「病気ではなかった。ただ疲れ果てていた」 

 【天風録】ゴダールさんの選択 きのう本紙を開き、訃報の思わぬくだりに目がくぎ付けとなった読者がいるかもしれない。フランス映画界に革命をもたらした監督ジャンリュック・ゴダールさんの最期を伝える一文である▲フランス紙によれば、スイスの自宅でお医者さんから処方されていた薬を自ら使い、覚悟の上で、この世に別れを告げた。周りも了とし、みとっていたのだろう。家族が出した声明に「穏やかに亡くなった」とあった▲「横紙破り」の気性を自他共に認めていた。1960年公開の出世作「勝手にしやがれ」でカメラを街角に持ち出し、主流だったスタジオ撮影に異を唱える。カンヌ国際映画祭の権威を嫌い、中止に追い込んだことも。映画ファンの注目をさらい続けてきた風雲児だった▲まさかタイミングを計ったとは思わないが、折しもマクロン大統領が「終活」問題をまな板に載せている。一生を終えるときに本人の意思を反映させる法律を用意するか否か―と。議論の行方から目を離せそうにない▲「勝手にしやがれ」は実は邦題で、原題は「息も絶(た)え絶(だ)え」だった。「型破り」の巨匠らしい最期とも映るし、九十一の春秋を重ねてきた人の決心と思えば、胸にこたえる。(中国新聞デジタル・2022/09/15)

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 ゴダール監督、スイスで認められた「自殺幇助」で亡くなる 仏紙報道13日に死去したフランスの映画監督ジャンリュック・ゴダールさんについて、仏紙リベラシオンは同日午後、ゴダールさんはスイスで認められている「自殺幇助(ほうじょ)」により亡くなったと報じた。家族の一人は同紙に「(ゴダールさんは)病気ではなかった。ただ疲れ果てていた」と話している。 AFP通信は関係者の話として、ゴダールさんは日常生活に支障をきたす病気を患っていたことから、自殺幇助による死を選んだと伝えている。スイスでは、自殺幇助で亡くなる人が増加傾向にあり、2003年の187人から15年には965人に増えているという。(パリ=宋光祐)(朝日新聞・2022/09/13)

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● ゴダール(Godard, Jean-Luc)=[生]1930.12.3. パリ フランスの映画監督。フランスで生まれたが,兵役を逃れるためにスイス国籍をとりスイスで育った。パリ大学中退後,『カイエ・デュ・シネマ』誌などに映画批評を書きながら短編映画をつくっていたが,1959年に長編第1作『勝手にしやがれ』À Bout de Souffleを発表。その即興的な演出と大胆な編集,コラージュのような構成は世界に衝撃を与え,一躍ヌーベルバーグの寵児となった。続く 1960年代も『気狂いピエロ』Pierrot le Fou(1965)など先鋭的な作品を次々と生み出し世界的な名声を不動のものとする。しかし 1968年の五月革命前後から『イタリアにおける階級闘争』Lotte in Italia(1970)など政治色の強い作品に傾倒し,『万事快調』Tout va bien(1972)を最後に商業映画から離脱。「ソニマージュ工房」Sonimageを設立し実験的小品を制作する。また政治色の濃い作品をテレビを通じて発表。1979年『勝手に逃げろ/人生』Sauve qui peut (La Vie)で再び商業映画に復帰。以後『ゴダールのマリア』Je vous salue,Marie(1984),『ゴダールのリア王』Jean-Luc Godard’s King Lear(1987),『ゴダールの決別』Helas pour moi(1993)などを監督。映画の概念を根底から変革した作家と評される。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 ヌーヴェルバーグは、恐らく一世を風靡したと評価されているのでしょう。この社会でも、ゴダールの後塵を拝すると言っては語弊がありますが、映画界の「新しい波」が津波のように欧州からやってきた。吉田喜重や大島渚、篠田正浩たちを旗手にして、古い体質の映画界を掻き回す「波動」くらいにはなったと思う。ぼくは、何度も言ってきたように、映画はまったく不勉強で、このゴダールさんの映画についても何も喋れません。今頃になって後悔するものばかりですが、中でも「映画に無知」は、ぼくには致命的な欠点となったと言っていい。

