「J アラート」が永田町に響き渡っている

 【天風録】鉄道の父 世界遺産・萩城下町の外れにあるJR萩駅舎で一抱えもある石の展示を見た。150年前のきょう、新橋と横浜を結んだ日本初の鉄路の記憶を刻む。反対論から用地が確保できず、海上を列車が走った「高輪(たかなわ)築堤」の部材だ▲苦労続きの工事を率いた鉄道の父、井上勝へのリスペクトから公開された。幕末に長州から英国に密航した「長州ファイブ」の一員。本場で5年学び、明治政府で鉄路拡大に心血を注ぐ▲維新の英雄、西郷隆盛は鉄道に難色を示したらしい。海のものとも山のものとも分からぬ代物より軍備増強だ、と。鉄路による近代化を説き続けた井上は欧米が売り込みを図る中、自国の技術と人材の育成に腐心した▲時を経た現状を「父」はどう見ていよう。世界に誇る技術力は夢のリニアも実用化した。半面、せっかく張り巡らせた鉄路は廃線が続き、残る赤字路線も存続の危機に。萩を通る山陰線も本線なのに議論の外にはない▲萩駅前には井上の銅像がある。シャツ姿でスコップに足をかけ、前を向く。英国時代に現場で撮って生涯、大切にした写真を基にした。鉄路の明日をさまざまに論じる前に、先人の労苦と現場の汗への敬意は忘れたくない。(中国新聞デジタル・2022/10/14)

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● 井上勝(いのうえまさる)(1843―1910)=明治期の鉄道技術者。鉄道庁長官。長門国(ながとのくに)(山口県)の藩士井上勝行の三男として生まれる。野村家を継ぎ野村弥吉と名のり、明治維新後実家に復籍し井上勝と称した。長崎や江戸、そして箱館(はこだて)(函館)の武田斐三郎(たけだあやさぶろう)の塾で洋学を修めた。1863年(文久3)伊藤俊輔(しゅんすけ)(伊藤博文(ひろぶみ))、井上聞多(もんた)(井上馨(かおる))、山尾庸三(ようぞう)(1837―1917)、遠藤謹助(1836―1893)らとイギリスに密航、ロンドン大学で鉄道、鉱山技術を学び、1868年(明治1)帰国。1871年工部省鉱山頭兼鉄道頭に任ぜられたが、翌1872年鉄道頭専任となり、東京―横浜間の鉄道敷設に尽力した。関西で鉄道建設が始まると鉄道寮の大阪移転を断行した。外人技師主導からの自立を目ざし、日本人鉄道技術者を養成し、1871年からの京都―大津間の敷設には、彼自身技師長となり、初めて日本人だけで工事を完成した。技監、工部大輔(たいふ)、鉄道庁長官などを歴任、東海道線ほか幹線の敷設に貢献した。1893年、幹線国有化論を主張したことがもとで鉄道庁長官を辞任した。1896年汽車製造合資会社(のちに株式会社となったが、1972年、川崎重工業に吸収)を設立、社長となった。ロンドンで客死。(ニッポニカ)

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 本日は「鉄道の日」だそうです。どんなものにも「誕生日」がありますから、「鉄道誕生」の日があるのは当然です。百五十年前に「新橋ー横浜」間を、約五十分かけて走ったとされます。その「鉄道の父」が萩出身・鉄道技師の井上勝。何者にも父親と母親がいて、そこから「子ども」が生まれるのですが、多くの場合、父はいるのに、母が見当たらないという不思議なことが生じています。人間の世界ではどうでしょうか。反対ですかな。いったい、「鉄道の母」はどこに行ったのでしょうか。母がなくても「鉄道」という子どもが生まれたのですか。

 この井上勝さんの若い時代のことを調べたことがあります。長州五人組の一人。鎖国時代に禁を犯して渡英、欧州の文物に触れて、帰国後にその「文明の利器」を、この島社会に立ち上げようとした人です。まだ二十歳かそこらの青年が、終生にわたり鉄道事業に関わり、大きな足跡を残した。今日は、その足跡に思いを寄せる日ではあります、ぼくにとっては。

