【滴一滴】「最後の一葉」などの短編小説で知られる米国のオー・ヘンリーは作家になる前に一時、週刊新聞を刊行していた。その頃の自負の名残かと思わせる印象的なくだりが、ニューヨークを舞台にした「ラッパのひびき」という作品にある▼早朝の静けさを破り、かすかな音が聞こえてくる。「短いながらも意味深い叫びで、世界の苦悩や笑いや喜びや緊張のすべてを伝えようとしている呼び声だった」(大津栄一郎訳)。新聞売りである▼それから1世紀余りがたっても、新聞が世界のすべてを伝えようと努めていることは変わらない。今年の「新聞週間」が始まった。「無関心 やめると決めた 今日の記事」が代表標語だ▼日本でも無関心でいられない記事を先に外電が伝えていた。米国では地方新聞の3割近い2514紙が過去17年間で廃刊した。そんな調査報告を中部イリノイ州の大学がまとめた▼地元で何が起きているかを知ることができない「ニュース砂漠」がさらに広がる。信頼できる発信源がないと、投票率は低下し、行政の腐敗が進みやすいと研究者が訴えていた▼一方で、偽ニュースを含め情報は氾濫している。その中で新聞の役割はまず事実を正確に伝えることだと作家と同様に自負する。未来への道しるべを示す責任もある。本欄も「短いながらも意味深い叫び」でありたい。(山陽新聞・2022/10/15)
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昨日に続いて、「新聞」あるいは「新聞週間」について。「世界の苦悩や笑いや喜びや緊張のすべてを伝えようとしている呼び声」(コラム)であった新聞配達人は、この島社会にも、なお存在しています。「新聞少年」であった人は少なくなかったでしょう。「新聞少女」もきっといたはずです。「無関心 やめると決めた 今日の記事」、今年の新聞週間の「標語一位」を昨日も扱いました。この標語を前にして、どういうことを訴えようとしているのか、昨日からずっと考えていました。まず、ある新聞のある記事を読んで、「大いに刺激を受けた」「こんな事態が起こっていたのか」と自分の無知を恥じ、そういうことがないように「新聞を読む」と覚悟を決めたということでしょう。なるほど、そういうことかと、一応はうなずきますが、その後で、でも「そういうことって、あるのかよ」と思ってしまう。「今日の記事」を目に焼き付けるのはいいが、翌日もその記事の続報を書いているとは限らないし、別の媒体ではどうなっているのか、ネットのニュースを探すかもしれない。何を求めているのか、ぼくには不明でした。作った人、採用した側の両者の「意図」がよく理解できませんでした。一言でいうと、「安直」に過ぎますね。

読者が「新聞に期待する」のはいいとして、なによりもまず、新聞社が「どういう新聞を作ろうとしているのか」それが明らかにならない、あるいは、曖昧なままであるとするなら、読者はどんどん離れてしまうでしょう。購読部数一千万以上を誇っていた新聞は、数年を経ずして半減しているという実態もあります。毎年、新聞購読者が激減している理由はなんでしょうか。ネット媒体の急激な進歩もあるでしょう。でもそれだけだろうか。ぼくは、昨日も触れましたが、新聞社が「売上競争」「販拡戦争」で鎬(しのぎ)を削り、その余波で読者を蔑(ないがし)ろにし、挙げ句は、すっかり忘れてしまった報いではないかと思っている。
販拡専業者が、これまで数限りなく多く、ぼくのようなところへも「洗剤」「手拭い」野球観戦券」などなど、さまざまな物品を見せびらかして購読を、半ば強制的に、勧誘しに来ました。一度だって、販拡材料(弾)を受け取らなかったが、どうしてこんなヤクザなやり方をしなければならないのか、いつでも不思議でした。何かで釣らないと、読んでもらえない新聞など、あっても仕方がないのにと、不信感しかわかなかった。ぼくのような活字人間が「新聞離れ」を起こすことが、新聞の変質の実際を明かしていると見る。さらには、記事の内容では勝負しないで、権力との距離の遠近を競っているという、惨憺たる有様でしょ。