 小さい頃、近所に映画会社に務めていた知り合いが多かった。小学生の頃、ぼくや弟は学校から帰ると、そのおじさんたちに連れられて撮影所に出かけた。いわゆる「エキストラ」の子役(その他大勢)として、何十本もの映画に出たのだ。主として「東映」と「大映」だった。その関係で、その会社の映画はフリーパスで、どれだけ観たことか。チャンバラやヤクザもの、あるいは「夜の蝶」「赤線地帯」などといういかがわしいものがほとんどだった。ぼくの中の「映画」はそれらで出来上がっていた。つまりは「新しい波」はぼくには起こらなかったのです。日本映画界の鬼才たちも「小津天皇」などに反旗を翻したのはよかったが、いささかの物議を醸した程度で、新しい波は消えていったのではなかったか。映画に無知な人間のこと、この観察はまちがっているだろう。しかし「勝手にしやがれ」にしたところで、観たことは観たが、ぼくには何が革命的であったか理解できなかったのも事実です。映画が理解できない人間の言うことですから、まるで寝言そのものだということです。

 ゴダールは「映画界のピカソ」の異名を与えられていたそうです。これもよくわからない評価で、果たして何がピカソ的だったか、いまもって判然としないままです。「勝手にしやがれ(原題は『 À bout de souffle (1960)』(「息せき切って」とか「息も絶え絶えに」という意味か)」は二十八歳の作品、ベルモントは二十六歳、ジーン・セバーグは二十歳でしたから、「若者の反抗」、あるいは「若いだけの出鱈目」という意味では大いに受けたのかもしれません。もちろん、映画製作や映画技法の革新性は言うまでもないことですが、ぼくには理解できない世界の話です。

 この駄文で考えたいのは「映画論」ではなく、「ゴダール論」でもなく、「安楽死」についてです。九十歳を超えた、かつての映画界のピカソも、老齢如何ともし難く、「自殺幇助」という手法で、自らの人生に幕を下ろした、なんとも意外だという感がします。この問題も「答えのない問い」に属するでしょうから、その是非を論じても、大した意味はなさそうです。だから、敢えて言うなら、「自分は安楽死を選ぶか?」という問いを、自分の中で立てる必要があります。スイスは合法的に安楽死を認めている数少ない国の一つ。ゴダールはパリ生まれでしたが、一度は「兵役逃れ」のためにスイスに移住したとされます。その後もパリで映画に関わる仕事をしたのですが、後年はスイスに再移住。そして最後の審判を、「安楽死」で迎えたのでした。

 皮肉でもなんでもなく言うのですが、映画界の古い慣習を破壊した鬼才も、よる年波(老衰・老齢)には抗するべくもなく、「勝手にしやがれ」とはいかなかった、と想う。ここに「人生の残酷さ」があると言えば、どのように受け止められるでしょうか。日本でも、大島渚氏などは映画のみならず、各方面で八面六臂の活躍をしたとも言える映画人でしたが、最晩年は「認知症」を長く生きた(患ったと言うべきか)とされます。生まれるときも死ぬときも、その「直後」、あるいは「直前」までは、自らの置かれた状態を知ることは可能ですが、生まれる瞬間や死の瞬間は、すでに別世界へのとば口でもあったんですね。(右写真は(松竹の「新しい波」を名乗ったとされた監督たち。どうだっていいのですが、この三人の颯爽派たちは、いずれも自らの監督作品で「主演」を張った女優さんと結婚した。まさに「vieille vague(「旧い波」)」、日本映画界の旧い麗しい伝統を踏まえたんですかね)

 時を同じくして、有名人として、イギリスでは「女王」が、日本では「元総理」が、そしてスイスでは「映画監督」が亡くなられた。それぞれが自らの人生にふさわしい最後であったかどうか、ぼくには判断が付きませんが、「死ねば、人みな同じ」ということだけは確かです。生と死は、相対立するものではなく、死があって初めて「生が完結する」故に、生にとって死は不可欠のプロセスだとぼくは考えます。だとすれば、死から遡って、それぞれの人生の軌跡を辿ることもありうるのではないでしょうか。現段階では、「安楽死」は十分に、世人に周知された事柄ではない。ある国では、いくつかの条件をつけて安楽死を容認し、別の国では、よほどのことがない限り「安楽死」はそれに関わった人は、あるいは殺人罪に、あるいは自殺幇助の罪を問われることになります。安楽死問題の根拠をたった一つの「正解」に収斂させることは暴力政治には可能でしょうが、当たり前に生きている人々の理解を超えた問題として残り続けるのではないでしょうか。(これに関して、誰もが納得するような「結論」は得られそうにないという意味です)

