「人災」は「天災」の顔をして「命(いのち)」を狙っている

【10月31日 AFP】(写真追加)インド西部グジャラート(Gujarat)州モルビ(Morbi)で30日夕、つり橋が崩落し、橋の上にいた多数の人々が川に転落するなどして少なくとも120人が死亡した。/ 当局によると、つり橋の上や周辺で女性や子どもを含む500人近くがヒンズー教の祭典「ディワリ(Diwali)」を祝っていたところ、橋を支えていたケーブルが切れ、橋の上にいた人々が川に転落した。/ モルビの警察幹部はAFPに対し、「これまでに120の遺体を収容した。捜索は続いており、犠牲者は増える公算が大きい」と語った。/ 当局者は当初、「75人が死亡した」とし、犠牲者の大半は水死だったと述べていた。/ 橋は全長233メートル、幅1.5メートルで、英国の植民地時代の1880年に建造された。/ 民放NDTVは、橋は7か月間の補修工事を経て26日に通行が再開されたばかりだが、安全性は保証されていなかったと伝えた。事故前日の29日の映像では、橋が激しく揺れているのが確認できると指摘している。(c)AFP(https://www.afpbb.com/articles/-/3431495?cx_part=top_topstory&cx_position=1)

 この事故をなんと名付けるのでしょうか。自然災害ではないし、交通事故でもありません。言うまでもなく「管理者責任」が問われるべき「人災」そのものです。橋の上にいた五百人近くの人々は、群衆ではなかったでしょう。事故が起こって、初めて問題が明らかになる。繰り返し事故の発生を待って、繰り返し多数の人名が失われるのを待って、はじめて「二度と起こってはならない事故だ」と、その程度のことしか政治家や役人は言わないのです。自らの命は自らが守る。それに徹していても、「人災」は個々の命を狙い撃ちしてくるのです。「一人の命は地球よりも重い」と、この島の政治家が言いました。「一人の命」が百数十人分もある、いったいその「尊さ」「重さ」と、一つの「地球」は釣り合うのでしょうか。

 何のための政治であり行政であるのか、どこから見ても当たり前のこのことを、いつでも、誰もが問いただしていなければならないのです。 失われた命に、万感の思いを籠めて深甚の悼みを届けたい。合掌するのみ。

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 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより…

 ゆく川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき人の住まひは、世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或は去年(こぞ)やけて、今年つくれり、或は大家ほろびて、小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がために心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顏の露にことならず。或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。

 予、ものの心を知れりしより、四十余(よそじあまり)の春秋をおくれる間に、世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ。(「方丈記」)(参考文献:浅見和彦校訂・訳「方丈記」、ちくま学芸文庫)

● 鴨長明 (かもの-ちょうめい)(1155?-1216)=平安後期-鎌倉時代の歌人。久寿2年?生まれ。父は京都下鴨神社の神職。琵琶(びわ)や和歌にすぐれ,後鳥羽(ごとば)上皇の和歌所寄人(よりゅうど)にとりたてられる。元久元年下鴨河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)に推されたが,一族の反対で実現せず出家。大原へ隠棲(いんせい)後,日野に方1丈の庵をむすぶ。「千載和歌集」に1首,「新古今和歌集」に10首はいる。建保(けんぽ)4年閏(うるう)6月8日死去。62歳?通称は菊大夫。法名は蓮胤。著作に「方丈記」「発心(ほっしん)集」「無名(むみょう)抄」。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

 「予、ものの心を知れりしより、四十余(よそじあまり)の春秋をおくれる間に、世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ」と長明は書く。「世の不思議」とは文字通り、「天変地異」であり、あるいは、源平の「政変」をはじめとする「権力争い」を指すのでしょう。その他、大小さまざまな「不思議」「出来事」によって、「方丈記」は書き貫かれている。ぼくは何度か、この件(下り・条)(くだり)を含めて、駄文集録に綴っています。いわば全文の「序」に当たる、この文節をひたすら読んで見るだけで、ぼくは満足する、いや納得するといった心持ちになります。繰り返し読む、それでいいのだと、時代を超えて、一筋の人生の方法(道)が現れる気がするのです。

 ここには長明の「無常観」が深く静かに流れていると世間は言うでしょう。あるいはそうかも知れません。しかし、その「無常観」とは何かと問えば、たちまちに「世間知」が飛びかかってくるのですから、案外、多くの専門家も含めて、鴨長明という存在を見誤っているのかもしれないと、ぼくはずっと考えてきました。「無常」と「無常観」は違う。説明し難いところですが、「ゆく川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と見るのは「無常」なのか、「無常観」なのか。「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし」たしかにそのとおりです。それをもって、「世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」と観察するのは「無常」ですか、「無常観」ですか。何ごとも、何人も、どんなときでも動いて止みません。大きな岩であっても、不動ではない。「水の流れるさま」をみて、「常ならず」というのは、自然観察でしょう。そのように「人世・人生もまた、常ならず」といって、それはありのままの表現ですから、それだけを取り出して「無常観」が横溢しているというのはどうでしょうか。

 生まれて死ぬ、たった一言でいえば、そこになにかの「奥義」や「神秘」「運命」などを見ないで、淡々と、それこそ「水の流れ」のように、長明は自らの来し方行く末を、筆に随って書いているのでしょう。彼は知識人であったし、「貴族」ではなかったが、「神職」でも家柄の生まれでした。彼自身が神官を目指していたこともわかっています。また和歌を始めとする文芸にも、勝れた才能を発揮していた。にも関わらず、「立身」の思いは達することができずに、「出世」の願いは消し去り難くして、彼は、意に反して(だとぼくには見えます)、「方丈庵」の主となり、都の郊外から都人の「周章狼狽」をみやりつつ、大飢饉や地震・火災の災害に打ちのめされる人々を、その側に立って、書き記している。

 「知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がために心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。その主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顏の露にことならず」と書くのは、長明自身の経験であり、その経験から得られた実感だったと、ぼくは思う。自らの人生の来し方を、長明は「無常」という、ある種の「諦観」「諦念」で書いたのでしょうか。ぼくには、そのようには読めない。彼は早くから才能を認められ、賢き人の支持も得た。にも関わらず、「立身出世」は果たせなかった。だから家を出たというのは、安っぽい推測でしょう。あるいは「下衆の勘繰り」だと言っても間違っているとは思えない。彼は「強靭な精神」の持ち主だったと言えば、どうでしょうか。(左は後鳥羽上皇像)

