「司法は国家権力の砦だ」と証明した長官

(共同通信・2019/0319)

 【金口木舌】ゆがみはいつただされる 砂川裁判の国家賠償訴訟の原告、土屋源太郎さん(88)が振り返る。「こんなに長く闘えるとは思わなかった」。1957年に米軍立川基地へ抗議で立ち入った土屋さんは刑事特別法違反で起訴された▼一審の東京地裁(伊達秋雄裁判長)は米軍の駐留は憲法違反で無罪としたが、最高裁が59年に覆して有罪となった。ところが2008年以降、この判決に疑義が生じる。米国で開示された資料がきっかけだ▼資料には違憲判決に慌てる米大使館が当時、政府、最高裁の田中耕太郎長官と判決の変更をもくろむ様子が記されていたから驚く。判決の見通しや裁判官の考えなど評議の内容を田中長官が米大使へ伝達していた▼公平な裁判の放棄に加え、司法権の独立をもゆがめる。評議の秘密を規定する裁判所法からも問題視されておかしくない▼事件発生から65年。公正な裁判を受けられたとは到底思えない。国家賠償を求める訴訟は佳境に入る。土屋さんが言う。「いくつまで生きてりゃいいんだろ」。司法がゆがみをただすのにはあまりに長い年月が経過し過ぎだ。(琉球新報DIGITAL・2022/09/29)

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 六十五年前の出来事です。ぼくは後年になって「砂川事件」について知ることになりましたが、その原判決(原告無罪)を最高裁の田中耕太朗長官が司法の正当性を歪めるような方途で介在を果たし、あろうことか「最高裁判決」の決定に米国が関与する余地を認めていたことが判明したという、いわくつきの最高裁判決に至る策謀でした。ここでは、田中氏に関して、ぼくの関心を述べるにとどめておきます。戦後の二代目の文部大臣を務めた法律家で、彼の著書「教育基本法の理論」は、大学に入って熟読したものでした。教育と政治に関して、じつに明確に一線を画し、政治の不当な支配を廃するという一貫した法理論に、ぼくは教えられるところ大でした。戦後しばらくしてから、「逆コース」なる状況が生まれた段階でも、一貫して教育の政治的中立を訴え、当時の文部行政を完膚なきまでに批判していた(とぼくには思われた)。時勢は「人間」を、手もなく変えるのでしょうね。

 ところが、ある時期から(もちろん、彼の素地には「体制受容」があったのは事実でしょう)、田中さんは大いに偏向していったと見えました。もっともわかりやすかったのは「松川事件」の判決だった。(詳細は省きます)これがあの田中さんなのかと、それまでの姿勢を大いに疑わしくさせたからでした。「歪められた最高裁判決」は、そのような時期に生じた、この社会に存在する司法権の自殺行為でした。驚愕すべきは、それを、最高裁長官、その人がしたということだった(もちろん、大きな政治圧力があって、最高裁長官が使嗾(しそう)(脅迫)されたのだと思われる)。このような「そそのかし」「おどし」ができる人物はきわめて限られているのはわかりやすいことでした。日米合作の「不法行為」だったのです。この後も繰り返し、類似の違法行為は繰り返されてきました。この田中長官の「裏切り判決」は、翌年(1960)の「安保改訂」に深く関係づけられていたことは否定できません。歴史を歪め、国民(人民)を誑(たぶら)かすような政治や司法が、延々と続いていることがここでも判明します。

 当の土屋源太郎さんは、一審裁判当時、二十三歳。一審無罪の判決が出たが、最高裁は異常な行動に出て、結果的には原判決を破棄し、原告に「有罪」の判決を課した。いま、二十三歳の青年は八十八歳の高齢者に。更に裁判は続く。土屋さんいわく「いつまで生きればいいのか。これからまだ最高裁まで行くんだから」と。ある種の「冤罪」というべき裁判で、この失われた(裁判がなければ生きられたであろう)六十七年を「国家」は賠償はしないのです。裁判が、人生を途方もない方向に歪めてしまう事例に事は欠かないのが、この社会の歪(いびつ)な司法であることも否定できないと、ぼくたちは銘記しておかなければならないでしょう。田中長官のような存在こそが、「司法は国家権力の橋頭堡であり、砦だ」という姿を明かしているのです。悍(おぞ)ましいこと限りなし、です。(右上の写真:当時の状況を「現地(立川基地跡)」で説明する土屋源太郎さん。毎日新聞・2019/05/04)