 世に言う「撮り鉄」や「乗り鉄」などではなく、まったく鉄道には関心も興味もない。どこかに運ばれていくために利用するだけの乗り物でしかありませんでした。車でもそうです。半世紀以上、車には乗っていますが、この車が好きだとか、「車、いのち」という熱意はまったくありません。冷静と言えば冷静ですし、あることに関しては、「無関心」を絵に書いたような人間ではあるのです。ぼくの後輩には、たくさんの「撮り鉄」「乗り鉄」などと称される「鉄ちゃん」が何人もいます。岡山は津山市役所の K 職員や、中には鉄道ジャーナリストとして「健筆」(だろうか)を振るっている K 君などがいます。物事に熱狂したり熱中するのは、悪いことではないでしょうが、列車(電車)の写真を撮りまくって、その後はどうするのでしょうか。撮ることが大事で、写真は二の次となれば、恐らく本物の「熱狂者(大オタク)」なんでしょうね。

 昔、大好きだった長州萩藩家老職の末裔の評論家K.T.さん。彼は狩猟が趣味で、猟犬を連れてよくでかけたが、やがて悟るところがあったという。鳥を撃つことが目的ではなく、猟銃を構えて、獲物を狙う、その形(すがた)をするのが最高だと思うようになったと。釣りでもそうらしいですね。魚を殺生するのが目的ではなくなり、釣竿に糸を付け、それを水面に垂らす「格好」だけでいいと思うらしいですね。しまいには、竿竹を垂らすふり、それがいいんでしょうね。その「垂らしぶり」で「家元」と呼ばれる人もいますよ。井伏鱒二などという作家は、その手の名人でしたね。

 「鉄道の日」に、ぼくが何かを思うということはありません。新幹線も、リニアもいらないという人間です。こんな狭隘な島に作り過ぎではないですか。これは鉄道だけではなく、高速道路も酷いものですね。「網の目」だか「魚の目」だか知りませんが、人跡未踏の地までコンクリートで固めてしまい、土地を殺すことに必死になってきた。砂防ダムなどという役立たずなども、その典型例でしょう。恐ろしいというか、虚しいというか。「公共事業」という名の「税金山分け」体質が染み付いてしまったのが、この社会の「政・官・財」の利権漁(あさ)りのトライアングルです。ぼくに言わせれば、公共事業は「公然たる贈収賄」事業ではないか。ダムを作り、橋を作り、あらゆる造作物を作るために自然環境をコンクリートで固めてしまう、土地殺しではないかとさえ思います。

 ここまでが序論です。でも、もう半分は言いたいことは言った気がします。鉄道も道路も、必要に迫られてではなく、それはいらないかもしれないのに、作れば(土建屋や工事会社が)儲かるから作るのです。やがて、それは作らなくてもよかったということが明らかになります。もちろん単純に言えないこともあります。「鉄道の日」にこそ考えなければならない問題が「廃線(路線廃止)」問題です。「撮り鉄」さんや「乗り鉄」さんは、この問題をどのように捉えているのか。未開の地に人が住み着き、土地を開く、やがて道路や鉄道が敷設されて、不便が解消されたということはあります。「結構でした」と言いたいのですが、やがて時が経ち、人口は減少の一途をたどりだすと、廃線、廃道が避けられなくなります。道路はまだしも、鉄道になると、走れば走るだけ「赤字」になる。(左写真は備後西城駅に到着する芸備線 三次行き・下の「乗り物ニュース」より)