 「方丈記」は彼の六十歳前に書かれたとされる(1212年説あり)。彼が「出家」したというのは、五十歳頃のことと、彼自身が書いています。晩年に至っても、彼は鎌倉に出向き、実朝と逢ってもいる。時世時節の「無常」「儚さ」を書き、人生の「夢幻」を書くのは、彼自身が、そのような観念に支配されていたからだとは言えないでしょう。「あわよくば」「世が世ならば」という情念は、年を経るに従って、彼の心中に衰えることなく滾(たぎ)っていたと言いたいですね。九百年前の人間の心持ちが、今日の人々とは根本から異なっていると、どうして言えるのでしょうか。人間とは、いくつになっても「世が世なら」「あわよくば」と念じているに違いないと、いまもなお「諦念の神」に嫌われているぼくは愚考している。

 大局から見れば「人生は無常(つねならず)である」といえる。だからといって、自らの人生が「無常観」に支配されているとはいえないでしょう。無常、儚さを嘆くことはあって、それは「無常」や「儚さ」を超えていきたいという「生への意思」の現れだとぼくは考えている。ぼくの好きな作家だった正宗白鳥さんは、人と会うたびに「つまらん」「つまらないな」というのが口癖だった。その心は、人生が「つまらない」といったのではなく、もっと中身のある生き方をこそ、政宗さんは求めていたと言うべきだと、ぼくは教えられた。そうでなければ、彼は生涯を「書くこと」で貫くことはなかったでしょう。(右は源実朝像)

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 胸に愛國手に國債 求めよ国債銃後の力 

<あのころ>「支那事変国債」売り出し 戦時下の行列  1941(昭和16)年10月24日、第24回「支那事変国債」が売り出された。日本政府が戦争と呼ばず「北支事変」「支那事変」と呼んだ日中戦争は全面戦争に発展、4年が過ぎ泥沼化していた。資金調達の国債に東京の下町、深川郵便局には長蛇の列。1カ月余後にハワイ真珠湾攻撃が始まる。(共同通信・2022/10/24)

 「支那事変国債」と銘打って、国民の懐から大枚を収奪し、敗戦によって、手持ちの国債は「紙切れ」「紙くず」になった。「宣戦布告」なしで侵略を開始し、あらゆる姦計を弄して、「名分」のなさを糊塗し、かつ鼓舞した。「事変」といって「戦争」とは明言しわなかったのは、「後ろめたさ」というか、正義に反するとという、心なしの後ろめたさがあったからだ。この卑怯な手法は時代が変わっても腐った権力者が取る常套手段でした。ロシアの腐敗した権力独裁が「特別軍事作戦」と詐称・偽称して、ウクライナの「非ナチ化」を実現すると言って始めた「侵略戦争」の現状はどうか。今や、「総力戦」を言い出す始末です。「腐敗した権力者は、ただちに屠れ!」といいたい。いつだって、権力者は、人民を「兵隊」とみなし、自らの手足とのごとく自在に動かす、あげくは、弊履のごとくに放棄するのです。「国威」とはなんでしょうか。「国権」とは何の謂(いい)ですか。「民権」、あるいは「人権」はどこにあるのですか。

● 日中戦争(にっちゅうせんそう=1937年の盧溝橋事件を機に本格化した日本軍の中国侵略 1931年の満州事変以後,中国の抗日の気運は強く日本の軍部は武力をもって華北分離工作を進めた。’37年7月盧溝橋 (ろこうきよう) 事件がおこると,近衛文麿内閣は,北支事変と呼称し,現地解決・不拡大方針を表明したが,宣戦布告のないまま日本軍は北京から上海・南京・広東へと戦線を拡大して全面戦争に突入。これに伴い呼称は支那事変へと変化した。中国側は,第二次国共合作を成立させ,国民政府も南京陥落後は重慶に拠点を移し,抗日戦を展開。’38年1月の近衛声明で「国民政府を対手とせず」と,和平交渉をみずから断ち切り,同年後半,主要都市はほとんど日本軍の手におちた。’41年まで小規模な侵攻作戦が続き,長期持久戦の様相を呈したので,日本軍は ’40年和平工作として汪兆銘 (おうちようめい) 傀儡 (かいらい) 政権を樹立させた。この間,日本国内の人員・兵器・軍需品消耗による国民生活の犠牲の中で,政府は新体制運動を展開した。’41年12月太平洋戦争開戦ののちも30個師団を中国本土に投入し,重慶侵攻作戦などを計画したが,共産党を中心とする八路軍・新四軍の抗戦が強く,各地に解放地区が成立。日本軍は制空権を失い,補給は続かず侵攻地域の確保ができず,点と線を守るにとどまった。’45年8月ポツダム宣言受諾に伴い,日本軍は国民政府に降伏した。(旺文社日本史事典三訂版)

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 ぼくは経済学者ではないから、難しい話はしませんし、できません。国の借金である「国債」が一千兆円を超えたというが、それがどのような問題なのか、無駄と知りながら、素人ながらに考えてみたいと想っているのです。昨年度の税収実績は六十五兆円、予算は百七兆円。差し引き四十兆円ほどが、何らかの借金によって賄(まかな)われています。円安が急激に進み、つい先日は百五十円を超えた。恐らく、この先も円安は進むでしょう。打つ手がないというのが正直なところ。本予算を制定し、同時に補正予算(予備費という隠れ蓑も含まれる)を組むという、理屈の通らない財政運営をしているのが政府であり、くわえて、コロナ対策、防衛予算に、未曾有の税金投入を計ろうとしているし、その大半は借金、つまりは赤字国債・防衛国債・コロナ国債となって、なおも際限なく嵩(かさ)んで行くのです。

 なにかと理屈はこねますが、要するに無為無策を糊塗し。隠蔽するための「ばらまき」を称して財政出動と言う。腰を据えて、この社会の来し方行く末を見る興味もないし、もちろん能力もない者共が、政治(とは似て非なるもの)をしているのです。あらゆる既存の組織や制度が毀損されてきましたが、特に政治の劣化、世辞家の頽廃には目を覆いたくなります。あまりその点を指摘する人はいませんが、ぼくは政治も経済も含めて、あらゆる社会のインフラを支える任にある「人材」がおどろくほど払底している、やることなすことが、「己の利権」「己の名誉」にしか結びつかないという、その「歪んだ自己尊重」の守護神が大量に出回っている最大の理由は、まず学校教育にあると言いたい。拙い教師家業の経験をネタに、大きなこと言いません(大言壮語はしない)が、学校教育の根本が間違っているのではありませんか、と今更のように言おうとすると、息が詰まるほど虚しくなります。「ズルして、得する」方法を授けてきたのが学校だったと、偏差値や成績に席を譲り渡した学校という「旧体制」の温存こそが、諸悪の始まりでした。名門とか一流と、世間で評価される学校が、じつは「自分本位」「自分勝手」「利己専一」な人間を生産する工場でした。

