【日報抄】「先生と呼ばれるほどのばかでなし」などと言うことがある。ここで言う先生とは学校の教諭というよりも、先生とおだてられて得意げになっている人を指すのだろう▼本来は敬意を込めた呼称のはずなのだが、時には小ばかにしたニュアンスが漂う。気の置けない仲間内で「先生、しっかりしてよ」と言えば、からかいの色がにじむ。時と場合によって色彩や重みが変わってくる言葉である▼自分が偉くなったと勘違いしないよう戒めようというのか。大阪府議会の議長が、議員を「先生」ではなく「さん」付けで呼ぶことを提案した。国会議員を代表例として、政界には議員を先生と呼ぶ慣習が広く存在している▼確かに便利な呼称ではあるのだろう。先生と呼んでおけば取りあえず失礼には当たらない。この呼称を嫌がる議員は「さん」なり「議員」とすればいい。ただ、先生と呼ばれているうちに、自らを大物と錯覚するご仁もいるようだ▼「先生」は元々、読んで字のごとく「先に生まれた人」を意味した。それが先達や、知識・技能に優れた人を指すようになったらしい。今や先述のように意味合いはさらに広がり、呼称と実体との落差が大きいことが往々にしてある▼呼ぶ側がおのずと敬意を払いたくなるような人が先生と呼ばれるのは自然なことだ。問われるのは、当の人物がその呼称にふさわしいかどうか。呼ばれる側はよくよく自分の中身を見つめた方がいい。自らに向けられた呼称に嘲笑(ちょうしょう)やからかいの色はないだろうか。(新潟日報デジタルプラス・2022/09/27)

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「先生」があるのですから、当然、「後生」もあります。これは「こうせい」と読む。(「ごしょう」という時もありますが、それは別の意味になります)「後生畏るべし」、「論語」の中にある。後から生まれた人間でも、きっと「先生(先に生まれたもの)」を超えてゆくものがあるから、「恐れなければならぬ」というのです。「後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや」(「後生可レ畏、焉知二来者之不一レ如レ今也」)「論語 子罕(しかん)」)。先に生まれた人と後から生まれた人。それでなんの不足もないのですが、「先に生まれたのが偉い」と、誰かが言ったのか、あるいは本人が言い触らしたのか。とにかく、この島では「先生」呼称が大流行しました。流行(はや)れば廃(すた)るのが世の習いですから、「先生と言われるほどの莫迦じゃなし」ということになりました。それでも「先生」と呼ばれたい輩(うから・やから)が後を断たないのは、どうした感染症(病気)なのでしょうか。
先生ではなく先輩。後生ではなく後輩。それで十分じゃないですか。「輩」は「ともがら・やから」と読み、「並び」、「順序」、あるいは「並べる・連ねる」と動詞にも使います。どうして「先生」が好んで使われるようになったのか、あるいは「自称」「他称」としても好まれたのか、理由を話せばキリがないので書きません。明治以降の学校制度の開始以来(1872年以降)、「先生」が流通しだし、やがて巷間に溢れるようになり、今は末期症状として、「先生」と呼ばれたら、「俺はそんなに莫迦に見えるか」と怒り出す者も出てくる始末です。その挙げ句に、大阪府議会での「先生呼称」廃止提案でした。それもまた、税金で生活する議員さんが議論して多数決で決めるのでしょうから、民主主義も大変な事態なんだという気もしてきます。たかが「呼称」じゃないか。
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森昌子さんの「せんせい」には驚嘆しました。これを歌った時が十五歳だったとか。その歌詞は阿久悠氏のものでしたから、ぼくは驚かなかったが、これを十五歳の中学生に歌わせるという大人社会の「頽廃」「堕落」の事態(時代)到来に、肝を潰(つぶ)したんですね。昭和四十七年七月、森昌子のシングル発売。キャッチフレーズは「あなたのクラスメート 森昌子」でした。それより十年前に舟木一夫さんで「高校三年生」が、ぼくたちの高校生時代に重なっていたので、ぼくはよく歌ったし、同級生もフォークダンスで女子高生の手を握っては照れていました。この十年の後に、中三が教師と恋をしたという、「高校三年生」との落差に、ぼくはやはり肝を潰したのでした。暇があったら、二つの歌の歌詞を比べられるといい。この違いは、歌手舟木一夫と森昌子との違いではなく、作詞家の阿久悠と丘灯至夫との違いです。
「おさない私が 胸こがし 慕いつづけた ひとの名は」「誰にも言えない 悲しみに 胸をいためた ひとの名は」「恋する心の しあわせを そっと教えた ひとの名は」という、この何とも言えない、叶わぬ仲の「悲恋物語」を十五歳の森さんが歌っていた姿を正視(あるいは、制止)できませんでした。「恋する心の しあわせを そっと教えた ひとの名は」、それは「せんせい」だった。「せんせい、一体何を教えていたんですか」いまなら、どういうことになっていたか。格好のスキャンダルだったか。そんな程度では誰も驚かない時代になっているのでしょうか。
森昌子「せんせい」:https://www.youtube.com/watch?v=EYnuZLPbTsE
作詞:阿久悠 作曲:遠藤実 淡い初恋 消えた日は 雨がしとしと 降っていた 傘にかくれて 桟橋で ひとり見つめて 泣いていた おさない私が 胸こがし 慕いつづけた ひとの名は せんせい せんせい それはせんせい 声を限りに 叫んでも 遠くはなれる 連絡船 白い灯台 絵のように 雨にうたれて 浮んでた 誰にも言えない 悲しみに 胸をいためた ひとの名は せんせい せんせい それはせんせい 恋する心の しあわせを そっと教えた ひとの名は せんせい せんせい それはせんせい







