予想が外れることを、大いに期待している

 【有明抄】「大地の呼吸」に耳を澄まして〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉。平安時代の歌人、藤原敏行が立秋の頃に詠んだ歌とされる。残暑の中、秋の気配を感じさせた一陣の風は、もしかしたら台風の予兆だったかもしれない◆1年前の小欄でも触れたが、きのう9月17日は「台風襲来の特異日」だった。1945年9月のこの日、「枕崎台風」が鹿児島県に上陸し、終戦直後の日本に打撃を与えた。二重の苦境をはね返した先人たちに感謝する◆目に見えない空気の動きをどう感じるか。微風は肌を使っていると思う。優しい空気の流れが触感として伝わる。強風、暴風は音でとらえる。日本の季節の変わり目はシベリア気団や小笠原気団など、四つの気団の勢力争いでもあるという。8、9月に台風襲来が多いのはそれも理由の一つではと、素人ながらに考えたりする◆風は「大地の呼吸」、台風は「くしゃみ」のようなものと思う。大地の呼吸は季節の移ろいを感じさせるが、その息遣いは時に加減がきかず、容赦ない◆台風14号が九州に近づいている。秋の学校行事にも影響を与えただろう。コロナ下で控えていた3年ぶりのイベントが台風で中止になっては悲しいが、主催者は安全優先で判断してほしい。防災準備も怠りなく。どんなに文明が発達しようと、人間が自然を超えることは難しい。(義)(佐賀新聞・2022/09/18)

 

 18日(日)午前5時現在、大型で非常に強い台風14号は、屋久島の南南東を1時間におよそ20キロの速さで北北西へ進んでいます。種子島・屋久島地方が暴風域に入りました。(気象庁)

 ただ今は、九月十八日の午前八時です。五時前に起床、猫に食事を与えて、一休みするまもなく、何やかやしていると、少し風が出てきました。雨も降っています。すでに台風十四号は沖縄・九州方面に大きな影響を与えて、さらに北上を続けています。九州方面に上陸し、そこから劣島を縦断する格好で、更に東に進むそうです。「台風」にはいろいろな記憶が、脳中にこびりついています。今どきは、のべつに台風に襲われており、忘れる暇もないほどです。台風にまつわる記憶はずいぶんと古くからあります。台風がもたらした「豪雨」で「大きな川」が氾濫、街中の家屋が浸水した記憶がもっとも古く、石川県時代の、まだ五歳くらいだったか。後年、そのあたりを歩いて、「大きな川」は、実はそれほどでもなかった(大きめの溝のようでした)のは、「記憶の過誤」だったということがわかりました。幼児期に記憶された物・事は、成長すると同時に「その記憶」は残るのですが、それを実見するに及んで、記憶の誤りが訂正され、身の丈にあった大きさ(寸法)に修正される。アリが人間を見ると怪物のごとく映るのでしょうが(人間を見ているかどうか、わかりません)、その「アリ」が人間大に成長すると、自分との比較で、大きかったもも(人間)は小さく見えるという理屈です。「ガリヴァーの世界」のようですね。

 もっとも強烈な印象となって残っているのは「伊勢湾台風(左写真)」(1959.9)でした。これもすでにどこかで触れていますので、繰り返しません。恐怖の体験は、静かな記憶(「風化」というのかもしれない)となって刻印されているものです。三年前には台風十九号の直撃を受け、停電や断水、さらには道路の寸断と、なにかと生活上の影響を受けました。でも、この年齢になると怖さも鈍るのか、あるいは「どうとでもなれ」という気持ちが起こってくるのか、なるようにしかならないさ、そんな気になって「泰然」というか「恐怖心の鈍麻」なのか、少しも騒がなくなりました。これは「地震」にあっても同じです。かみさんには悪癖がいくつもあります(もちろんぼくにも)が、その中でも特筆すべきは、地震の揺れが来ると、何よりも先に、戸や窓を開けるという性癖です。平屋だからいいものの、マンションの上層階だったらどうするつもりだろうと、いつも感心、いや呆れてしまう。「開けて、どうする」というのでもなさそうで、ただ開けるだけという反射神経の誤謬だったりします。恐らく家が押し潰されて、建物の下敷きになるという恐怖心があるのだと推察しています。(それには、ぼくが関係しているのかしら)

 五時過ぎから「天気予報」を見ています。近年の「予報」の精度はなかなかのもので、「全方位外交」ならぬ「全方位観測」を果たすための複数の衛星を駆使しているからです。その昔、気象庁の同好の士が「ソフトボール大会を予定、それが雨で延期になった」という逸話が残っています。それにしても劣島の沿岸部の海水温の高さは不気味ですね。多くの近海域では三十度かそれに近い水温です。台風の勢力が衰えないのも道理だといえます。この十四号は、予想通りの進路を辿ると「劣島を串刺し」にして東北方面に抜けそうです。そうならないことを願うばかり。

● ラニーニャ現象(らにーにゃげんしょう)La Niña Event=エルニーニョ現象反対語。エルニーニョ現象とは対照的に、日付変更線より東の太平洋赤道海域で平均海水温度が、ふつう6か月ほど連続して0.5℃くらい低くなる現象。エルニーニョ現象は19世紀末から漁業関係者によって取り上げられてきたが、ラニーニャ現象は1984年秋から85年春、さらに88年春から89年春にかけておきたときから注目されるようになった。89年冬には珍しく太平洋日付変更線付近は高気圧帯となり、冬の特徴であるアリューシャン低気圧は平年より弱くなって、89年1、2月の日本は平年より地上気温が2.5℃くらい高い暖冬となった。ただしラニーニャ現象の場合、夏、冬の中緯度地域の気候変動への影響はエルニーニョ現象に比べて小さく、今後の研究課題の一つになっている。90年代になるとラニーニャ現象はほとんど観測されなくなっていた。しかし98年後半から99年2月ころに久し振りにラニーニャ現象がみられた。ただし、99年夏の異常気象すなわち北日本、東日本の猛暑、西日本の多雨との関連性に関しては、インドのモンスーンの影響なども考えられ、これも今後の研究課題である。(ニッポニカ)