 次々に登場してくる、この島の「総理大臣」が、ことごとく人間性において「貧相」で「能天気」なのも、学校教育の賜物でした。そして、政治家は駄目だけれども、官僚がまともだから、この国は大丈夫と言われた、その官僚の堕落・頽廃の元兇も「自己中心主義者」を育成して、名門の看板を誇ってきた学校の責任をなしとはしません。ぼくが「能天気」「貧相」だというのは、多くの政治家や官僚には、当たり前の「人間性」が備えているだろう資質に大きく欠けたところがあるという意味です。まず、平気で「虚言」「誤魔化し」「抗弁」「弁解」を繰り出すことです。相手(大半の国民)を人間と見ていない証拠でしょう。政治家や官僚に「倫理道徳」を求めるのは、八百屋で「宝石」を所望するようなもの。開いた口が塞がりません。経済政策というと、「金をばらまく」だけ、その大半が「借金(国債)」です。それは政治とは言わないでしょう。金がなければ「国債」を出せばいい、いくらでも限界なしに印刷できるのだと、刷りに刷って「一千兆円超」です。円安が止まらないのは、そこに金融政策がないからです。つまり日銀は、無能者集団に乗っ取られているということです。名門での「秀才」が、寄ってたかって中央銀行を食い物にしたのです。この連中は、政治家と同罪で「国を売っている」、それが本職の盗人集団です。「売国奴」というほかありません。企業の内部留保も五百兆円を超えています。給料をあげないで、しこたま貯めるばかりの仕業を、経済運営、企業経営とは言わないでしょう。

 上掲の「戦時下の行列」の写真をよく見る。この人たちは、いかにも戦時中の「出で立ち」をしていますが、今日でもあらゆるところで並んでいる人たちと意識においては寸分も変わらないでしょう。お上に言われたから、事の真実を確かめもしないでひたすら行列です。言うことを聞いたら、お小遣いをやる、もらえるなら、何だってかまわないと、気がついたら取り返しがつかない事態になっているのです。「宣戦布告」をしないで「事変」で押し通し、挙げ句には国を破滅させてしまった。今日、国債を買うという「奇特な国民」はいないでしょう。市中銀行に買わせるという「アリバイ」を施して、結局は日銀がすべてを買い取っているのです。日銀は、印刷した債権やお札を、何のことはない、自分のところで溜め込まされているだけなんですね。ゼロ金利だとか、マイナス金利だといって、いかにも「金融政策」を取り繕っていますが、どんなにわずかでも「利上げ」を始めるそぶりを見せただけで、即刻、国債の値打ちは暴落します。つまり一千兆円超の国債は紙切れになる、その先駆けを知らせる「狼煙」が上がるようなものです。国債の乱発は、見通しの立たない「平時の戦争」に突入しているという合図です。平時の戦争とは、もちろん、言葉を換えて言えば、「国権対民権」「特権対人権」の戦いにほかありません。

 円安も株安も、起こるべくして起こっている現象で、政策などとは断じて言えない。「三本の矢」とか「アホノミックス」などと、経済や財政の原理を無視した出鱈目な政策を、己の「名誉・地位・権力」維持のために導入した「無責任」の連鎖が破綻したということにほかならないでしょう。ただいま、この国は「戦争」も「事変」も起こしてはいません。しかし「平時の戦争」とでも言うべき、生き残り戦争が劣島のあらゆるところで戦われているのではないでしょうか。武器は使われない代わりに、真綿で人民は首を締められている。無駄な防衛費増額を「国債」で、外国産品によるコロナ対策費を「国債」で、インフレ放置の無策に寄る物価高対策に「国債」を、格差社会を招来しておきながらの弱者救済に「国債」を、何でもかんでも「国債」に下駄を預ける。その結果は火を見るよりも明らかです。

 「平時の戦争」は、身に感じられない「空襲」や「爆撃」を受けていても、一向に痛痒が感じられない。しかし、確実に、人民の「生きるエネルギー」を殺(そ)いでいるのです。国会は機能せず、政府は方向舵を失って、荒海に漂流しています。その船に乗りあわせた不幸を、互いに慰めあっているうちに、「日本沈没」となるのでしょう。思い起こせよ菊の花、「国権」は「民権」の領土内に土足で踏み込んでいるのです。踏み潰されるままに、我が身を任せていいのでしょうか。シロアリやクロアリ、さらにはハゲアリまでが国家の屋台骨を食いかじっているのを、ぼくたちは我慢できますか。(註 「我慢」とは、仏教では「我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢」(デジタル大辞泉)という。一刻も早く、我慢から「脱出」するときですね。

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 たくさんの子猫がいる、名前はまだない

 猫に関わる話題です。ぼくにとっても、以前から大いに気になり続けていること。それを下に引用した上毛新聞のコラムが書いていました。いわゆる「保護猫」というのでしょうか。本題に入る前に、一言。上毛新聞は群馬の地域新聞ですから、「猫」となれば萩原朔太郎でしょう。いくつか「猫」がタイトルになる作品があります。小説「猫町」も。ここでは、一瞬の、猫とのすれちがいのような小さな作品をニつばかり。一つは「月に吠える」から。そのデビュー作には北原白秋の「讃辞」がありましたので、一部だけを。もう一編は、同時期の「青猫」所収の「さびしい青猫」です。長く朔太郎全集を所持していますが、まだ、すべてを読み切っていません。これからその作品に立ち向かう気力が出てくるかどうか。何れにしても、問題となるのは「猫」です。

 猫                                                                                       まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』                                                  (「月に吠える」所収・「現代詩文庫 1009 萩原朔太郎」思潮社 1975年刊)

 「月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、真実に地面(ぢべた)に生きてゐるものは悲しい。/ ぴようぴようと吠える、何かがぴようぴようと吠える。聴いてゐてさへも身の痺れるやうな寂しい遣瀬ない声、その声が今夜も向うの竹林を透してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へば蒼白い月天がいつもその上にかかる」(北原白秋の「讃辞」大正六年一月十日)

 驚くほど繊細で神経質でもあった朔太郎氏。彼の履歴を一瞥しただけで、他者と交わり、「和気あいあい」という具合にはいかなかった生活・生涯がよくわかります。じつに「紆余曲折」を経た生活だった。早くから音楽(楽器演奏)を好み、詩を作る。長い間、ぼくには十分に彼の作品群に親しみを持って近づけないように思われてきました。その理由はよくわかりません。ひょっとしたら、この詩人は性格異常であったかとも思っている。でも一、二の詩には甚(いた)く引かれるのも事実です。

