「政治家」に男女差はないんですね。

 【地軸】英首相窮地 英国の小話を一つ。労働党首が神様に尋ねた。「労働党はいつ政権を取り戻せますか」「10年後に」。党首は涙を流して去った。社民党首が尋ねた。「社民党政権はいつできますか」「100年後に」。党首は涙を流して去った。◆保守党のサッチャー首相が尋ねた。「私の強い政治意志で欧州統合は成功しないと思うが、どうですか」。今度は神様が涙を流して去った。「世界ビジネスジョーク集」(おおばともみつ著、中央公論社)にある。サッチャー氏は統合に強い懐疑心を抱いていた。国民にもくすぶり続け、のちに英国は欧州連合(EU)からの離脱を選ぶ。◆サッチャー氏を慕うのがトラス首相だ。左派だった学生のころ、心酔して保守党に転向した。EU離脱には反対票を投じたが、離脱が決まると一転。変節をいとわず身を立ててきた。◆就任1カ月半のトラス氏が窮地にある。大型減税が金持ち優遇と反感を買ったうえ、財政悪化の懸念からポンドが急落。国債も売られ撤回を迫られた。いさめる側近はいなかったのか。◆「魔法の処方箋はない。経済再建には長い時間がかかる」。当初そう述べたサッチャー氏は、規制緩和や国営企業民営化で再生に導いた。失業増加、格差拡大も招いたが、在任は戦後最長の11年半。苦労や批判を受け止めて改革を進める強い政治意志も支えとしたに違いない。◆トラス政権の最新の支持率は7%という。神様に尋ねるなら、さて何か。(愛媛新聞・2022/10/20)

 「大英帝国」と聞けば、最近は「女王の国葬」が話題になったばかりでした。このイギリスという国に関しては、何よりも「イギリス病」を想起します。英国は長い間病に罹(かか)っている言われ、ぼくのような素人までがイギリスの「政治」「経済」に関する本を何冊も読んだものです。ケインズの国が経済(財政・金融)問題で苦しんでいるという、ありえないような事態を、まるで対岸の火事のごとくに傍観していたのが、この劣島社会でした。巡り巡って対岸の火事は、この極東の果ての小国にまで類焼に及んでいるのです。面倒なことは避けますが、「イギリス病」は別名「日本病」といっていいほどに、症状も病因も、その処方箋の出鱈目さも類似しているのは、小事はさておき、大きなところでは経済分野の収支の不均衡がもとにあるからでしょう。「イギリス病」は「鉄の宰相」と称されたサッチャー首相によって克服されたと言われましたが、その処方(治療)がじつに荒っぽかったせいもあって、再発に及んだともいえます。

 翻って、この島国はどうでしょう。金融も財政もこの十年以上にわたり、ある種の「博打」のような、場当たりの政策の連続でしたから、気がついてみれば、にっちもさっちもいかないような、とんでもない窮状に追い込まれています。円安とインフレが景気を萎縮させ、いまや「債務超過」破綻(破裂)危機にあるのです。イギリスで「鉄の宰相」の新たなヴァージョンが出てきたのが一ヶ月半前。このトラスさんで果たして大丈夫かと思いきや、あっけなく国民の信任を失い、即刻退場です。出てきて即退場というのは、まるでファッション・ショウのようで、観客席にいる分にはよろしいでしょうが、いざ国民の立場に立つとどうなるのか。昔日の威光も、遥かな昔に消え去り、大英帝国は、今や「解体寸前」にあるのです。

 よその国のことは言えません。しかし、東西南北、何れの国々においても「政治のリーダー」が払底しているとみられるのは、決して各国固有の事情だけではなく、「国境」があってなきがごとくになり、一国の事情が他国に伝染する時代だからと言えなくもありません。イギリスは誇り高い国だかどうだか、ぼくはよく知りませんが、やはり「昔の夢」が忘れられないのでしょう。「大英帝国」(the British Empire)という呼称自体が時代錯誤であるのは否定できないでしょう。恐らく「夢よ、もう一度」とEUから離脱し、独立独歩を試みたのも束の間、やはりそれは無理だったことが判明します。一つは、イギリスは昔のイギリスではなかったということ。もう一つは、地域連合・連帯の時代に逆らって、自国のみの繁栄を図るということが、およそ先行きのない選択だったということです。