 一、二例をあげます。

「JR西日本がローカル線の営業成績を公表。中国山地の芸備線では営業係数2万5000以上という天文学的な赤字区間もあることが判明しました。背景には、「通学に使われる高速バス」の存在や、鉄道設備の改修がおざなりになってきた経緯があります」「広島市~岡山県新見市を結ぶ芸備線の低迷は深刻なものです。総延長159.1kmのうち、広島市内への通勤圏である広島~下深川間およそ15kmを除く区間が輸送密度2000人を下回っており、最も利用が少ない東城~備後落合間の収支率は0.4%、100円の収益にかかる費用を示す営業係数は「2万5416」という天文学的な数値が躍っています。その前後の備後庄原~備後落合間、東城~備中神代間も収支率2.4%と、30線区のなかでもかなり厳しい状況です。なおこの実績は2017~2019年の平均で、新型コロナウイルスの影響で人流が減少した後はさらに悪化しています」(「乗り物ニュース:https://trafficnews.jp/post/117769)

 存廃揺れるローカル線 山間部をゆく気動車 山あいの鉄路を走る1両編成の気動車が、ゆっくりとホームに入っていく。福岡県飯塚市のJR筑豊線、筑前内野駅。同線は1キロ当たりの1日平均乗客数を示す「輸送密度」が、存廃協議の目安となる千人未満の路線だ。週に1度、通院のため同駅を利用する高石彰也さん(81)は一昨年に免許を返納し、頼れる交通手段は鉄道しかない。「この路線はまさに生命線」と切実に訴えていた。地域の足を支えてきた路線が存廃に揺れる中、14日で日本の鉄道は開業150年を迎える。(2022.10.12 16:15)  

 (細かい数値や路線名は省略します)営業係数が100を超える路線は、この劣島にどれほどあるのでしょうか。「秋草や亡者どもの夢の残骸」とでもいうべき惨状がいたるところで続出しています。どこに問題があるのか。乗降客(利用者)が圧倒的に少ない。あるいは鉄道敷設そのものに問題があった。いろいろな理由や背景が見られるでしょう。しかし、現実に、この島社会は「確実に老化・老衰」しているという事実に目を閉じてはならないでしょう。100円の儲けを得るために投資した金額が25000円を超える路線もあるという。ほんとかな。とてつもない経費がかかるから、即廃線という魂胆(アピール)があるのでしょうか。そんなところに鉄道を走らせることになんの意味があるのかと、ぼくも問いたい。鉄道に変わる代替交通機関はいくらもあるでしょう。(この先は、先進事例がいくつもあるので、ここでは触れない)(買い物難民とか医療難民などもご同様です。はるかの昔は、今で言う「不便」もなんのその、そのような「不便」を、平気というか、日常の一コマとして受け入れて、村や町は機能していたということを顧みればいいだけ。自動車道ではなく、「人間道」を回復したらどうか。互いに対する思いやりも深くなり、もっと住みやすくなるでしょう。「相身互い身」です)

 この事情は鉄道に限らず、高速道路なども同様。儲かるところは儲かる、そうでないところは「慈善事業」かと言いたくなりそうですが、それでいいではないか、という立場をぼくはとりたい。山中に好んで一人住まいしている者のために鉄道であれ、バスであれ、走らせる必要はない。だからといって、経済合理性(儲け主義)だけで物事を判断すべきではないと言いたいだけです。ムダを省くという発想は貧困であって、ムダのない生活がどんなに潤いを失っているか、それに気が付かないのでしょうか。幸いにも、潤っているところがあれば、困っているところに回せばいいではないか。儲けを独り占めするという根性は美しくない。いや、汚いと言われたって儲けるんだ、儲け第一でどこが悪いと、金権体質社(者)は言うかもしれない。もちろん「それは悪いさ、相身互い身」というのが人間社会の姿であることを思えば、何でもかんでも「独占」というのは反道徳だと言いたいくらいです。(「車道」にばかり金をかけるんではなく、「人道」(「歩道」ともいう)に、もう少し真面目に、身も心も傾ければどうだ)「公共」とか「公共事業」というものを、わざと誤解しているフシがある。儲け主義一辺倒とは、「公共事業」が聞いて呆れまっせ。歩くことがムダとでも考えているのでしょうか。