 青猫と柳と墓場と月。そこに一陣の風が流れている。この雰囲気はじつに暗澹たるものという感じもします。青猫は、作者にはなにかの象徴でもあったのでしょうか。

ここには一疋の青猫が居る。さうして柳は風にふかれ、墓場には月が登つてゐる。                                 (「さびしい青猫」「青猫」所収・新潮社1923年1刊)

 問題のコラムです。ぼくは90歳ではない、しかし、年齢だけは立派な後期高齢者です。好きでやっているわけではありませんが、野良猫とそれが産んだ猫たちを、なんとか健康に生きられるように、最低限の世話をしていると言うべきか。「猫が好きなんですね」とよく言われるが、好きだから面倒を見ているというわけではありません。だれも世話をしないから、そして、なんとか今のところは面倒をみることができるから、それで「世話」をしているだけのこと。近所の女性も、「よくやっている、と感心するよ」と、半分は本気で、半分は揶揄をいくぶんか含んだ口調で、会うたびに言う。その人の車庫で猫が死んでいると、電話が来る。猫が車道で轢かれていると連絡が来る。その都度、ぼくはダンボールとスコップなどを持って引き取りに行く。これまでにも、この地で、数匹は面倒を見切りました。行政(役所)に連絡すると、「回収袋」をもってきて、焼却するためにゴミ収集車に渡すのです。

 というわけで、生きているものは、やがて死ぬ。犬でも猫でも、その始末をしなければならない。家の庭には、ここに来て数匹が埋められています。お墓も作ってある。「焼却」を、業者に依頼するといいのですが、かなりの高額を請求されます。家に来ていた猫が病死した際、試みに業者に頼んだら、かなり高額な料金請求がありました。誰も彼もが「面倒を見る」「世話をする」のが当然というのではありません。猫アレルギーでない限り、あるいは少しばかり猫との付き合いにタイムとマネーがあるなら、ぜひ「猫と、つきあってほしい」、そのように心から願っている。結婚して、来年三月で半世紀です。この間、すべて捨てられていた猫、あるいは野良猫になっていたもの、取り混ぜて、五十匹はくだらない数の猫と付き合ってきました。医療費も馬鹿にはなりませんでした、今でもそうです。余裕なんかないけれど、なんとか、命をまっとうさせてやりたい、もちろんぼく自身も。両方の願いが合致しているんだと、勝手に受け止めては、なんとか時間や金を工面しているのです。

 ぼく宛のメールなどにも、しばしば「保護猫」を助けてください、「クラウド・ファンディング・crowd funding」の署名や寄付などの依頼が来ます。ほとんどは署名だけで済ませていますが、余裕があれば、寄付もしたい。ぼくは、何十年も、寄付(支援・援助)を求める「人間たち」(NGO)に、それこそ「貧者の一灯」を灯し続けてきました。文字通りの気持ち(寸志・small intention)だけですが、それでも、これまでの総額は相当な金額になります。千万を超えているでしょう。自慢をするのではありません。自分の足で歩ける限り、自分の頭にとまったハエを追い払うことができるならば、そんな程度のチャラい気持ちでやってきました。政治の貧困、政治家の非道を嘆くことしばしばですが、それでも「なけなしの寄付(little donation)」を続けてきました。もしぼく自身が「孤児(ミナシゴ)」だったらと思い、あるいは、ぼくは「ここにいる野良猫だ」と思いこんでしまう、だから野良たちを見ると「居ても立っても居られない(I can’t stand it)」気分に襲われるのです。「やれる範囲」で、「だれにも知られない」で、そして「ぼくの趣味は寄付です」などと密かに口ごもりながら、もう、そんな秘事を三十年以上も続けてきました。  

 以下の上毛新聞の「三山春秋」、これを目にして、やはりぼくは立ち竦(すく)んでしまいました。コラム氏が記事にするだけでも頭が下がるが、下がりついでに「どうです、一、二匹ぐらい」、猫と戯れるといいますが、きっと快適な気持ちにさせてくれますよと言いたくなります。「(90歳の)女性が餌やりをしている猫は避妊去勢手術をしていないようだ。世話を続けるのは難しいと感じたが、制止はしなかった」のはどうしてでしょうか。ぼくは直観しました、密かに「手術費用」を立て替えるつもりだと。二、三万円ほどですが、貴重な寄付ですね、「ありがたい」と、ぼくは早合点しています。

 この新聞社にはいささかの因縁があります。どこかで触れましたが、その奇縁で、一度、この記者さんにお聞きしたいですね。「ありがとうございました」と。「NPO法人『群馬わんにゃんネットワーク』が保護に乗り出しているが、避妊去勢手術費の捻出は難題だ▼同法人は行政や地域住民が早めに気づき、手を差し伸べる大切さを訴えている。筆者はまず、冒頭の女性に会い、猫について尋ねることにしたい」と書かれています。「手術がまだなら、ぼく(わたし)がなんとか工面しますから、ご心配はいりません」というか、あるいは「もし猫が増えたら、ぼく(わたし)がいくつかを引き取りましょう」というはずです、きっと。記事に書いたんですから。 

【三山春秋】▼90歳を過ぎて1人暮らしをしている高崎市の女性と取材で知り合った。夫の遺品を整理する際、業者に随分と買いたたかれたらしい。詐欺と疑われる電話がかかってきたこともあり、怖くなって固定電話はもう使っていないという▼近くを通って顔を見かけると、心配も手伝って声をかけるようになった。ある時、猫が家に寄るようになり、餌を与えているうちに来る回数が増えたと、聞かされた▼以前、動物愛護団体関係者から「猫算」という言葉を教えてもらった。猫は年3回ほど出産し、1回に産むのは4~8匹。爆発的に増える強い繁殖力を表すという。女性が餌やりをしている猫は避妊去勢手術をしていないようだ。世話を続けるのは難しいと感じたが、制止はしなかった▼同市内の民家で約170匹の猫が飼育されていたという記事があった(18日付)。1人暮らしの男性が入院したこともあり、十分な飼育ができず多頭飼育崩壊に陥ったとみられる▼取材した同僚は散乱したふん尿によるアンモニア臭で「目が痛かった」と話す。死がいも転がる悲惨な現場が容易に想像できる。NPO法人「群馬わんにゃんネットワーク」が保護に乗り出しているが、避妊去勢手術費の捻出は難題だ▼同法人は行政や地域住民が早めに気づき、手を差し伸べる大切さを訴えている。筆者はまず、冒頭の女性に会い、猫について尋ねることにしたい。(上毛新聞・2022/10/28)