 日本もイギリスと同様に、ドル中心の世界マーケットでは「凋落の一途」をたどっています。しかし、イギリスと比べることは間違いで、ある日突然やってくる、この日本の「暴落」は、再起不能な状態にあると思われます。「国家財政の破綻」「債務超過」、それが一年先か二年先か、いや実は、明日なんだと言う人も出てくる、危機的な事態にあるのです。にも関わらず、政治も行政も、危機意識は無に等しいのは、「破綻」や「破滅」を待望しているからでしょうか。イギリスの危機、日本の危機、それは地球上の多くの地域の危機でもあるんですが、それぞれの国々が、可能な限りで共同しなければならない時代にあってなお、国家利益が最優先され、互いが、「敵国」を激しく、物心両面の武器を翳(かざ)して叩き合っている。よほど「破壊」が好きなのが「国家」と自らを一体化した「権力者」と、その取り巻きなんですね。

● イギリス病(イギリスびょう)(British Malaise)=第2次世界大戦後,イギリスにみられた停滞現象。具体的には工業生産や輸出力の減退,慢性的なインフレと国際収支の悪化,それに伴うポンド貨の下落といった経済の停滞と,これに対処しえないイギリス社会特有の硬直性を総称していう。この原因としては,社会保障制度の充実および完全雇用の実現によって労働力が不足し,加えて労働組合の賃上げ要求が企業経営を圧迫,最終的には商品価格に転化され,物価の上昇と労働者の賃上げ再要求という悪循環を招いたことがまずあげられる。一方,労働コストの上昇は資本の国外流出を促進し,インフレの抑制,国際収支の改善のための緊縮財政と金融引締めは,国内投資の減少,景気の停滞をもたらした。さらに商品輸出の国際競争力の低下は,貿易収支の赤字となり,ポンド貨の下落に直結した。保守党,労働党を問わず歴代内閣が緊縮政策,賃金・物価の凍結,ポンド切り下げによる輸出促進をはかっても事態はいっこうに改善されなかった。このような経済の停滞は伝統的な社会階級の非流動性,ホワイトカラーとブルーカラーに代表される極端な職能分化,保守的な経営思想からくる合理化のためらいなど,イギリス固有の社会的要因が背後にあり,これらが複合的に作用して,このような事態を招いたといわれていた。しかし 1967年スコットランド沖に発見された北海油田の生産が 75年から開始され,78年には国内需要の2分の1にあたる 4500万tを生産,イギリスの国際収支の改善に大きく寄与したばかりでなく,油田開発のための巨額投資が景気を刺激し,イギリス経済のカンフル剤となった。さらに,79年に首相に就任したサッチャーは 11年間の任期中に徹底した引締め政策,政府規制の大幅緩和などの経済活性化を推進し,経済成長率を4%前後に上昇させた結果,「イギリス病」からの脱却を果したかの感を呈した。しかし 89年に入るとインフレ高進,ポンド安に再び見舞われ,「イギリス病」再現の懸念が頭をもたげるようになった。サッチャー辞任のあとを受けたメージャー政権も世界同時不況の影響から逃れられず 92年にはヨーロッパ通貨制度 EMSからの離脱を余儀なくされている。(ブリタニカ国際大百科事典)

 政治家という存在には「男女差」がないというのが、ぼくの見立てです。一つの「種族」といっては語弊があります。しかし、今問題にされている「男女差」がそれほどに感じられないのは、いいことか悪いことか。もちろん、男政治家が女政治家を差別することはあるでしょうし、その反対もある。ぼくの言いたいのは、良し悪しの判断は抜きにして、政治家という「人間の種族(種類)」があるということです。存在しているのは「いい政治家」と「悪い政治家」と、です。トラス氏もまた、どこから見ても「政治家」だったと言いたい。当たり前ですが、手練手管を駆使し、朝令暮改をものともせず、自己アッピールのために節操も捨て去り、自らの存在を誇示するという姿勢においては、立派な政治家でした。それは政治の仕事(業績)と重ならないところは、何れの国を問わず、今日は「政治家貧困(払底)」の時代であることを如実に示していませんか。

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Analysis box by Chris Mason, political editor

〈追加〉<分析> クリス・メイソン政治編集長

 この混乱を瓶に詰めて埋めることは不可能に近いと思われる。崩壊は避けられないし、おそらく差し迫っているように感じられる。機能不全は深刻で、リズ・トラス氏が首相を務める限り平穏な状況は訪れないと思われるほど、保守党員の怒りは根深い。では、トラス首相は次にどう動けるのだろうか?自らの政権は終わったと決断することもできる。しかし、トラス氏が近くそうする兆しはない。保守党から引導を渡される可能性もある。党内の不満は非常に大きくなっている。あるいは、政権を握り続けようとすることもできるだろう。トラス氏をなお支持する人々は、次の首相を迅速に見つけるのは難しく、もし見つけたとしても、国中の人にばかげていると思われるだろうと指摘している。こうした中で、総選挙を求める声が高まっている。すでに危機に瀕している新政府の余命は、日ごとに短くなっている。混乱もさらに深まるかもしれない。(BBC NEWS JAPAN:https://www.bbc.com/japanese/63324187

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。