読者はどういう新聞を期待しているか、新聞に何を求めているかを知ろうとするのは当たり前。でも、編集方針がはっきりとしていて、初めて読者に対する姿勢が決まるのではないですか。国会議員選挙の際、投票者に向ける発信(公約)と似たようなものを、ぼくはそこに感じるのです。当選するためには投票者にアピールしなければならない。そのためには「甘言、甘言、また甘言(虚言、虚言、また虚言)」ということになっていないか。いわゆる「迎合主義」ですね。新聞には、こんな見え透いた態度が顕著だと思われます(今も昔も、そうではないでしょうか)。現場の記者が渾身の記事を書いたとしても、関係する筋(スポンサーなど)にウケが悪いと判断すると、編集の段階で記事は差し替え・差し止められる、そんな「無体な(unreasonable)」ケースが日常的に起こっています。そのような「現場」の本音を嫌になるほど聞いている。だから、新聞社からの脱出(escape)が引きも切らないのでしょう。この段階で、新聞は息が絶えかかっている、窒息しているのです。
ぼくはネット時代の到来や、その後の隆盛を諸手を挙げて賛成しているのではありません。もっとも早くネット通信を授業で利用したものです。それは、仕方なく、大学の授業の通行手形だったからです。生活の道具として、それが必要性を増しているから、年齢に関係なしに、否応無しに、環境に順応せざるをえない、そのようにして時代は流されていくものです。誰かが意図し、計画して時代の先行きを見通しているのではない。言葉は足りませんが、世の中の「趨勢」が時代を進めるのです。その逆もありました。「時代錯誤」「時代遅れ」は、一個人を指すときもありますが、集団や国を言う場合のあるのです。「男尊女卑」「身分制度」などは、どのような集団も通過してきた道だったし、まだその道を通り過ぎていないところもあるでしょう。すべてが足並みを揃えるということはありませんが、この先、こういう方向に時代や社会が進むという、いわば「羅針盤」の役割を果たすものが存在します。それが「先端◎◎」と言われるものであり、それを特定することは困難を極めます。しかし、いつの間にか、百年前には想像すらできなかった事態が当たり前になることは、いつでも起こるのではないでしょうか。

環境の変化を「進歩」と捉えてきたのは、歴史が教えるとおりです。しかし、本当にそれが「進歩」であるかどうか、ぼくには疑わしい。進歩が「よりよい状態に進む」ということであるなら、無条件でそれを受け入れることは考えものです。「時代遅れ」ということがいつでも言われ、「取り残される者」は、当然の報いを受けているのだというかもしれません。一理はありますが、それ以上に、深い問題が生み出されているようにも考えられます。「進行」はprogressですが、それは前後左右の、前に動くことを差すのであって、価値があるとかないとかの問題ではないのです。人間が歳を取る、時間がすぎる、それと変わるところがない、位置の変化です。ネット社会の出現は、歴史のなかでいえば、「進行」です。「よりよく変わる」ことを、直接には意味しないのです。
新聞に限定して話す。昔から同じ疑問、いや不信を持っていたのは「北海道から沖縄まで」同じ新聞記事(や同一のテレビ番組)を目にすることが、さもいいことだと言わぬばかりの風潮があった。仮にそんな事態が生じたとして、この島には「たった1つの新聞」しかないという、摩訶不思議な現象が出来(しゅったい)します。これを「新聞独裁」「独裁新聞」といっていいでしょう。しかし、幸いにして、この島には数え切れないほどの新聞があります。それは慶賀すべきことではありますが、その各新聞記事の内容が「金太郎飴」のごとく、似たりよったりだったら、どうでしょう。これもまた「新聞独裁」「独裁新聞」というべきではないでしょうか。ここでも「おでん」鍋風が望まれます。雑多なものが混在するということ、その中からどれを、何を選ぶか、選ぶ側の選択に関わります。
何が言いたいか。新聞は変質し、劣化して行きながらも生き残る。テレビも同じような運命を辿っています。今や「テレビはタレントボックス(タレントガチャ)」です。お笑い芸人中心の「パンドラの箱」みたいなものでしょう。それも「進行」です。三十年も前になりますが、ぼくは大学の教員(まがい)をしていて「もう、大学は終わった」と言い続けていました。「大学は終わった」けれども、「大学という名前の付いた学校」は存在しています。ぼくが小さい頃から持っていた「大学像」は、徐々にではあったが、変質に変質を重ねていった。言葉だけだったが「学問の府」とか「真理の殿堂」などと、腰を抜かすようなフレーズが、まだ大学には溢れていました。そういう、歯の浮くような言葉だけは残存していたのが、今から半世紀以上も前のことです。「学の独立」とか「進取の精神」などと言いふらしてる大学もあったようですが、さて、今では、そんな言葉でさえも消えてしまったのではないでしょうか。学歴という単語は通用しますが、その内容はどうでしょう。「君は大学を出たのか」と聞くのではなく、「大学ではなくなった大学」を出た、そう言いたくなるような「大学」が満ち溢れているのです。「質」の低下、これは「歴史の必然」、避けられない結果です。これも一つの「進行」です。

