極東に不安のつづいている限りを…

【地軸】4度目の反対 米軍統治下の沖縄には大量の核兵器が配備された。核弾頭を搭載できるミサイル「オネストジョン」もあった。沖縄出身の詩人山之口貘(やまのくちばく)が「島」で時代の空気を伝える。▼「おねすとじょんだの/みさいるだのが/そこに寄って/宙に口を向けているのだ/極東に不安のつづいている限りを/そうしているのだ/とその飼い主は云うのだが/島はそれでどこもかしこも/金網の塀で区切られているのだ」。死去の翌1964年刊行の詩集に収められている。▼そのころ沖縄の最高権力者はキャラウェイ高等弁務官。自治権拡大の求めに「沖縄住民による自治は神話だ」と言い放った。怒りは受け継がれる。半世紀後の2015年、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を「粛々と進める」と繰り返す当時の菅義偉官房長官に、翁長雄志知事は神話発言を重ね「問答無用に感じられる」と批判した。▼復帰後も核再持ち込みの密約があった沖縄である。長大な金網の塀も残る。移設の是非を正面から問うたおとといの知事選で、県民は14、18年に続いて反対の意思表示をした。19年の県民投票を含めれば4度目となる。▼この間、政府は誠実に向き合ってきたか。振興予算の削減は、地域の未来を自ら決める権利をゆがめるものではなかったか。なお「辺野古移設が唯一の解決策」の一点張りで打開の展望はあるのか。▼沖縄の民主主義は神話、というつもりはあるまい。耳を傾けねばならない。(愛媛新聞・2022/09/13)

(米軍に保護された座間味の住民)(沖縄県公文書館所蔵)

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 「沖縄住民による自治は神話だ」といったのは、アメリカの沖縄出先機関の長だったが、それが手を変え品を変え、少しも変わらない「沖縄統治」の基本姿勢となってきました。その姿勢に変化はあるはずがないのは、ロシアや中国の極東での存在感がいや増しに増している、煽られている今だからこそ、ぼくたちはこれみよがしに示されてもいるのだ。出先機関はアメリカ政府そのものだし、そこにおける日本政府は「使い走り」か「小間使」程度の役割しか与えられていないのです。属国と言い隷属というのは、この日本政府の立場を指しているでしょう。沖縄基地問題に「四の五の」言うやつはただではおかないと、痛めつけられた政治家の事例には事欠きません。「普天間基地の移転」で、「最低でも県外」といって「鰾膠(にべ)もしゃしゃりもない」面当てを食らったのが旧民主党政権だった。(右上は普天間飛行場)

 (学生時代、自民党代議士だった松村謙三さんの講演を聞いた。彼は中国との窓口の役割を担い、中国当局からも尊敬されていた人でした。じつに気骨のある政治家でしたね。「アメリカの国務長官(当時)だったダレスと顔を合わせることがあったが、ダレスは洟も引っ掛けなかった(まったく無視した)。無礼な奴だった」といった時の松村さんの表情を今でも覚えています。悔しさがにじみ出ていたように思えたのです。子ども心に、アメリカ(政府要人)というのは、日本(という国と国民)に微塵も尊敬心を持っていないということを教えられた気がしました。六十年近く前の出来事でした)

 今でも沖縄基地は、アメリカにとっては「聖地(治外法権)」であり、指一本触れることすら日本政府には許されていないのです。先般の沖縄知事選で再戦されたのは「辺野古移転反対」派でした。それでも属国の政府は「辺野古移転が最善」というほか、一言もないのです。辺野古が「唯一」と、誰が決めたのか、どうしてそうなのか、それを誰か検証したのか。アメリカ軍が言うから、それ以外に出どころはないし、それに対する態度は「無条件降伏」しかないんですな。すでに戦後すぐに、アメリカは辺野古に飛行場設置を計画していた。諸般の事情で、普天間になったが、それは一時的だったのです。アメリカの事情ではありますが、それは「極東政治情勢」がアメリカを動かしていたからです。今もその事情は変わらない。だから「辺野古」なんだ。「沖縄返還」がならない限り、日本の戦後は終わらないと「啖呵を切った」、時の総理大臣は後にノーベル平和賞を掠め取った。更にその後、沖縄返還に際して、米国との間に「核持ち込み」の密約があったことが判明した。「密約させられた」というのが事実だったでしょう。