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 ◎ 一昨日行われた「口頭弁論)後の「砂川事件裁判国家賠償請求訴訟:第9回口頭弁論」後の集会の模様です。(https://www.youtube.com/watch?v=BxdNgmqBdsg

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● すながわじけん【砂川事件】=日米安保条約および米駐留軍の合憲性が争われた事件。1957年7月8日,東京調達局は,米駐留軍が使用する東京都下砂川町の基地拡張のために測量を強行したが,これを阻止しようとする基地拡張反対派のデモ隊の一部が米軍基地内に立ち入り,刑事特別法条違反で起訴された。この訴訟で,被告人らは,安保条約およびそれに基づく米国軍隊の駐留が憲法前文および9条に違反すると主張したので,一大憲法訴訟となった。第一審の東京地方裁判所は,59年3月30日,安保条約は違憲で,被告人らを無罪とするという判決を下した(いわゆる伊達判決)。(世界大百科事典第2版)

● 伊達判決(だてはんけつ)=砂川事件に対する第1審,東京地方裁判所の判決。 1957年7月東京都下砂川町で米軍立川基地の立入禁止区域に入った基地拡張反対闘争の7人が,刑事特別法第2条違反で起訴された。この事件について 59年3月,第1審裁判長伊達秋雄は,「日米安全保障条約に基づく駐留米軍の存在は,憲法前文と第9条の戦力保持禁止に違反し違憲である」として無罪判決を下した。この伊達判決は,同時期の安保改定問題に大きな波紋を投げた。衝撃を受けた検察側はただちに最高裁判所に飛躍上告。同年 12月,最高裁は,「駐留米軍は憲法にいう日本の戦力には該当しない。また安保条約のような高度の政治性を帯びた問題は司法審査権になじまない」としていわゆる統治行為論により,原判決を破棄した。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 「日米関係」といいますが、内実は宗主国(アメリカ)と属国(日本)の不即不離の関係(絆)を言うのでしょう。アメリカから離れる(自立する)ことは、今の政治状況が続く限りは、ありえないことです。しばしば「日本はアメリカの51番目の州」などと、揶揄の意味もこめて、いまれましたが、「州の一つ」などでは断じてなく、使い走りか、アメリカのATMなのだと言われます、そちらが中(あた)っているかもしれない。このような、憲法の精神そのものに関係する裁判がいくつか争われています。「戦後」と一語でいっても、すでに七十七年が経過しています。この間にいろいろと大小様々な政治問題が生じてきましたが、基本路線は「日米主従関係」の維持強化でした。日本のアメリカへの隷属の根深さを思えば、「旧統一教会」と政権党の「絆」も、アメリカ抜きには考えられないことでした。

 今日のニュースの的になっている「旧統一教会」が政権党の議員を呪縛していた、そのままの原型が「日米安保」条約問題にまで遡ります。ぼくは決して「左翼思想」の持ち主ではなく、まして「共産主義のシンパ」(いわんや「パルタイ」)でもありません。徒党を組むことがなによりも嫌いな、一平凡人でしかありません。それでもなお、政治的にアメリカの手先のように振る舞うことに違和を感じないままで、この七十七年一貫して『属国」の位置に甘んじてきた、その政治勢力の「権勢」に、まるで「蟷螂の斧」のごとく、敢然と立ち向かっておられる人々に対して、ぼくは満腔の賛意を表するものです。民意を蔑ろにし、人民の意向を踏みつけて、それでもなお国家が成り立つ、成り立たせるという政治状況に、ぼくは身を寄せることはしてきませんでしたし、その姿勢をこれからも続けていくことに変わりはない。

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 以下の報道なども旧聞に属しますが、貴重な証拠記事だと思われますので、引用しておきます。

