老い、来りて、初めて道を行ぜんと、待つ事勿れ。古き墳(つか)、多くは、これ少年の人なり。図らざるに病を受けて、忽(たちま)ちにこの世を去らんとする時にこそ、初めて過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りと言ふは、他の事にあらず。速(すみや)かにすべき事を緩(ゆる)くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の、悔(くや)しきなり。その時、悔ゆとも、甲斐(かひ)有らんや。

人はただ、無常の、身に迫りぬる事を、心に、ひしと懸けて、束の間も忘るまじきなり。然(さ)らば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心も、まめやかならざらん。昔ありける聖(ひじり)は、人来りて自他の要事(ようじ)を言ふ時、答へて云はく、「今、火急の事有りて、既に朝夕(ちょうせき)に迫れり」とて、耳を塞(ふた)ぎて念仏して、遂に往生を遂げけりと、禅林の十因に侍り。心戒(しんかい)といひける聖は、余りにこの世の仮初(かりそめ)なる事を思ひて、静かに突い居ける事だに無く、常は蹲(うずくま)りてのみぞ有りける。(「徒然草:第四十九段」)
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前回に続いて、兼好さんの「生き方の流儀」の真髄と思われるものを。兼好自身が「このように生きられた」というのではありません。自分は「自分流の人生」を生きようとしたが、ついには「初めて過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ」、これまでの人生の「誤り」であったことを知ったというのです。その「誤り」とは「速(すみや)かにすべき事を緩(ゆる)くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の、悔(くや)しきなり」だから、これは兼好の人生訓(悔悟)と言って構わないものです。ぼくがいつも利用している「徒然草」(ちくま学芸文庫版)の帯には「人生の達人による 今日、明日を生きる道しるべ」と宣伝されています。人生の達人とは、どういう生き方をした人のことか。この帯を素直に眺めれば、兼好さんが「人生の達人」ということになります。そうですかね。問題は「達人」というものの内容をどう把握するか、受け止めるかでしょう。
「人生の達人」を文字通りに理解すれば、「成功した人生」を送った人ということになりますが、ここでもまた、なにが「成功した」ということになるのか。名利(名誉や利得)をさして言うのなら、それは少し前に触れたように、「名利に使はれて、静かなる暇無く、一生を苦しむること、愚かなれ」(「第三十八段」)と、けっして「成功した」人生の名には値しないのです。「名を残すこと」もまた、「偏(ひとえ)に、高き官(つかさ)・位を望むも、次に愚かなり」と兼好は断言します。浮世(世間)の評価をえるものは、ことごとく「愚かなり」というのです。それならば、「人生の達人」とは、かかる浮世に名声や地位を得る生き方から離れて生きた人、そういう人生にこそ兼好さんは軍配を上げるのですが、果たし、そんな人がいるのかどうか。「名もなく貧しく美しく」という生き方の流儀は、世間受けはしないし、だからこそ人には知られないからです。そんな人生を生きた人を、いかにして知るのか。

「人はただ、無常の、身に迫りぬる事を、心に、ひしと懸けて、束の間も忘るまじきなり。然らば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心も、まめやかならざらん」いつでも、人生は「無常」だという思いを片時も忘れない、そうすれば、世間に染まる度合いも少なくなり、仏道に生きる道もしっかりと出てくることであろう、と言います。これは、兼好という粋人が実践した「生き方」ではなく、こう生きれば願わしいのだという「生き方の流儀」を示したものです。ぼくはそのように理解し、兼好の書を読んでできました。「こうすれば、金が儲かる」「こういうようにすれば、他者に評価される」などという「 how to」など で人生の核心部は成り立っていません。だから、それを他人に伝えることも教えることもできないのでしょう。鉋(かんな)の研ぎ方・削り方を教えることはできない。それは身をもって、自分自身で獲得する外ないものです。歩く、息をする、こんな簡単そうな動作も、「自分流」(の方法)で身につけるものです。
「昔ありける聖」とか「心戒」という坊さんの例がありますが、彼らは「こんな生き方」「あんな精進」をしましたということはできますが、そのような、彼ら自身の心思を慮(おもんぱか)ることは、他人にはできないでしょう。つまり、生き方の「真髄」(そういうものがあるとして)は、人に伝えられないし、教えられない。なぜなら、それは「自分流」でしかないからとも言えるからです。実感とか体感、あるいは体得・自得する以外に身につけることはできませんでしょう。

ここで、一つだけ言えることは、「人生(この世にあること)は束の間」であり、「無常」であるということを、夢忘れないということです。どうしてか、それは語ることはできそうにありません。そのような「無常」に付き添われて生きるのが「人生」だと、御本人が考えている、感受しているからだとしか言えないのではないでしょうか。「人生の晩年」になって、抹香臭いことに乗り出すのは、どうですか、と兼好は言います。いつだって、時には「絶頂」という盛りにあっても、一瞬の後に「無常」が身に迫っていることを忘れなければ、有頂天にはならないだろうし、他人に見せびらかさんばかりの振る舞いは醜くもあり、恥ずかしくもあると知るに至るでしょう。おそらく兼好法師が言いたかったことの真意はそこにあるように、ぼくは「ぼく流の生き方」から実感するのです。これは、他人に教えたり勧めたりする性質のものではありません。
昨日触れた「砂川事件」の原告は生涯の大半を「国家の犯罪」に真っ向から対峙して生きてこられています(もちろん、志半ばで物故された方もおられます。でもその生き方は変わるものではなかったでしょう)。それもまた、その人自身の「生き方の流儀」であり、誰にでも推賞できるものではない。自分はこれを外にして「生きる甲斐」があるかと問う時、そこにおのずから、自分勝手ではない、他者と交わりつつ生きるためには、他者にも少なからぬ影響(生きる示唆・方向といってもいい)を与えられるかもしれない、そんな生き方があるのです。もちろん、それを初めから想定(狙って)するのではないでしょう。結果として、そういうことはありえるということです。「一回限りの人生」「限りある命」だからこそ、という実感から、ぼくたちはなにを願い、またをなにを得ようとしているのでしょうか。

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