新聞もご同様。名称は、どれもこれも「新聞」ですが、ニュースの「飾り窓」みたいなものばかりだし、並んでいる品物(記事)も代わり映えしない。中華街か、「たこ焼き」店いっぱいの街中みたいです。「新聞」という旧称でも、内容は驚くほど、それ以前とは「変質」(堕落・頽廃といいたい)してしまったのです。新聞の紙面から、記事の中から「権力への批判」が失われたら、それは「新聞ではない新聞」と名前を変えなければならないのではないか。「大学ではない大学」と人がいうように。大新聞結構、中新聞もいいですね。少新聞ならなお結構。「全国紙」という看板そのものが「生活」「文化」を一筆で塗りつぶすような、個性・地方性殺しの一翼を担ってきたのです。「中央集権」は何も政治に限定されない、人為的・作為的権力の集中です。情報の独占であり、情報・ニュースの専売特権を得ることになるのですから。儲け主義に走ったり、情報独占を図る寡占化への野望が、じつは「新聞の命脈」を断つことになる。これは新聞業界に限らないことであり、あらゆる人間集団における営みに認められる過誤の顛末です。過去にも同様の失敗は数えられないほどあるにも関わらず、自分こそは、わが社こそは失敗しないという自惚れや無定見で、最終的に墓穴に填(は)まるのでしょう。墓穴を掘らずんば、死命を失わず。どんなときにも、個人と個人の関係が成り立つ方途を求めるのが、人間社会・集団における、なによりも肝心な定めだと言えないでしょうか。
残るものは残る。消えるものは消える。そして「残っても、有名無実」という現象は歴史ではいくらも見られるところです。「地元で何が起きているかを知ることができない『ニュース砂漠』がさらに広がる。信頼できる発信源がないと、投票率は低下し、行政の腐敗が進みやすいと研究者が訴えていた」「偽ニュースを含め情報は氾濫している。その中で新聞の役割はまず事実を正確に伝えることだと…自負する」「未来への道しるべを示す責任もある」とコラム紙。その心意気や爽たり、壮たり、です。でも広告元やスポンサーに配慮(忖度)しなければならない状況をどのように変えますか。やがて、無用の長物と化した「ガリバー」は朽ちる。小さなガリヴァーなら、なおさら死は避けられない。現実に、指摘される現象はどこにでも見られているのではないでしょうか。今のことではないんですか。

個人紙が、大きな力を持てなかったが、確実な読者を獲得し、そこから新たな「政治」に向かう方向が芽生えてきたという事例に事欠かないのです。新聞は、読者にとって、どんな役割を果たすのか、一例だけを挙げておきます。百歳を超えてなお、現役の活動を展開されたむのたけじさん。彼は敗戦直後に新聞社を辞め、東北の横手に帰って「たいまつ」という個人紙を出し続けられた。(むのさんについては、どこかで触れています)発行数は数百、せいぜいが千の単位だったでしょう。一家総出で、印刷や配達をした。一千万部と比べるのは間違いです。発行者や記事と読者の連携(つながり)をこそ、ぼくたちは熟考すべきではないでしょうか。このネット社会にあって「たいまつ」に比肩しうるジャーナル(国内に限りません)を、ネット上で、ぼくはたくさん知っているし、そのかなりの部分を愛読しています。むのさんの前方には、桐生悠々の個人紙「他山の石」がありました。権力に両腕をへし折られながらも、なお「他山の石」を出し続けた先覚者だった。(蛇足 ここで、ぼくはしきりに「ガリヴァー旅行記」のことを思い起こしているのです)

(● ガリバー旅行記(がりばーりょこうき)Gulliver’s Travels=イギリスの作家、J・スウィフトの風刺小説。1726年刊。4巻。主人公ガリバーが航海中に難船し、順次、小人国、大人国、空飛ぶ島の国、馬の国に漂着し、それぞれの国で奇異な経験をする物語。奔放な空想力を駆使した作品で、今日なお世界各国で愛読される。ガリバーが巨人扱いされる小人国の巻、逆に愛玩(あいがん)物となる大人国の巻が、児童読み物としてもとくに人気を保つ。本来は、全編が痛烈な人間揶揄(やゆ)の風刺作品で、たとえば空飛ぶ島の巻では、無用な実験、探究に明け暮れる自然科学者を俎上(そじょう)にのせる。もっとも辛辣(しんらつ)なのは馬の国の巻で、ここでは馬が理性を備えて支配者の地位にたち、人間そっくりのヤフーという動物は、家畜も野生種もきわめて醜悪、無恥、下劣、不潔な動物として描かれる。政界進出を志しながら、失意を味わわされた作者前半生の苦い思いが、かかる辛辣な作品を書かせたといわれる。文章は平明で、イギリス散文の模範と目される。日本では夏目漱石(そうせき)がいち早く『文学評論』で評論している。まさに人間憎悪の精神と非凡な着想との織り成した奇作である。(ニッポニカ)
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