● 「1959年(昭和34年)9月26日18時頃、後に「伊勢湾台風」と呼ばれる台風15号が和歌山県潮岬の西に上陸した。上陸後もあまり勢力が衰えず、早い速度で本州を縦断したため広い範囲で暴風が吹き、名古屋市では最大瞬間風速45.7m/sを観測した。/ 台風の進行方向東側に当たった伊勢湾岸では高潮により広範囲が浸水、深夜の台風通過で犠牲者が増え、全国で死者4,697人、行方不明者401人、住家全壊40,838棟、被災家屋は500,000棟以上に達し、戦後最悪の台風災害となった。/ この台風を契機として、1961年(昭和36年)に災害対策基本法が制定された。(「災害カレンダー:https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/109/)

 (上同記事より)「伊勢湾台風が知らしめた風台風が起こす高潮の脅威 和歌山県・潮岬への上陸時の最低気圧が929.5hPa、平均最大風速が33.5mという、非常に大型の台風でした。こうした風が強い台風では、海水が風に吹き寄せられて潮位が上がる高潮が脅威に。そして、伊勢湾の西側を沿うようにコースをとったことで、その脅威がより高まりました。また、名古屋港近くの貯木場では、保管されていた海外からの輸入原木が、人が住むエリアへ流される二次被害も起きました。建物を破壊したり避難民を巻き込んだりと、その破壊力は凄まじく、これも高潮と高波によって発生したのです。/ また、国レベルで見ると、災害に対する法整備が今ほどなされていなかったことが、大きな被害となった要因と言えます。伊勢湾台風を受けて、国は1961年に災害対策基本法を公布。防災に関する責務の明確化や組織の設立などを規定し、以降の防災に役立てています。/ 現代では、港湾地区には大量のコンテナなどが集積されているため、その近辺で生きる人は、高潮への危機意識を持つべきでしょう。ただその一方で、一つの災害に固執するのも危険です。『海が近いから高潮に気をつけよう』と意識すると、地震などほかの災害を忘れがちになります。ですので、日頃からいろんな危険を意識する必要があります。/ 最後に、命を守ることが最も大切ですが、高潮や洪水などの水災害に対しては、その後の生活を考えると、財産を守ることも無視できません。電化製品といった、濡れると困るものを上階へ移動させるなど、未来を生きるための対策をしておけば、『次は自分が避難する番だ』という気持ちを持ちやすいかもしれません」(井口 隆さん)

*******************

 秋から冬にかけて吹く風を「野分」と呼び習わしました。二百十日や二百二十日ころには、特にそのように言われる風が吹くものでした。今では「台風」そのものも、「野分」と言われるようになりました。野分という語は、いかにも長閑(のどか)と言うほどではないにしても、それなりの風情があるもののように使ったり、聞いたりしてきましたが、今では恐ろしい「暴風」のイメージが備わっているんですね。不用意には使えない「語」になりました。「野分」の句をいくつか。

・あかつきのやねに矢のたつ野分哉 (蕪村)  ・うつくしや野分の後のとうがらし( 蕪村)  ・山は虹いまだに湖水は野分哉(一茶)  ・我声の吹戻さるゝ野分かな (内藤鳴雪)  ・この夕野分に向いてわかれけり (漱石)  

 (ここまで綴って来て、「停電」発生です。「駄文を書くのは、もう止めなさい」という合図かもしれない。この調子では繰り返し停電に見舞われそうなので、自然のシグナルに従って、駄文は、途中ですけれども、ここで中断。落ち着いたら再開します、しないかも)(午前九時半過ぎ)

 (十時半に再開)「どんなに文明が発達しようと、人間が自然を超えることは難しい」というのはコラム氏です。その言は間違いではないでしょう。しかし、根っこにある「人間が自然を超える」という発想自体が、諸悪の根源だともいえます。自然と共生するのは「文化」です。荒れ地を耕し(耕作)、そこから収穫を得る(栽培)ことで、人間は生きてきました。この「文化」という生存の土台を手放し、空を自由に飛ぶという「科学技術」の開発によって、人間には相当なことができるのだという「錯覚」を持ってしまったのも事実です。(空中の「交通事故」は発生しないんでしょうか。一方通行や追い越しなど、地上以上に面倒なことが起こりそうで、人間という存在は、自ら問題を生み出していくものなんだね) 

 「台風」は自然現象だと説明できますし、それを克服する「技術」の獲得を人間は求めているのでしょうが、どこまで行けば、「満足」を得られるのか、人間もまた、紛れもなく「自然」の産物ですから、その摩訶不思議な生命体の不思議を解明する方向を求めるのは「冒険精神」ではありますが、その冒険は常に実利・実害が伴うという意味では、どこまで、どこで、という「限界設定」は人間のような「欲求の塊」ではとても困難なのではないでしょうか。「自然(人間という存在)」が「自然(環境及び、そこに生じる現象)」を克服するとは、どういうことを言うのでしょうか。

 (この瞬間に、ばかみたいな「疑問」が出てきました。「台風は百害あって、一利なしだろうか」と言うものです。恐らく人間のスケールからは考えられない視野というか視点が必要でしょうね。どこかでゆっくりと考えてみたい)

 (またまた、雲行きも怪しくなり、風も強まってきました。それを幸いに、本日はここまでにします(十時五十分)。この「寝言」のような駄文の続きは後日に)

_____________________