世界がぜんたい幸福にならないうちは… 

 河北春秋:哲学者の谷川徹三(1895~1989年)… 哲学者の谷川徹三(1895~1989年)は27日が命日である。岩手県東山町(現一関市東山町)のヤマユリのユリ根を好んだという。縁を結んだのは、谷川が深く傾倒した宮沢賢治(1896~1933年)▼東山町の新山公園に高さ2・5メートル、谷川揮毫(きごう)の賢治の詩碑が立つ。「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」。谷川が自ら選んだ『農民芸術概論綱要』の一節を刻む▼賢治は31年、東山の東北砕石工場に技師として招かれ、石灰肥料の品質向上や販売に奔走した。同年の9月、東京出張で倒れる。郷里の花巻の病床で11月、谷川が「最高の詩」と称賛した『雨ニモマケズ』を書き留める▼詩碑建立は、敗戦で虚脱した青年たちが生きる指標にと発案し、賢治の弟清六氏の紹介で谷川に揮毫を頼んだ。1年をかけて書き上げた谷川は、48年12月の除幕で落涙しながら「まづもろともに」の精神を説いたという▼賢治は世界全体の幸福を念願し、生涯をささげた。童話『烏の北斗七星』で、敵を討った烏は星に祈る。「どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうに早くこの世界がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません」。9月21日、賢治忌である。(河北新報・2022/09/21)

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である(「農民芸術論綱要・序論」)
「校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」1997(平成9)年刊。
曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ(同上全集)

● 谷川徹三(たにかわてつぞう)(1895―1989)=哲学者。明治28年5月26日愛知県に生まれる。1922年(大正11)京都帝国大学哲学科を卒業。1928年(昭和3)法政大学文学部哲学科教授。1951年(昭和26)理事、1963年総長(1965年辞任)を歴任。法政大学名誉教授。地中海学会会長、愛知県文化懇談会議長その他多くの要職につく。その活動は幅広く、世界連邦政府運動、憲法問題研究会、科学者京都会議に加わる。1975年芸術院会員。ゲーテの人間性と思想に深く共鳴し、美の深さと高さを探究している。宗教的立場は、ゲーテのいっさいのものに神をみる汎神(はんしん)論で、宮沢賢治(みやざわけんじ)への傾倒もそこに由来する。「生涯一書生」をモットーとする。書に『感傷と反省』(1925)、『享受と批評』(1930)、『生の哲学』(1947)、『宮沢賢治』(1951)、『人間であること』(1971)などがある。1987年文化功労者に選ばれた。(ニッポニカ)

 谷川さんという方は、戦後の思想界、というよりは知識人社会の旗頭という趣のあった人で、さまざまな分野において活躍の足跡を残した。ぼくは、谷川さんの書かれたものをよく読んだ方だと思う。その影響は、「これこれ、こういうところに」と指し示すことはできません。それほど、いわば「道理の哲学」を披瀝されていたからだと思う。彼の出発はドイツ観念論でした。やがて「生の哲学」に行く、京都派でもありました。谷川さんに深く動かされたとはいえませんが、ぼくにとっては、物事を深く徹底して考え抜く時間を持つ生活に憧れを持った、その方面への方向指示器のような役割があったと思います。と言っておきながら、つまらないことを言います。

 谷川さんの逸話でもっとも印象に残っているのは、九十前後の頃でも「地下鉄の階段を二段飛ばしで上る」という他愛のないものでした。これは誰だったかが書いておられたことで、ご自身は階段を一歩ずつ登っていると、その横を、浴衣がけの下駄履きで、颯爽(さっそう)と二段飛ばしで登っていく人がいた。「誰だと思ったら、谷川さんだった」というものでした。それを知って以来、そこ(階段の上り下り)に、谷川流の「自立」「自足」の哲学があると思ったし、自分も地下鉄の階段を上り下りするとき、いつもこの「二段飛ばし」が浮かんだものでした。そこのろ流行りだした「エスカレーター」などは利用しなかったものです。

 本日は宮澤賢治について駄文を綴ろうかと、前もって考えていました(正確に言うと、昨日の予定でした)九月二十一日は賢治さんの忌日だったから。誰かの誕生日でもありました。「死に往くあり生まれ来るあり彼岸花」(無骨)。ところが、今朝は九時前に動物病院に出かけた、避妊手術を予定していた猫を連れて。この子を入れると、どれだけの猫を病院に連れて行ったことだろう。今いる猫たちは、すべては近所の雑木林などで出産して、やがて家の近くに連れてきたものです。そうこうするうちに、当方で食事を出すようになって、さらに家の中で寝るようになった。しかし中には、家で宿泊しないで、食事だけ食べに来るものもいて、付き合いはなかなか大変。まるで「猫食堂」という雰囲気です。病院に行ったのは、今年の三月に生まれた子で、来週は同じ時期に生まれた二つの雄猫の「虚勢の手術」が予定されています。(ごくは手術なしでも、とっくの昔に「虚勢済み」です)手術前夜からは絶食させるのですが、これがなかなかの大仕事で、他の仲間は食事をしているのに、その子だけは「お預け」もできません。みんないっしょに「絶食」(朝九時前まで)です。本日も、大騒動をしながら、朝の三時から病院行きの子の横について、機嫌を取っていました。相当に怒っていたようです。

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 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない / 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである / われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」

 世界の中に「犬」や「猫」や「鳥」や、その他の生き物が入らないはずはありません。もう何十年も前のこと、一人の女性作家から「世界がぜんたい幸福にならないうちは」という言葉を聞いて、頭を打ち付けられるような震えを覚えました。もちろん、それが賢治のものだと知っていましたが、ぼくよりも二十歳以上も年上の人から、この言葉が発せられたことに衝撃を受けたのでした。谷川さんは、その作家(随筆家)よりも三十歳以上も年上でしたから、「ああ、賢治は、こんな先輩たちによって読みつがれてきたのだ」と直感・直観したのでした。宮沢賢治は「読書の対象」「研究の対象」などではなく、彼らにとっては「生への導き」「人生の磁石」のような存在だったのだとはっきりと悟りました。

 昨日は中野重治さん、本日は谷川さんを通して宮澤賢治に再会した気がします。道義も倫理も廃れきった「暴力社会」に生きる身にとって、はるか往時に生き死にした「先達」に、もう一度見(まみ)えることが求められているような気がしきりにします。お彼岸だから、ですかねえ。「われらは各々感じ 各別各異に生きてゐる」というところに、宮沢賢治という人間の新面目を見ませんか。

まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
『つめくさ灯ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし
雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』
詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう(同上)

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