一瞬の泡沫「勝てば官軍」に、旗を振るな

 <あのころ>日本が満州国を承認 日の丸手に祝う 1932(昭和7)年9月15日、靖国神社で日の丸を手に集まるのは、満州国を国家として認める「日満議定書」調印祝賀に駆り出された女学生。国際世論は、国際連盟からリットン調査団を派遣するなど「満州国はかいらい国家」との見方が多く、機先を制して既成事実化する狙いがあった。(日本電報通信社撮影)(共同通信社・2022/09/15)

 この写真は今から百年前の「満洲国建国」記念の祝賀行事でした。駆り出されたのは「学徒」で、いつだって「学徒動員」に応じさせられてきたのが学校でした。有無を言わせない強制で、強権発動は「国家」のお得意芸でした。国家を名乗る連中はこれを「使いたがる」んだな。最近では「緊急事態宣言」だった。この後、この満州国はどんな運命を辿ったかは言うまでもありません。「旗を振って行進しなさい」と、教師に言われたから、こどもたちは歩いただけ、教師は「上から命じられたから、生徒たちを駆り出したまで」という。まるで「木偶の坊」ですね。「上」とは「お上」だったか。お上は自身の判断を持っていたとは思われません。したがって、強引な侵略国家「満州帝国」偽造・捏造は諸々の勢力が合致してでっち上げられたという次第。いわば「捏造国家」だった。その蛮行・非道で、どれだけの人民が死の苦しみを負わされ、その後の人生に消すことのできない深い陰影を刻み込まれたことだったか。「泡沫国家=満州帝国」は、歴史の検証に耐えられず、十年と維持できなかった。それが地上から全て消えたのは十三年後の、昭和二十年八月だった。一瞬が永遠であり、永遠は一瞬だったんですね。「永遠は時の鏡」だといえます。

 今、ウクライナで、ロシアの「狂人」が侵略を果たしており、いつ果てるともしれない戦争の影で、無数の人民が枯れ葉のごとくに消されていっているのです。正当性も大義もない戦争、それを影になり日向なり「支持させられる人民」もまた、この戦争の犠牲者だったと言わなければなりません。(右は「クリミヤ侵略」時、2014年のもの)独裁者がひとりで何でもできるのではなく、そこにはこの「狂気の人」を有形無形に支える、つかの間の「偽愛国者」が数多いたことになります。自らに被害が及ばない限り、人民も「戦争協力者」であることになるでしょう。戦中は言うまでもなく、戦後の後遺症も癒えることのない深手であることは疑えないのです。ヒロシマ・ナガサキに代表される「戦争被害」「戦争の傷跡」は、歴史が続く限り消え去ることはない。

 「靖国神社で日の丸を手に集まるのは、駆り出された女学生」という写真に関心が湧いたのは、これを報道した通信社が「日本電報通信社」だったからです。今で言う「天下の電通」の前身でした。満州事変を期に、この会社は大きくなるのですが、それ以前は小さな「電報通信会社」でした。今や、この島社会の屋台骨を支える幹事会社ともいうべき、天下無双・無敵の利益貪(むさぼり)り企業軍となり仰せているのです。(社歴は下の事典参照)(左は創業者・光永星朗)

 昭和七(1932)年、ぼくはまだ生まれていませんでした。ある学校に就職した時、所属した学科の先輩たちの殆どが昭和七、八年生まれでした。ぼくと一回(十二年)りほどの違いでした。満州事変や日米戦争「開戦時の子ども」だったと想うと、なにかしらの感慨が湧いてくるのでした。「征」「昭」などという名前をひどく嫌っていた先輩もいました(誇らしげだったのもいた)。国民(人民)が挙って「戦争に参加する」というのは、ぼくからすれば「嘘」です。今も昔も、「戦争」を始めるのは、それに利害が絡んでいる人々(一山派)であって、金儲けや自己欲求(自己肥大)の手段にしたにすぎないのです。しかし、その被害たるや想像を絶するものがある。上の写真を見て、百年前の「女学生」は何を知り、何を思って「旗を振る」のか、いつでもぼくはそのことを考えてしまう。