 沖縄の米軍基地に対して「思いやり予算」という税金投入の手法を編み出したのは政権党の重鎮で、今問題になっている統一教会とは昵懇の仲だったK元副総裁(故人)でした。アメリカの政治的意向に沿うように「沖縄」=沖縄県民」を好き放題に扱ってきたのが、歴代の日本政府でした。明治以降からそうでしたね。「琉球処分」という取り扱いも酷いものでしたが、今はそれをアメリカが、日本国家・国民に対して行っているという具合で、要するに「日本処分」です。それに対して、一言の申立もできないように「属国」ぶりは徹底しています。何度、知事選で「民意は辺野古移転反対」であろうが、一切顧慮しない。民意は、そこではあってなきが如しなんですね。沖縄県民に対して、日本政府は言うべきです。「民意(選挙結果)を尊重したいのは山々だが、アメリカの意向に背くと、私の政権がこわれるのです。だからなんとかこれまで通りに我慢して下さい。その代わり、何がしかの『復興予算』をつけますので」というのが精一杯なんです。

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 會話


お國は? と女が言つた
さて 僕の國はどこなんだか とにかく僕は煙草に火をつけるんだが 刺青と蛇皮線などの聯想を染めて 圖案のやうな風俗をしてゐるあの僕の國か!
ずつとむかう

ずつとむかうとは? と女が言つた
それはずつとむかう 日本列島の南端の一寸手前なんだが 頭上に豚をのせる女がゐるとか 素足で歩くとかいふやうな 憂欝な方角を習慣してゐるあの僕の國か!
南方

南方とは? と女が言つた
南方は南方 濃藍の海に住んでゐるあの常夏の地帶 龍舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物達が 白い季節を被つて寄り添ふてゐるんだが あれは日本人ではないとか 日本語は通じるかなどと話し合ひながら 世間の既成概念達が寄留するあの僕の國か!
亞熱帶

アネツタイ! と女は言つた
亞熱帶なんだが 僕の女よ 眼の前に見える亞熱帶が見えないのか! この僕のやうに 日本語の通じる日本人が 即ち亞熱帶に生れた僕らなんだと僕はおもふんだが 酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのやうに世間の偏見達が眺めるあの僕の國か!
赤道直下のあの近所(「山之口貘詩集」所収。 原書房刊。1958(昭和33)年7月15日初版)

● 山之口貘【やまのぐちばく】=詩人。本名山口重三郎。沖縄生れ。沖縄県立一中中退。1924年上京し,佐藤春夫の知遇を得,《改造》にはじめて詩2編が掲載されるが,以後も職業を転々とし,放浪と貧窮の中で詩作を続けた。金子光晴親交を結び,草野心平らの詩誌《歴程》に同人として参加。詩集《思弁の苑》《山之口貘詩集》《定本山之口貘詩集》の他数編の小説がある。遺稿詩集《鮪と鰯》。(1903-1963)(ニッポニカ)

 貘さんについては、これまでにも触れています。作品は極めて少なく、また「推敲魔」と言われるほどに、一編の詩に数十年をかけたとも言われた。この「會話」の「亞熱帶なんだが 僕の女よ 眼の前に見える亞熱帶が見えないのか! この僕のやうに 日本語の通じる日本人が 即ち亞熱帶に生れた僕らなんだと僕はおもふんだが 酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのやうに世間の偏見達が眺めるあの僕の國か! 赤道直下のあの近所」という「偏見達」は、今日も一層盛んに、その「偏見の刃」を「沖縄」に向けているかのようです。表向きは「リゾート」の島、観光の島、それが「偏見達」にはこよなく、お気軽に感じられるのでしょう。目眩(くら)ましですね。

 「辺野古が唯一の解決策」と、壊れた時計のように繰り返すしか能がないをのもまた、紛れもない「偏見達」の一つです。「岸田文雄首相は12日昼、自民党の森山裕選対委員長と官邸で会談した。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する玉城デニー氏が再選した沖縄県知事選が話題になり、首相は「県民の理解をいただき進めているが、今後もその努力を行わなければならない」と語った。森山氏が会談後、記者団に明らかにした。/ 松野博一官房長官は記者会見で、移設方針を変更せず、一日も早く普天間の危険性を除去すると強調。住宅街にある飛行場を放置することは絶対に避けないといけないとし「これは地元の皆さまとの共通認識だと思う」と指摘した。「政府として振興策を推進していく」とも述べた」(共同通信・2022/09/12)

 「沖縄の民主主義は神話」というつもりは政府にはないでしょう。そもそも、沖縄が「県」であるという認識がないんですから。沖縄という「基地」、その認識しかないんですな。「沖縄住民による自治は神話だ」と聞けば、「えっ」と驚くでしょうか。戦前は愚か、戦後も一貫して「三割自治」などと実態を、それ(「三割)でも過大に評価してきたのが「(国を気取った)政府」でした。だから、有り体に言えば、何も沖縄を過小に評価しているのではなく、すべての県をそう見下していると言っていいんです。分け隔てなしの「地方観」だから、沖縄を特別扱いしていないというのかもしれぬ。そのものの言いようこそが、「沖縄蔑視」で塗り込められているのではないですか

 「島はそれでどこもかしこも/金網の塀で区切られているのだ」

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)