真の人は、智も無く、徳も無く、功も無く、名も無し

 智慧と心とこそ、世に勝れたる誉れも残さまほしきを、つらつら思へば、誉れを愛するは人の聞(きき)を喜ぶなり。誉(ほ)むる人・譏(そし)る人、共に世に留まらず。伝へ聞かん人、またまた速やかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉れは、また譏りの本(もと)なり。身の後の名、残りて更に益(やく)無し。これを願ふも、次に愚かなり。 

 ただし、強ひて智をもとめ、賢を願ふ人の為に言はば、知恵出でては偽(いつわ)り有り、才能は、煩悩(ぼんのう)の増長(ぞうぢょう)せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、真(まこと)の智にあらず。いかなるをか、智と言ふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか、善と言ふ。真(まこと)の人は、智も無く、徳も無く、功も無く、名も無し。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より賢愚・得失の境に居(お)らざればなり。

 迷いの心を以(もち)て、名利(みやうり)の要(よう)を求むるに、かくの如し。万事は皆、非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。(「徒然草・第三十八段」承前)

 (承前)名誉や利得に煩わされ、一生を、心静かに過ごすことなく終えるのは、なんとも愚かしいことではないか。金を儲ける(貯める)と、それはそれで心配の種。死後に名を残すというのも、当人にはどんな意味があるのか。じつに愚かなことではないかと、そのように、三十八段の前半に述べて、兼好は、すべて「愚かなり」と片付けた気がしたのです。本当にそうだったのか、ぼくには判断が付きませんが、兼好自身は、「愚かなれ」「愚かなり」と、世間(の名ある人)を批判しています。その批判の矢は、恐らく兼好その人に向けられていたとも考えられるでしょう。

 さらに世の「識者」に向けて矢は放たれます。智者(知者)と言われる、(今で言う「知識人・有識者」のことか)それになにか意味があるのだろうか。世間の評判が高いという、その意味は「人聞き」、つまりは評判を気にした結果であって、他者の評価を気にかける人はもちろん、その人を褒める人も譏る人も「共に世に留まらず」です。その名声を伝え聞くものもまた、速やかに世を去る。「誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん」、いったい、誰に誉められ、誰に恥じるのを願っているのか。死んだ後に名が残るなんて、「更に益無し」だ。これもまた愚かなことと言うべきでしょう、と。 

 智を求め、賢明であろうと願う人の身になれば、そこには一理はある。でも「知恵出でては偽(いつわ)り有り、才能は、煩悩(ぼんのう)の増長(ぞうぢょう)せるなり」とも言う。知恵がつくということは「偽り」が芽を吹くことであり、才能を高めたいというのは「煩悩」の衝動によるのだともいう。それでは、一体何をもって「真の智」というのか。何を「真の善」というのか。真実に生きる人は「無知」「非徳」「功(手柄・はたらき)無し」で、一体そんな人のことを誰が知り、誰が伝えらるのか。「真実に生きている人」は、世間とは別乾坤、別個の境地に生きており、むしろ「賢愚・得失」から離れて生きている。(果たして、そんな人物がこの世にいるのかしら?)

 他者(世間)に認められたい、勲章・褒章が欲しいなどと「迷妄の中」でもがいているのは、すべて「愚かしいことなのだ」と兼好は断じる。「万事は皆、非なり。言ふに足らず、願ふに足らず」という結語の部分は、どういうことを言っているのでしょうか。「(人生の)すべては、取るに足りない、つまらないことばかりです。論じることも願求することも無意味・無価値なのだから」とは?どこかのお坊さんならいいそうですが、兼好法師が、これをいうかという気もしているのです。答えが見つからない問いですね、これこそ。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」

 この「徒然草」冒頭の執筆の動機と胸の思いを、ここに持ち出してくるのも、あながち間違いではないでしょう。きっと、この「三十八段」を書いていて、兼好さんは「あやしうこそものぐるほしけれ」という、ある種の危機に陥っていたかもしれない。なんでもないことをなんとなく書き続けていると、「人生とはすべて、意味のない所業の積み重ね」に思えてくるのを、彼は否定できなくなった、呑気に構えておられなくなったのです。

 ここでいう「無意味(非なり)」というのは、世間で生きる際の「意味」であり「価値」を指して言う。ひとかどの人物になるという願いは、世間の尺度に照らして言われること、だから、その世間の尺度にかなわない家柄や能力であれば、いくらもがいても出世もできなければ、評判を得ることもかなわない。そのような「辛酸」を、じつは兼好その人が舐め尽くしたのでした。名門の出ではないが、それなりの神職の家に生まれ、その職において身を立てようと謀ったが、うまくいかなかった。和歌の力量もそれなりの高さを保っていても、それを乗り越えるだけの「武器」がなかった。おそらく「立身」「出世」するためにせざるを得なかった悪戦苦闘を、晩年に思い返していたのかもしれません。その思いが「徒然草」を書く動機だったかもしれません。

 名利を得ようとしたり、知識を得て賢者になるというのも、きっと他人の目や評判を気にしていてのことだというところに兼好さんは思い至ったのです。彼自身は、「自分が生きたい」と願った人生を外れてしまった。その理由は、世間の目がなかった、自分を評価するだけの人物がいなかったというのではない。いくら自分を誉めてくれても、誉められた自分も、自分を誉めてくれた世人も、遅かれ早かれ、死ぬではないか。死んだ後に、何がどうなろうと「遅かりし」だし、人間は必ず死ぬのだから、死の前においては「一切が無、すべては非」となるではないか。だから、名誉も地位も、智者・賢者でありたいと念ずるのも、すべてが世間の評判を求めていることであり、若かった頃の「立身出世」を懇望していた自らを「鞭打つという自覚」があったかもしれません。

 「真(まこと)の人は、智も無く、徳も無く、功も無く、名も無し。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より賢愚・得失の境に居(お)らざればなり」といってみて、はて、それでは人生の甲斐(生き甲斐・意味・価値)とはなんだろうと、思わぬところで陥穽にはまったのです。身動きの取れないところに来て、はたと気がついてみれば、「万事は皆、非なり。言ふに足らず、願ふに足らず」としか言えなかったというのが本当ではなかったか。(左図:吉田兼好肖像 伝狩野探幽画:県立金沢文庫蔵

 この先は、別次元の話になるという自覚は兼好師にはあったでしょう。彼は「世捨て人」ではなかったし、世間から離れて「無我の境地」を開くような、抹香趣味は持ち合わせてはいなかった。生き馬の目を抜くような、熾烈な闘争社会に生きていくほかなかった「世間人」だった。だから「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」ということまで書く羽目になったのです。

 「徒然草」は、今で言う随筆でしょうが、思いつくままに書いていくと、心が晴れるというものではなかった。生きる執心というものが兼好を呪縛していたと言ったらどうでしょう。自意識が過剰であったことは事実ですが、兼好が、現代人と同じよう(同質)な「人生観」を先取りしていたというのは正しくないようです。兼好でなくても、「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と言わざるをえなくなるのでしょう。それは「人生からの問い」だったからです。「生きていても仕方がないではないか」「生きる意味とはなんですか」などと「人生に問う」のではなく、「あなたはどのように生きているのか」と「人生から問われる」、その問いに答えることが、日々の生活であり、人生の軌跡でもあるのであって、問いに対する答えを、生きる中で、ぼくたちは日々重ねているのです。兼好法師の、この「三十八段」が突きつける難題は、兼好さんを通じて、ぼくたちのところまで届いているのです。

___________________________