「せんせい(先生)」問題を語る際に避けて通れなかったので、森さんに触れました。今だって「胸を焦がしている」人(教師の方が断然多いという気がします)がいて、悶々としているんでしょうね。「盗撮なんか、だめだよ、せんせい」と、言わなければならぬ時代でもありますね。。
その「先生」という呼称について、この駄文集録のどこかで触れました。ぼくも「先生」の溜まり場みたいな職場の末席にいたことがありますから、教師同士が互いに「先生」と呼び合っているのにゾッとした経験があります。ある会議を主宰(司会)していた際、ぼくは「今後、固有名(名前)を呼ぶことにします。どうしても『先生』と呼べと言われる方は、事前に知らせください」と言って、大変に顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがあった。馴れ合いが嫌だったからでしたが、ぼくはそれを通した。学生にも「呼称は付けないで。名前を呼んででほしい」と前もって言っていました。大半は好きな呼び方で通してくれた。ファーストネームで呼びつける者もいました。

先生、それは「愛称」みたいなもので、あるいは「蔑称」かもしれませんでしたから、ぼくは使わなかったし、使ってほしくはなかったが、慣習は一気に、あるいは、たった一人では変えることは不可能です。かくして、どこまで続く「せんせいぞ」でしたね。それが学校の外にも広がりだし、あらゆる場面で「先生」が飛び交ってしまった。ぼくが困ったのは「弁護士」相手でしたね。何かと弱み(?)を握られていたから、「尊称」使用で、少しは割引を計算していたかもしれませんが、何人かの弁護士には、世間の慣習に従ったこともありました。政治家の友人や知人はほとんどいなかったので「先生、それは先生」と呼ぶ機会はありませんでした。(こんなの、大した問題じゃないですよね)
小話で、地方の飲み屋での出来事、「入口を開けて『社長!』と声をかければ、全員が振り向いた」というのがありました。飲み屋でもどこでも客を気分よくさせるために「社長」と呼ぶ。客も呼ばれたいのかな。これは営業上の基本らしい。「先生」もそうなんだと思えば、わざわざ、議会が廃止宣言のための議論をするまでもないではないかという気もします。今や、どこの世界(業界)でも「先生」流行りです。学校や病院ならともかく、落語会やお笑い界でも「先生、お一つどうぞ」ときます。大工などの職人の世界でも。それが駄目なんではなく、「先生」というのは便利な「符牒だ」と思えば、何の問題もないともいえます。「お前」とか「てめえ)などと言われるよりは、事が荒立たないんですから。

ぼくは、他者に向かって、一貫して、氏名を呼ぶことで通しましたが、それが痛く気に障る人が、じつに多くいたのには驚きでした。地位や身分を名乗って、自分を名乗らないのは可笑しいじゃん、そんなことを考えていたからでした。その人のことを「社長と呼べ」とか、「先生と言いなさい」とよく言われましたが、違和感があったな。「地位や身分で、私を呼んでほしい」と言われれば、そうしたでしょうけれどもね。
最後に、これは教師に限りませんで、自分で自分のことを「地位」「身分」で呼ぶという慣習でしょうか、ありますね。教師が子どもたちに「せんせいは、こんな本を読みました」というような場合など、これは媚態かな。気持ちはあるいですな。もともとは「親」から始まったんでしょうね。自分の子どもに対して「お父さんは、こうした」とか「ママはね、とっても忙しいの」などと、じつに気味の悪い習慣や慣習にハマっているのです。いかがですか。地位や身分で自分を表すことは間違いではありません。でもその前に「一人の人間」であって、という感受性がなければ、その点では、生徒や我が子と同じ(同輩・同胞)だというセンス(感覚)を育てないんじゃないですか。「教師と生徒」ではなく、「わたしとあなた」ですね、大事な関係は。

組織や集団は、いろいろなやり方で「個」を抑圧します。ぼくのモットーの一つに「教育の世界(学校)に、人間性を取り戻す」というものがありました。「児童」や「生徒」に強制的に仕立て上げられることに抵抗してきました。また教職に就いたときからは「先生」になることを徹底して廃してきました。ぼくは「せんせい」ではなく「ひとりのにんげん」なんだと。家でも同様で「お父さんは、…」などとは言わなかったし、言いたくなかった。「一人称」をどこでも通そうとしてきたんですね。(ぼく・おれ・わたしなどなど)
「地位と地位」(の関係の全体)が社会(集団)を作ります。この点に関しては、どこかで、まずいながらも書いておいたと思われます。まず「地位」や「身分」で自分を誤魔化さないこと、自分を隠さないことから始めたいですね。
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