● えいぎょうけいすう【営業係数】=企業全体あるいはその各部門の営業活動の採算性をみるための比率で,営業収支比率営業比率ともいわれる。で計算される。売上高などの営業収入を100得るために,売上原価,販売費・一般管理費および金融費用などの営業費用(〈営業利益〉の項参照)をどれだけ支出したかを表すので,営業比率が100をこえるときには,経済的観点からはその活動を行うべきではない。鉄道業では伝統的にこの比率がよく利用されており,旅客・貨物別,あるいは路線別に計算されている。(世界大百科事典第2版)

 以下の写真は「赤字垂れ流し路線」です。いちいちの路線名は記しません。涙ぐましい営業努力をしつつも、なお廃線の憂き目を見た路線は数知れず。儲かるから作る、儲からないから廃止するというのは、赤子でもわかる理屈です。でも、赤子がわかる理屈には、大人が見逃している「重要な価値や意味」がきっとあるはずです。「空飛ぶ車」「ハンドルのない車」がやがて、空陸を行き交うという時代に、「生活の足」を失っている人や奪われている人が次第に多くなっているというのはどうしてでしょうか。この島社会は年間に五十万単位で人口が減少する時代に突入しています。この減少幅は大きくなることはあっても、停止したり小さくなることはなさそうです。百年で、五千万人も減少するとは、驚異・恐怖以外の何物でもないでしょう。小さな社会、「三流」以下(何が一流か二流か、ぼくにはわからない)になっても、人間の社会は続いていくということを、腰を据えて見通してもらいたいね。「国」がなくなることはある。要路に立つ人たち、それがあなた方の課題であり、責任じゃないですか。憲法改正や防衛力強化など、ぼくに言わせれば、税金山分けの公共事業並の無駄ですね。「国家百年の大計」というものを、伊藤博文や井上勝などは視野に入れていたでしょうね。

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 【筆洗】一九〇七(明治四十)年発表の田山花袋の『蒲団(ふとん)』には、人々でごった返す新橋駅が登場する。主人公の作家が、帰郷する弟子の若い女性とその父親を見送る場面▼「混雑また混雑、群集また群集(中略)。一刻ごとに集(あつま)り来る人の群、殊に六時の神戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃(けんまこくげき)の光景となった」。肩摩轂撃は激しく混雑するさまを表す▼日本の鉄道は明治五年に新橋−横浜間で開業して以来混んでいた。需要に運行が追いつかない。大正、昭和になっても乗客数や鉄道延長などから計算する「混雑度」はフランスや米国より高かったという。小島英俊氏の著書『鉄道快適化物語−苦痛から快楽へ』に教わった▼明治の鉄道誕生からきょうで百五十年。今や乗客は減る時代である。疫病流行で在宅勤務が定着。朝夕の駅の混雑は以前ほどには戻らないとみられ、減便する会社もある。特に地方は人口が減り、ローカル線は空席が目立つ。需要喚起に知恵を絞らねば、鉄路は生き残れない▼先の小島氏の本によると、明治の鉄道需要には観光目的も含まれた。日清戦争が起きた明治二十七年には行楽地を目指す臨時の「周遊列車」が誕生し、日光を往復した。新橋−京都間の紅葉狩り列車をはじめ、マツタケ狩りや海水浴など各種周遊列車が大人気だったという▼旅への愛着が変わらないとすれば、きっと未来もある。(東京新聞・2022/10/14)

 (この島を標的にしていないことは明白であるにも関わらず、J アラートが、なぜ、ミサイルが、千キロ上空を通過した後で響き渡るんですか。しかも見当違いの地域で、さ。このアラートは「列車(電車)が通ります。ご注意ください」という踏切などの警報機なんですかね。軍事力などは「✖✖✖✖に刃物」です。不要であり無用です。この島の十年先すら見ていない人が多すぎるね、政治家には。だから「統一教会」に胆(キモ)を吸われるんです。J アラートが必要なのは「永田町」ですね。今だって鳴り響いているんだが、それが聞こえないか、聞こえないふりをしているんだな。始末に悪いね)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)