マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 

 本日は雨模様、昨夜来の雨が降り続いています。いつもどおり、四時に起床。猫たちに食事の補給を済ませ、本日、動物病院の予約を取ってある親猫(ほぼ野良)の「捕獲」を始めます。この猫は、拙宅の近辺に来て五年も経つでしょうか。かみさんがキャットフードを与えだしたので、困ったことになったとは思いましたが、黙って見過ごした。その結果、この猫は、それ以来、二十匹を下回らない子猫を生み、それを拙宅に連れてきた。かみさんの知り合いや知人にお願いして引き取ってもらうことにしたのが、これまでに十数匹。それでもまだ家には、かなりの猫がいる。

 そのような段階で、さらに、八月十日頃に出産(雑木林内で産んでいるようなので、出産日は、おおよその見当です)。しばらくして、雨降りの日に家の縁側に連れてきた。たくさんいそうだと思ったが、恐ろしくなって、数えるの止めた。その後、雨風が強い日が続いたので、遂に意を決して(親猫が)、かみさんの防音室(ピアノ用)に入り込んだ。その数七つ。ところが、縁側のダンボールに「一つ」取り残されていた。この親猫は数は七まではわかっていたのか、それ以上は忘れることにしているのか。そのためにしばらく、その部屋は使うこともできず、手がつけられなくなった。

 「避妊」手術を考えていたさなか、もう少しと、ちょっと油断していた、それが正直な話。これまでも何度か捕獲を試みては失敗していました。噛まれたり、引っかかれたり。それでも、もう限界と、本日は、早朝から一時間以上をかけて、洗面所に閉じ込めて、宥めたり賺(すか)したり、寝ているかみさんを起こして助力を得、ついに八時ころに洗濯ネットに入れ、さらに猫用ケージに入れることに成功。九時からの開院を待って、連れて行くことにしています。家の直ぐ側(車で五分もかからない)の犬猫病院です。この先は、どうなるのか見通しは現段階ではわからないが、とにかく「保護猫」(というのかどうか)活動の心配は、さしあたっては中休み、いやもうこれでお仕舞いにしたいな。(猫を預けて、帰ってきて、続きを書いています)

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 (ここまでが導入です)表題に掲げた短歌について、いささかの感慨というか、この短歌に刺戟された雑感を綴りたいですね。寺山さんについては、どこかで触れています。ぼくが好意を抱いていた大学の後輩(女性)が「天井桟敷」に引っ張られたこと、大学生の頃は、寺山さんの評論や短歌と、彼の青森語(弘前弁)とのギャップに奇妙な関心をいだいたこと、多くの人が考えないような、異質な視点を持っていることなど、ぼくは大いに彼から学ぼうとしたことを隠しません。

 さて「表題の短歌」です。これは寺山さんが、まだ若い頃に詠まれたものだとされています。彼の書いたもの、あるいは詠んだものは、一筋縄ではいかない曲折があるとの定評です。「臍(へそ)曲り」というのか。彼は、ある大学の「国語国文化学科」を中退しています。彼の居場所にはならなかったでしょうね。ところで、「丁寧さ」をいうのに「委曲をつくす」という表現があります。俳句や短歌は、言うまでもなく、その反対の極(対極)を求めるものでしょう。委細を尽くさない、省略を旨とする(無駄を削ぎ落とす)、それが俳句や短歌の命でもあるといえます。「マッチ擦る」束の間に見る霧の海、いや、海にかかる霧。一拍おいて、我が身を犠牲にしても構わない、惜しくない「祖国」なんかあるのか、と呟(つぶや)く時、そこにはさまざまな懐いや怒りや悔しさが入り混じって、作者を襲う。それもこれも、父親が戦争で死んだという、忘れ得ぬ心情がかぶさっているのです。「霧深し」と「祖国はありや」とは、直接のつながりはない。ある種の語調というか、言葉の流れ具合が重視されているんですね。俳句でも同様です。

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや(寺山修司)

 この短歌は寺山さんが十八歳のときに作られたという。なんとも早熟というべきか。「十八で煙草かよ」と、茶々を入れたくなりますが、じつは、この歌にはお手本(元句)がありました。以下、「増殖する俳句歳時記」から清水哲男さんの「解説」をお借りしておきます。年が若いのに、こんな熟成した成人の作りそうな歌が詠めるのかという驚きもあろうし、いや、若い時でなければ作れない叙情というものがあるというべきか。ぼくは、早熟だから詠めたという方をとります。寺山氏の父は警察官だったが、応召して「戦病死」されたという。その懐いが、強くこの短歌に影を差しているでしょう。何が何でも「祖国」、国のために死ぬ、それが「愛国心」だというように、驚くべき素朴て乱暴な「国との一体化」「国の絶対視」、そのようにいう人はいつでもいる。いうことは誰でも言えるということかもしれない。しかし、敵を殺さなければ、自分が殺される、それが戦争であるし、その戦争を唆し、人殺しを促すのが「祖国」だとしたら、「身捨つるほどの祖国はありや」とまた問い返す。(身を捨てさせるのは、「祖国」ではなく、「国家権力者」なのだと、ロシアの「殺戮」「戦争犯罪」を知れば言えるでしょう。しかし、いつだって、戦争というものはそのような、他者(国民・人民)への、許容し難い暴力を振るう・行使するものです) 