 今住んでいる町は小さな規模です。今夏、町長選がありました。投票依頼に何度か来られた方が当選された。この街は、急激な人口減少で苦しんでいます(十年前は八千人を超えていました。現在は七千人を割りました)。他地域と同じように、企業の工場や遊園地などを誘致しても埒(らち)が飽きません。犬も猫も、安心して暮らせる街(町)を作ることに力を入れてほしいと、新町長に進言するつもりです。野生動物の大半は「愛玩用(ペット)」のなれの果てです。犬や猫が安心して暮らせ(生きられ)ない地域で、人間が安心して暮らせるはずもありません。ぼくの近所で、野良猫たちを再生産しているような「オタク(お宅)」が数軒あります。時々、キャットフードを進呈していますが、去勢や避妊はしていないと言う。なんとか、そこまで手がまわらないかと、思案しているところ。ぼくもかみさんも後期高齢者、最後まで猫の面倒を見られるか、じつに心許ないのですが、くよくよしても始まりません。家に来る猫は、今のところ、すべてが「手術済み」です。これ以上は増えないと思っているし、願っています。

 フランスなどでは「ペットショップ禁止」になるとか、なったとか。その政策に、この劣島も感染してほしい。(「赤柴、生まれたて入荷」「最終処分」などという幟(のぼり)や看板を見ると、火をつけてやりたくなります。もちろん、今のところは、つけていませんけれど)

 犬よりも圧倒的に猫が「殺処分」されています。わざわざ保護猫を引き取り、虐待する異常者も後を絶たない。犬や猫は勝手に生まれてきたのではない。猫の面倒を見るのは、ぼくがこれまでの人生で犯した数々の罪の償いのつもりと、言う気はありません。たくさんの間違いを犯しましたが、それは、ぼく自身にかかわる行為で償うものです。いかにも「御為ごかし」というような「芸」はしないつもりです。生まれた命を「選別」も「差別」もしないで、だれもが、できる限りで命をまっとうしたいという、ぼく自身にもある心持ちは、おそらく猫たちにだってあるだろうと思う。いかなる存在であれ、生命をまっとうしてほしいですね。

*ここまで書いてきたところで、昨夕から森の中に入って、一晩帰ってこなかった親子(九つ)が、今帰ってきて、食事を貪り食っています(午前十時)。貪る風景は、いかにも壮観ですね。その中の一つは「間違いなく、ぼくです」ね。子猫たち(八つ子)は生後二ヶ月半経過です。「育児手帳」はないけれど、子育てにかかる手間暇は、人間の子と同じですね。

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 書物は憲法の核心と密接不可分の間柄だ

 【大観小観】▼図書館が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)系の関連本を所蔵していたからといって問題はあるまい。あらゆる分野の本をそろえて誰もが学べる機会を提供するのが図書館の使命である▼県立図書館で関連本、それも総裁の講演集ともいうべき本が見つかったというのは、希少本を所蔵していたということにもなろう。担当者が「取り扱いを検討」するというのはおかしな話で、続けて「検閲をしないのは図書館の使命。内容にあからさまな人権侵害などがない限り、貸し出しは続ける」と語った正論とはいささかの矛盾がある。担当者も宮仕え。正論が通じぬ世界にいることも先刻承知だからかもしれない▼人事、財政に絶大の権限を持つ総務部から関連本の調査を指示されたという。「なんのため」などと聞くわけにもいくまい。「検閲」に抵触しかねないが、とにかく調べて20冊と答えたが、韓総裁の〝講演集〟はすっぽり抜け落ちていたというから、しまらない話だ。出版社名だけで検索したせいという。お粗末極まる▼指示する方も従う方も「検閲の禁止」、表現の自由に関わる憲法問題を突き詰めて考えたことなどないのだろう。宗教の自由についても場当たり的にしか考えていないから県の随所に入り込まれているのことに各部門とも「知らなかった」▼県立図書館は平成八年頃、部落解放運動団体の一つ、全国部落解放運動連合会系の図書を県の方針に合わないとして閉架に移したことがある。自分たちが図書の選別、すなわち検閲をした。時々の風向き次第で右でも左でも。もとより芯はないのだろう。(伊勢新聞・2022/10/27)

 旧統一教会関連本を所蔵 三重県立図書館「取り扱いを検討」 三重県立図書館(津市一身田上津部田)が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の韓鶴子総裁による講演をまとめた書籍を所蔵していることが分かった。図書館は9月に旧統一教会と関係する蔵書の有無を調べたが、この書籍の存在を把握していなかった。記者が図書館で発見したことをきっかけに発覚。図書館は「書籍の取り扱いを検討する」としている。/ 図書館によると、この書籍名は「地球家族」(泰流社)。韓氏が世界平和女性連合の総裁として平成3年から同8年にかけて講演した内容を記載している。韓氏を「神に選ばれた女性」などとする解説もある。/ また、図書館は蔵書検索システムで、この書籍について「統一教会の文鮮明氏の妻にして、世界平和女性連合の総裁である鶴子女史の初めての講演集。宗教的な内容が中心」と紹介している。/ 図書館は9月、総務部の指示を受けて旧統一教会と関係する蔵書の有無を調査。当時は20冊が判明したが、いずれも「宗教的な内容が中心の書籍ではない」などとして貸し出しを継続していた。/ 図書館企画総務課の担当者は25日、取材に「この20冊以外に教会と関係する蔵書はない」と答えたが、記者が司書に依頼して地下の書庫から取り寄せた書籍を示すと「知らなかった」と語った。/ 9月の調査では教会との関連が浮上している出版社名だけで検索したことから判明しなかったという。この書籍が出版された平成8年ごろに購入したとみられるが、購入の経緯は分かっていない。/ 担当者は書籍への対応について「館内で議論することになる」とした上で「検閲をしないのは図書館の使命。内容にあからさまな人権侵害などがない限り、貸し出しは続けると思う」と話している。(伊勢新聞・2022/10/26)

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 毎度のことで、いちいち応接する暇もないと言いたいところです。昨日から「読書週間」だと言うらしい。本とか書物というのは「文化」の象徴とされ、毎年「文化の日」を間に、二週間を「読書週間」と、某所が定めたといいます。良書と悪書などといって、街から悪書追放運動なるものも見られてきました。なにが悪書か、読んでみなければわからないじゃないかという気もします。これは「悪書」と、誰か、本の目利きが読んで判断しているのでしょうか。

