敬老日水流れゆく大蛾あり (飯田龍太)

(S26年「老人の日」制定・神戸新聞)

 【南風録】政府が1985年に50〜60歳代の呼び名を公募した。まだ働ける世代ゆえ高齢者扱いしないで-。そんな趣旨だったようだ。選ばれたのは「実年(じつねん)」だった。◆応募が一番多かったのは「熟年」だったが、40歳代のイメージが強いという理由で選に漏れた。人生80年時代の当時はそうした認識が一般的だったのだろう。この頃100歳以上の高齢者は全国で千人台である。9万人を超えた現在、40代の男女を熟年カップルと呼ぶことは難しい。◆実年に決まったのは、「実り」などが中高年のイメージにぴったりと評されたためだ。これに合わせるように同じ年、鹿児島県はそれまで職員が主に50代で退職していたのを60歳定年に改めた。◆さらに県は、定年を来年度から段階的に引き上げて最終的には65歳とする方針だ。法改正に伴うもので、教育委員会や県警なども対象となる。役職を外れ給与は下がるとはいえ、ベテラン勢の雇用が延びるのは高齢化時代に沿う対応に違いない。◆企業に対しては昨年から、70歳までの希望者に就業機会を確保することが努力義務となっている。厚生労働省の調査では、4社に1社が何らかの形で70歳就業を導入し、特に人手不足に悩む中小企業が積極的に取り組んでいるという。◆65歳定年が普及すれば、次は70歳だろうか。現役の期間は長くなるばかりである。高齢者の定義も変わっていくのかもしれない。(南日本新聞・2022/09/19)(ヘッダーはTBS News Dig・2022年9月19日(月) 06:21)

● 【敬老の日】=〘名〙 国民の祝日の一つ。九月の第三月曜日。敬老の精神を養いそだてるため、従来の老人の日を祝日として、昭和四一年(一九六六)制定。(精選版日本国語大辞典) 

● 敬老の日は、1965年に「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と法律で定められました。(日本文化いろは事典)

 「敬老の日」「老人の日」と詠む俳句のそれぞれ。恐らく、殆どが「敬老の日」の該当者(立派な老人)というか、「あれは老人なり」と言われる側の方々。でも、そのどれ一つとっても、ぼくには「やけくそ」とも、「何だよ、そんな日は」と言わぬばかりの、俳句らしからぬ、「反老人宣言」に似ていると思われますが、果たしてどうでしょうか。「ごちそう食べて、祝いましょう。祝われましょう」「おじいちゃん、おばあちゃん、もっと長生きしてネ」などと孫にでも言わせる日、「祝ってくれてありがとう」などというしおらしい気分は一切ないですね。「謀反老人」の俳句ともいえます。「子どもの日」「父の日」「母の日」と同じように、これを「休日(昔は「祝日」「旗日」とか「祭日」とか言わされました)」というのは、いかにも「見え透いた」「軽薄な仕業」に思えてきます。「老人を敬いましょう」と言われるから、そうなるんですか。いやいや、その反対でなんすか。

・老人の日といふ嫌な一日過ぐ(右城暮石) ・敬老の日といふまこと淋しき日(中村春逸) ・湯ざましのやうに過ぎけり敬老日(野崎宮子) ・反逆す敬老の日を出歩きて(大川俊江) ・敬老の日とて何祝ぐこともなし(石塚友二) ・敬老の日のコーヒーのアメリカン(村本畔秀) ・敬老の日の給食の鮪鮨(角川源義) ・老人の日なり子供の日の如く( 後藤比奈夫) ・老人の日喪服作らむと妻が言へり(草間時彦) ・年寄の日と関はらずわが昼寝(石塚友二) 敬老と聞く耳持たぬ世の仕打ち(飯野無骨)

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 ぼくは、あと数日で「七十八歳」になる、という世の習い。昔風に言えば、前後左右、どこから見ても、正真正銘の「老人(爺)」であり、「老人(敬老)の日」の対象者になるらしい。もちろん、今だって、世間の見方によると、ぼくは「老人」そのもの。それをことごとしく「祝日」「祭日」という、その魂胆はなんですか。世の中が「老人の日」であろうと、「敬老の日」であろうと、ぼくの「日常」には関係のないことというばかりです。休日はともかく、「祭日」といい「祝日」というのは、誰が誰に対して言うことなのでしょうか。「妻の日」や「夫の日」があってもいいし、「爺さんの日」「婆さんの日」もいいでしょう、作りたければ。

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 台風十四号のもたらす強風と豪雨は衰えを知らないように、劣島を縦走中です。大きな被害が起こりませんように。「敬老の日」だからといって、「台風」は祝ってくれません。あるいは呪っているのかもしれないと、減らず口をたたく「後期高齢者」ではあります。ぼくは小さい頃から、「祝日」や「祭日」というものが嫌いでした。理由は単純、日常のありのまま(茶飯事)が「偽装される」という直観を持っていたからです。一体誰が決めたのか、とは言いません。いずれ「選良」と揶揄される歴々が法案を作ったのでしょう。「敬老の日」と称して、「年寄を敬いなさい」などと、それは政府や官庁が「号令」をかけてまでしてやることだろうか。(空模様は薄黒い曇天です。これから、大雨が降りそうな気配です。昨日も、二度三度と停電がありました。数時間にわたり続きました。本日も、その「危険性(可能性)」が大いにありそうです。だから、駄文はここまで)

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 (追加です。上掲の神戸新聞記事につながります)【正平調】高齢者とは何歳からだろう。老齢年金や医療制度は65歳から、自治体が交通費を補助する敬老パスは70歳や75歳から。「人生100年時代」と言われ、ますます分からない◆国内の総人口に占める65歳以上の割合は約3割に達し、年金財政が厳しいやら、医療費の負担が重いやら、高齢者にとってはうれしくない話題ばかりだ◆きょう「敬老の日」を迎えた。祝日として制定されたのは1966年。それを19年さかのぼる47年、戦後の混乱が続くなか、兵庫県野間谷村(現・多可町八千代区)の村長、門脇政夫さんが村主催の敬老会を開いた◆農閑期の9月15日、村中のオート三輪車を集めて55歳以上の人を送迎し、ごちそうと余興でもてなしたそうだ。門脇さんはこの日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日にしようと提唱した。それが「敬老の日」のルーツになったという◆門脇さんは生前、こう語っていた。「子どもたちを戦地に送った親たちは本当に精神的に疲れていたのです。少しでも報いてあげなければならない」◆「先立つ不孝を…」。戦時中、こう書き残して多くの若者が散った。今もウクライナ、ロシアの親が悲嘆のどん底にいることを忘れてはならない。きょうは親を悲しませない平和な世界を誓う日でもある。(神戸新聞NEXT・2022/09/19)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)