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● 日満議定書(にちまんぎていしょ)=1932年(昭和7)9月15日、日本の「満州国」承認に際して両国間に締結された協定前文で「満州国」が独立国であることを確認し、本文では〔1〕「満州国」は日本が従来から有するいっさいの権利利益を確認尊重すること、〔2〕日満両国の共同防衛のため所要の日本軍が「満州国」内に駐屯すること、を協定した。また協定に付属する秘密の往復文書によって、「満州国」が、国防・治安維持や、鉄道・港湾・水路・航空路などの敷設・管理を日本に委託すること、また「満州国」政府要職に日本人官僚を任用し、その任免権を関東軍司令官にゆだねることなど、同年3月の司令官宛(あて)執政書簡その他先行協定による従来の権利の有効性が確認された。調印の直接的動機は、国際連盟派遣のリットン調査団による報告書公表(10月2日)前に既成事実をつくりあげることにあった。これに対し中国国民政府は満州の保護国化であると抗議し、ヨーロッパ諸国は国際連盟の無視であると批判した。(ニッポニカ)

● 電通(でんつう)Dentsu Inc.=広告会社(→広告代理業)。1901年光永星郎の創立した日本広告が前身。光永は 4ヵ月後に電報通信社を創立し,1906年日本電報通信社と改組改名(略称が電通),翌 1907年日本電報通信社に日本広告を合併した。その後,新聞聯合社と通信界を二分して競争を続けながら発展。1932年政府は言論統制や国際宣伝強化などの見地から通信社の一本化方針を決定,1935年新聞聯合社を母体に同盟通信社を発足させた。1936年,日本電報通信社は通信部門を同盟通信社に委譲し,代わりに同盟通信社の広告部門を吸収,広告代理業専門の会社として新発足した。第2次世界大戦後は吉田秀雄のもとで日本経済の復興と高度成長の波に乗り,驚異的発展を遂げた。1955年,社名を現名称に改称。日本のみならず,1970年代以来世界の広告会社のトップの座を確保している。本社所在地は東京都港区。(ブリタニカ国際大百科事典)

(右上は里見甫(はじめ)「里見 甫(さとみ はじめ、1896年明治29年)1月22日 – 1965年昭和40年)3月21日)は、ジャーナリスト実業家三井物産のもとで関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた」Wikipedia)(里見甫に関しては、あるところで、すでに触れています)

 「国際世論は、国際連盟からリットン調査団を派遣するなど『満州国はかいらい国家』との見方が多く、機先を制して既成事実化する狙いがあった」(コラム「あのころ」)と言うのは、いつに変わらぬ、権力行使の常套手段でしょう。「傀儡(かいらい)」とは、「あやつり人形)のことであり、「くぐつ」ともいわれます。また、一種の音頭のような響きで、「勝てば官軍」と囃(はや)す。「負ければ賊軍」と続きます。「戊辰戦争の際の薩長軍と幕府軍の戦いから生じたことばで、西郷隆盛の持論であったともいわれます。その後、西南戦争では、薩軍の兵士が「勝てば官軍負くれば賊よ」と歌っていたといいます」(ことわざを知る事典)

 英語圏では「Might is right.」というらしい。ふざけていますが、「朕は国家なり」と同様に、断じて認めてはならない傍若無人の風ではないでしょうか。「暴力が正義だ」というんですか。「勝てば官軍」とは、「暴力団とは「正義団のこと」だという、じつに荒唐無稽のポンチ絵に通じますね。

 しかし、「勝つ」も「負ける」も一時・一瞬のもの、だとするなら、「官」も「賊」も、一時のもの(架空)だということになります。ぼくにとって何がいいといって、人に誇ることなく、人に引け目を感じることなく、己の生き方をまっとうする、まっとうしようという心がけではないでしょうか。嘘をつき通し、「位人臣を極めて」、それでどうだというのかしら。他国に土足で押し込み(強盗です)、無辜の民を無数に殺戮し(殺人鬼)、それでどうしたいというのかしら(墓穴をほっていることに気が付かないんだ)。(同一業種一社というスポンサー契約に対して、出版界だけは「二社でどうだ」と高橋某が提案したら、同席していた元総理が「K談社は絶対に入れない」と言ったとか。音声記録が残されていた)

 それらの所業は、ぼくの理解を超え、まったくの「ハレンチ(破廉恥)」だとしか見えない。五輪開催を好機と見て「会社を大きくしたい」「億の金をポケットに入れたい」、そうして、どうするつもりだったか。高級車に乗りたい、大きな家に住みたい、うまいものを腹いっぱい食いたい、いろいろとやってみて「あいつはすごいやつだった」と言われて死んでみたかったのでしょうか。そんな醜悪な姿を見せないでよと言いたいね。まさに「犯罪」ではないですか。

 「歴史は繰り返す」のではない、「人間が同じ轍を踏む」のです。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)