 メメント・モリ(memento mori)(「死あることを忘れるなかれ」)、古代ローマ以来、この「箴言」が語り伝えられてきました。

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● 蟹瀬誠一「間もなくやってくる「多死社会」を前に」(https://diamond.jp/articles/-/293060)                                   ● 宮下洋一「『海外での安楽死』は200万円で十分可能」(https://president.jp/articles/-/24274?page=1) 

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● 安楽死(あんらくし)=オイタナジー Euthanasiaの訳語。古くから用いられて来たことばであり,多様な意味をもつ。(1) 積極的安楽死,(2) 間接的安楽死,(3) 消極的安楽死,の三つに分類されることもあり,(1)は苦痛を除く手段がない患者の命を薬剤投与などで意図的・積極的に縮める行為,(2)は苦痛緩和療法で麻薬などを与えた結果として死期を早める行為,(3)は苦痛を長引かせないよう医療行為を控えたり延命治療を中止したりして死期を早める行為,とされている。(3)は尊厳死と同義とする見解もある。国内外で社会的に問題となるのは,ほとんどが (1)の事例である。自殺幇助(→自殺関与罪)あるいは殺人(→殺人罪)との区別が難しい。自殺幇助を許容しているスイスなど (1)を違法としない国もあるが,日本国内で適法とされた例はなく,安楽死事件として取り上げられる場合が多い。1962年に名古屋高等裁判所(山内判決)が,1995年に横浜地方裁判所(東海大学安楽死判決)が (1)を適法とする要件を示した。よく引用されるのは後者で,要件として (a) 耐えがたい肉体的苦痛の存在,(b) 死期の切迫,(c) 患者の明確な意思表示の存在,(d) 苦痛除去・緩和の手段がない,の四つがあげられる。ただし,患者の苦痛を除去・緩和する技術の向上によって,これらの要件はすでに役割を終えたとの指摘もある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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  ◯ 参考までに 西部邁さんの死、橋田寿賀子さんの思い 安楽死を考える   渡る世間と安楽死:4

 「安楽死、まだあきらめていません」と話す脚本家橋田寿賀子さん(92)のインタビュー4回目のテーマは「西部邁さんの自死」について、そして「家族のみとり、医師のみとり」についてです。ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の医師に託した思いとは。オランダの安楽死事情に詳しい太田啓之記者(53)が聞きます。

 記者 老年心理学の専門家によると、バリバリ仕事をされたり活躍されていた人ほど、老いることが苦痛になり、耐えがたいそうです。

 橋田 いい時代があると、歳を取った時に落差が出てくる。西部邁さんが自殺されたのも、やっぱりそうなんでしょうね。

 記者 西部さんの死については、どう考えますか。

 橋田 自分でちゃんと老いを清算されたんだと思いますね。これから生きていても、今まで生きてきた以上の自分にはなれないし、もしかしたらマイナスになるかもしれない。その時点でやっぱり、ご自分で清算されたんだと思います。

 私もそういう気持ちがありますもの。今死んだら汚点はない。これからぐしゃぐしゃになっても生きていたら、「橋田寿賀子はよいよいになって死んじゃった」と言われかねない。それはイヤだな、と思いますね。

 記者 だけど、現役時代とのギャップに苦しむ時期を乗り越えて80歳代、90歳代になると、老いを受容できる「老年的超越」と呼ばれる段階に至るそうです。

 橋田 私は老いはもう受け入れていますし、いつ死んでもいいと思っています。生きている間は遊びたいと思っていますが、お酒も飲まないし……。つまらないから、船に乗るぐらいしかない。

 記者 オランダで取材した時に感じたのですが、オランダの人びとは、「一人ひとりが自立している」と言われる一方で、1人で死ぬのはすごく嫌がっていました。

 橋田 なるほどね。誰かにみとってもらって、家族の中で死にたいんですね。

 記者 オランダの人たちに言わせると、自殺と安楽死はまったく違うそうです。自殺は誰にも言わずに孤独に、突然死んでしまって、周囲がすごく衝撃を受けるけれど、安楽死は事前に家族や親しい人びとに告げて、みんなにさよならを言えて、見送られる。それがいいところだと。(以下略)(朝日新聞・2018/03/08)(https://www.asahi.com/articles/ASL2S4GV5L2SUEHF002.html

 (左上の動画:https://www.bbc.com/japanese/44078519

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