
【斜面】「先生」を見直す 本紙夕刊コラム「今日の視角」の筆者を務めるノンフィクション作家、小林照幸さんに初めて電話したのは7年前のこと。「小林先生―」と言いかけた時、「私は先生ではありません」と即座に言われた。しまった…と後悔しても遅い◆文筆家や学識者と接する機会が多かった。「先生」と呼べば無難だろう―という通俗的な計算を看破された気がして恥ずかしかった。先生とは「先に生まれ、先に道を修め、学徳ある人」=増井金典著・日本語源広辞典◆日常生活では、学校や習い事で指導的な立場の人、芸術家、専門的な知識が豊かな職業人らを「先生」という。では、どうして多くの政治家までそう呼ばれているのか。選挙で頭を下げながら、当選後は「先生」と言われてご満悦。呼ぶ方にも「持ち上げておけばいい」と俗っぽい計算が働いているのではないか◆大阪府議会が改革に乗り出した。議員の呼称に「先生」を使わないことにした。「~議員」「~幹事長」などと呼ぶ。議運で決めて、正副議長名で通知した。府職員にも同様の対応を求めている。議員の特権意識や職員との上下関係を防ぐ狙いだという◆形より心がけ―との批判もあるようだが、形から心が変わることはよくある。全国の議会や国会も「先生」の呼称はやめればいい。高潔で見識が高く、尊称に値する政治家はいただろうし、今もいるのかもしれないけれど、そういう人物ほど「私は先生ではありません」と即答すると思う。 ■あとがき帳■ かつて社会党の土井たか子委員長も「先生」呼称をやめようと呼びかけました。議員と市民との間に上下関係が生まれかねないからと。▼辞書を引くと、「親しみ、またはからかって呼ぶ称」との意味もあります。相手をおだて、良い気分にさせる効果もあります。▼〈先生と言われるほどのばかでなし〉と川柳にあります。呼ばれる理由がなければ、ばかにされたと感じるものです。▼この呼称は、「センセイ」自身も支持者も、時にメディアの現場でさえ、どこか互いに居心地のいい「ぬるい関係」を続けている証左なのかもしれません。▼「~さん」「~議員」と呼び合って何が変化するのか。大阪の実験に注目しています。(論説副主幹 五十嵐裕)(信濃毎日新聞・2022/10/08)

【斜面】というコラム、その昔はよく読んでいたもので、どういう事情か、しばらくは「休載」していました。寂しいなと思いながら、復活を望んでいたところ、ごく最近になりまた掲載されだしたので、毎日のように目を通しています。この新聞には、戦前、桐生悠々氏(右写真)が健筆を振るっていたこともあり、ぼくには特に懐かしい新聞でもあります。また、復活したコラムには筆者自身による「■あとがき帳■」がついていて、執筆の動機や裏話(舞台裏かな)などが書かれていて、親切でもあり、ありがたくもあると感謝したくなります。
本日のテーマは「『先生』を見直す」でした。(「コラム」掲載は昨日付け)この閑問題については、つい最近も触れました。特に関心があってのことではなく、彼方此方のコラムで何かとネタにされているので、ついその気になって、ぼくも、もう一度となった次第。この島社会では、飲み屋で一番多かったのは「社長」でした。(お客さん」というのはヨソヨソシイので、誰彼無く、客は「社長」という具合。今では「先生」です。まあ、一種の「(接頭辞的)呼びかけ」であり、呼ばれた人の気分を害しないような「枕詞」だと理解しておけば、大きくは外れないでしょう。悪どいキリスト教徒をもさして「敬虔な」というように、誰かを持ち上げ、持ち下げする際の「間投詞」かな。「おい」とか「もしもし」などと同じ類と捉えたらどうか。
呼称、あるいは地位や身分などには、その社会に特有な呼び名があります。「議員」というのは政治家一般に共通する社会的身分であり、それを示す呼称は「議員」「議員さん」でしょう。◎◎議員とか▼◆議員さんと呼んで不足のあろうはずはありません。議員に対して社長というのは間違いです。あるいは大工などの職人世界でも「棟梁」「親方」が一般的に使われていました。もちろん、学校の教師は「教諭」(ごく初期のことは「訓導」でした)というのが法律で定められた呼称ですが、古く、かつ広く「先生」が相場となってきました。学校教師に「先生」という呼称は当然でしょうが、中にはそう呼びたくない「泥棒」や「盗人(盗撮犯)」といったほうがふさわしい場合も多くあります。