 この時期、寺山さんの高校時代は、戦後十年も経っていませんでした。やがて戦後復興が軌道に乗り、祖国防衛・自衛のために「自衛隊」が作られ、日米安保条約が改定される方向をたどっていく。ぼくの口癖で、いつでも、「戦後」は「(次の戦争の)戦前」でもあるのだというのがあります。戦後七十七年とは、新たな「戦前」を刻している時間です。この「戦前」「戦後」にはいつだって「祖国(実態ではない(共同幻想)」が望見され包含されている。若い寺山さんは、「身捨つるほどの 祖国はありや」と詠んだが、果たして「祖国」は失われたのでしょうか。祖国とは「自分の生まれた地(青森)」をいうのなら、それはあるというべきだし、自分の関わりようのない「国家装置・機関」というものであるなら、そんなものは「ない方がいい」とでも言いたげな、そんな短歌ではないでしょうか。

 一本のマッチをすれば湖は霧(富沢赤黄男) 「湖は「うみ」と読ませる。霧の深い夜、煙草を喫うためだろうか、作者は一本のマッチをすった。手元がぼおっと明るくなる一方で、目の前に広がっている湖の霧はますます深みを帯びてくるようだ。一種、甘やかな孤独感の表出である。と、抒情的に読めばこういうことでよいと思うが、工兵将校として中国を転戦した作者の閲歴からすると、この「湖の霧」は社会的な圧力の暗喩とも取れる。なにせ1941年、太平洋戦争開戦の年の作品だからだ。手元の一灯などでは、どうにも払いのけられぬ大きな壁のようなものが、眼前に広がっていた時代……。戦後、寺山修司が(おそらくは)この句に触発されて「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と書いた。寺山さんは、日活映画の小林旭をイメージした短歌だとタネ明かしをしていたが、それはともかくとして、相当に巧みな換骨奪胎ぶりとは言えるだろう。ただし、書かれている表面的な言葉とは裏腹に、寺山修司は富沢赤黄男の抒情性のみを拡大し延長したところに注目しておく必要はある。寺山修司の世界のほうが、文句なしに甘美なのである」(清水哲男)(https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19981020)

● 富沢赤黄男(とみざわかきお)(1902―1962)=俳人。愛媛県生まれ。本名、正三。早稲田(わせだ)大学政経学部に学ぶ。『渋柿(しぶがき)』『ホトトギス』『泉』などに投句したが、水谷砕壺(さいこ)と『青嶺(あおね)』、さらに日野草城(そうじょう)の『旗艦』に加わり、新興俳句に転じ、定型によりながら的可能性を追求した。1937年(昭和12)応召、中国、北千島に転戦、第二次世界大戦後『太陽系』『火山系』の創刊に加わり、『詩歌殿』を編集した。52年『俳句評論』に拠(よ)ったが、晩年は句作を断った。句集に『(おおかみ)』(1941)、『蛇の笛』(1952)などがある。[村山古郷] 秋の雲泥の鳩笛(はとぶえ)吹けども鳴らず 『『富沢赤黄男全句集』全二巻(1976・書肆林檎屋)』(ニッポニカ)

 ずいぶん昔、勤め人をしている頃、誘われて「カラオケ」にでかけたことが何度かありました。その時に、一回りも年上だった、先輩がいつも「熱唱」する曲があった。河島英五さんの「酒と泪と男と女」。ぼくは少しは知っていましたが、口にしたことはなかったし、カラオケで歌うということもなかった。それを聴いていて、えらい面倒な歌だなと、歌詞が気になった。作詞作曲が河島英五さんでした。やがて、それは彼の十九歳の時のものだと知って驚嘆したことがありました。自らの二十歳前に比して、なんという「豊穣な背伸び」などと考えたりしました。文字通りに「酒と泪と…」に明け暮れていた、彼の叔父の「生き様」を歌ったものだという。(*ちあきなおみ「酒と泪と男と女」:https://www.youtube.com/watch?v=CjLy29vNWvE

忘れてしまいたい事や
どうしようもない 寂しさに
包まれた時に男は
酒を飲むのでしょう
飲んで飲んで 飲まれて飲んで
飲んで飲みつぶれて 寝むるまで飲んで
やがて男は 静かに寝むるのでしょう

 先日は「若い力」に関して、ずいぶん昔の古傷のような記憶を思いもかけずに駄弁ってしまいました。「若さ」というものが切実に思われるのは、それが完全に喪失・消失してしまったと思わざるをえない境遇にあるときでしょう。「若い」というのは「何かが欠けている」のと同義だとするなら、「老い」もまた、決定的に欠けたものがあることをいうのでしょう。「若さ」に欠けるものは何か、「老い」に欠けるものは何か。二十歳前の二人の詩人が作った短歌と流行歌を前にして、ぼくは、今更のように、その事実を教えられているのです。一方は「男と女」を知ろうとし、他方は「自己と祖国」を計ろうとしている。もちろん、正解はないとも言えるし、どこにだって溢れているともいえます。

 今の世にも、この二人の青年が提示した問題につまずかない人は、どこにもいないでしょう。「答えようのない問題」にまっすぐに立ち向かっって歩く、それが「若さ」というものかもしれないと、老人は愚行しています。

 「やがて男は 静かに寝むるのでしょう ♫」

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