 珍しいことに、伊勢新聞から二本の記事です。三重県は親父のおふくろ(ぼくの祖母)の出身地、なにかと懐かしさを覚えますが、この記事内容については、少しは考えて見る必要があると、取り上げた次第です。今回は、たまたま旧統一教会が問題視されている時期だったので、この団体関連本が槍玉にあげられています。しかし同じような事例は過去にいくらもあった。

 「図書館が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)系の関連本を所蔵していたからといって問題はあるまい。あらゆる分野の本をそろえて誰もが学べる機会を提供するのが図書館の使命である」、この趣旨に反対する理由はありません。表現の自由を持ち出すまでもなく、誰かが恣意的に(勝手な基準で)「検閲」に結びつく行為をしては「図書館」の名が泣くでしょう。いかなる内容が書かれていたとしても(あからさまな人権侵害や名誉毀損に該当するもの以外は)、検閲(選別)は許されないと言うべきだ。今回の「旧統一教会」関係者の著作物であっても、図書として排斥するのは行き過ぎているのではないですか。三重県は「人権問題」に鋭敏というか、いくつもの経験を蓄積されてきていると、ぼくなどは考えていたものですから、このような事態が生じることを見るにつけ、今までの「人権啓発」は何だったのかと言いたい気がします。いや、実態は人権侵害の見本市のようだから、「啓発」に躍起になっている・いたのかもしれない。

 「県立図書館は平成八年頃、部落解放運動団体の一つ、全国部落解放運動連合会系の図書を県の方針に合わないとして閉架に移したことがある。自分たちが図書の選別、すなわち検閲をした。時々の風向き次第で右でも左でも。もとより芯はないのだろう」という時、まず「検閲」と「選別」を混同しているのはどうでしょうか。図書館の場合は多く、「選書」「選定」というようですが、なにを基準にそれをするかが、明確であるべきだし、時勢に動かされてはならないのは当然。このような「権力」の匙(さじ)加減で貴重な「文化」(「思想」)が左右されてきた歴史を忘れてはならないと思います。いかなる内容であれ、特定の基準によって、特定の書物は排斥されてはならないと、ぼくは考えているのはいうまでもない。ごく一般的な意味で、ぼくはこれまでに、相当に評判の悪い、いわゆる「悪書」を読んできました。だから、ぼくは「ダメ人間」になったというのではない。元々駄目だったのですから、「悪書」は何の影響もぼくに与えなかったでしょう。却って「良書」の中にこそ、本物の「悪書」があったようにも経験してきました。「本物の悪書」とは、ぼくにとって、不愉快極まるものであり、結果として「人権蹂躙」が根底にあるものでした。そんなものは、街中で出会えるものではありませんし、まして、図書館ではありえないでしょう。

 これはいい本、これは悪い本と、誰が見ても一目瞭然、そんな便利な基準がありそうに見えますが、なかなか簡単には測れないでしょう。結局は、その本を手にする「読者」が決定するのが根本だし、もっとも大事なところです。でも、時にその判定能力が未熟な場合もありますから、それなりの手当て・手助けは必要です。年齢や能力に一切関係なく、どんな本でも「図書館」に収め、誰にも読めるようにすべきだと、ぼくは言うのではありません。これは「常識」に属することですが、その「常識」を持たない大人や青年たちがいることも事実だから、間違いや過ちがあり得ることを想定して、しかも「検閲」や「選別」はすべきではないと言うのです。図書館館員や官吏が「検閲】まがいのことをするのは、認め難いし、これ「悪書」だとして、民間人が徒党を組んで「青少年健全育成に資するものではない」と、自らの選択によって、現代版「焚書坑儒」をしたこともありました。あるいは、ぼくが知らないだけで、今日も「焚書」は行われているのかもしれません。

● 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)=中国、秦(しん)の始皇帝による思想言論弾圧事件。始皇帝の天下統一から8年後の紀元前213年に、博士淳于越(じゅんうえつ)が古制に従って子弟を封建するよう建議したのに対し、丞相(じょうしょう)の李斯(りし)は、学者たちが昔の先例を引いていまの政治を批判するのを禁止せよと上奏した。始皇帝はその主張をいれて、『秦記』(秦国の史官の記録)および医薬、卜筮(ぼくぜい)、種樹(しゅじゅ)(農業)の書物以外は、『詩経』『書経』や諸子百家の書を民間で所蔵することを禁止し、すべて焼き捨てることを命じた。さらに翌年、始皇帝を批判した疑いのある方士(ほうし)、儒生460人余りを検挙し、都の咸陽(かんよう)で「坑(あなうめ)」の刑に処した。旧中国における第一の思想言論弾圧事件とされるもので、とくに禁書令による文化的損失は大きかったが、その後10年もたたぬうちに秦帝国は滅亡した。(ニッポニカ)

 

● 悪書追放(あくしょついほう)=社会的に悪影響のある書籍雑誌の出版や販売を中止させること。 1963年の場合のように,青少年条例の有害図書指定を根拠とすることが多く,言論,表現の自由を圧迫しがちである。(ブリタニカ国際大百科事典)

● あくしょ‐ついほう〔‐ツイハウ〕【悪書追放】青少年に有害な雑誌を追放しようとする小売書店の運動。昭和38年(1963)10月、山梨県の甲府書籍雑誌共同組合が始め、全国各地に広がった。(デジタル大辞泉)

 ここで「憲法」を持ち出すのも、意味のないことではないように思われます。図書館員、あるいはお役人は、骨の髄まで「憲法」に鎧(よろ)われていないんですね。時流・時勢に漂流している限り、「人権」はあらゆるところで危殆に瀕し続けるに違いありません。「公務員」が憲法に無関心であっては、人民には立つ瀬(面目)がないがな。

日本国憲法第14条
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

日本国憲法第20条
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法第21条
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

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 読書週間の歴史 終戦まもない1947年(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。/ そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。/ いま、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。しかし、その使い手が人間であるかぎり、その本体の人間性を育て、かたちづくるのに、「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。/ 暮らしのスタイルに、人生設計のなかに、新しい感覚での「本とのつきあい方」をとりいれていきませんか。/『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。(公益社団法人 読書推進運動協議会:http://www.dokusyo.or.jp/jigyo/jigyo.htm)

