ぼくがいつも疑問に思っていることをBBCのテレビ司会者が、次期英国首相選びの前哨戦(与党党首戦)の最中に、率直な感想を含めて書いていました。題して、「そもそもいったい誰がどうして首相になどなりたいのか」

中国では圧倒的な「独裁」を実現しようとして着々と政敵を葬ってきた習近平氏が三期目に突入した。並みいるライバルを悉(ことごと)く退けての体制確立でした。彼は、自らを毛沢東に擬す人物(政治家)と自賛している。取り巻きに囲まれて入るが、身を挺して「諫言」するものを遠ざけてしまった。この段階が頂点だったことが、後になって判明するでしょう。(それは、彼が「最も危険な水域」入ったことを示しています)ロシアの独裁者も(危機状況にある点では)しかり。彼らは枕を高くしては眠れないでしょう。自分がこれまでにしてきたこと(権謀術数)(手練手管)を、きっと誰かがやるに違いないと勘ぐっているから、ね)歴史の中では、綺羅星の如く、あるいは黒歴史の英雄とでも言うべき「独裁者」が轡(くつわ)を並べて鎮座しています。どんな集団にも、その大小を問わず、独裁的権力者になりたがる人間はいるものです。町内会においてさえも「お山の大将」になりたがる人はいるのです。
そもそも、どうして「偉くなりたいのか」という問題です。ここでいう「偉い」とは「権力者」と同義でしょうが、どんな人もきっとそうなりたいと思っているのではないことは確かです。それでは、どうして、ある人は「権力者」になりたがるのか、そんな疑問は、小さな頃からぼくが抱いていたものです。「人の役に立ちたい」「平等な社会を実現したい」という望みを持つ人は多いでしょうし、そんな社会を目指すには、権力者にならなければ不可能だとでも言うのでしょうか。そもそも、国全体を統治したいと言っても、たったひとりでできるものでもないのです。だとすれば、自分の手足のように動かせる部下を統率する支配者になろうとするのが、その狙いかというと、どうもそうでもなさそうです。ぼくには、人を支配したり命令したりする、そんな立場に我が身をおくことには、根本的に何かが欠けているのでしょう。

「いったいぜんたい、そもそもどうして、保守党の党首になって、総理大臣になりたいなどと思う人がいるのだろう」という問題です。これは単にイギリスだけに限られないことで、アメリカでも「大統領」になるためには、手段を選ばない悪漢(無法者)が、どういうわけだか大統領になったことがあり、いまだに、その余波が続いています。脱税を始めとして、いくつもの犯罪や犯罪的な行為を指摘され、非難されているにもかかわらず、大統領に選ばれるということが現実にあった。問題は、誰が権力者になりたいのか、ということと同時に、どんな人々が「権力者」を作りたいのか、とう問題が重なっているのでしょう。政治は道徳ではないし、修身でもありません。権力闘争です。弱いものは負ける。つまりは「勝てば官軍、負ければ賊軍」というものです。
「戦に勝てば官軍として迎えられ、負ければ賊軍として退けられる。正邪は勝敗によって決まり、勝てば何とでも理屈がつき、負ければどんなに冷遇されるかわからない」(ことわざを知る辞典)あるいは、他国では「Might is right.」というそうですから、力があれば、どんなこともできる、そんな力(マイト)を持ちたいと、ある種の人たちは願うのでしょうか。日本でも「数は力、力は正義」と豪語した、元総理がいました。(彼は疑獄事件に関わったとされ、裁判のさなかで死去)それが政治なのかと問われれば、違うんじゃないかというほかないでしょう。
素人、門外漢の目からみれば、きっと自己顕示欲を政治の場面で実現しよう、そのためには、権力の典型である「総理大臣」や「大統領」になるということなのかもしれません。そんな「野望(欲望)」を持っているのですから、民主主義や平等の実現など見向きもしないのでしょう。「自分はマッチョだ」という事実を、総理大臣や大統領になって世間に知らしめたいというだけのことのようでもあります。迷惑な話だと、ぼくは痛感します。でも、内外の「歴史」の大半は、こんな悪漢や破落戸(ならずもの)やヤクザなどによって占められている。人間性の側から見れば、虚しさも倍加してきます。
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【解説】 そもそもいったい誰がどうして首相になどなりたいのか 英与党党首選(ローラ・クンスバーグ、BBC番組「サンデー・ウィズ・ローラ・クンスバーグ」司会者) いったいぜんたい、そもそもどうして、保守党の党首になって、総理大臣になりたいなどと思う人がいるのだろう。/ 確かに首相になれば、たとえばロンドンのまんなかにある素敵なジョージ王朝様式の一軒家に住むことができる。何百人ものスタッフに支えられ、あちこちに専用車や専用機で旅行することができて、国王と毎週おしゃべりができる。/ それだけではない。さまざまな良いことをして、多くの人の生活を楽にすることもできる。さらに、何がどうなったとしても、歴史に自分の名前を刻むことになる。/ とはいえ今のこの状況で、トップになれるからといって、わざわざ党首選に臨もうなど、正気の沙汰(さた)と言えるだろうか。いったいどうして、そんなことをしようと思うのだろう。/ 首相官邸のベテラン職員だった人にこの質問をしてみると、「正直言って、答えられない」という返事が返ってきた。(中略)