写真・図版

 砂川事件、判決原案を批判する「調査官メモ」見つかる 極めて政治性の高い国家行為は、裁判所が是非を論じる対象にならない――。この「統治行為論」を採用した先例と言われる砂川事件の最高裁判決で、言い渡しの直前に、裁判官たちを補佐する調査官名で判決の原案を批判するメモが書かれていたことがわかった。メモは「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」とし、統治行為論が最高裁の「多数意見」と言えるのかと疑問を呈している。/ 統治行為論はその後、政治判断を丸のみするよう裁判所に求める理屈として国側が使ってきたが、その正当性が問い直されそうだ。/ メモの日付は1959年12月5日。判決言い渡しの11日前にあたる。B5判8枚。冒頭に「砂川事件の判決の構成について 足立調査官」と記されており、同事件の担当調査官として重要な役割を担った足立勝義氏がまとめたとみられる。判決にかかわった河村又介判事の親族宅で、朝日新聞記者が遺品の中から見つけた。/ 砂川事件では日米安全保障条約が違憲かどうかが争われ、最高裁全体の意見とみなされる多数意見は、判事15人中12人で構成された。安保条約に合憲違憲の審査はなじまないと「統治行為論」を述べる一方で、日本への米軍駐留は「憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ」と事実上合憲の判断を示している。多数意見に加わらなかった判事のうち2人が「論理の一貫性を欠く」と判決の個別意見で指摘していることは知られていた。(以下略)(編集委員・豊秀一:2020年6月13日 5時00分)

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 【春秋】今ではとても考えられないが、駐留米軍を憲法違反だと断じた判決があった。1959年3月30日東京地裁。裁判長は伊達秋雄。世に「伊達判決」と呼ばれる。その後、裁判は高裁をとばして最高裁に直接上告され、同じ年の12月16日、全員一致で覆されることになる。▼翌60年は日米安保条約改定の年である。微妙な時期、ふたつの判決の間に何があったのか。日米で公開された政治外交文書で、日本側と在日米大使館の折衝のあれこれが分かってきている。それらの文書に解説を加えて最近出た「砂川事件と田中最高裁長官」(布川玲子ら編著)を読んで、あらためて気づくことがあった。▼伊達判決の2日後、藤山愛一郎外相はマッカーサー駐日大使とひそかに会った。大使館が本国の国務省に発したマル秘電報と、外務省が残した極秘の会談録がぴたり符合している。ところが、当時の田中耕太郎最高裁長官が裁判の見通しなどを米側にもらしたという記録は、米公文書館にあるだけで日本ではみつからない。▼最高裁長官の振る舞いは日本の司法の独立にかかわる。公用車の運転手の日報ならば、などとあの手この手で最高裁に開示を求めても、空振りだという。これまでも、米国の資料でしかこの国の重大事が知れぬもどかしさを何度も味わった。このもどかしさ、理不尽。特定秘密保護法ができれば、なお募ることになるのか。(日経新聞・2013/11/18)

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 なりふりかまわず (こういうことは誰にでも起こることです) 国が「国民の人権・権利」を踏み躙ってまで、守ろうとした「国益」とはなんだったでしょう。その国益に資するために「政治家」や「裁判官」はなにを目的に、かかる蛮行かつ卑劣な行為をするのでしょうか。ぼくは、人民を抑圧するための暴力機関である「国・国家」はいらないという考えを、一貫して維持してきました。「君はアナーキーだ」と一再ならず、他者から言われた。「そのとおり」、と弁解などしたことはなかった。「無政府主義」と言う日本語は間違いです。「政府(行政機構)」という機関・組織は、どんな集団にも不可欠です。行政も司法も立法も、すべて、それぞれが一つの「機関・機構」または「制度・組織」です。それを運用するのは人間(政治家・裁判官・官僚)ですから、そこに大きな「錯誤」「誤用」が生じる危険性はつねに存在しています。「朕は国家なり」というような。それを放置するところに政治的暴力や堕落が始まり、強まり、傍若部員の振る舞いに。その段階に至ると、敵対する勢力は「国賊」であり「非国民」とされるのでしょう。(右写真は田中耕太郎氏)

 「歴史」は繰り返すのではなく、間断なく、陰陽となく、権力維持のために「暗闘」が続くのです。一国家内において、他国との関係において。この島社会は、アメリカとの「絆(腐れ縁)」を断ち切ることは不可能でしょう。いま、政治権力のなす「暴力」の典型を「ロシアの権力者」において、ぼくたちは見ています。それとそっくりの「暴力」行使や「傀儡」づくりはアメリカ権力者によって、いつだって見せつけられてきました。今回の「砂川国家賠償」裁判は、そのもっともあからさまな事例の検証作業でもあるのでしょう。

 (蛇足として 白を黒と言いくるめる「屁理屈」が国会で罷り通り、司法においては法定外の、しかも国外の政治圧力が判決を覆すような、驚くべき暴挙が戦後も絶え間なく続いていたという点では、この「国賠裁判」は、司法の村立を問う重要な機会ともなっているのです。「自立」し「自律」するのは、一個人においては困難を極めますが、国家においては、さらに困難の度は増すのでしょうか。国民不在の国家論が大手を振っています)

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