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 「喉元すぎれば、熱さを忘れる」と言われます。今では喉元を過ぎないうちに、熱さを忘れるという病理が蔓延しているのではないでしょうか。ぼくなら、さしずめ「雨晴れて笠を忘る」ということではなかったか。反対に「羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」ということもあります。どちらか一方に偏するのではなく、いつでも「自らの不注意を防ぎたい」「不注意に注意したい」ということです。晴れもあれば雨もある。曇りもあれば土砂降りもある。天気は自然現象(だった、その昔は)ですから、人為的にコントルールはし難い。そこへ行くと「人事」はなんとか「自制」できるのですよ。でも、時勢と言うか、時代の流れという「人為現象」が「価値基準」を勝手に作り、それをあらゆるものに当てはめたくなる、それが、世にいう「政治」ですね。「旧統一教会」は悪だが、「創価学会」は善であると断定はできないのは、ある人間が全面的に「善」であり、別の人間はまるごと「悪」でないのと同様です。一人の人間には「善」と「悪」の両面が存在しています。

 もっといえば、健康の心身に病気の部分が、病気の心身に健康な部分がきっとあるのです。だから、大事なのは、全体を見通す、見抜く、そんな洞察力を育てることです。そのための大きな作用は、いろいろな場面における「教育」によるものです。学校教育も家庭教育も、あるいは社会教育も、すべてが共同・協力して、一人の人間の「判断力」や「注意力」を育てることに責任がある。交通信号のように、誰かが「赤・青・黄」の判定(命令)者の役割を果たすような集団(社会)は、決して健全な集団(社会)ではない。己の判断を誰かに依存するというのは、まことに知恵のない話です。誰か(権威筋)が「正しい」というから、自分も「正しい」と思う、というのは「判断力」や「批判力」の放棄を意味する。まるで、羽のないトンボじゃありませんか。

 誰かにとって「悪書」でも、別人には「人生を導く好著」になりうる。それを判断するのは個人です。なによりも、個々人が自らの「判断力」を育てる、そのためのかけがえのないサポートになるのが、外からの教育作用です。間違えてはいけない。成績を上げるとか、偏差値を高めるのもいいけれど、そんなアホみたいな「教育」で生み出された人間たちが、結果として、この国を破滅の縁にまで導いてきたんじゃないですか。読書週間にふさわしくないかもしれませんが、「良書・悪書」の見極めができる判断力や知恵こそが、他人に左右されない「自立した」人間を生むでしょうね。本の効能(読書経験)は、ここにもありそうです。まず本を読もう、その次に、それは自分にとっていい本だったか、よくない本だったか、おのずから判明するのですから。(「他山の石」という訓戒は、一冊の本においても妥当しないでしょうか)

 ネットの時代、本に限らず、あらゆる情報媒体が錯綜・氾濫しています。その一つ一つを「選別」し、区分けして「排斥」するのは至難の業というより、すべきではないことでしょう。情報統制がどんな不幸を人民にもたらされるか、ぼくたちは、毎日のように、東欧で起こっていることとして見せつけられているではないですか。政府が「白」というから、黒いカラスも「白」という、それは自分を偽ることです。自分を偽ることは、何のためでしょうか。権力の忌諱に触れるからですか。「白旗作戦」などという性悪の政治が戦争を引き起こし、他国の人民を殺戮し、自国民すらも路頭に迷わせる。おかしいことはおかしい、それを自らの生活の信条(ビリーフ)にすることがなければ、ぼくたちは自失したままで生きさらばえているというほかありません。ネット情報であれ、それを読む力がなければ、足元を救われます。その力本を読み取る力と選ぶところはなさそうです。

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 この世に神も仏もないのか、と猫が問う

 神無月も残りわずかになりました。劣島に関しては、この月は、あらゆる神さんが出雲に出張って、各地元では「神不在」になるという。逆に出雲は「神在月(かみありづき)」として、大社の境内は、神々の寄り合いでごったがえしている。大変な賑わいであり、出雲地方の各神社も「神を迎える行事」に忙殺されるそうです。出雲観光のPR用HPには、以下のように「神在月」の様子が記されています。なにしろ「八百万(やおよろず)の神」といいます。大変な密度で「神々の祝祭」が寿(ことほ)がれ(「三密」は避けたほうがいい)、やがて神々は、もと来たみち道を、空路か陸路か、あるいは海路を辿って帰郷するらしいのです。いわば、アマテラスとオオクニヌシの手打ち式で、この島の土地争い(ヤクザの縄張り争いのようです)、「シマ取りゲーム」に終止符が打たれた証(例証)が「神無月」「神在月」の名称に遺されているのです。こんな神話を、誰が作り、誰が信じさせたのでしょうか。そのフェイクの軛(くびき)(右上写真)から、今日でも抜け出せずに、藻掻(もが)き苦しんでいる衆生は数知れずですから、ね。誰とはいえませんが、なんとも罪作りなことをしたものです。

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 神無月(旧暦十月)に全国の神々が出雲に集まるという伝承は、平安時代末の「奥義抄」以来様々な資料に記されています。神々は出雲大社や佐太神社などに集まり、酒造りや、縁結びについて合議されると民間伝承では伝えられています。/ 神々はなぜ出雲に、なんのためにお集りになるのでしょう?/ 大国主大神が天照大神に「国譲り」をなさったとき、「私の治めていますこの現世(うつしよ)の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま)あなたがお治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」と申された記録があります。この「幽れたる神事」とは、目には見えない縁を結ぶことであり、それを治めるということはその「幽れたる神事」について全国から神々をお迎えして会議をなさるのだという信仰がうまれたと考えられます。/ 神魂神社やかつての佐太神社では、諸神の親神にあたるイザナミノミコトの法事のために参集されると伝えられています。また、出雲に来ず留守を守る神様もあるようです。(「出雲観光ガイド:https://www.izumo-kankou.gr.jp/6404)

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 ぼくは神社には、よく行きます。あまり信仰心は持たない人間ですから、お参りなどではなく、境内を散歩したり建物(神殿など宮造り)の見物です。出雲には行ったことがない。お伊勢さんには七十年前に行ったことがあるだけです、強制されて。ご利益もなにもあったものではない。拙宅には神棚はありますが、ほとんど利用しないで、物を置く棚代わりです。罰当たりと言われるのは当然ですが、神や仏を信心してもしなくても、あまり人生には影響がないと思っている。「困った時の神頼み」だそうですが、まず先立つ物は「金」ですよ。お賽銭を、どうぞ。額が多ければ、それだけ「救い」も確かだというのか、金で「救い」を売るようなもんだね。「福翁自伝」に出ている諭吉の「神試し」です。大分中津の自宅庭にあった「社(祠・ほこら)」の中に何が置かれているか、幼児の頃に、覗いてみたことがある。紙切れかなんかが入っていたので、それを取り出し、諭吉は踏みつけたそうだ。それ以降にも、特段何の祟(たたり)もなかったので、「なあんだ」と子どもごころに悟ったそうです。