細かいことは略しますが、明治初期に学校教育が開始された段階では、いわゆる「教員」は仮雇いがほとんどでした。その後の呼称で言うと「代用教員」です。教育制度が始まったばかりで、この島には、現在に引けを取らない二万数千の学校が作られたのですから、教員養成は間に合わず、それどころか当分は不可能でした。明治期を通して「師範学校」制度が整えられ、免許を持った教員が現場に出るようになるのですが、そうなるまでは、仮免以前の、無免許教員がほとんどでした。その代表は神主や僧侶、武士崩れなど、それ以前の旧社会ではそれなりの身分にあり、いわゆる「常識・教養」を有する人たちでした。世変わりすると、身分は落魄し、つまりは落ちぶれて、なんとか教職にありついて糊口をしのいだというのが実態でしたでしょう。
それ故に、教室に来る子どもたちのほうが社会的身分が高かったり、裕福であったりして、許員は、親たちからも子どもたちからも、それほど尊敬されなかったということもありました。教員の社会的評価の二面性であり二重性がここに生まれたのです。ぼくが教師まがいの職業に付く前に、大きな影響を与えられた「現職教師」が何人もいました。その中でももっとも深く学ぶことになったのが S さんという小学校教師だった人です。もちろん彼は師範学校卒の教員でしたから、その師範学校の持つ「陰湿さ」「意地悪さ」「上下関係」などもつとに経験していたし、それを徹底して批判した人でもあった。

S さんが「校長」になって、ある小学校に赴任した際、その学校の教職員に対する最初の挨拶で、「わたしを校長(先生)と呼ばないでください」「名字(Sさん)で呼んでほしい」といったそうです。若い教員たちは、その申し出に直ちに順応し、「S さん」と呼ぶことに抵抗がなかったが、経験のある教師たちは、その申し出の受け入れを渋ったそうです。理由は言わなくてもいいでしょうか。校長を名前で呼ぶのですから、自分も名前で呼ばれることに納得できなかったのかもしれません。加えて、教師の権威が奪われるとも思ったでしょう。(師範学校生は授業料は免除。月々の小遣いが与えられた。国家の教育を担うのだから、国家意思の教授に徹することが求められたのです。「教科書を教えること(だけ)」が求められた。大半の人は成績優秀であっても、貧困のために高等学校や大学に進むことができなかった青年たちでした。それゆえに、無条件に尊敬を受けるという以上に、閉鎖社会における「社会的地位」の低さが学校の中でも払拭されなかったのでした)
時代とともに、学校の外にも「先生」呼称は普及しました。そのニュアンスは、学校教師についていたのと同じような「皮肉」「軽侮」も込められていた。つまり「先生」という敬称は、また他面では軽称だったり、蔑称だったりしたのではなかったか。当たり前に言うと「 自分より先に生まれた人。年長者」です。それだけのこと。でも年齢が嵩(かさ)んでいるのだから、若いものよりは経験もあり、それ故に、賢明であり、知識も豊かだと思われたのが、段々と「先生」という呼び方が社会的に広く普及した理由だったでしょう。今では「大工の棟梁」も「先生」だし、もの作りの職人も「先生」です。料理長も。それでいいんじゃないでしょうか。「先生」と呼びたくなるなら、そうしておけばいいと、ぼくは思います。

詰まらない話をします。現役時代に毎晩のようにでかけていた飲み屋で、知り合いの夫婦と同席することがよくありました。ある時、どうしたはずみか、夫のほうがぼくに絡(から)んできて「あんたは何様だと思ってるんだ。偉そうにするんじゃないよ」と凄い剣幕でした。理由がわからなかったので、ぼくは沈黙して飲んでいると、その態度が気に入らなかったのか、さらに怒りが大きくなった。「面倒なおっさん」だと、いい加減にあしらおうとしたが「怒りの補充」にしかならなかった。怒りという火に油を注ぐというのは、ぼくの欠点でもあり、美点でもあるのです。
店主がその「怒りの火玉」を、もう帰ってくれっと、放り出した。以来、ぼくはその夫婦には遭うことはなかった。今から思っても、どうして絡んだのか、あるいは酒癖が悪かっただけということだったかも。その上に、「先生ヅラして、お高くとまるな」という不機嫌が、彼を襲ったのかもしれない。ぼくは人に好かれることもありましょうが、絡まれることのほうが多い。よくないのは、それを楽しむ風がぼくにあることです。その時は「教授ヅラ」をしていると、酔っぱらいには見えたんだんろうね。とにかく「気に入らないやつ」と勝手に思われていたらしい。
「『先生』と呼べば無難だろう―という通俗的な計算を看破された気がして恥ずかしかった」とコラム氏は書く。そのとおりでしょうね。「先生」という呼称がハイパーインフレを起こした一端の理由が、そこにありそうです。「先生」と呼んでおけば当たり障りはないし、呼ばれた方も悪い気はしない(だろうと思う)。それがいつしか、この社会の大地が陥没して「先生の海」になったんでしょう。しかし、そう呼ばれた当人が「私は先生ではありません」と即応したのは、これもまた稀有なことではなかったか。「先生と呼ばれるほどの」という意識からではなく、誰かにものを教えて生きているのではないのだから「私は先生ではありません」ということだったかもしれません。もしそういうことだったら、その辺りに清々しい風が吹いていたかも。

