個々人は「自己流の演出」を施して、個として参加したのではないでしょうか。◆ とするならと、悔やむのです。車でもなんでも「積載量」「容量」が限られています。道路であっても、人や車を載せる(通す)ことによって利用されるところですから、「積載量」や「定員」があってもいいはずです。警備当局は、それを看過し、放置していたのではなかったか。群衆ではなく、一人ひとりが、必要以上に集中したために「雑踏(crowd)」になって、事故は発生したのでしょう。「雑踏」にいたのは個々人であって、群衆ではなかったと言いたい。固有名を持った個々人だったということを忘れたくない。だからこそ、少しばかりの「注意」「配慮」があればと、かえすがえすも痛恨の極みと言う他ありません。(「徒然日乗」・XV)(2022/10/31)

◆ソウルの繁華街で大惨事が発生しました。狭い道路上に、しかも坂道に十万以上の人々が集まっていたといいます。いわゆる「ハローウィン」の仮装に参じた若者たちの、言葉にならぬ悲劇であります。死者が百五十人以上だと報道されています。ぼくは、とにかく集団とかかたまりに加わるのはなによりも嫌いでしたから、大勢の群衆の一員になるという心持ちはよく理解できません。それはともかく、亡くなられた若者の死を深く悲しむとともに、謹んで哀悼の意を表したいと思います。◆ この劣島でも、この日(「万聖節」前夜)を期して、各地でたくさんの人々が集まることでしょう。まずは事故のないことを願うばかりです。日本人留学生が、アメリカでこの行事に参加していて「銃撃」されて命を失ったこともぼくは記憶に留めています。三十年前のことでした。(「徒然と日乗」・XIV)(2022/10/30)

◆ 「住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し」(「徒然草」第七段)いつかは死ぬのだから、徒(いたずら)に長生きしてどうする、と兼好は言う。せめて「四十くらいが目安だ」と、びっくりさせるような言葉が続きます。彼から見れば、人生百年時代など、まるで腰を抜かすに違いない。無事で、達者で「百年」ならいざしらず、医者や介護によりかかりながら、「醜き姿」を晒してどうすると非難するのでしょう。◆ じゃあ、「お前はどうか」と問われると、ぼくは応えに窮する。長生きはしたいし、恥多いのは困るというのも、虫のいい話です。健康で長生きも、時には考えものですね。それを思うにつけ、おふくろが九十を過ぎた頃、あるいはその数年前頃から、帰郷するたびに、「長生きしすぎた」と真顔で言っていたのを思い出します。「秋風やあれも昔の美少年」(一茶)◆ これは、「老ノ坂」を滑り落ちている、只今のぼくの実感であり、感想でもあります、「世間は高齢者にやさしくない、いやむしろ冷たいね」(当たり前でしょうね)(「徒然日乗」・XIII)(2022/10/29)

◆ 長野の友人とは、十数年前に出会った。場所は、ある学校の大きな教室。彼女はぼくが担当する授業に参加されていた。以来、間断なく付き合いが続いて来た。つい三日ほど前に電話があり、このところ間があいていたので、なにごとかと訝(いぶか)った。「退院しました」と、あまり弾まない声でいう。長野県駒ヶ根市の病院に三ヶ月余入院していた。「鬱(うつ)病」が主訴で、あわせて飲酒・喫煙の治療のためでした。禁酒は、どうやら今のところは続いているようですが、煙草は入院中にも吸っていたらしい。もちろん、退院後も。「煙草ぐらい吸ったってかまわんだろ?」と言われそうですが、何ごとも度が過ぎる(中毒になる)といいことはなさそうです。◆ 薬物依存症が話題になりますが、酒でも煙草でも、摂取が習慣化すると、身体中において、根っ子には同じ生理現象というか、身体反応が生じる。酒や煙草、あるいは薬物の継続摂取は、その(快感?)感覚を神経が覚えてしまうんですね。だから、止めたり再開したりの繰り返し、完全に断つことが難しくなるのです。彼女に対して、入院中にも「これからも、何度か入退院を繰り返して、ようやく禁酒・禁煙ができるかな、確言はできないが」と言いました。時々、神経の「overhaul(オーバーホール)」をしなければ、まちがいなしに、つらいことになりますね。彼女の「うつ病」状態の病歴は長いので、その再発が危惧されるし、いずれ回復困難な状況になるかもしれないと、安心はしていない。しかし、O さんはまだ、その自覚には到っていないと、ぼくは心を痛めながら、遠くから見ているだけです。(元「酒・煙草依存症」人間の願い)(「徒然日乗」・XII)(2022/10/28)

◆ かなり頻繁に電話をくれる友人が京都と長野にいます。京都在の御仁は大学教師崩れ。知遇を得て以来、もう四十年近くになる。十年ほど前に家を建て、東京から京都に移り住んだ(京都生まれ)。以来、いろいろと家庭問題(難問)に大いに恵まれて、年中、それこそ大童(おおわらわ)のようでした。人生問題の研究をさらに深化させている人です。◆ 無遠慮に言うと、傍若無人というか、独りよがりというのか。なにしろ「専横な(arbitrary)」振る舞いが、何故か、妻(かみさん)に向けて解き放たれてしまう。他人のことは兎や角は言えないし、言いたくありません。しかし、「他人(ひと)の振り見て、我が振り直せ」という、強烈な諭しにはなっています。ぼくも「我が儘」では人後に落ちないつもり(という言い分がよろしくない)だから、彼からかかってくる電話では、たくさんのこと、いやじつに大事なことを学んでいるのです。◆ 端的に言うなら、「親しき仲(夫婦・親子)にも礼儀あり」であり、「礼に始まり、礼に終わる」だと。さらには「親しき仲でこそ、互いに尊敬心を」ということです。なによりも、「デモクラシーは自宅から」ですね。その根拠地が独裁や専制、あるいは旧体制に染められていて、いったい、なにが言えるんですか、と思う。彼に生じる問題(難題)は、必ずぼくの家でも起こっているのです。だから、いろいろと話を聞くことができるのは、何よりのさいわいだと、彼には感謝している。(長野の方については明日にでも)(「徒然日乗」・XI)(2022/10/27)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)