 神や仏に「一億円」「何千万円」と寄付(喜捨)する人が、たくさんいます。要するに「お布施」です。これは、洋の東西を問わない。神・仏は「物乞い亡者」かと言いたくなります。でも実態は、神や仏が物乞いをするのではなく、それを操っている「餓鬼」が、金銭を無心し、せびり倒すんでしょう。酷いものですね。(宗教法人は、どうして豪盛な建物を作りたがるのか。どこでも「威容」を誇っているように見えるが、ぼくには浅ましい限りとしか思われません。貧乏人には「信心」はできないというようです。間違いですね、宗教は「アヘンだ」とマルクスが言ったのは、それに帰依すると「癒やし」になるからだった。「癒やし」ではなく騒動や家庭不和、あるいは家庭崩壊の種を蒔いてなにが「救い」なものかと言いたいな。

 罰当たりついでにいうと、日本の仏教でいう、この「お布施」は無税でしょう。宗教法人にはいろいろと税に関して特典があります。この特典を我が物にするために、法人格を国に対して求めるのです。莫大な「寄付」は無税ですから、神や仏を動かしている人間には応えられないでしょう。「大枚を、喜んで捨てる」、それを喜捨と言う、いや言わせる、その魂胆が卑しいね。じつに、いい気なものです。人の弱みにつけこむ、詐欺や暴力を働く、まったく仏教を弄んでいると言いたくなります。(すべての宗教法人がそうだとはいえないでしょうが)信教の自由と税制優遇とは関係はないもの、「地獄の沙汰も金次第」とは、一体誰が言ったのでしょうか。

 あまりにも信仰心のない駄文になりました。やがて、出雲への出張から「神」が帰郷しますので、この町内の白幡神社の前を通るのは避けたいですね。いたるところに「神社」があって、不届き者を懲らしめるために網を張っていそうです。(一キロ四方に、4つも5つも「お宮」がある)

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▼ これまでは週一でキャット・フードを買い出しに行っていたが、子猫も生後二ヶ月半過ぎ、ほぼ一人前を平らげるようになったので、四、五日ごとに購入する羽目になりました。先日店に行ったら、常食用の缶詰が五割以上も値上がりしていた。錯覚かと思い、細い目を無理に見開いたら、正真正銘の値上げだった。人間用のものなら、えげつない値上げはできないと、世間(関係筋)も判断するでしょうが、動物相手だと足元を見るというのか、じつに遠慮なしの高騰芸でした。すべては当節の「物みな値上げ」の一列縦隊かと見過ごしたい気もするし、いや「便乗値上げ」という悪乗りも相当にあると疑ってもいる。猫缶などはその口か。それはともかく、人でも動物でも、生き物である以上は、食わずに暮らせない。まして自給自足が不可能である以上は、否応なく「言い値」で買うほかありません。「物価高われ痩せ細る秋の宵」(無骨)(「徒然日乗」・Ⅹ)(2022/10/26)

▼ 昨日と似たような曇天で、気温もかなり低いままです。時に小雨も降ってくる。さすがに暖房がほしい気分になる。ぼくは夏の暑さと冬の寒さには、そんなに音を上げない方でしたが、寄る年並ですね、人並みに体が要求するようになりました。▼ 日が差していれば、草取りを予定していました。おそらく、今年は四回目。一週間はかかります。これをしないと野原然としている庭が、さらに汚く、種々の草種(くさぐさ)に占領されてしまいかねない。今年は、どこへ行っても「セイタカアワダチソウ」のひときわ高い茎・幹が目立ちます。これが繁茂すると、景色が一変し、向こう側が見えなくなる。▼ 草にも命があり、それを邪魔だ、目障りだと言って根絶やしするのを厭わない人もいるでしょう。除草剤をタップリ撒布し、草はもちろん、蝶々やトンボ、あるいはアリやミミズまで退治する。昆虫類が死滅するほどの化学薬品を撒いておいて、その土の上で人間が落ち着いて過ごせるのでしょうか。(「徒然日乗」・Ⅸ)(2022/10/25)                    

▼終日気温が上がらず、まるで雪でも落ちてきそうな寒い一日でした。先人たちは、冬から春への季節の変わり目に、春を待望する気持ちも籠めて「三寒四温」と言い慣わしていた。その例に倣うなら、さしずめ晩秋から初冬に差し掛かろうかという、今頃は「三温四寒」とでも言ったところか。昨日は「霜降(そうこう)」でした。蛇笏の句に「霜降の陶 (すゑ) ものつくる翁かな」とあります。息の龍太さんにも、ぼくは親しみましたが、なぜか、俳人蛇笏の「生涯」というものを、時に痛切に想ったりします。(「徒然日乗」・Ⅷ)(2022/10/24)

▼ 今日は秋晴れというのか、久しぶりの好天です。子猫たちが庭で、家の中で飛び回っています。「猫のいる風景」といいますが、そんな風情のあるものではありません。ぼくのところは、猫に占拠された陋屋(ろうおく)、車庫も奪われている。「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」(Give him an inch and he’ll take a yard.)というが、奪い取るのは人間ばかりではなかった。▼ 「保護猫」と、だれもが言います。でも「保護犬」とはあまり聞かない。それだけ対象が少なくなったということのようです。幼児の頃は、とにかく「野良犬」(「野犬」)がいたるところにいました。(「野犬狩り」もいた)野良の一つを連れてきてからが、犬猫との付き合いです。以来、もう七十年以上になります。これまでにどれだけの犬や猫や鳥たちと付き合ったか。すべてが「捨てられた」動物だった。 散歩中に野良猫などと目が合うと、ぼくは立ち竦(すく)む。「捨てられているのは、ぼくだ」と思い知らされるからです。少なくとも、猫を残して先立てないと、我が身の健康に、今更のように思い及んでいる始末。(「徒然日乗」・Ⅶ)(2022/10/23)

▼「燃えるゴミ」の回収日は毎週火・木・土。その日になると、ぼくは重いゴミ袋を、車で収集場まで持っていきます(毎回ではありませんが)。だいたい、六時から六時半ころに。距離にして二百メートルほど、坂道のためもあり、重量があるための車載です。 ▼ 本日も六時半ころに行くと、近所の女性に出会いました。農家の奥さん、愛犬(柴)の「あいちゃん(十四歳)」に引かれて。それとなく雑談に及び、なんと「いまは一人で畑をしています」という。相方(夫)は勤めに出たそうです。それにしても、広大な面積を一人で担っていることになる。いきなり「手伝ってもいいですか」と言いそうになりました。帰宅して「言わなくてよかった」と、胸をなでおろしました。どうしてですかね(「徒然日乗」・Ⅵ)(2022/10/22)

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