次のイギリス首相を待ち受ける案件の悲惨なリストの一番上にあるのは、経済だ。イギリス経済は大変なことになっているのだ。/ この国はどんどん貧しくなっている。そして、国民はそれを実感している。あるいは、とある閣僚はこう表現した。「前からある問題は引き続きあるし、その上に経済危機がある」のだと。/ あっという間に終わったトラス政権が作り出した騒ぎによって、今の混乱は保守党のせいということになった。トラス氏の判断と、その判断を撤回したことで、金融市場はとりわけイギリスをひどい目に遭わせている。/ 家庭も企業も今後さらにやりくりが難しくなるだろうし、その多くは厳しい経済状況は保守党のせいだと言うだろう。/ そして、誰がダウニング街10番地の首相官邸に入るにせよ、公共サービスに使える財源は、実質的に目減りしている。/ 国民健康サービス(NHS)はぎりぎりの状態にあるし、高齢者や障がい者の介護サービスも同様だ。教育は、新型コロナウイルスの余波からなかなか立ち直れずにいる。/ 交通機関は老朽化が進み、住宅建設も難しい問題山積だ。そこへきて気候変動とエネルギー供給の問題もある。/ これを読んでいる人を落ち込ませてしまうかもしれないが、ほかにもまだまだたくさんある。(以下略)(BBC・2022/10/22)(https://www.bbc.com/japanese/63355158)(この記事の段階で、ジョンソン氏の出馬は不明だと筆者は断っている)
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己の力を誇示するために「権力の頂点」に立つというのなら、じつに志は小さいというか、動機は不純というべきでしょう。国家であれ、地方公共団体であれ、大きな会社であれ、その頂点に立つには、いろいろな動機や理由があるでしょうが、どれにも共通しているものがあると思う。ぼくが尊敬していたある会社のトップは、いつも言っておられた。「会社がまず大事にする・しなければならないのは、社員の家族」と。社員が気持ちよく働けるためにも家族の協力は不可欠だからです。二番目は社員で、その次に、ようやく株主だと言うのです。総理になるような人は、悉くと言っていい、「国民の誰一人も取り残さない」と、じつにぬけぬけと言う。空言虚無だからです。言葉ではどんなことでも言える、その見本です。
日本のガソリンスタンドの過半を専有している会社のトップが、数ヶ月前に「一身上の都合」でトップの座を降りたという報道があった。ぼくはすぐに了解したね。いわゆる「破廉恥罪」(今日は、こんな表現はしないでしょうか)だと。「犯罪行為」をおかしたのに、「一身上の都合」と虚言(誤魔化し)を吐くこと自体、それがトップのすることですかと、問うても無駄か。案の定、沖縄だったかのクラブで、とんでもない行為に及んでいたのです。恥ずかしさを遥かに超えていた。これもまた、「おれは偉い」という馬鹿男の無恥の為せる技でした。そんなのに限って「権力」を掴みたがるのでしょう。「権力」というものは、空威張りしたい人間には、強力な磁場を持っているのです。だから、吸い寄せられるし、自分の中味が空っぽだから、「権力の殻」を被るんですね。
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ENEOS会長、電撃辞任の理由は“凄絶”性加害だった 「胸を触り、キスを強要」被害女性は骨折 首を絞めるような格好でキスを強要 今年8月、石油元売り最大手・ENEOSホールディングスの代表取締役会長を務めていた杉森務氏(66)が、突如辞任を表明。その理由として「一身上の都合」とだけしか説明がなかったことで業界関係者、投資家たちから困惑の声が上がったが、その背景には、杉森氏が今年7月に沖縄で女性に対して行った“凄絶な性加害”が隠されているというのだ。(以下略)(デイリー新潮・9/21(水) 11:31配信:https://news.yahoo.co.jp/articles/ed811442a6ec47c97458676a9f8b78326f6ab81d)
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十把一絡げで、モノを言うつもりはない。しかし、いたるところで生じている「不祥事」の過半は、「おれは偉い」「自分が大将」という空虚な主観を振り回しているだけという気もするのです。「はだかの王様」の事例には事欠かないのです。その存在がはた迷惑であることを斟酌しないし、できなくなっているところに「おれは男だ」という意識の落とし穴があるのでしょう。近年は「あたいは女だ」というヴァージョンも頻出している。まさしく、「男女共同参画社会」の出現の「お陰」「賜(たまもの)」です。ある種の地位につくと、男女差が消える。それはいいことか悪いことか。(ここからは、また別の問題が出てきますが、ここでは触れない)

ぼくが言いたいことは、たったひとつ。地位や身分を振り回すという「時代遅れ」「勘違い」「人権侵害」が目に余りますね。政治家に限りません。総理大臣や大統領は、多くのところで、目下のところは「全体の奉仕者」(servant of the whole)なんですね。その自覚というか、職業意識が欠如した人間が「権力の座」につくととんでもないことになる。「権力」をみだりに誤解している状況が彼方此方(あちこち)で頻出しています。この時代に「独裁」が通用するというのでしょうか。いや「独裁者」を求めるのは大衆なんだというのでしょうか。

何れにしても、一人の人間の愚かさは、一個人の範囲でとどまりますが、人間集団の愚昧さは、空恐ろしい惨劇を生んでしまうのです。事はイギリスの「首相」選びに限定されません。「サーヴァント」だという自覚というか、自己規定が意識から消えてしまっている輩が「政治家」になりたがり、その中でもとびきりの「能天気」が高いところに昇りたがるのです。いろいろな観点からも「他山の石」という俚諺を反芻(はんすう)してみたいですね。(「詩経―小雅・鶴鳴」の「他山之石、以て玉を攻(みが)くべし」)
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● 他山の石= 自分の石をみがくのに役にたつほかの山の石の意。転じて、自分の修養の助けとなる他人の言行。自分にとって戒めとなる他人の誤った言行。集義和書(1676頃)一五「他山の石はあらきが故に、よく玉をみがくといへり。君子の徳を大にするものは小人也」(精選版日本語大辞典)
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