たった一度でしたが、土井たか子さんにお会いし、少し話をしたことがありました。「土井先生」とは言わなかったし、それが当たり前だと「土井さん」と言っていました。ぼくの中には「学校で授業をし、それで生計を立てるもの」を「先生」と呼んでも差し支えないという気分がある。呼びかけるときは「先生」でも、相手がいない時には、その職業を示すような「表現」を使うことが多かった。「教師」「教員」「教諭」などなどです。その理由は簡単明瞭です。職業を表す呼称には「上下関係」は入らないのに対して、身分や地位を表す呼称には、時には、その上下の関係がついて回るようで、あまり好ましくないと考えるからです。
これを「人権と特権」と説明した物理学者がいました。ある種の地位や身分は「特権」を誇示するきらいがありそうで、そこへ行くと職業を言い表すと、上下関係ではなく「つながり」「連帯」を想定することができるでしょう。面倒なことは言わなくていいことですが、「先生」という一つの呼び方で、相手に敬意を持っているかそうでないか、誰にでも直感できるんじゃないでしょうか。嗅覚が働くと言えばどうでしょう。「先生」と呼びたければ、呼ばれたければ、どうぞお好きに、です。ぼくがもっとも好ましく考えているのは「固有名」で呼ぶことです。ぼくを姓や名で呼ぶ学生がたくさんいました。しかも「呼び捨て」で。

(バカバカしい実例です。昔、ノーベル平和賞を、引退後に受賞した 、S 元総理大臣は現職総理のころ、「エイちゃんと呼ばれたい」と公言していた。国会質問に立った議員さん(後に大阪府知事を務め、セクハラ問題で辞めた)は「(「総理のご希望にお答えして」と前置きして)エイちゃん、この問題はどうなんです」と切り出した。国会の会議場は騒然とし、顰蹙(ひんしゅく)を買うことになった。彼が懲罰委員会にかけられたかどうか、ぼくは忘れた)
● せん‐せい【先生】の解説(4が原義)1 学問や技術・芸能を教える人。特に、学校の教師。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。「国語の―」「ピアノの―」2 教師・師匠・医師・代議士など学識のある人や指導的立場にある人を敬っていう語。呼びかけるときなどに代名詞的に、また人名に付けて敬称としても用いる。「―がたにお集まりいただく」「―、お元気ですか」「鈴木―」3 親しみやからかいの意を含めて他人をよぶこと。「ははあ―今日は宅 (うち) に居るな」〈漱石・彼岸過迄〉4 自分より先に生まれた人。年長者。「年の賀も祝はれず、―にはあるまじきことなり」〈鶉衣・戯八亀〉(デジタル大辞泉)
● 先生と言われる程の馬鹿でなし=先生と呼んでも、必ずしも敬意がこめられているわけではなく、むしろばかにすることの多いところから、呼ばれていい気になっている者を軽蔑していう。人をむやみに先生呼ばわりする風潮や、呼ばれて得意になっている人への批判をこめていう。[使用例]向こうの人が、ほんのちょっとでも計算して、意志を用いて、先生と呼びかけた場合には、すぐに感じて、その人から遠く突き離されたような、やり切れない気が致します。「先生と言われる程の」という諺は、なんという、いやな言葉でしょう[太宰治*風の便り|1942](ことわざを知る辞典)

「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」というのは、どこに出典があるのか、ぼくにはわかりません。川柳なのか、諺(ことわざ)なのかも判断できません。その意味するところも、単純でもあり複雑でもあります。「先生というのは、馬鹿な人間のことなんだ」(これははっきりした偏見ですね)「だから、おれを先生(馬鹿)と呼ぶな」というのでしょうか。あるいは、どこにでもいるような半端な人間を、世間は「先生」と呼んで虚仮にしている、だから「この私を先生と呼んでくださるな」というのでしょうか。「おい、小僧」というのと同じようなこと。どうやら、ある時期までは「この先生」と言う呼び方には、学校教師は数えられていなかったと思う。ところが、多くの学校教員も、世間並みになり、今では堂々と「馬鹿人間」と評価されている「先生」の仲間入りをしたようです。他人を呼ぶには「名前に限る」、それは「サンマは目黒に限る」のと同じようですね。
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